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第8話

Author: モール
「私、ですか?無理です……私、今まで一度も舞台に立ったことがありません」

私は慌てて両手を振る。

だが、教授は自信に満ちた笑みを浮かべ、私の肩を軽く叩く。

「自分を過小評価しないの。あなたは私の教え子の中でも、最も才能のある一人よ。

その声は澄んでいて、心を震わせる。何より、あなたの作る音楽には『物語』がある。

聴いた人の心を、静かに泣かせる力があるのよ」

教授はまっすぐに私を見つめ、静かに言葉を続ける。

「あなたがどんな過去を経て、そんな音を紡ぐようになったのか――私にはわからない。

けれど、苦しみや悲しみは、必ずあなたの力になる。

過去はあなたを壊すためにあるんじゃない。

成功へと導く道の一部なのよ。

自分を信じなさい、澪。

あなたの才能を、すべて解き放って。

もっと大きな舞台に立つ資格が、あなたにはあるのよ」

その瞬間、私の目からぽろりと涙がこぼれ落ちる。

――私の音楽から、長年の悲しみや押し殺してきた想いを感じ取ってくれる人が、本当にいるんだ。

私の物語に、心で寄り添ってくれる人が。

これこそが、音楽の力。

そして、私がこの道に一生を捧げようと決めた理由だ。

教授の音楽会は大成功に終わった。

私は自作の新曲で初めて舞台に立ち、会場を驚かせた。

誰もが私の声を、そして物語を宿した歌を、忘れられないものとして胸に刻んだ。

教授が言っていた通り、過去の苦難は私を押しつぶさなかった。

むしろ、それが私を高く押し上げてくれたのだ。

創作の泉は尽きることなく、私は歌い続けた。

運命への怒りを、過去への赦しを、そして――儚くも美しい人生への讃歌を。

私はそのすべてを歌に込め、変わり続ける自分の姿を音で描いた。

その声は、多くの人の心を動かし、やがて私は「最も伝説的な新世代の音楽家」と呼ばれるようになった。

教授と共にツアーを回り、家を出てから五年目の年――私は再び、生まれ育った国の地を踏んだ。

最大のホールで、新曲『再生』を歌い終えたとき、拍手はいつまでも鳴り止まなかった。

舞台裏への通路を歩いていると、思いがけず――五年間、一度も会わなかった人たちの姿が目に入る。

父、母、陽介、そして怜司。

彼らも私に気づいた瞬間、息を呑む。

「澪……本当に澪なのね!やっと見つけたわ!」

母が震える手を伸ばし、涙を浮か
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