LOGINその頃、自宅で城田家と神城家に関する新聞をじっくり読んでいた萌子はポツリと呟いた。「ふぅん……神城フーズの令嬢を上手く返り討ちにしたのね……」新聞には神城フーズの社長、そして令嬢の裏での悪行が掲載されていた。城田家の次男である宗真が被害に遭ったということも。萌子は冷めた目で読み進めていた。「あの女……なかなかやるじゃない……」記事には名前が出ていなかったが、萌子にはわかった。きっと今回の一件には、美里が関わっている。宗助と宗真の仲を取り持ったのもきっと彼女だろう。そのことを考えると、萌子の胸に悔しさと美里に対する敵対心がこみ上げた。「私が宗助の一番だと思っていたのに……」彼女の脳裏に、かつて自分を誰よりも深く愛していた彼の姿が浮かんだ。萌子はフッと口角を上げた。あの女、本当に気に入らない。大体私が白羽区を出て行きさえしなければ、あの女は宗助の婚約者になどなれなかったのだ。――私は何一つ悪いことなんてしていない。ただ、自分のものを取り戻そうとしているだけだ。萌子は自身の行為を正当化する言葉を並べ立てた。「……今はそんなことを考えていても仕方が無いわ」萌子は今、海星と協力関係にある。二人の目的は宗助と美里を引き裂くこと。萌子は過去に犯した罪を盾に、脅迫されるような形で彼の計画に協力していた。しかし、美里を気に入らないのは事実だったので別にかまわなかった。(あの女を痛い目に遭わせるなら……そのための駒を探さないと……)萌子は昔から何事も、自分の手を汚すことを極度に嫌った。やらせるなら自分に盲目な男などがちょうどいい。萌子は類まれな美貌を持ち合わせており、それは様々な面でとても役に立った。――だから今回もきっとうまくいくはずだ。彼女はそう確信していた。城田家の妻の座に相応しいのは私であって、あの女ではない。今は底辺まで落ちた萌子だったが、日の目を見ることになるのも近いだろう。そのことを考えると、何だかとても気分が良くなった。萌子は一人の部屋でアハハッと声を上げて笑った。その瞳は狂気じみており、いつもの穏やかで上品な彼女からは想像もつかない姿だった。「今に見てなさいよ……美里……」――絶対お前を、その座から引きずり降ろしてやるからな。そんな彼女の呟きを、外から聞いていた人物がいた。「美里……?引きずり降ろす……?姉さん、一体何を考
里奈は自分が宗真にしたことを全て認め、宗助はそのことをメディアに告発した。彼女の醜い本性が露わになり、世間は騒然とした。里奈はこれまで父親の庇護の下、かなりの悪事に手を染めていた。既婚者との不倫なんて可愛いものだ。学生時代に気に入らない女子生徒を男子数人に襲わせたり、気に入らなかった一人の女子生徒を退学に追い込むなど、挙げたらキリがなかった。里奈の父親である神城フーズの社長は急遽記者会見を開き、彼は社長の座を辞任せざるを得なくなった。彼女があのような人間になったのは父親が甘やかしていたせいなので、彼も責任を負うべきだろう。里奈の母親は父親と速やかに離婚をし、財産分与で一生不自由なく暮らしていけるほどのお金を手に入れたという。母親と離婚した父親はというと、長年愛人だった女性との再婚を望んだ。しかし、彼女は社長の地位を失ったうえに、財産もほとんど残らなかった彼に興味など無く、再婚の提案は断ったようだ。新しい社長が就任してからは立場を失い、追い出されるようにして会社を出て行ったのだという。そして、里奈は――「……迷惑かけたわね」「……里奈」醜聞にまみれた彼女は、もはや白羽区にはいられなくなっていた。外へ出るたびに軽蔑の眼差しを向けられ、自宅には脅迫文までもが届いた。そのため、母方の祖父母が暮らす田舎に身を寄せることになった。かつての今野萌子のように。美里は最後に、白羽区を出る前の里奈に会いに行った。みっともなく泣き喚くようなこともせず、彼女は淡々と自身の運命を受け入れていた。「里奈、私はあなたをずっと親友だと思っていたわ」「……やめてよ、そういうこと言うの」その言葉に、里奈は辛そうに顔を背けた。「……私はあなたを友達なんて思ったこと一度もないわ。むしろ嫌いだった」「……」美里はその言葉を信じていなかった。嫌いならどうして、あそこまで自分を気にかけてくれていたのか。それが情ではないなら、一体何だというのか。「これから私のことは忘れて生きなければならないわ」「里奈……」里奈は美里を最後まで突き放した。彼女はたしかに宗真を酷い目に遭わせたが、美里にとってはかけがえのない親友だったわけで。「……宗助くんと仲良くするのよ」「……」里奈はほんの一瞬だけ、美里に笑いかけた。昔、彼女がよく見せていた朗らかな笑みだった。駅には美里だけではなく
里奈は信じられないものを見るかのような目で、扉の前に立っている宗助を見つめていた。何故、彼がここにいるのか。宗真はどこに行ったのか。「宗真なら来ない」「……!」里奈の心の中を見透かしたように宗助が冷たく言い放った。彼女は蔑むようなその視線に、ますます困惑した。宗助は里奈に興味が無かったが、このような視線を向けられたことは一度も無かった。「宗助くん……一体どうしたっていうの……?城田家の御曹司のあなたがこんなしがない喫茶店に来るだなんて……」「お前こそ、随分俺たちを弄んでくれたな」「……ッ!」里奈はゾッとした。一体この男はどこまで自分がやったことを知っているのか。心臓がバクバクと音を立て始める。いくら彼女が大手食品企業の社長令嬢だろうと、城田家の足元にも及ばない。白羽区で最も権力を持っていると言っても過言ではない城田家に目を付けられれば、いよいよ里奈たちは終わりだ。そのことを考えると、彼女の体が小刻みに震え始めた。「――里奈、久しぶりね」「……美里?」そのとき、宗助の後ろから姿を現したのは美里だった。彼女は腕を組み、里奈を冷たい目で見つめていた。あぁ、その瞳。いつにも増して不快だわ。里奈は握っていた拳に力を込めた。「ど、どうしてアンタがここにいるのよ……!」「残念だわ、里奈。あなたがこんなことをしていただなんて」「……」美里にそのような目を向けられたのは初めてだった。彼女はいつだって里奈を親友として、明るく笑いかけていたのだから。そのような変化に戸惑いはしたが、悲しくはない。――彼女は美里を親友だと思ったことなんて一度たりとも無かったからだ。「……相変わらず偉そうね。ムカつくわ」「それがあなたの本性だったのね」もはや隠す必要もなかった。里奈は顔をしかめる美里を嘲笑うように口を開いた。「本性?何のこと?私は昔から何も変わっていないわ」「……そうね、私はずっとあなたに騙されていたようね」「ええ、そうよ!私はアンタのことを友達だと思ったことなんてないわ!アンタに優しくしたのも全部、宗助くんに近付きたかったからよ!」里奈はこれまで隠していた心の内をこれでもかというほど吐き出した。「……愚かだわ、騙されていた自分が情けない」「美里」悲しそうに視線を下げた美里の肩を、宗助が抱いた。その姿は余計に、里奈を不快にさせた。(二
里奈はさっそく、宗真にメールを送った。『宗真くん今度直接会って話がしたいです。宗真くんにどうしても話したいことがあるんです。もちろん、”例の喫茶店”で。返事待ってます』宗真はここ三日間も里奈にメールの返事をしていなかった。そのことから、彼女は焦りを感じていた。(このままずっと返事が来なかったらどうしよう)これまでずっと彼女の操り人形だったのに。急に連絡がつかなくなるとは一体どういうことか。もし、宗真に里奈の企みがバレたとしたら……彼女は背筋が凍った。しかし、里奈の心配とは裏腹に、返事はすぐに届いた。スマホの着信が鳴り、里奈は慌てて確認した。『わかった。いつがいい?』宗真はいつも通り十分も経たないうちにメールを返した。そのことに里奈は安堵の息を吐いた。(やっぱり、バレていないみたいね……!)いつもより短く、冷たさを感じる文章だったけれど、里奈はそんなこと気にもならなかった。『今すぐ、今すぐがいいわ!』すぐに返事を送り、彼女は明日の正午に宗真と会うことになった。「やったわ!これでまた一歩宗助くんに近付けた……」里奈の真の目的は宗真ではなく、兄の宗助のほうだった。彼を美里から奪ってやりたい、というその気持ちは今でも変わっていない。(あんな女に宗助くんを渡すわけにはいかないわ……!)宗助は彼女の初恋であり、この世で唯一手に入れられなかったものだった。そして美里のことは昔から気に入らなかった。だからだろうか、こんなにも心が燃えるのは。里奈はスマホを握る手に力を込め、明日の準備を始めた。***翌日の昼。待ち合わせの時間が近付き、里奈はいつもの喫茶店へと向かっていた。実は宗真が通い詰めていたあの喫茶店の店主と里奈は顔見知りだった。いや、実際はもっと深い関係だったのだが、それは二人だけの秘密だ。だってあちらには妻子があるのだから。里奈は明子を近くで見て育ってきたせいか、既婚者とそのような関係になるのを厭わなかった。店主は彼女にかなり惚れ込んでおり、里奈の頼みなら何でもするような男だった。里奈は彼から何回か結婚を申し込まれていた。もちろん、里奈の本命は宗助であり彼はただの遊びにすぎないが。(宗真くんはあのコーヒーの虜になっているから……)――このままいけば、きっと宗助は自分のものとなる。里奈はそのことを確信してニヤリと笑みを深めた
一方その頃、里奈は宗真と突然連絡が取れなくなったことに焦りを感じていた。「宗真くんったら、一体どうしたのよ!?これまで私からの連絡は必ず一時間以内に返信してたってのに……」彼女は今日も、父親の経営する会社のオフィスで一人スマートフォンをいじって過ごしていた。いつもより機嫌の悪そうな彼女を見た社員たちは、ヒソヒソと噂話を始めた。「神城さん、今日は荒れてるわね」「おいおい勘弁してくれよ……我儘なお嬢様は困るぜ」「今日は一体誰が当たられるんだか……」里奈は仕事をしないうえに、気に入らないことがあると同僚たちに当たっていた。そのため、会社内ではかなり嫌われている。彼女のそのような性格が形成されたのは父親のせいだが。誰一人として近付こうとせず、遠巻きに彼女を見つめていた中で、一人だけ話しかけた者がいた。「――里奈ちゃんったら、今日は一体どうしたの?」「……松葉さん!」――松葉明子(まつばあきこ)里奈が実の母親のように慕う五十代前半の社員だ。彼女は里奈の父親の愛人でもあった。年の割にはメイクが濃く、派手な格好をしている。彼女は神城フーズで経理として長く勤め、同時に社長の愛人としても幅を利かせていた。仕事はそこそこできるが、いつもキツい香水をまとい、社員たちを見下すような発言を繰り返している。嫌われ者がもう一人登場したことにより、オフィス内の雰囲気は険悪なものとなった。「実はぁ……新しくできた彼氏がメールの返事をくれないんです……」「あらぁ、それは困ったわね」里奈は咄嗟に宗真を彼氏だと偽った。彼女の計画はバレれば神城フーズが終わってしまう可能性すらあったからだ。いくら明子相手でも、知られるわけにはいかない。「松葉さん、私どうすればいいですか?」「そうねぇ……一度彼と直接会ってじっくり話し合う必要があるわ。もう一度メールしてみるのよ」「やっぱりそうですよね……」明子はいつも里奈の悩みを親身になって聞いてくれる。くだらないことで叱ってばかりの母親とは大違いだ。そのような点から、里奈は明子のことが大好きだった。地味な母親とは違って、明子はいくつになっても華やかだった。里奈は女性として、彼女に憧れを抱いていたのだ。明子と社長である父の付き合いはもう三十年にもなる。不倫が発覚したのはまだ里奈が幼い頃で、母はショックを受けて寝込むようになった。
「宗真くん、それは本当なんですか?」「ああ、たしかだ。何ならアイツとのメール記録も残ってるし……」宗真はスマホの画面を美里に見せた。そこにはたしかに里奈とのメッセージ記録が残されていた。どうやら彼の言っていることは本当なようだ。里奈は美里の中学時代の親友であり、つい最近同窓会で再会している。宗助はスマホの画面に映る彼女の名前をじっと見つめていた。「宗助、神城さんのことは知ってる?」「……いや、記憶にないな」「……まぁ、そうだよね」宗助は他人に興味がなく、中学時代の同級生なんてほとんど覚えていない。そんな彼が里奈を知らないのは特に不思議なことではなかった。「里奈とはどうやって知り合ったんですか?」「それが……前にアイツが突然ぶつかってきて……」宗真は美里と宗助に里奈との出会いを一から説明した。話をじっと聞いていた美里は、彼女の大胆な行動に驚いた。少なくとも、美里の知る里奈はそのようなことをするような人ではなかった。「……多分、最初から何か狙いがあってお前にぶつかったんだろうな」「そう考えるのが自然ね」宗真は美里と宗助に迷惑をかけてしまったことを思い、何だかいたたまれなくなった。美里はそんな彼の心情に気付いたのか、そっと肩に手を触れた。「里奈のことは私たちに任せて、宗真くんは治療に専念したほうがいいわ」「美里さん……」美里が宗助にチラリと視線をやると、彼が頷いた。「兄貴……」久々に見る兄の優しい顔に、宗真は何だか嬉しくなった。「回復したらすぐに俺も協力するから」「期待してるぞ、宗真」「あ、兄貴……!?」宗真はたった今宗助が放った一言に固まった。驚いたのは美里も同じだった。(そ、宗助が優しい言葉をかけた……!?)彼が宗真のことを気にかけるのは初めてだった。宗真は信じられないというような顔で兄をじっと見上げていた。宗助はそんな弟から視線を逸らすと、美里の腰をグイッと引き寄せた。「美里、行くぞ」「ちょ、ちょっと宗助!」彼女は抵抗しようとしたが、宗助は有無を言わさず美里を連れて行ってしまう。宗真はそんな二人の姿をベッドの上からじっと眺めていた。彼は頭をかいたあと、ポツリと呟いた。「やっぱり……いつ見てもお似合いな二人だなぁ……」あまりにも完璧な二人の間に自分が入る隙など最初から無かったのだ。彼は今になって、ようや
宗助はホテルの前で美里を待っていた。見慣れた黒いスーツ姿の彼は、特段いつもと変わったところはないように思えたが、よく見ると髪型がほんの少しだけ違った。美里のために気を使ったのか、それともたまたまか。もはや彼女にとってはどちらでもよかった。「行こう、美里」「ええ、宗助」宗助は美里に手を差し出した。「宗助、そんなことして噂にでもなったらどうするつもり?」「何か問題があるのか?俺たちは婚約者なんだから」「……そうね」美里は悩んだ末に彼の手を取った。ここで反論したところで何の意味もないことを彼女はよく知っていた。宗助は一度決めたことは曲げない人だった。だから美里との婚約破棄も受け
美里が箱を開けると、中に入っていたのはゴールドのネックレスだった。「お前に似合うと思って昨日買ったんだ」「わ、私に……?」美里は戸惑いを隠せなかった。前世で宗助に貰ったものといえば結婚指輪くらいで、他に彼から何かをプレゼントされたことはなかったからだ。驚いた美里は、後ろに控えていた秘書に目をやった。彼は微笑ましい様子で宗助と美里を眺めているだけだった。「……俺が着けさせてもいいか?」「……え、ええ」美里は困惑しながらも頷いた。彼女の反応を確認した彼は、箱に入っていたネックレスを手に取り、慎重に美里の首に着けた。彼女の首元で、彼がプレゼントしたネックレスが光り輝いていた。「
美里は宗真を完全に信じたわけでなかった。彼がどのような事情を抱えていようと、美里を前世で殺したことに違いはなかったからだ。「美里さん、よく来たね」「……話だけを聞きに来ました」「そう、まあ別にどんな理由だってかまわないさ」宗真が美里を呼び出したのは、都内にある高級レストランの一室だった。完全予約制のここは、多くの芸能人関係者が通うことでも有名なのだという。さすがにこんなところまでは城田家の人間も入ってこられまい。「宗助との婚約破棄を協力してくださると聞きました」「ああ」「どうしてですか?」美里は宗真の意図が読めなかった。「私に協力したところであなたには何のメリットもない
「婚約破棄……?何を言っているんだ……?」「宗助、あなたには悪いと思っている。だけどね、私たちが結婚しても幸せにはなれないと思うの」「幸せだと?急に何を言い出すんだ」「あなたは今でも今野萌子さんのことを想い続けている。そうでしょう?」「……」宗助は黙り込んだ。それがまさに肯定を意味していた。彼はしばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。「俺たちの結婚に愛なんてないのは当たり前だろ」「……!」胸がチクリと痛んだ。美里は宗助が自分を愛していなかったことを知っていたが、本人の口からハッキリと言われるのは辛かった。この結婚は宗助にとってはただの政略結婚にすぎなかったようだ。