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「結構な賭けに出たな。一歩間違えたら、もう来てくれないパターンあるぞ?」「え……」マジかよ。そんな最悪エンドがあるって、俺、聞いてないぞ?「八神?おーい?」麻子さんがもう来てくれない?そんな……そんなことが、あるなんて。「八神、動けって。ごめんって。大丈夫だって。あの人は来るって」「……ほんとに?」「ほんとだって。ほら、客、来たぞ」速水のグリーティングで客がB2に案内され、年配の女性客が3人着席した。この3人も常連客だ。ホット3つだろうな。頭は働かなくても手は動く。シルバーの上にホット3つ分のソーサーとスプーンとミルクをセットし終わるのと同時に速水が戻り、「スリーホットです」と告げた。やっぱりな。俺、できる男。バイトが終わり、スマホの通知を見る。麻子さんからのLINEは無い。ああ、俺は無しだったか。そもそも麻子さん人妻だもんな。そう簡単になびいてくれるなんて奇跡……無いよな。さっさと寝るか。風呂に入ろう。せめて麻子さん、俺の夢に出ないかな。風呂から出た俺は、もう一度スマホを確認した。知らないアイコンからの通知があった。その猫の写真のアイコンのメッセージを開く。『こんばんは。送ってみちゃいました』──俺、一生分の運、使い果たした?
「ありがとうございまーす」麻子さんが立ち上がると同時にレジに向かう。レジに向かおうとした速水の前を無理に通ってレジ前に立つ。速水は一瞬眉をひそめたが、察したらしく何も言わずにテーブルの下げに向かってくれた。爆発しろなんて思ってすまん。直接言ってないから許して?「コーヒーチケットですね。ありがとうございます。レシートは?」「いいです」レシートと一緒に渡したいんだよ!うう、ここは……もう、無理矢理渡すか。「こちら、よろしければどうぞ」強引にショップカードを差し出す。頼む!受け取ってくれ!「は、はあ……」よし!受け取ってくれた!困惑気味でも麻子さんは美しい。明らかに困らせてるのは承知の上。でもな、俺の連絡先をわたすのが大事なんだ。例え彼女が人妻でも。左手の薬指に光るものがあっても。「ありがとうございましたー!」営業スマイルで強引に乗り切る。どうか、そのショップカード、捨てないで。せめて裏に俺の連絡先があると、気付いてくれ。ドアが閉まる。ドア越しに、麻子さんがカードを裏返したのが見えた。よし!気付いてくれた!後は連絡を待つのみ!テーブルを片付けて戻った速水は手早く食器をシルバーと呼ばれる盆から下ろしていた。「八神……さっきの人妻?」「あ、ああ」バレバレかよ。慌てるな、俺。クールに返すんだ。
「以上でよろしいでしょうか。失礼します」テンプレしか出てこない、語彙力皆無の俺。ああ、伝票をテーブルの端に置いたら麻子さんから遠く離れたカウンターに戻らないといけない。誰でもいい、教えてくれ。どうしたら店員と客って恋愛が始まるんだ?麻子さんの無言の微笑みを受けて、すごすごと俺はカウンターに戻った。そういえば、栗原さんと店長って、それぞれお客さんと付き合ったり結婚したりなんだっけ?速水から聞いたことあるぞ。レジ横に置いてある、ロミオのショップガードが目に留まった。ダメで元々か。やってみる価値はある。やらなきゃ何も始まらない。ショップカードを1枚手に取り、裏に俺のLINEのIDをボールペンで書く。念の為電話番号も書いてみる。ショップカードの裏が白くて助かった。「八神、何書いてんの?」 今日のバイトのホールは俺と速水だけ。速水が俺の大事なショップカードを覗き込んだ。「ちょっと、な」目を逸らした俺の表情をじろじろと観察した速水は、無言で理解した旨を顔に表した。いちいちスマートだなこいつ。だからリア充なのか。爆発してしまえ。そういえば、こいつの彼女の白雪さんって胸大きいよな。あの胸揉んでんのか。尻も触ってんのか。全裸見て触ってんのか。うん、やっぱ爆発してしまえばいい。
金曜日の16時きっかりに、麻子さんは来た。いつもと同じ、A7のボックス席が彼女の指定席だ。さあ、どうやってお近づきになろうか。「いらっしゃいませ」「アイスオーレを……あの」遠慮がちに少し語気を強めた彼女は、俺の目をじっと見つめた。というより、俺の方が彼女の黒目を食い入るように見ていたのかもしれない。「はい。アイスオーレおひとつですね」……じゃないだろ、俺!何スルーしてんの俺!チキンにも程がある。「あの、こないだはスマホ、ありがとうございました」「いえ、当然のことをしたまでで」お礼にお茶とか誘ってくんねえかな。俺から言うわけにはいかないじゃんよ。「……えっと。以上でよろしいですか?」「はい」「失礼します」あああああ。俺、何も言えなかった。はい、敗北。今日のベストオブチキンは俺です。こんなに俺がチキンなら、あいつらに女の口説き方講義、してもらうんだった。「お待たせいたしました。アイスオーレです」それでも、麻子さんにアイスオーレを持って行くのは俺だ。これ、絶対譲れない。特に同じバイトの速水にはぜってえ譲れねえ。あいつには白雪さんという彼女がいるんだ。その上麻子さんと会話する権利なんて、絶対に渡すわけにはいかないんだ。
「控えめに言って、お前、キモいわ」「ばっさり切り過ぎだろ……」中学からの悪ガキ仲間、翔太《しょうた》は俺をばっさり切るとビールのジョッキをあおった。同じく悪ガキ仲間の大翔《ひろと》の実家のラーメン屋のテーブル席で俺たちは月に一回集まっていた。向かいの席には相変わらず派手な髪色の海斗《かいと》と無口な裏番の蓮《れん》が、この店の名物、デカ盛りチャーハンをほうばっていた。「んで岳、もう連絡先交換したわけ?」「そんな蓮みたいな神技できねえよ」冷やし中華が俺の前に運ばれてきた。大翔の母ちゃんの腕は今日もたくましい。唐揚げデカ盛りと大盛りの冷やし中華を同時に運んでブレないって、どんな筋肉してんだよ。麻子さんの腕とは違うな。ほっそりしたあの腕、あの手首。俺が掴んだら折れてしまわないか。そっと掴んであげないとな。「おーい。岳が妄想モード入ってるぞー」今日も俺へのツッコミ斬り込み隊長は翔太か。「で、これからどうすんの。ロミオに来るのをひたすら待って、眺めるだけでは何ともならないだろ」唐揚げをつまみにレモンサワーを呑んでいた蓮は俺に問うと、また取り分け皿にチャーハンを盛った。「その白雪さんって女子に協力頼めないの?」「相手人妻だからな。ちょっと頼みづらいよ。麻子さんと親戚でもあるし」「なあ翔太、上手く口説く方法知らない?」「バーテンやってる蓮でわかんなかったら俺もわかんねえよ」「だよな」「自分で言うな」
店のすぐ前の駐車場にはいなかった。店の左隣の駐車場だろうか?「麻子さん!」車に乗り込もうとしていたその人はまだ振り向かない。「麻子さん、待って!」静かに振り向いた。ああ、この振り向いた瞬間、動画に撮りたい。麻子さんが俺に振り返ったこの瞬間、永久保存する価値確定。「スマホ!忘れてます」もっと引き延ばせればいいのに。他に気の利いた言葉が出てこなかった。俺が名前を呼んだからか怪訝そうな顔をしていた麻子さんは俺の手にあるスマホを見た途端、かすかに目を見開いた。「どうぞ」スマホを手渡す。両手で受け取るこの人は、前から感じていたが品がある。彼女が両手で受け取ってくれたおかげで、俺は彼女の手に面積多めに触れることに成功した。キモい?許して。本当は触りたくてしょうがないのをぐっと我慢しているのだから。「ありがとう。あの、私の、名前……?」どうして知ってるの?と聞きたそうに首を傾げた。え、可愛い。首傾げるとか。反則。優勝。参りました。ノックアウトです。「白雪さんから教えてもらいました」この理由ならキモくないよな?自然だよな?「ああ、桃歌ちゃんね。だからか」「あの、白雪さんとは……?」「従姉妹なの。歳、離れてるけど」「そんな。麻子さん、十分若いです」俺が惚れてしまう程には。麻子さんには十分過ぎるほどの若々しさと色気があった。その声、俺の耳元で囁いてくれないかな。