LOGIN馬車に揺られている間、私の髪を撫でながら気遣うスタンリーに寄りかかっていると急に馬車が揺れた。
急停止して浮き上がりそうになった私の体をスタンリーが抑えてくれる。「何事だ?」
「公爵閣下、それが、その⋯⋯」窓を開けて尋ねたスタンリーに馬車に並走していたモリレード公爵家の騎士が何かを言い淀んでいる。
外を見れば、もう屋敷のすぐ側まで来ていた。
門の近くの人影が近づいてくる。
銀髪に水色の瞳をした、スタンリーの浮気相手であったメアリア嬢だ。騎士たちの静止を振り払い近づいてくる彼女を見て、私はスタンリーに寄りかかるのをやめた。
そのような私を悲しそうな目で見つめてくる彼はずるい。「公爵様、あの⋯⋯私⋯⋯やっぱり⋯⋯」
涙を浮かべながら、頬を染めているメアリア嬢は女の私から見ても可愛かった。私は馬車の扉を勢いよく開けて、彼女の前に立った。
「何か御用でしょうか。夫の相手を一晩して頂いたお礼は申し上げたはずですが」
「ルミエラ様、20歳という生涯残りそうな記念の誕生日の朝にあのような屈辱を受けても離婚されないのですか? もっと、プライドのある方かと思ってました」彼女は涙を浮かべているが、口角が上がっている。
私を挑発しているつもりのようだが、彼女の作戦が分かってしまった。
(記念とか、そのような祝い事は意識したくないような前世を私は過ごした⋯⋯誕生日とか、どうでもいいわ)「私はレイダード王国の貴族令嬢はもっと節度がある方ばかりかと思っていました。娼婦のような商売もなさっているのですね。花代を請求しに来たのかしら?」
「な、なんて失礼な方なの? 元メイドの下賤の民の癖に!」 結局、私が血筋で見下され続けるのは避けられない。でも、人の夫に手を出す下品な女に蔑まれる覚えはない。「元メイドですが、今はモリレード公爵夫人です。そして、スタンリーの妻です。私は彼の隣を譲るつもりはありません」
浮気など到底許せないと今でも思っている。
それでも、4年間私の愚行「タチアナ嬢、僕と婚約してください」 11歳の時彼と婚約できて自分は世界一幸せな女だと思った。 初めて出会った時からレイフォード王子が好きだった。 麗しく輝かしい未来を約束された王子様だ。 私は厳しい妃教育も必死に耐えた。 ルミエラ夫人と彼のキスを見た瞬間、時間が止まったような感覚を覚えた。 美しい王子様と麗しのルミエラ様。 ルミエラ・モリレード、貧しい平民出身でモリレード公爵家で働いていたメイド。 美しく優秀なスタンリー・モリレードから求婚され全てを手にいれた女。彼女の手に入れた地位を考えればうまくやらなければいけないと分かっていた。でも直感的に嫌いだった。美しさだけで成り上がってきた読み書きも怪しい女だ。 レイフォード王子に彼女を辱めた罪で婚約破棄を言い渡された。 私はそこまで既婚者でもある彼女に夢中な彼に苛立った。 何度も抗議の手紙を書き、彼に今の気持ちを訴えようと謁見申請をした。 全ては無視され、自分の存在とはレイフォード王子にとってその程度だったのかと落ち込んだ。 「久しぶりだな、タチアナ」 建国祭を終えて1ヶ月。 やっとレイフォード王子が私に会ってくれた。 プラチナブロンドにアクアマリンの澄んだ瞳。 私の王子様⋯⋯。 「殿下、お会いしとうございました。殿下がルミエラ様を好きなら構いません。殿下のような方のお心を私が留めておけるとは思ってませんから」 私は別に美しくない。 家柄だけは超一流だが、殿下は結婚したら他に女を迎えると思っていた。 それでも構わなかった。 彼の正室になれるのは私だけだ。 彼が娼婦に夢中になろうと、側室を何人とろうと気にしないと思っていたのにルミエラ様だけは許せなかった。 女の私でもときめいてしまう美しい姿。 淡白で仕事人間のスタンリー・モリレード公爵を落とした女。 誰が見ても分かりやすい悪女で、国を傾かせるような危険な匂いを感じさせる女だ。 そのような彼女を魅力的な女だと客観視していたが、自分のテリトリーを侵され彼女は完全に私の敵になった。 「ルミエラが僕の子を身ごもっているのだ。僕もそなたの献身を理解していない訳ではない。そなたと結婚か⋯⋯ルミエラが僕の子さえ宿していなければ叶うのに⋯⋯」 言い辛そうに伝えてきたレイフォード王子
クリフトは新学期になり、アカデミーの寮に戻って行った。スタンリーはクリフトと聖女マリナを婚約させた。 私は妊娠5ヶ月になり安定期に入った。 妊娠初期はつわりもなく妊娠した実感がなかったが、ようやくお腹が出てきて実感が湧いた。「お、お母様、なにかお手伝いできることはございますか?」 「マリナ、もう十分よ。お茶会を開催するのは実は初めてなの。緊張するわ」 「わ、私もお茶会初めてです。ど、同年代の子とお話するのも」 マリナは今モリレード公爵邸に滞在している。 クリフトは彼女に聖女の力を使わせないように気をつけていた。 そのせいか、マリナは随分と顔色も体調も良くなってきた気がする。 生命力を吸われることがなくなったことと、クリフトという味方ができたせいかもしれない。 初めて見た時、今にも死にゆく顔をしていたが、今は生きるのが楽しくて仕方がないという顔をしている。 マリナは3歳で聖女の力を発現して以来、崇められ各地を巡礼し聖女の力を使い続ける生活をしていたらしい。 クリフトは彼女に自由を与えたいのかもしれない。 私は公爵夫人としての仕事として、他の貴族の夫人方や令嬢と交流を持つことにした。 彼女たちは特権階級意識が強いから、正直気が進まなかった。 私の元気がないことを心配してくれたのか、マリナが私のお腹に手を翳し聖女の力を使った。 温かく柔らかい光が私を包み込む。 とても気持ちが軽くなるが、これはマリナの苦しみと等価交換されているものと考えると胸が痛くなる。「だ、大丈夫です。赤ちゃんも応援してます。赤ちゃん女の子みたいですね」 「そんな事も分かるの? それよりも聖女の力は使ってはダメでしょ。自分自身を一番大切にね」 「す、すみません。クリフトには私が聖女の力を使った事、内緒にしてください」 私は微笑みながら頷いた。彼女もクリフトに大切にされていることを自覚しているようだ。 スタンリーに守られていた事に4年も気が付かなかった私から見ると、彼女はとても人の気持ちの分かる優しい子だ。 今日のお茶会は温室ですることにした。 続々と招待客が集まる。 今まで、招待状を送って来た人たちを招待したが皆が来るとは思わなかった。 (私は招待を無視してたのになんで?) 急に怖くなってきた。 も
馬車に乗せられ、家路を急ぐ。「スタンリー、帰ってきてしまって良かったの?」 彼は貴族たちに囲まれていたから、仕事の話になって執務室に何かをとりに来たような気がする。 それなのに会場にも戻らず、勝手に帰ってしまって良かったとは思えない。 スタンリーは私の方を見ようともせず、ずっと真っ暗な窓の外を見ている。「⋯⋯別に、問題はない。ルミエラはまだ帰りたくなかったのか? その⋯⋯体調が悪いと聞いたが⋯⋯」「懐妊の話ね。それは、誤報だから⋯⋯私は、子供は欲しくないの」「君が、そう思うのは当然だ。あのような過ちを犯した俺との子供なんて穢らわしくて欲しくないのだろう⋯⋯」 彼は一体何を言っているのだろう。 3ヶ月以上、仲睦まじく毎晩のように抱き合ってきた。 (穢らわしいなんて思ってる訳ないじゃない、むしろ⋯⋯) 私が子供が欲しくないのは、子供を持つことの大きな責任を知っているからだ。 健太が生まれた時、私は輝かしい未来しか想像していなかった。 結婚して、子供が産まれて、子供が反抗期になったら喧嘩するかもしれないけれど、大人になったら一緒にお酒を飲んだりして、孫が産まれて⋯⋯。 そのような思い描いた将来は、健太が1歳になる前に消滅した。 そして、私は今でも自分が死んだ後、彼が無事に生活しているか考えるだけで気が狂いそうになる。 子を持つ事による発生する責任を私は恐れている。 「私は子供を持つのが怖いだけ⋯⋯スタンリーは関係ないわ」「君はクラフトの事を怖がっていたからな。確かに子供は思うようにはならん。別に逃げて良いのだぞ。君はクリフトの親ではないのだから」 私はスタンリーの言葉に流石に頭がきた。「クリフトは私の子よ! それに、私がスタンリーを好きだから一緒にいたいって分からない? あなたのその目は節穴なの?」「えっ? 君が俺のことが好き?」「そうよ、ムカつくから、絶対言いたくなかったけどね!」 私は振り向いたスタンリーの髪を引
私は小説『アクアマリンの瞳』を思い出していた。今、考えると、まるで伝記のように客観的視点でかかれた不思議な小説だ。 16歳になったクリフトは、自分を虐待して来た公爵邸の人間を惨殺する。 彼には殺人容疑が一時はかかったが、彼自身も怪我を負っていたのと公爵邸にあった宝物『アクアマリンの瞳』が所在不明だった為に賊の仕業という事で片付けられた。 彼はスタンリーが死んだ事で公爵位を授かり、怪我を治しにきた聖女マリナと出会う。 2人は運命のように恋に落ちて、その時「呼吸が止まる瞬間まで、あなたのアクアマリンの瞳を見つめていたい」と彼女はプロポーズのような言葉を告げる。 2人は結婚。 クリフトは挙兵し、レイフォード国王を倒し、悪政に苦しむ民を救う。 なんと、たった3ヶ月の出来事を描いた物語。 私はこの話を天才クリフトのサクセスストーリーだと思っていた。 クリフトは周辺諸国の強力を得て、クーデターを成功させている。 今はこの小説が愛の物語のように感じる。 人を追い詰め楽しんでいただけの少年が、聖女マリナと出会い愛を知る。 彼女が力を使わなくて済む世を作る為、少年は初めて人の為に動く。 クリフトと聖女マリナはお互いしか見えないように、静かに見つめあっていた。「母上、先にお帰りください」「え⋯⋯あ、はい⋯⋯」 私の事を一瞥もしないで告げるクリフトの言葉に、私はそっと部屋を去った。 以前、クリフトに口撃された時に彼をサイコパスだと決めつけた。 彼を理解できなかった自分への言い訳を用意しただけだ。 聖女マリナといるクリフトは、初めて恋をした男の子に見えた。 彼は人一倍、人の心の機微に敏感な生きづらい子なのかもしれない。 会場に戻ろうとした時に、私の前に怒りを抑えたようなレイフォード王子が立ち塞がった。(勘違いじゃない⋯⋯付き纏われている⋯⋯)「そなたと、しっかり話をしたい。僕を避けているだろう。こっちに来い」
人生とは、驚くほど時間がゆっくり流れる。 僕、クリフト・モリレードの人生は物心ついた時から、死ぬまでの暇つぶしだった。 僕が物心がついたのは1歳になるより前、通常よりもだいぶ早い。 「ふふっ、クリフトがアクアマリンの瞳を持って生まれてきて良かったわ」「ミランダ姫、あなたも悪い方だ」「スリルがないと、こんな退屈な人生やってられないでしょ」 僕の産みの母親は、スリルがないと生きられない女だった。 スタンリー公爵と結婚した後も、彼女は祖国から連れてきた護衛騎士との情事を続けた。 赤子である僕の前で彼女がそのような事を繰り返すのは、僕が何も分からないと思っているからだろう。 悲しいことに僕には、その時点で世界の大体を理解する能力が備わっていた。 僕の母親はなんと醜い女なのかと思った。 そして、僕の父親スタンリーは彼女のしていることに気が付きながら、何も指摘しない。 それは本当に彼女に興味がないからだった。 僕は両親を懲らしめてやろうと思った。 言葉を話さない⋯⋯ただ、それだけで両親は慌てふためいた。「喋りなさい、喋りなさいよー!」 鬼の形相で僕を虐待する母が滑稽だった。 彼女はスリルがないと生きられないと言ったから、スリルを見せてやっただけだ。 王位継承権を持つ公爵家の跡取りが、言葉1つ発せないというスリルだ。 彼女は焦って、毎晩のように夫スタンリーを誘惑した。 しかし、彼は仕事人間で彼女に興味を示さなかった。 跡取りを作ったのだから、それで自分の仕事は終いだと考えていた。 そのような毎日が続き、僕が6歳になった時に面白い人物が現れた。 女に興味がないように見えたスタンリーが夢中になる女、ルミエラだ。 スタンリーは愚かにも誰が見ても彼の気持ちが分かってしまう程に、いつも彼女を目で追っていた。 ミランダは、そのような彼を責めた。 彼女はストレスを溜めて精神が不安
あれから3ヶ月の時が過ぎた。 スタンリー狙いのメイド連中を解雇し人員整理も済ませ、公爵夫人としての仕事も交友関係を作る事以外はできるようになってきた。 レオダード王国347年建国祭。 聖女マリナが訪れるとあって、周囲は騒がしい。今日はクリフトも舞踏会に参加する。「レイフォード・レイダード王子殿下に、ルミエラ・モリレードがお目にかかります」 隣にいるスタンリーと腕を組みながら、彼とペアでつくられた青いドレスを着ている私を自分に気があるような女のように見てくるレイフォード王子。(確かに気持ちはあったけれど⋯⋯) 「ルミエラ夫人、久しぶりだな」 レイフォード王子の軽やかな声。 私は彼をすっと避け続けていた。「ええ、レイフォード王子殿下とお会いしたのは、もう3ヶ月以上前になるのですね⋯⋯」 自分でも一度は恋をした相手だという認識はあるのに、目の前のレイフォード王子に興味が湧かない。 クリフトは長期休暇に入り、昨晩寮から公爵邸に戻って来たばかりだ。今日の建国祭初日の舞踏会に出席すると自ら言ってきた。 彼から出席したいと伝えて来たのは、今日聖女マリナがくるからかもしれない。 彼女は小説の中ではクリフトの未来の奥さんだ。 今、クリフトはアカデミー創立以来の秀才だと騒がれていた。 全ての成績でA判定をとってきたのは私の予想外だ。 てっきり彼はアカデミーでも出来の悪い男のふりをすると考えていた。 私は隣にいるクリフトをただ見つめていた。 気品ある佇まいにアクアマリンの瞳。 誰がどう見ても立派なモリレード公爵家の跡取りにしか見えない。 クリフトはアカデミーでトラブルもなく静かに過ごしてくれたが今後は分からない。 彼は急に周囲の人間を惨殺したりする危険な子だ。 そして、人の心を抉るような言葉で攻撃してくる子だ。スタンリーは私と一曲踊り終わると、すぐに他の貴族たちに囲まれてしまった。 私は舞踏会の