うっすらと、目を開ける。
カーテンから差し込む陽の光が眩しい。「奥様、今日は奥様の20歳の誕生日です。早速、準備に取り掛かりましょう」
メイドのエリカの言葉に私は泣きそうになった。
私はまた時を戻ったようだ。必死に泣くのを耐えながら、ない頭で考える。
小説の内容から察するに、クリフトはレイダード王国を狙っている。 彼が王国を手に入れる為は王位継承権のあるモリレード公爵の地位が必要だ。 クリフトは本当は大衆を洗脳状態にできる程、弁が立つ男だ。彼の様子を見るにスタンリーには復讐心がある気がする。
そしてレイフォードとは仲が良いように見えて、クリフトは心の奥底では彼を嫌っているように見えた。私は自分が前世で言葉を発することのなかった健太を育てた時の経験を思い出してた。
言葉を発さなくても、その表情や仕草から何を考えているかを察する事ができる。 「奥様? 大丈夫ですか?」 「ありがとう⋯⋯大丈夫よ」私は不安で泣いていたようで、彼女は白いハンカチを渡してくれた。
散々偉そうに振る舞ってきた私に親切にできるのは、彼女が本当に優しい子だからだ。 また仲良くしたいけれど、先に縁を切るような態度をとったのは私だ。立場上、私が謝罪すれば受け入れなければならない彼女に擦り寄るのは止めようと思った。
今、私が孤独なのは全て自分自身のせいだ。
私は立ち上がり、エリカの手伝いで身だしなみを整えた。
1階ホールのところまで行くと、レイフォード王子とクリフトに出会した。 瞬間、レイフォード王子との熱い口づけが蘇り顔が熱くなる。 「レイフォード・レイダード王子殿下に、ルミエラ・モリレードがお目にかかります」挨拶をすると、彼と私の間に線引きができて心が落ち着いた。
「ルミエラ夫人、お誕生日おめでとう」
私はレイフォード王子の祝いの言葉に軽く会釈をすると、クリフトに近づいた。「クリフト、貴方の母親になって4年も経つのね。至らないところばかりで申し訳なかったわ。貴方さえ良ければ、今からでもアカデミーに通わない?」
アカデミーとは通常12歳から15歳の貴族が義務として通うところだ。
クリフトは発語がない事が周囲に露見しないように、家庭学習をするという事で入学を免除して貰った。
私は自分が逃げる事ではなく、健太にしたようにクリフトを愛してみる事にした。
特別な子が外に出るという事は、必ず好奇の目に晒される。
どのような苦しい事が沢山あっても、できる限り子を守るのが母親だ。
「アカデミーか、懐かしいな。良いのではないか?」
レイフォード王子が話しかけると、クリフトは冷たい目で彼を見返した。
王子殿下が当たり前のように話し掛けているのを見ると、もしかしたら2人きりの時は普通に会話をしているのかもしれない。
「レイフォード・レイダード王子殿下にスタンリー・モリレードがお目に掛かります」
不意に後ろからスタンリーの声がして振り向くと、顔を隠すように出口に向かうメアリア子爵令嬢が見えた。
「メアリア嬢、昨晩は夫がお世話になったようですね。しかしながら、令嬢も結婚を控えている身です。レイダード王国の貴族として節度のある行動を心掛けてください」
私の言葉に一瞬動きが止まったメアリア嬢は、顔を伏せながら邸宅の外に出て行った。
「スタンリー公爵、今日は夫人の20歳の誕生日だというのに感心しないな」
レイフォード王子が冷ややかな視線でスタンリーを見つめる。
(前回、彼が私に恋をしたような演技をしていたのは何だったのかしら⋯⋯)「レイフォード王子殿下、私たちの夫婦関係は既に破綻しています。お気になさらないでください」
私の言葉に驚いたような顔をしているスタンリーから目を逸らしながら、私は続けた。「スタンリー、女性を連れ込むのも構わないけれどスキャンダルにならない程度に弁えてね。私たちは夫婦でなくなっても、クリフトの親である事を忘れてはいけないわ」
「君がそんな事を言うなんて珍しいな⋯⋯」
スタンリーは首を傾げながら私をじっと見つめてくる。
声も唇も震えていて明らかに動揺している。私の言動の意図が分からなくて、困惑しているのかもしれない。
「クリフトをアカデミーに通わせようかと思うの。同年代の子と関わる事で育まれる情緒もあるはずだから」
「いや、でもクリフトは⋯⋯」
「アカデミーに通うことは貴族の義務だけでなく、クリフトの持つ権利よ」 クリフトを外に出すと、世間体が悪いと思っている彼に吐き気がする。クリフトは私たちの様子を伺うように黙って見つめていた。
おそらく彼は私では想像もつかないような事を沢山考えている。本当は非常に賢く、その賢さをなぜだか隠している子だ。
そして、躊躇いもなく人を殺す事ができる恐ろしい子だ。 でも、私は期待をしていた。 アカデミーに通えば情緒が育まれ、人の命の尊さに気づくのではないかという期待だ。 期待は裏切られ続ける事を私は前世の経験から知っている。 それでも、少しでも望みがあるのならば、子の為に動くのが親だ。「父上、僕はアカデミーに通います」
クリフトが自らの意思を言葉で伝えてきた。瞬間、感動のあまり鳥肌がたった。「う、うん。通おう! 沢山アカデミーで学んで、友達を作って、クリフトなら立派なモリレード公爵になれるよ」
私は気がつけば、泣きながらクリフトを抱きしめてきた。
そっと彼が手を私の背に回してくる。 彼が私を殺す結論に至っても良いから、彼に無償の愛を捧げられる母親になろうと私は決意した。馬車に乗せられ、家路を急ぐ。「スタンリー、帰ってきてしまって良かったの?」 彼は貴族たちに囲まれていたから、仕事の話になって執務室に何かをとりに来たような気がする。 それなのに会場にも戻らず、勝手に帰ってしまって良かったとは思えない。 スタンリーは私の方を見ようともせず、ずっと真っ暗な窓の外を見ている。「⋯⋯別に、問題はない。ルミエラはまだ帰りたくなかったのか? その⋯⋯体調が悪いと聞いたが⋯⋯」「懐妊の話ね。それは、誤報だから⋯⋯私は、子供は欲しくないの」「君が、そう思うのは当然だ。あのような過ちを犯した俺との子供なんて穢らわしくて欲しくないのだろう⋯⋯」 彼は一体何を言っているのだろう。 3ヶ月以上、仲睦まじく毎晩のように抱き合ってきた。 (穢らわしいなんて思ってる訳ないじゃない、むしろ⋯⋯) 私が子供が欲しくないのは、子供を持つことの大きな責任を知っているからだ。 健太が生まれた時、私は輝かしい未来しか想像していなかった。 結婚して、子供が産まれて、子供が反抗期になったら喧嘩するかもしれないけれど、大人になったら一緒にお酒を飲んだりして、孫が産まれて⋯⋯。 そのような思い描いた将来は、健太が1歳になる前に消滅した。 そして、私は今でも自分が死んだ後、彼が無事に生活しているか考えるだけで気が狂いそうになる。 子を持つ事による発生する責任を私は恐れている。 「私は子供を持つのが怖いだけ⋯⋯スタンリーは関係ないわ」「君はクラフトの事を怖がっていたからな。確かに子供は思うようにはならん。別に逃げて良いのだぞ。君はクリフトの親ではないのだから」 私はスタンリーの言葉に流石に頭がきた。「クリフトは私の子よ! それに、私がスタンリーを好きだから一緒にいたいって分からない? あなたのその目は節穴なの?」「えっ? 君が俺のことが好き?」「そうよ、ムカつくから、絶対言いたくなかったけどね!」 私は振り向いたスタンリーの髪を引
目が覚めて、隣で寝ているスタンリーを見てホッとする。 そして、彼をしっかり見つめてみると、いかに彼が私を見てくれていたのか分かる。 本当に私を好きで結婚を申し込んで来た事も理解できた。 クリフトに殺される運命を回避する為には彼と協力した方が良い。 しかしながら、この世界が小説『アクアマリンの瞳』の中で16歳のクリフトが私たちを惨殺するという話は絶対にできない。 私の頭がおかしくなったと思われるからだ。 ミランダ夫人は自殺する前、異常なまでの被害妄想やおかしな言動が増えていた。 それを目の当たりにしてきたスタンリーは、私がおかしな言動をすれば必ず彼女を思い出すだろう。 (病気扱いされて、避けられるだけね⋯⋯) 彼はとても冷たい人だ。 政略的で愛のない結婚だったとしても、ストレスでおかしくなった妻を救おうともしなかった。 浮気をした上にとんでもない言い訳をしてきた彼は最低だが、そのような彼に歩み寄ろうとしている自分の行動が自分でも理解できない。 期待してはいけないと思いながら、スタンリーなら何とかしてくれるのではと考えてしまう。 私は彼を起こさないようにメイドも呼ばず着替えて部屋を出た。「母上、おはようございます。今日からアカデミーですよね」 部屋の前にいたクリフトに動揺する。(普通に話しかけてきた⋯⋯どういうこと?) 突如、不安が押し寄せてきて今の状況を誰かに相談したくなる。(そうだ、レイフォード王子殿下に相談を⋯⋯)「母上、朝食はまだ食べていませんよね」「ええ、クリフトは?」「僕はもう食べました」「そう、ならば少し早いけれどアカデミーに向かいましょうか」 今、クリフトが何を考えているかを考えるだけで冷や汗が出てくる。 食事なんて到底喉を通りそうもない。 アカデミーでは寮生活になる。 荷物はすでに送ってあるので、身軽に登校できる。 長期休暇まではしばらく会えなくな
モリレード公爵邸に帰るなり、私はスタンリーにお礼を言った。「今日はありがとう。それから、邸宅の管理⋯⋯本当は私の仕事よね。これから学ばせて」 先日、離婚したいと申し出たのに、自分でも何を言っているのか分からない。 ただ、4年間私がいかに何もしなくて、スタンリーがそれを何も咎めずにいた事がむず痒いだけだ。 私は今でも彼の事を浮気をした最低男だと軽蔑している。「君が公爵邸の財産管理をしたいと言ってくれたという事は、離婚する気は無くなったのかな?」「いえ、ただ私は今ここにいるのなら、自分のするべき事をしなければならないと思い直しただけよ」「知ってるよ。君は自分の仕事に懸命な人だから⋯⋯」 私の頭を撫でながら言ってくるスタンリーの言葉は皮肉として発しているものではない。 しかし、4年間するべきことをせず、自分の権利だけを行使してきた私をナイフのように突き刺す言葉だ。「レイフォード王子殿下の事が本当に好きなのだな⋯⋯」「また、何を言っているの? 好きになっても意味のない方だし、ときめいても一瞬。私はあなたの妻なのよ」「そうだな、君は確かに俺の妻だ⋯⋯」 以前レイフォード王子に恋しているかという質問に、イエスと答えた事を後悔した。 スタンリーが明らかに気にしている。 彼は本当によく私を見ている。 私が今まで彼を全く見ていなかった罪悪感をひしひしと感じる程だ。 確かに私はレイフォード王子を見る度にときめいてしまっている。 それを恋と言われればその通りだ。 でも、彼とした恋人のような芝居のせいによるものが大きい。 あのような可笑しな演技をしなければ、持つべきではない感情を抱かずに済んだ。 私は彼を自分と同じように間違った道を1度は歩み、なんとかしようとしている同志だと感じている。 きっと、次に会う時は同志としてクリフトに殺される運命を避ける作戦を知恵をだしあって立てるだろう。 もう、間違っても彼とキスなどしない。
「本日はお招き頂きありがとうございます」 私は自分が場違いな淡いクリーム色のワンピースを着てきた羞恥に震えていた。「あら、モリレード公爵家は意外と質素倹約を重んじるのですね」 タチアナ嬢は攻撃的な目で見つめきた。 気の置けない仲間内の会だから、着飾らないようなフランクな格好で来て欲しいと言った彼女の便りは罠だった。 彼女が私を嫌っていそうな事は分かっていた。 近頃考えることが多すぎて、彼女の悪意に気づけなかった。 でも、それは言い訳だと私自身が気がついている。 ただ与えられた仕事をこなしていれば良いだけのメイドであった時とは違う世界がそこにはあった。 色とりどりの花に囲まれたガーデンテーブルには8人程の令嬢たちが座っている。 きっとタチアナ令嬢の取り巻きたちだろう。 そして彼女たちの名前が誰1人分からないのは私の怠慢だ。 私は公爵夫人になってからの4年間、お茶会の招待に応じた事はなかった。貴族の付き合いとか理解できなかったし、最低限のことをこなしていれば良いと思っていた。 皆、煌びやかなドレスを着込んでいる。しつこいくらいに高価なジュエリーを身につけている事で実家の富を競っているようだ。 彼女たちはジュエリー1つ身につけていない私を、扇子で口元で隠すように意地悪に笑っている。「モリレード公爵家は夫人の散財で実は財政難で苦しんでいるという噂は本当でしょうか? 悩み事があったら、いつでも相談してくださいね。ルミエラ様では解決できない事柄もあるでしょうし⋯⋯」 緑色の髪をした見知らぬ貴族令嬢が、私の事を心から思っているように手を握りしめて訴えてくる。 一撃で私の生まれを非難するような言葉に心臓が止まるような気持ちになった。 どんなに着飾っても私はメイド出身の平民だ。 彼女たちの仲間になれるような日は来ないだろう。 いつも私を引き立てるように努める貴族令嬢たちが周りに存在したのは、全てモリレード公爵家の力だった。 ここはタチアナ嬢の陣地と
バルコニーに出ると、満天の星空が広がっている。 夜風が涼しく肌をくすぐって気持ちが良い。「そなた、僕の唇ばかり見ていたようだが、もしかして繰り返す過去の記憶が残っているのではないか?」 隣で私を覗き込むように見つめて来たレイフォード王子の言葉を一瞬理解できなかった。「あ、あの殿下も、繰り返している時を過ごしているのでしょうか?」「過ごしているよ。クリフトに殺されない未来を求めるように何度も! これはきっと神が僕に与えてくれたチャンスなんだ。やはり、そなたも僕と同じなのだなルミエラ」 美しい彼を前にすると、多くの女の子と同じようにときめいた。 それでも、彼に突然呼び捨てにされると嫌悪感を感じる。 彼がどうしてクリフトの元を訪れていたかは納得がいった。 私が初めに思いついたように、クリフトと仲良くすれば殺されずに済むと考えたのだろう。 最も、そのような浅はかな考えはクリフトには見抜かれている気がする。 「私は貴方様の叔父であるスタンリー・モリレードの妻です。そのように呼び捨てにするのはお止めください」「意外としっかりしてるのだな。確認させてくれ、そなたも何度もクリフトに殺されているのか?」 私は彼の質問に静かに頷いた。 しかしながら、彼と私の回帰している回数は異なるだろう。 私は記憶にある限り2度時を戻った。 たった、2度を何度もとは言わない。 意外としっかりしていると言われてしまったのは、私を歳の離れた男に財産目当てで嫁ぐ軽い女だと思っているからだろう。「やはり、神は僕にこの世界を正しい方向に導くように助けを求めているのだ」 楽しそうに月夜を眺めるレイフォード王子は幼く見えた。 その姿がなんだか可愛く見える。 何度も殺されるような時を過ごしているのに、彼は明るい。 私は2度の殺された記憶があるだけで、クリフトを見るだけで体が震えだす。 彼は小説『アクアマリンの瞳』を読んでなさそうだ。 この世界を繰り返した
「クリフト、まずは今までの私のあなたへの暴言の数々を謝らせて⋯⋯」 私はクリフトを部屋に招くなり、謝罪をした。 メイドで彼に仕える身だった時にあったはずの思いやりは、公爵夫人になるなり消滅した。 彼を邪険に扱うメイドたちの行動に目を瞑り、自分の鬱憤を晴らすように彼女たちの行動を扇動するようになった。 思い返しても自分の行動は最低過ぎて、許されるものではない。「⋯⋯」 クリフトはまた何も言ってくれなくなった。「今晩、私の20歳の誕生日祝いの舞踏会があるのよ。出席してくれるわよね」「⋯⋯」 クリフトは無表情で私を見つめていた。「気が向いたらで良いから⋯⋯」 先程、言葉を発してくれたからと言って、急に距離を詰めようとし過ぎたかもしれない。 クリフトには家庭教師をつけているからダンスは踊れるはずだ。 でも、私は舞踏会に出席した事のない彼に対して無理な要求をした。 そももそ彼が舞踏会に出席した事がないのは全て彼を隠そうとした私やスタンリーのせいだ。 それから、昼過ぎまで私は全く言葉を発さないクリフトに話しかけ続けた。 側から見ればひとりごとを言い続けているような不気味な光景だろう。 それでも私と彼の間には会話が成り立っていた。 彼の微妙な表情の変化を読み取り、私は対話を続けた。 ノックと共に、エリカが入ってくる。「奥様、舞踏会の準備をそろそろ始めませんと」「ああ、そうだったわね。クリフト、ではまたね」 私の言葉にクリフトが自分の部屋に戻っていく。 名残惜しいような気持ちになった。 なぜこのような対話の時間を今まで取らなかったのかを後悔した。♢♢♢ 事前に準備してあったグリーンのドレスを見て、心が落ち込んだ。 オーダーメイドでこだわりまくり、これでもかというくらいエメラルドやサファイアを塗したドレス。 同年代の子がアカデミーに行く中、息子のク