تسجيل الدخول今回ばかりは、紬にも心から伝わってきた。慎がどれほど自分に心を尽くしてくれていたか、そして彼が、絶望の淵にいた自分にどれほどまばゆい一筋の光を与えてくれたのかが。……慎はもともと体が丈夫で、傷の回復も驚くほど早かった。その日の午後、紬は研究基地の部門から直接連絡を受けた。正式な辞令の通知だった。この先、彼女は一段階昇格し、研究部の上級エンジニア全員を統括するリーダーの立場になるという。その後も、様々な重要プロジェクトの割り当てが予定されているとのことだった。病気と手術のことは、あえて上層部には伝えていなかった。第一期の仕事が終わればまとまった休暇があり、ちょうど一週間あまりで第二期の研究が始まる。その頃には、体も普段通りの生活に戻れるはずだったからだ。幸いにも低侵襲手術だったため、回復も思いのほか早かった。夜になって、紬は慎を起こさないよう足音に気を遣いながら、ゲストルームのバスルームでシャワーを浴びた。さっぱりして出てくると、なぜか慎がすでにゲストルームのベッドのヘッドボードにもたれ、分厚い本を読んでいた。紬は少し呆れてため息をついた。「……何でこっちに来てるの?」慎は本から目を上げもせずに、長い指でページを一枚めくった。「寝室でシャワーが浴びられないわけじゃないだろ。お前がゲストルームにいるなら、俺もこっちに来る」紬は思わず呆れた声を出した。「あなた、どうかしてるんじゃないの?」「知らないのか?」慎はそこでゆっくりと目を上げ、静かに紬を見た。紬は言葉に詰まった。何か言い返せば、また彼特有の妙な意味になりそうで、黙っておくことにした。どうやら、完全に逃げ道を塞がれた形だ。紬は開き直って言った。「夜はオンラインの仕事があるの。あちこちに連絡もしないといけないから、夜更かしになるわよ」「構わない。お前がどこで何をしていようと、俺には子守唄代わりだ」「…………」もういい。言っても無駄だ。紬はそのままソファへ行き、ノートパソコンを開いた。入院していたこの間に、かなり仕事が溜まっていた。いつまでも大病を言い訳にして休んではいられない。立場の上がった今、自分でないと判断できない重要な案件も多かったのだ。特に午後、島田主任から連絡があり、上層部がフライテックとの緊
あの頃、慎はすでに嫌というほど苦しんでいた。様々な誤解とすれ違いの中にいた。それでも、あの子だけは絶対に諦めたくなかった。だから、その後も激務の合間を縫ってニューヨークへ飛び続けた。毎月状況を確認しに行かなければ、どうしても落ち着かなかったのだ。あの子はいつしか、慎にとって生きる最大の拠り所になっていた。元来、冷酷で感情に乏しいと言われてきた人間が——紬と子どもの前では、限りない愛情を注いでいた。紬はしばらく、慎の顔をじっと見つめていた。やがて、こらえていたものが一気に溢れ、笑いながら涙がこぼれた。「慎……あなたはまた、私の命を救ったわね」もう少しで……もう少しで、一生悔やんでも悔やみきれない思いを抱えて生きていくところだった。でもよりによって、相手は慎だった。彼はいつだって、一手先ではなく、何手も先を読んでいる。これほど大きな希望を与えてくれた。絶望に染まっていた未来を、光で書き換えてしまうほどの。それは紛れもない事実だった。もし慎が「最悪、自分で育てればいい」と強引に動いていなかったなら——紬は本当に、この先を生きていけなかったかもしれない。だからベビールームに、女の子の服とテーマが用意されていたのか。すべてに、ちゃんと理由があったのだ。「今は嬉しいか?」慎はまた愛おしそうに親指で彼女の涙を拭いながら言った。「俺が、たまにはいいことをする人間だと思ったか?お前を心から喜ばせることができたか?」紬は、今の自分の気持ちを言葉にできなかった。胸の中が、あふれそうなくらい満ちていた。絶望の底から一気に引き上げられた驚きと歓喜が、もう受け止めきれないほどだった。「じゃあ……じゃあ、しっかり治して。一刻も早く、あの子に会いに行けるように」内心は今すぐにでも飛んでいきたかったが、まだ回復していない慎の様子を見て、はやる気持ちをぐっと飲み込んだ。気持ちが、がらりと変わっていた。何もかもが、前へ向かっていく気がした。まったく新しい出発点に立っている。慎は眉を少し面白そうに上げた。「俺たちの家に来て俺の傍にいるのが、まだ割に合わないと思うか?」紬は感情が昂っていたせいで、その言葉に詰まった。「そんなこと、思ってなかったけど」慎は満足そうに口元を
紬は驚きで言葉が出なかった。目の前にいるこの人は、本当に——慎は紬が何を思っているか痛いほどわかって、包み隠さずすべてを打ち明けた。「あのときは、まだそこまで考えていなかった。妊娠がわかって、もしかしたらこの子が俺たちの間の壊れた関係を繋ぐかすがいになれるかもしれないと、喜んでお前に会いに行ったんだ。でもあのときのお前は、この子を望まないと言った」紬は驚きで冷たくなった指をぎゅっと握りしめた。「違う……この子を、幸せにしてあげる自信がなかったから」「ああ。あれは俺の愚かな勘違いだった」そう言いながら、慎はあのとき紬を激しく問い詰めた自分の行動を、ひどく情けなく思っていた。静かに紬の手の甲を親指でなぞってから、続けた。「あの誤解のせいで、俺はお前がもう俺を愛していないのだと思い込んだ。須藤柊のために、俺と結婚するつもりもないあいつのために、子どもを消したいんだと思った。でもどんな誤解があっても——あれは俺たち二人の子どもだ。見て見ぬふりは絶対にできなかった。だからお前が戻ってくると約束してくれる前に、あの馬鹿げた疑いと、自分の猜疑心に負けて、先に海外の特殊医療機関に連絡を入れていた。設備を整えた医療チームを準備させて、待機させておいたんだ」ここまで話して、慎は初めて、心の底から安堵した。「お前があの日、大変なことになったとき。病院に置いていた俺の部下に届いた知らせは、『子どもを降ろす手術をする』という内容だけだった。連絡が何人もの手を経るうちに、伝言ゲームのように情報が歪んで伝わっていたんだ。彼らが手術室で子どもを取り出したあと、すぐにその場で別の移植手術を行って、あの子を人工子宮で一時的に生かし続けた」紬の心臓が、早鐘のように激しく打ち始めた。足が地につかないような感覚がした。「覚えてるか——あの夜、俺が戻ってきて、お前が目を覚ましてから、俺たちが喧嘩別れしたこと。その後、俺はしばらく海外に行った」「……覚えてる」あの日のことは辛くて、忘れられるはずがなかった。慎は紬を見た。「あのとき、子どもがちょうど海外へ送り出された直後で、三十人以上の医療チームが救命のために全力を尽くしていた。一番不安定な時期で、俺は様子を見に行ったんだ。向こうで一週間以上過ごして、峠を越えたのを見届けてか
慎の言葉の意味が、紬にはまったくわからなかった。もう、感情を抑え込む気力も残っていなかった。手術が終わって子どもが産めない体になれば、きっと耐えられないほど辛くなるだろうと、最初から覚悟はしていた。それでも、こんなにも深い絶望感に襲われるとは思っていなかったのだ。慎の、深く静かな目を見た。彼が精いっぱい、今の自分を楽にしようとしてくれているのが痛いほど伝わってきた。「どんな人?」しかも、ずっと会いたがっている人?今の紬にとって親しい人は、みんな西京市にいる。本当に、数えるほどしかいない。ニューヨークにいるような、それほど大切な人物などまったく思い当たらない。慎は、紬の悲しみに深く沈んだ顔を見てから、少し間を置いた。そして、一言ずつ丁寧に、確かめるように言った。「……女の子だ。今日でちょうど、六か月になる」紬の表情が、氷のように固まった。「……え?どういうこと?」「俺たちの子だ」その言葉を聞いた瞬間、紬は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け、思考が完全に真っ白になった。しばらくして、ようやく、かすれて震える声が漏れ出た。「……私たちの子?いつ、そんな——」慎は紬の冷たい手を引き、あのふわふわとしたアルパカ柄のスツールまで連れて行き、ゆっくりと腰を下ろさせた。自分は紬の前にひざまずくようにしゃがみ込み、真剣な表情で言った。「数か月前にお前が受けた流産の手術は、実は単なる流産の手術じゃなかった。あのとき執刀した医師も、俺が海外から極秘に呼んだ人間だ。表向きは子どもを取り出す手術。でも実際は——海外の最新技術を使い、子どもを無事に取り出し、そのまま人工子宮へ移植したんだ」その言葉を聞いた瞬間、紬の目が信じられないほど大きく見開かれた。嘘だ、と心が叫んでいた。自分が都合のいい幻聴を聞いているのではないかと思うほどだった。今のこの世界に、そんな魔法のような技術があるというのか?「疑わなくていい。そんな顔で俺を見るな。この世界の科学技術、それから最先端の医療水準は、もう一般の人間が想像できる範囲をとっくに超えているんだ」慎はどこまでも落ち着いた口調で話しながら、驚愕に固まっている紬の頬——まだひどく痩せたままの——を、そっと両手で包み込んだ。「こんなに遅くなって、すまなかった」紬
慎の意図は、嫌というほどわかっていた。わかっていて——それでも紬には、反論できなかった。慎がこうなったのは、自分が巻き込んだせいでもあるからだ。「肺がまだ痛い。肋骨に力を入れられない。風呂も一人じゃ入れない」慎は、悪びれもせずゆっくりと続けた。後ろで車椅子の持ち手を握っていた瑞季が、思わず慎の方をちらりと見た。こうして「駄々をこねる」代表には、長年仕えてきた彼でさえ慣れていなかった。紬にしても、慎の言葉にはどうしても反論できなかった。「ペニンシュラ・ガーデンタワーの部屋に行けってこと?」「違う。俺たちの『家』に帰ってほしい」紬の答えを待たず、慎は彼女の手を握った。「頼む。哀れみだと思ってくれ」紬は無言で彼を見つめる。この人は本当に——そう思う。あまりにも強かすぎる。すべてが彼の思惑通りに運んでいるように見えた。普段は冷淡で表情も薄いくせに、こうと決めたら絶対に手がつけられない。紬は最終的に、瑞季に目を向けた。「先に乗せてあげて。ペニンシュラ・ガーデンタワーへ」瑞季は「はい」と短く頷いた。言うまでもなく、代表の苦肉の策は大成功だった。もう、完全に参った。車に乗り込んでから、紬は蘭子と良平にメッセージを送り、慎のところに少し寄ってから行くと伝えた。スマホの画面から顔を上げると、慎の口元がさっきからずっと緩んだままだった。紬と目が合うと、彼は言った。「気分がいいと、回復も早くなりそうだな」「……じゃあ、ずっと笑っていれば」苦肉の策だとわかっていても、紬にも彼を見捨てるつもりはなかった。慎は命がけで自分を守り、その体で重傷を負ったのだ。面倒を見ないわけにはいかない。見捨てることなんて、できるはずがない。二人の新居に着いた。大病明けの紬はまだ万全ではなく、どうしても疲れやすかった。今日は山谷は来ていなかった。瑞季が二人を送り届け、荷物をすべて家の中へ運び込むと、空気を読んでさっさと帰っていった。紬は慎がやはり辛そうにしているのを見て、顎で二階をしゃくって示した。「二階に上がって、横になって」「一緒に来てくれないか」歩きながら、慎が横目で見た。紬は聞こえないふりをして言った。「できる限り面倒は見るわ。今の私もそれほど悪くはないか
紬は顔を背け、手の甲で急いで涙を拭った。そのとき、指に冷たい何かが触れた。目を凝らすと、とっくに外して彼に返したはずの結婚指輪が、自分の薬指に戻っていたのだ。一瞬、昔の記憶がなだれ込んできて、紬は呆然とした。慎は紬が気づいたのを見て、静かに言った。「あのとき、俺が自分でお前に嵌めたわけじゃなかった。何年も経ってしまったけど、紬、もう外さないでくれないか」紬の心は今、静かに沈み込んでいた。慎が昏睡していたあの短い間に、紬はいろいろなことを考え抜いた。今こうして指輪を見ても——以前ほどの強い拒絶感はなかった。でも、今は指輪のことを冷静に考える余裕すら、彼女にはなかった。ずっとずっと、自分を無理に押さえつけてきた。感情を吐き出す場所を、世界中のどこにも作れなかったのだ。泣いてしまったのは、不意を突かれたからで——慎が、彼女の心の一番柔らかいところを、まっすぐに刺してきたから。紬は子どもの頃からずっと、誰かに「迷いなく」選ばれたことがなかった。実の父である康敬でさえ。柊でさえ。康敬の関心は愛人の隠し子の方にあり、柊の愛には目に見えない条件があった。だから紬はずっと思っていたのだ——自分と血の繋がった子どもがいれば、その子とだけは本当に繋がっていられると。自分と子どもは、無条件の愛で結ばれるのだと。でも、慎は——こんなにも関係がこじれにこじれた相手が、こういう一番苦しいときに、ただそばにいてくれた。人生とは、と紬は思った。本当に妙なものだ。いつだって、思い描いた通りにはいかないものだ。「何、泣いてるんだ」慎は紬が顔を背けるたびについていき、赤く腫らした目で黙って涙をこぼすその顔を見て、胸の中が激しく揺さぶられた。「また俺を試したいなら、何でも受けて立つ。どうだ?」紬は彼の手を払いのけ、無意識に薬指のダイヤをそっとなぞった。「意外と、根気があるのね」慎は手を払いのけられても気にせず、また手を伸ばしてきた。両手で彼女の顔を優しく包み込み、親指の腹で涙をゆっくりと拭ってやる。「体をちゃんと治してくれ。低侵襲手術とはいえ、ずっと病んでいたから体の消耗は大きい。少し良くなったら、いい知らせがある」「何?」「今は言えない。まだタイミングじゃない」「…………」紬は







