「……聖良?どうした? 風呂入らないのか?」
「いえ。 お風呂入ってきます」
私は着替えを持ってバスルームへと向かった。 服を脱いでシャワーを浴びて湯船に浸かると、とても気持ちいい。 この大きなお風呂に入っている時は、すごく癒やされた。 入浴剤を入れていいニオイのお風呂に入る時が、今一番の幸せだ。正直、あの人の妻になるなんて、私には荷が重過ぎる。……だけど妻になった以上、私はあの人のことを愛していかなければならない気がしていた。
いつかあの人のことを、私は本気で愛していくのだろうか……。本当にそんな日が、くるのだろうか……。
結婚してから二ヶ月が経ったけど、私たちの生活は何も変わらない。 それに、自分からアクションを起こすつもりなんてない。
「ああ、もう……」
考えたら考えただけ、分からなくなる。 そうやって私の頭を悩ませるのは、彼のことを全然知らないからだ。
愛し合って結婚した人たちは訳が違うのだ。 私たちの間に愛なんてものは存在しないのだ。
お風呂に一時間くらい入ってからパジャマに着替えて寝室に行くと、棗さんは私のことを待っていたかのように、こっちに来いと手招きした。「聖良、こっちに来い」
「……はい」
言われた通り、棗さんの隣に腰掛けた。 すると棗さんは、私を後ろからギュッと抱きしめる。
ズシッとベッドに重みが加わる。
「……棗、さん?」
「聖良。お前は何を考えているんだ?」
そして一言、抱きしめたままそう言った。
「……何をって?」
「俺には分からない。 お前が何を考えているのか」
私だって、棗さんが何を考えているのか分からない。
「……私にも、あなたのことが分かりません。 それは私たち、同じですよね」
「俺はお前のことを理解したいと思っている。 それは本当だ」
「……なぜ、ですか?」
私たちは偽りの夫婦。そこには愛なんてないのに、それなのになぜ、知る必要があるのだろうか……。
「お前が俺の妻だからだ」
だったら……私は知りたい。
「……教えてください。なぜ私を、棗さんの妻に選んだんですか?」
「それを知って、どうするんだ?」
絶対に教えてくれない、私を妻にした理由を。 どんな理由であれ、私には知る権利があるのに。
それなのに、全然教えてくれない。
棗さん、あなたはずるい。 どうしてそうやってはぐらかそうとするの……?「……妻なのに、教えてくれないんですか?」
「そのうち教えてやる。時期が来たらな」
「時期……?」
時期が来たらって、何……? それはいつなの?
「そうだ。……それより、お前一つ、言っておくことがある」
「何でしょうか?」
「明後日から一週間、出張で家を空けることになった」
「……そうですか。分かりました」
なら私は、この家で気楽に過ごそう。 何も考えず、ひたすら一人の時間を過ごそうと思った。
それなのに……。
「聖良、お前も一緒に来い」
「え?」
私も一緒に? なぜ?
「お前も来るんだ。行き先は韓国だ」
「えっ、韓国……ですか?」
「そうだ。新しい事業を韓国で行うことになったんだ。 お前も妻として、同行してもらう」
「……分かりました」
なぜ私も行かなければならないのか、その理由は分からないけど……。私は棗さんという人間に支配されている。
断ることは出来ない。 だから、一緒に行くしかないと判断した。「明日、荷造りをしておいてくれ」
「……はい。分かりました」
「聖良、もう寝ようか」
「……ん、棗さん……?」
もう寝ようと言ったのに、棗さんはパジャマのボタンを外してきた。私の下着の中に手を入れてくる。
「ん……なつ、めさっ……」
ダメだって言いたいのに、棗さんの唇が私の唇を奪ってきて、何も言えなくなる。
棗さんはいつもそうだ。結婚してからも私を求める時は、強引でわがままだ。
「んっ……ああっ」
「聖良……」
だけど私のことを抱く時は、ちゃんと指を絡めて握りしめてくれるんだ。 その性格とは裏腹に、優しく抱いてくれるんだ。
どうして抱く時はこんなに優しくしてくれるのか、私には分からない。 棗さんのことを、私はまだ分かっていない。
その後も棗さんは、私のことを優しく抱いてくれた。 でもそこには愛なんて一つもないキスと、そして愛のない行為だけだ。
夫婦として当たり前のことをしているのに、なぜだか心は冷たいままだ。そして迎えた当日。私たちは荷造りしたキャリーバッグを持って韓国へと向かった。韓国へは一週間滞在の予定だ。予約したホテルは、同じく韓国にも企業を持つ鷺ノ宮グループの傘下にあるホテルだ。高級ホテルのスイートルームを予約したと、棗さんが言っていた。「夕来(ゆうらい)社長、お久しぶりです」「棗くん、久しぶりだね?何年ぶりだろうね?」「本当ですね。……あ、紹介します。私の妻の聖良です」「始めまして。鷺ノ宮聖良と申します。よろしくお願い致します」「よろしくお願いします。聖、良さん。 韓国で化粧品メーカー部門の担当をしている夕来(ゆうらい)と申します」「……よろしくお願い致します」この人が夕来社長……。韓国で化粧品メーカーを立ち上げた日本人で、今ではその化粧品が日本でも売れている。 CMも有名な女優さんがアンバサダー務めるほど、今人気の化粧品ブランドだ。私も愛用している化粧品だ。 まさかそのブランドを持つ社長さんとお会いできるなんて……夢見たい。「妻が、夕来社長が手がけている化粧品を愛用しているんです」「ほお? それは嬉しいね?ありがとう、聖良さん」「い、いえ!滅相もございません……」夕来社長、いい人そうだな……。さすが女性の化粧品ブランドを立ち上げた人だ。「早速だが、打ち合わせしてもいいかい?棗くん」「はい。よろしくお願いします」 打ち合わせなら、私は必要ないかな……。「……あの、私はホテルにチェックインしておきますね?」「ああ。よろしく頼むよ」 「……はい」私はキャリーバッグを持ってタクシーを呼び、ホテルにチェックインした。そのまま荷物をコンシェルジュに運んでもらい、一旦一休もうとバルコニーに出た。「……うわ、キレイ」バルコニーからの眺めは最高だった。 この景色はきっと、棗さんが連れてきてくれたおかげで、見れたものなんだと思う。感謝しないとな……。ありがとう、棗さん。韓国なんて初めてで、正直不安だった。 だけど棗さんが日本人のコンシェルジュを付けてくれていたらしく、日本語で話せるからそこはよかった。「戻ったぞ、聖良」「おかえりなさい。棗さん」 棗さんが戻ってきたのは、その後ニ時間後のことだった。きっと打ち合わせが長引いたんだと思う。「……えっ?」 「聖良、待たせて悪かった」突然棗さんが後ろから包み
「……聖良?どうした? 風呂入らないのか?」「いえ。 お風呂入ってきます」 私は着替えを持ってバスルームへと向かった。 服を脱いでシャワーを浴びて湯船に浸かると、とても気持ちいい。 この大きなお風呂に入っている時は、すごく癒やされた。 入浴剤を入れていいニオイのお風呂に入る時が、今一番の幸せだ。正直、あの人の妻になるなんて、私には荷が重過ぎる。……だけど妻になった以上、私はあの人のことを愛していかなければならない気がしていた。いつかあの人のことを、私は本気で愛していくのだろうか……。本当にそんな日が、くるのだろうか……。結婚してから二ヶ月が経ったけど、私たちの生活は何も変わらない。 それに、自分からアクションを起こすつもりなんてない。「ああ、もう……」考えたら考えただけ、分からなくなる。 そうやって私の頭を悩ませるのは、彼のことを全然知らないからだ。愛し合って結婚した人たちは訳が違うのだ。 私たちの間に愛なんてものは存在しないのだ。 お風呂に一時間くらい入ってからパジャマに着替えて寝室に行くと、棗さんは私のことを待っていたかのように、こっちに来いと手招きした。「聖良、こっちに来い」「……はい」言われた通り、棗さんの隣に腰掛けた。 すると棗さんは、私を後ろからギュッと抱きしめる。ズシッとベッドに重みが加わる。「……棗、さん?」「聖良。お前は何を考えているんだ?」そして一言、抱きしめたままそう言った。「……何をって?」「俺には分からない。 お前が何を考えているのか」 私だって、棗さんが何を考えているのか分からない。「……私にも、あなたのことが分かりません。 それは私たち、同じですよね」「俺はお前のことを理解したいと思っている。 それは本当だ」「……なぜ、ですか?」 私たちは偽りの夫婦。そこには愛なんてないのに、それなのになぜ、知る必要があるのだろうか……。「お前が俺の妻だからだ」だったら……私は知りたい。「……教えてください。なぜ私を、棗さんの妻に選んだんですか?」「それを知って、どうするんだ?」絶対に教えてくれない、私を妻にした理由を。 どんな理由であれ、私には知る権利があるのに。 それなのに、全然教えてくれない。 棗さん、あなたはずるい。 どうしてそうやってはぐらかそうとするの……?「……
目の前にいるその人は私の腕をぐっと掴むと、そのまま唇を塞いで強引にキスをしてきた。「ちょ、ちょっと……。何するのっ!?」な、なんでキスなんてするの……!「これが俺の妻になる君への、愛の誓いだ。 まだ何か文句でも?」「………っ、最低っ!」こうして私は、鷺ノ宮グループの御曹司、鷺ノ宮棗(さぎのみやなつめ)と愛のない、偽りの結婚することとなった。✱ ✱ ✱「棗さん、おかえりなさい」 「ただいま、聖良」「カバン、預かります」「ありがとう」帰宅した棗さんからカバンを受け取った私は、リビングにカバンを置いた。そしてふと目にする、私たちの結婚式の写真。 白いドレスに身に纏った私と、タキシード姿の棗さんが、二人で微笑んでいる。だけどその笑顔だって偽物なんだ。 だって私たちは、偽りの夫婦だ。これはウソで固められた、偽りの結婚生活なのだから……。こんな生活を、誰が望んだのだろうか……。その写真に映っている笑顔も、全部ウソで固められている。「……聖良」「はい。……んっ」棗さんはなぜか、愛のない結婚をした私に、毎日キスをしてくれる。 どうしてキスをするのかなんて、分からない。だけど夫婦となった今、それを拒むことさえ私は許されない。 私は鷺ノ宮グループに、支配されているのだから。そんなことをしたら、この結婚をした意味がない。 あわよくば彼の子供をいつか産んで、跡取りを残すことだって、彼はきっと考えているだろう。棗さんは私よりも五歳年上だ。 結婚した以上、私は棗さんの言うことに逆らえる訳はないのだ。 「聖良、何を考えている?」「……いえ、別に。 夕飯に、しましょうか」「ああ」棗さんがいつも私に対してそう言うんだ。 何を考えているかなんて、絶対に教えてあげない。そんなこと教えたら、私は鷺ノ宮グループから去ることになってしまうだろうから。 そんなことは絶対に出来ない。この結婚だって、棗さんが私の父を説得してくれたから出来ただけで、私一人だけなら絶対に説得はムリだった。結局私は、彼と結婚してもコンシェルジュに戻ることはなかった。 コンシェルジュに戻りたいというよりも、こんなにもいい環境を与えてもらって申し訳ないくらいだし。主婦ではないけど、そのまま家のことに尽力を尽くそうと思った。 仕事のことを忘れて、家事に集中しようっている。
「……あの?」え、誰? どうして私の名前を知ってるの?私は、今はコンシェルジュじゃない。 名札がないから、名前を知られるものが何も無いはずなのに……どうして?「聞こえなかったのか? お前が波音(なみね)聖良(きよら)か、と聞いているんだ」 目の前にいるその男性は、もう一度そう言った。「えっ……。あ、はい。 私が、波音聖良ですけど……」恐る恐る名前を口にすると。彼は私の前に腰掛けて、一言こう言った。「……なあ。お前、俺と結婚しないか?」「……はい?」頭の中に繰り返されるのは、結婚というニ文字。えっ、えっ……結婚?!待って待って!どういうこと……?え? い、今なんて……?頭の中をグルグル思考回路が回っていくけど、訳が分からなくて戸惑うばかりだ。チラつく結婚という言葉のニ文字だけが、私の頭の中をぐるぐるとかけ巡る。「仕方ない。もう一度だけ言う。……波音聖良、俺と結婚しないか?」「……はいっ!?」け、け、結婚……!? な、な、なんで結婚……!?「お前、驚きすぎじゃないか?」「い、いや、だって! あなたがいきなり、結婚だなんて言うから……!」 待って待って? そもそも私、この人のこと知らないんだけど……!えっ、私ってもしかして……知らない相手にプロポーズされたってこと?え、結婚ってなに……? 待って、意味が分からないっ!「お前は俺のことを知らないかもしれないけど、俺はお前のことを知っていた」「えっ?」そんな発言をされたら、ますます混乱するに決まっている。 なんで突然、そんなことを言われるのかすら、私には分からないのだから。「……お前。いや、波音聖良さん」「は、はい」 なぜかその瞳に見つめられるだけで、ドキドキしてしまう。「聖良、俺と結婚してほしい。 俺の妻として、鷺ノ宮グループに来てほしい」「……え?」 えっ、待って。今なんて言ったの? 今聞き間違いでなければ……鷺ノ宮グループと聞こえたような気がしたんだけど……?「ええっ!?」さ、鷺ノ宮グループって……! まさかこの人、鷺ノ宮グループの……!?「む、無理ですっ!」「はっ?」 そんなの無理に決まってる……!「さ、鷺ノ宮グループに関わる人、私はみんなキライです! 私はあなたたちに解雇されたんですよ!?……良くそんなことが言えますね」 この人、どうか
✱ ✱ ✱ 「新郎、あなたはやめるときも、すこやかなるときも。新婦聖良(きよら)を愛しぬくことを誓いますか?」 「はい。誓います」「新婦、あなたはやめるときも、すこやかなるときも、新郎棗(なつめ)を愛し抜くことを誓いますか?」「……はい。誓います」「それでは、誓いのキスを」タキシード姿の彼が、目の前で私のヴェールを取り、顔を近付けていく。 そして私たちの家族、棗さんの家族、みんなの前で永遠の愛を誓った。だけどこの結婚式でお互いに誓ったこの愛は。……そこには愛なんて存在しない。 偽りだらけでウソばかりを重ねている。 そう、私たちの結婚は偽りなのだ。 ウソがにじみ出た、偽りの結婚。偽りの夫婦を、私たちは演じているのだ。 全然、幸せな結婚なんかではない。では、なぜこんなことになったのか……?それは遡ること三ヶ月前のことだ。偽り結婚をすることになった夫、棗(なつめ)との出会いは突然だった。私はもともと地元では有名なホテル【ホテル・トクラ】で、コンシェルジュとして働いていた。 働き始めてから二年弱だった。コンシェルジュとしての仕事の働き方が大好きで、この仕事ならずっと働いていられるかもしれないと、そう思っていた矢先のことだった。「ねぇ!聖良(きよら!)」 同期である村岡(むらおか)静音(しずね)が突然大声を出して私の所に駆け寄ってきた。 「静音? どうしたの?」「ねぇ、大変だよ!!」 「えっ、何が大変なの?」 「う、うちのホテルが……。うちのホテルが、あの鷺ノ宮(さぎのみや)グループに、買収されるんだって……!」……え? え……? う、ウソ……!?「ええ!? それ本当なの……!?」「間違いないよ!さっき鷺ノ宮(さぎのみや)グループの社長が来て、そう話してたんだからっ!」えっ、ウソでしょ……。買収って……。「えっ、じゃあ、私たちは……どうなるの?」「それが……」次の瞬間に出た静音(しずね)の言葉は、あまりにも衝撃的で……。「私たち、このホテル解雇されるんだって……。次の鷺ノ宮グループからコンシェルジュを引っ張ってくるらしいの。……私たちは、要らないってことみたい」「そんな……そんなのひどくない?」私たちは、このホテルから追い出されることがそれと同時に決まった。咄嗟に言い渡された解雇。 そんなの信じられ