ANMELDEN村に火を放とうとした女は、人間ではなく『魔族』だった。
事の重大さを重く見た俺とジルは、すぐさま村長へ報告に走った。 叩き起こされた村の屈強な男たちが集まり、気絶した女魔族を太い縄で厳重に縛り上げると、ひとまず空き家となっていた納屋へと放り込んだ。「これで、そう簡単には動けまい」
「村長、こいつをどうします?」 「うーむ……どうするもこうするもなァ……」松明の明かりに照らされた村長の顔は、困惑に満ちていた。
魔族と云えど、その寝顔は人間のうら若き少女とさほど変わらない。 その処遇に躊躇しているのだろう。だが、このまま目を覚まして逃げ出されれば、再び村が火の海になる危険性がある。「殺しましょう」
冷酷なまでに淡々と、そう言い放ったのはジルだった。
「見た目が人間に似ていようと、所詮は魔物の類。今ここで息の根を止めなければ、必ず村に仇なす存在となります」
ジルは無造作に掌をかざし、魔力を練り上げた。
収束していくのは、皮肉にもこの女魔族が村を焼くために使おうとしたのと同じ火属性魔法――『「待て。今はやめろ」
自分でも何を考えているのかわからなかった。
だが、俺は反射的にジルの腕を掴み、その魔法を制止していた。「……正気か、ガルア? ここで殺さねば、再び村に災いをもたらすぞ」
「しかし……」言葉に詰まる俺を、ジルは苦々しい顔で睨みつける。
何故、無意識に止めてしまったのか? 今思えば不思議だ。 ただ、俺は彼女が魔法を放つ直前に口走った言葉が、どうしても引っかかっていたのだ。――私の『友達』を殺したから。
冷酷無比なはずの魔族が、復讐のために涙を流すのか? その理由を俺はどうしても知りたかった。
数秒の緊迫した睨み合いの後、ジルはフッと短い溜息を吐き、練り上げていた魔力を散らした。「ふん……甘い男だな。よかろう、とりあえず一日だけは生かしておいてやる。だが、明朝には俺が確実に処分するからな」
俺の葛藤を察したのか、それとも別の思惑があるのか。ジルは踵を返し、納屋の出口へと歩き出す。
「イグナスには、このことは話しておく。……見張りはお前に任せるぞ」
「……わかった」俺は静かに頷き、床に転がる女魔族へと視線を戻す。彼女はまだ、静かに目を閉じて気を失ったままだ。
一方、村長をはじめとした村人たちは、慌ててジルを追いかけていく。「お、お待ちを!」
「あのような戦力外の戦士一人に見張りを任せて、本当に大丈夫なのですか!?」 「ジ、ジル様ぁ!」足音が遠ざかり、納屋には俺と魔族だけが残された。
「う、うぅ……」
微かな呻き声が聞こえた。どうやら意識を取り戻したらしい。
「……お目覚めか」
「あ、あんたは……」目を覚ました女魔族は拘束された状態のまま、淀んだ赤い瞳で俺を鋭く睨みつけた。
「ふふっ……あんた、私を生かしてくれたんだね」
「気絶した無抵抗の女を殺せるか」 「甘いね。私をすぐに殺さなかったこと、絶対に後悔させてやるわ」 「やめておけ」彼女が魔法の詠唱に入るよりも早く、俺は『カタストハンマー』を手に取り、その頭部へと狙いを定めた。
命中率の低い呪いの武器だが、この至近距離なら外す方が難しい。 仮に外れて魔法を撃たれても、今の俺の防御力なら耐えうる。ダメなら二撃、三撃と叩き込むだけだ。「……女の子の頭に、そんな物騒な鉄塊を振り下ろせるのかい?」
「できるさ。試してみるか?」俺がハンマーを上段に構え直すと。
「ちっ……」
俺の目に宿る冷たい覚悟を見て取ったのか、女魔族は観念したように舌打ちをし、大人しくなった。
「……早く殺すなら、殺しなよ」
「その前に答えろ。お前、『友達を殺された』と言ったな。どういうことか説明しろ」俺の問いに、女魔族はふいと俯いた。
よく見れば、その美しい顔にはかすかに涙の跡が残っている。「人間のあんたに言って、どうなるのさ」
「それなりの……事情があるのかと思ってな」 「バカじゃないの。敵である魔族に理由を訊くなんてね」自嘲気味に笑う彼女の言葉は正論だった。
魔族に正当な理由などあるはずがない。 彼らはただ人間を殺し、テリトリーを広げるだけの存在だと、そう教えられてきたのだから。「それよりも、あんたの着ているその禍々しい鎧や兜だけどさ。それ、魔族が作った代物じゃないの。人間如きがそんな呪物を着て、一体どうするつもり?」
――魔族の装備。
俺は内心で僅かに驚愕した。だが、言われてみれば至極当然とも言える。 これほどの絶望的な呪いを孕んだ武具を、人間が完璧に制御し、作れるはずがないのだから。 いや……今はそんなことを考えている場合ではない。「黙れ。そうやって関係のない話をして、隙を作りたいのか?」
「フン、あんたのような操り人形に言っても、わかりゃしないよ」それっきり、女魔族は口を閉ざしてしまった。
俺は彼女の傍に腰を下ろし、何時でも反撃できるよう見張りを続けた。呪いの装備で動きは鈍いが、この距離なら制圧は造作もない。 重苦しい緊張感が、納屋の中に数分間だけ流れる。 やがて――外から、荒々しい足音が近づいてきた。――バンッ!
勢いよく、納屋の扉が蹴り開けられた。
「そいつが例の魔族か!」
そこに立っていたのは、勇者イグナスだった。
防具は身につけず、片手に白銀の聖剣だけを携えている。ジルの報告を受け、急いで駆けつけてきたのだろう。「どういった系統のモンスターかは知らんが、強力な魔法を隠し持っているかもしれないぞ!」
「待て、イグナス!」 「ガルア、何故そいつを即座に殺さなかった!」怒鳴り散らすイグナスに対し、俺は黙り込むしかなかった。
この女魔族にも何か事情があるのだと言い訳することはできなかった。「なんだ? 見た目が人間……それも若い女の姿だからって、惑わされているのか?」
「ち、違う!」 「言い訳するな! ああ、やはりお前をパーティから追い出して正解だったよ。状態異常への耐性が低い脳筋戦士め。本格的に、その魔族の『吐き捨てるような侮蔑の言葉と共に、イグナスは一切の対話を拒絶し、女魔族の細い首めがけて聖剣を振り下ろした。
「……っ!」
女魔族はギュッと目を閉じ、死を覚悟した表情を浮かべる。
――やめろ、殺すな! 理屈よりも先に、俺の身体が勝手に動いていた。――ガギィンッ!!
納屋の中に、鼓膜を破らんばかりの鋭い金属音が鳴り響いた。
俺は咄嗟に左腕を突き出し、『背反の盾』でイグナスの渾身の一撃を受け止めていたのだ。「がはっ……!? この衝撃は……っ!」
受けたダメージの三割を反射する呪いの盾。
その強烈なカウンターがイグナスの腕を襲い、彼は苦悶の声を上げて数歩後ずさった。「何考えてんだ、お前ッ!」
イグナスの言う通りだ。相手は人間に仇なす邪悪な存在。
盾を構えたまま動揺する俺を、イグナスは心底見下したような目で睨みつけた。「どけ! この無能がァッ!!」
苛立ちに任せたイグナスの前蹴りが、俺の腹部に深く突き刺さる。俺はたまらず後方へと吹き飛ばされた。
体勢を立て直したイグナスが再び剣を構えると、刀身に眩い白雷が収束していく。 勇者の必殺奥義――『「確実に殺さなきゃな。塵一つ残さず消してやる」
「やめろッ!」女魔族は目を見開き、迫り来る死の閃光を見つめていた。
気丈に振る舞ってはいたが、よく見るとその華奢な身体は小刻みに震えている。 やはり、死への恐怖には抗えないのだ。「せめて、苦しまずに殺してやる!」
ダメだ……。
このままでは、彼女が――!――ゴギャァッ!
生々しく、ひどく鈍い音が納屋に響き渡った。
確実に、太い骨が砕け散る音。違う……いや、待て!
この『骨が砕ける音』を出したのは――!?「ガ、ルア……貴様、というヤツは……ッ!」
俺の右手に握られた『カタストハンマー』の凶悪な鉄塊が、イグナスの胸部を深々と陥没させていた。
当たれば確実に会心の一撃が出るが、命中率はわずか三分の一という絶望的な武器。 だが、今回ばかりは運良く『当たり』を引いた。俺は、勇者イグナスに渾身の一撃を叩き込んだのだ。「ぐ、ばあっ……!!」
イグナスは大量の血を吐き出すと、白目を剥いてそのまま床へと崩れ落ちた。
「あんた……」
一部始終を目の当たりにしていた女魔族は、信じられないものを見る目で俺を見上げている。
それもそうだろう。まさか敵である人間に、自らの命を救われるなどと思ってもみなかったはずだ。「逃げるぞ」
「えっ……?」 「逃げると言っているんだ! さっさと魔法を発動して、その縄を焼き切れ!」俺の怒鳴り声にハッとした彼女は、指先から小さな火を練り出し、戒めの縄を瞬時に焼き切った。
だが、自由になってもなお、彼女は呆然と俺を見つめたままだ。「すぐにここから出るぞ」
俺は強引に女魔族の細い手を取ると、倒れた勇者を残し、納屋から夜の闇へと駆け出した。
強く握り締めた彼女の手は、魔族という恐ろしい響きとは裏腹に――不思議なほど冷たくなく、むしろ何故か温かかった。迫りくる大量のマッド・コンストラクト。 泥の魔物の群れ――。 肉体を削る過酷な負荷と、戦士として培ってきた『定石』の消去を感じながら、俺は二つの呪具を振るう。「破ッ!」 本来であれば、特別な『二刀流のスキル』を宿していなければ決して扱えないはずの連撃。 だが、今の俺を突き動かしているのは、世界から与えられた都合の良い力ではない。「|恩恵《スキル》なんて上等なもの、俺には初めから無い……」 右手の剣で泥刃を弾き、その強烈な反動を強引な身体の捻りへと変換する。 そこへ左手の鎌が命を啜る感覚を乗せ、常識外れの速度で死角から致命の一撃を叩き込む。「反動も呪いの痛みも……全部、俺の刃に乗れ」 剣と鎌。 重心も間合いも全く異なる二つの呪具が、泥と血に塗れた実戦の中で、ひとつの変則的な太刀筋として編み上げられていく。 決して美しくはない。「……上等だ……」 右手に握る『リスキーソード』。 絶大な攻撃力を誇りながらも、与えたダメージが強烈な衝撃となってそのまま自身の身体へと跳ね返してくる。 一方、左手に携えた『鮮血の鎌』。 強力な闇属性の波長を帯びる代償として、持ち主の生命力と魔力を際限なく吸い尽くそうと貪欲に唸る。「ぐゥ……ッ!」 一振りごとに骨を軋ませる反射の激痛と、血の気が引くような搾取の|眩暈《めまい》。 その二つの呪いがもたらす相反する苦痛すらも強引に噛み合わせ、ひとつの軌道へと編み上げていく。 それは理不尽な運命に抗うための果てしない試行錯誤の末に、己の肉体だけで掴み取った俺だけの『剣技』だった。「……どうしたんだい? その程度でへばるなら、あの剣の飢えには到底耐えられないよ」 イオの楽しげで、それでいて底冷えのする挑発が、朦朧とする意識を無理やり現実に引き戻す。&
俺は魔王城やゴルベガス、いや大陸からも離れた『東の孤島』にいる。 ここはかつて、俺が追手との戦いの後に運ばれた館の場所。 イオが言うには、ここは世界の理から外れた『忘れられた場所』なのだという。 窓の外を見下ろせば、森や建物といった景色が脈絡なく不自然に並び、まるで作りかけの巨大なジオラマのような歪な空間が広がっている。「ガルア、君には言い忘れていたが、ここは『特別な場所』だ」「特別な場所?」「ゴルベガスが『表の本拠地』なら、ここは『裏の本拠地』という意味さ」「どういう意味だ」「ゴルベガスは、ボクたちが世界の上で暴れ回るための表舞台。対して、ここは神様すら見放したゴミ溜めさ。でもね、だからこそ世界の修正も届かない……ボクたちだけの『聖域』になる」 イオの言っていることは、正直なところ皆目理解できない。 俺はベルタとの死闘後、しばらくゴルベガスで休息をとっていた。 だが、傷が癒えた頃合いを見計らったように、彼女に連れられて再びこの孤島の館へと足を運ぶことになったのだ。「さて、君には特訓をしてもらおうと思っている」「特訓だと?」「そうさ。君が腰から外しているアレイク、それを使いこなすための特訓といえばいいのかな」「……どういう意味だ……俺に何をさせようというんだ」 結局、俺は流されるままにここまで来てしまった。 イグナスのパーティを追放されて以来、俺の人生は制御不能な濁流に翻弄され続けている。 魔族に拾われ、魔王軍として戦ううちに、俺の身体はもはや『人間』としての境界線すらあやふやだ。 故郷を人質に取られている以上、魔王イオの命令には逆らえないが、自分の内側で脈打つ『得体の知れない力』を感じる。 それが何より恐ろしいのだ。 手に馴染み始めた魔剣アレイクの重みが、俺がもう二度と『ただの戦士』に戻れないことを冷酷に告げている。 そんな気がした。そう、俺はこのままこのルートに乗るしかな
主を失った魔王城の回廊は、ひどく冷たく、不気味な静寂に包まれていた。 魔王として君臨したイオたちは、すでに本拠地を別の場所へと移した後だった。「……もぬけの殻か……」 残されているのは、破壊された城の残骸だけのはずだった。 そう、ただの『空き箱』になっているはずだったのだ。「シャァァッ!!」「チッ……!」 突如、頭上の梁から飛び降りてきたリザードマンのスピアでの一閃。 私は半身を捻って間一髪で躱した。 着地の隙を狙うように、今度は真正面から棍棒を構えたオークが、そして両サイドの死角からは短剣を握った数匹のゴブリンが躍り出てくる。「邪魔だ――『深紅の爆炎』ッ!」 私は青いローブを翻し、即座に中級の火属性魔法を放った。 深紅の爆炎が広範囲に散開し、オークとゴブリンたちを纏めて吹き飛ばす。 本来なら、このような低級の魔物などこの一撃で消し炭になるはずだ。 しかし――。「ギャギャギャッ! 効かねえよ!」 爆煙を突き破り、小柄なゴブリンどもが炎を纏ったまま突進してきた。 全身に軽度の火傷を負いながらも、その敏捷なステップと突進速度は全く落ちていない。 直後、地響きを立ててオークもそれに続く。「バカな……ゴブリンやオークが中級魔法を耐え抜いたというのか?」 私は驚愕に目を見開いた。 目の前にいるのは、かつてあの出来損ないの偽物――ゲレドッツォに従っていた低級の残党どもだ。 個々のステータスは取るに足らない『ザコキャラ』のはず。 それがどうだ。防御力、敏捷性、そして何より魔物特有の恐怖による逃走本能が完全に書き換えられている。 まるで、高度な訓練を受けた精鋭部隊のような連携とタフネス。「あの女……イオめ! 去り際にこのゴミ屑どもにどんな強化を掛けたというのだ!」
ベルタを討ち果たした夜、俺は意識を失った。 目覚めた俺は、全身を満たす不気味な感触に戦慄している。「……俺は生きているのか……それにこの溢れる力は……」 魔剣『アレイク』に生命力を致死量まで絞り尽くされたはずだ。 だが、今はどうだ。 枯渇したはずの器の底から、冷たい水が湧き出すように生命力がとめどなく溢れ出ている。 限界のない、無限の体力――これは一体何だ?「……ここは?」 ゆっくりと上体を起こす。 視界に広がったのは、見慣れぬ豪奢な白い天井と壁だった。 ここはサッドが経営する宿屋『沙帝夢楼』の客室のようだ。 気付けば、俺は清潔なベッドの上に寝かされている。「おや、目覚めたようだね。大役、ご苦労だったよ」 声のした方へ顔を向けると、窓際に一人の少女が立っていた。 藤色の髪を揺らすその姿に、俺は思わず息を呑んだ。 絶対的な魔力の気配で理解した。イオだ。 しかし、その装いは玉座の間にいた時の軽装とはまるで違っていた。 意匠そのものは、光の勇者が装備する神々しい鎧の形状と完全に一致している。 だが、その色彩だけが、光の理を真っ向から否定するように禍々しい漆黒と毒々しい紫で完全に塗り潰されていた。 神聖なる勇者の武具を奪い、魔力で強引に闇の属性へと染め上げたような不気味さはあるが、完成された美しさを放っている。「……魔王……」「おや、ちゃんと魔王と呼んでくれるんだね。嬉しいよ」 その異形にして高貴な姿をまじまじと見つめていると、イオはふふっと小さく喉を鳴らした。「――どうかな。似合う?」 彼女はまるで、新しい服を自慢する少女のような無邪気さで僅かに首を傾げて微笑んだ。 だが、その瞳の奥には冷たい深淵が覗いている。「…&hel
ガルアが冷たい石畳に倒れ伏した直後、ゼイクは慌ててその身体を抱え起こそうとした。「くそっ……なんて重さだ」 持ち上げようとした腕の筋肉が悲鳴を上げる。 ガルアが身に纏う呪いの鎧『パープル・ミラージュ』は、装備者以外の者が触れれば岩塊のような異常な重量を帯びる代物だった。 戦死者から高価な武具を剥ぎ取ろうとする人間の強欲を嘲笑うため、魔族の呪術師が悪意をもって仕組んだ極めて悪辣な罠である。「ガルア! しっかりしなさい!」 ラナンが血相を変えて駆け寄り、ガルアの青ざめた頬を叩く。 しかし、彼の瞳は固く閉じられ、呼吸はひどく浅い。 右手に握られた魔剣アレイクが、彼の生命力を致死量ギリギリまで絞り尽くしていた。 ダミアンの無念を晴らすため、共に死線を超えてくれたこの不器用な戦士を、ここで死なせるわけにはいかない。 背後の屋敷からは太い柱が焼け落ちる轟音が響き、猛烈な熱波が庭園の木々を焦がし始めていた。 一刻の猶予もない。「俺が強引に担ぐ。お嬢さん、君は退路の確保を――」 ゼイクが力任せにガルアを引きずろうとした、その時だった。 不意に黒煙が割れ、二つの巨大な影が庭園へと躍り出た。「おいおい、勝手に死なれちゃ困るぜ」 煤で汚れ、刃こぼれした曲刀を提げたワーウルフと、岩山のような巨躯を誇る亜種トロル。 その異形の姿を認めた瞬間、ゼイクの全身に戦慄が走った。 毒蛇は咄嗟にガルアから手を離すと深緑の片刃剣を抜き放ち、切っ先を突きつけた。「魔物だと……!? ベルタの追手か!」「待って! 彼らは敵じゃないわ!」 殺気を放つゼイクの前に、ラナンが両手を広げて割り込んだ。「地下闘技場に潜入していた、私たちの仲間よ。フサーム、それにハンバル! 無事だったのね!」 ラナンの必死の叫びに、ゼイクは驚愕を隠せないまま剣を構えた姿勢で二人を凝視した。 ワーウルフと呼ばれたフサームが、鼻先を鳴らして不機嫌そう
『……ガァ……ガッ……グッ……!』 袈裟懸けに切り裂かれた金色の巨体。 俺は全身に返り血を浴びる。 斬られたゴルトアヌビスは、華のような鮮血を噴き出しながら石畳の上へと崩れ落ちた。「……はぁ……ふぅ……はぁ……」 荒い息を吐きながら俺は剣を下ろす。 アレイクが命を啜った影響で、猛烈な倦怠感と目眩が俺を襲う。 この胸を締め付ける重さは剣の呪いのせいだけではないだろう。 哀れなベルタを、俺のこの手で斬ったのだから。 ――血の海に沈むゴルトアヌビス。 命の灯火が消えゆく中、彼女を縛る強制力が解けたのか。「……ベルタ……」 その体は光の粒子を伴って、元の美しいサキュバスの姿へと戻っていった。「ありが……とう……やっと、私は死ねるのね」 血まみれのベルタは弱々しく、けれどどこか憑き物が落ちたような安らかな笑みを浮かべた。 俺はフラフラとその場に座り込み、ベルタに言った。「やっと死ねる?」「そう……これで私は、この下らないシナリオから退場よ。もう踊らなくていいのよ」 ――シナリオ。 与えられた役割だの、絶対的な支配だの。 シナリオ以外にも、俺はずっと聞き慣れない言葉を聞き続けている。 世界共通の認知はこうだったはずだ。 平和だったある日、魔王ドラゼウフが現れイリアサン王国への侵攻を宣言。 それに抗うため、勇者と俺達は魔王打倒のために数々の死線を潜り抜けてきた。 それが世界の正義だと、自分たちの使命だと信じて疑わなかった。「……踊らなくていい&h
理性を失い、獣魔ゴルトアヌビスと化したベルタ。 黄金の毛並みは燃え盛る屋敷の炎に照らし出される。 それは怪しく、そして悲痛に輝いているようだった――。「怪物め! この魔法剣で切り裂いてくれるわ!!」 夜気を震わせる咆哮を上げ、残された美しい夜咲きの花々を無惨に散らしながら黄金獣が襲いかかってくる。 ゼイクは深緑の片刃剣を構え、再び風の魔力を込めた。「――烈風円舞刃ッ!!」 必殺の魔法剣。 暴風が幾重もの刃となって広範囲を薙ぎ払う。
背後にあるバルザットの広大な屋敷からは赤黒い業火が夜空を焦がしていた。 太い柱や梁が焼け落ちてパチパチと爆ぜる音が絶え間なく響いている。 庭園を彩っていた美しい夜咲きの花々……。 先ほどの激しい戦闘とゼイクが放った真空の刃によって無惨に散り果て、焦げた土の匂いとむせ返るような血の匂いが立ち込めていた。 熱を帯びた空気に混じって、時折ひどく冷たい夜風が吹き込み、戦闘で火照った俺達の頬を撫でていく。「アハハ……痛いじゃない。少しは手加減というものを知らないの?」
沙帝夢楼の誰もいない食堂。 レッサーデーモンのマージルが、白いテーブルに置かれたグラスに静かにワインを注いでくれる。 その白い椅子に座っているのは、他でもないボクだ。「イオ様、ワインをお持ち致しました」「ありがとう」 マージルに笑顔で礼を述べ、ワインの入ったグラスを口に運ぶ。 今日は黒いフィッシュテールのドレスを着込み、藤色の髪も後ろで上品にまとめてみた。 偶には正装もいいものだ。いつまでも、この物語の役者を演じているがボクはボクさ。「これが魔王城周辺に自生する、ディ
俺たちが武器を構えて歩みを止めると、ベルタは余裕に満ちた妖艶な微笑みを浮かべ薄い唇を開いた。「ボス戦には相応しい場所でしょ?」 ボスセン? 漆黒の翼を広げたベルタの口から出た妙な言葉の意味は分からなかったが、その表情はどこか余裕に満ちており自信ありげだった。 背後で燃え盛る屋敷から吹き付ける熱風が、彼女の金色の髪を妖しく揺らしている。「このときを待ちかねていたぞ」 俺の隣でゼイクが深緑の片刃剣をゆっくりと構えた。 ギリ、と柄を握りしめる音が静まり返った夜の庭園に異様に響く。







