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ep03.逃亡

Author: 理乃碧王
last update publish date: 2026-04-12 11:30:37

 村に火を放とうとした女は、人間ではなく『魔族』だった。

 事の重大さを重く見た俺とジルは、すぐさま村長へ報告に走った。

 叩き起こされた村の屈強な男たちが集まり、気絶した女魔族を太い縄で厳重に縛り上げると、ひとまず空き家となっていた納屋へと放り込んだ。

「これで、そう簡単には動けまい」

「村長、こいつをどうします?」

「うーむ……どうするもこうするもなァ……」

 松明の明かりに照らされた村長の顔は、困惑に満ちていた。

 魔族と云えど、その寝顔は人間のうら若き少女とさほど変わらない。

 その処遇に躊躇しているのだろう。だが、このまま目を覚まして逃げ出されれば、再び村が火の海になる危険性がある。

「殺しましょう」

 冷酷なまでに淡々と、そう言い放ったのはジルだった。

「見た目が人間に似ていようと、所詮は魔物の類。今ここで息の根を止めなければ、必ず村に仇なす存在となります」

 ジルは無造作に掌をかざし、魔力を練り上げた。

 収束していくのは、皮肉にもこの女魔族が村を焼くために使おうとしたのと同じ火属性魔法――『赤の火弾レッドショット』だった。

 火炙りにして灰にするつもりのようだ。

「待て。今はやめろ」

 自分でも何を考えているのかわからなかった。

 だが、俺は反射的にジルの腕を掴み、その魔法を制止していた。

「……正気か、ガルア? ここで殺さねば、再び村に災いをもたらすぞ」

「しかし……」

 言葉に詰まる俺を、ジルは苦々しい顔で睨みつける。

 何故、無意識に止めてしまったのか? 今思えば不思議だ。

 ただ、俺は彼女が魔法を放つ直前に口走った言葉が、どうしても引っかかっていたのだ。

 ――私の『友達』を殺したから。

 冷酷無比なはずの魔族が、復讐のために涙を流すのか? その理由を俺はどうしても知りたかった。

 数秒の緊迫した睨み合いの後、ジルはフッと短い溜息を吐き、練り上げていた魔力を散らした。

「ふん……甘い男だな。よかろう、とりあえず一日だけは生かしておいてやる。だが、明朝には俺が確実に処分するからな」

 俺の葛藤を察したのか、それとも別の思惑があるのか。ジルは踵を返し、納屋の出口へと歩き出す。

「イグナスには、このことは話しておく。……見張りはお前に任せるぞ」

「……わかった」

 俺は静かに頷き、床に転がる女魔族へと視線を戻す。彼女はまだ、静かに目を閉じて気を失ったままだ。

 一方、村長をはじめとした村人たちは、慌ててジルを追いかけていく。

「お、お待ちを!」

「あのような戦力外の戦士一人に見張りを任せて、本当に大丈夫なのですか!?」

「ジ、ジル様ぁ!」

 足音が遠ざかり、納屋には俺と魔族だけが残された。

「う、うぅ……」

 微かな呻き声が聞こえた。どうやら意識を取り戻したらしい。

「……お目覚めか」

「あ、あんたは……」

 目を覚ました女魔族は拘束された状態のまま、淀んだ赤い瞳で俺を鋭く睨みつけた。

「ふふっ……あんた、私を生かしてくれたんだね」

「気絶した無抵抗の女を殺せるか」

「甘いね。私をすぐに殺さなかったこと、絶対に後悔させてやるわ」

「やめておけ」

 彼女が魔法の詠唱に入るよりも早く、俺は『カタストハンマー』を手に取り、その頭部へと狙いを定めた。

 命中率の低い呪いの武器だが、この至近距離なら外す方が難しい。

 仮に外れて魔法を撃たれても、今の俺の防御力なら耐えうる。ダメなら二撃、三撃と叩き込むだけだ。

「……女の子の頭に、そんな物騒な鉄塊を振り下ろせるのかい?」

「できるさ。試してみるか?」

 俺がハンマーを上段に構え直すと。

「ちっ……」

 俺の目に宿る冷たい覚悟を見て取ったのか、女魔族は観念したように舌打ちをし、大人しくなった。

「……早く殺すなら、殺しなよ」

「その前に答えろ。お前、『友達を殺された』と言ったな。どういうことか説明しろ」

 俺の問いに、女魔族はふいと俯いた。

 よく見れば、その美しい顔にはかすかに涙の跡が残っている。

「人間のあんたに言って、どうなるのさ」

「それなりの……事情があるのかと思ってな」

「バカじゃないの。敵である魔族に理由を訊くなんてね」

 自嘲気味に笑う彼女の言葉は正論だった。

 魔族に正当な理由などあるはずがない。

 彼らはただ人間を殺し、テリトリーを広げるだけの存在だと、そう教えられてきたのだから。

「それよりも、あんたの着ているその禍々しい鎧や兜だけどさ。それ、魔族が作った代物じゃないの。人間如きがそんな呪物を着て、一体どうするつもり?」

 ――魔族の装備。

 俺は内心で僅かに驚愕した。だが、言われてみれば至極当然とも言える。

 これほどの絶望的な呪いを孕んだ武具を、人間が完璧に制御し、作れるはずがないのだから。

 いや……今はそんなことを考えている場合ではない。

「黙れ。そうやって関係のない話をして、隙を作りたいのか?」

「フン、あんたのような操り人形に言っても、わかりゃしないよ」

 それっきり、女魔族は口を閉ざしてしまった。

 俺は彼女の傍に腰を下ろし、何時でも反撃できるよう見張りを続けた。呪いの装備で動きは鈍いが、この距離なら制圧は造作もない。

 重苦しい緊張感が、納屋の中に数分間だけ流れる。

 やがて――外から、荒々しい足音が近づいてきた。

 ――バンッ!

 勢いよく、納屋の扉が蹴り開けられた。

「そいつが例の魔族か!」

 そこに立っていたのは、勇者イグナスだった。

 防具は身につけず、片手に白銀の聖剣だけを携えている。ジルの報告を受け、急いで駆けつけてきたのだろう。

「どういった系統のモンスターかは知らんが、強力な魔法を隠し持っているかもしれないぞ!」

「待て、イグナス!」

「ガルア、何故そいつを即座に殺さなかった!」

 怒鳴り散らすイグナスに対し、俺は黙り込むしかなかった。

 この女魔族にも何か事情があるのだと言い訳することはできなかった。

「なんだ? 見た目が人間……それも若い女の姿だからって、惑わされているのか?」

「ち、違う!」

「言い訳するな! ああ、やはりお前をパーティから追い出して正解だったよ。状態異常への耐性が低い脳筋戦士め。本格的に、その魔族の『桃の幻愛ピンクチャーム』にでもかけられたようだな!」

 吐き捨てるような侮蔑の言葉と共に、イグナスは一切の対話を拒絶し、女魔族の細い首めがけて聖剣を振り下ろした。

「……っ!」

 女魔族はギュッと目を閉じ、死を覚悟した表情を浮かべる。

 ――やめろ、殺すな!

 理屈よりも先に、俺の身体が勝手に動いていた。

 ――ガギィンッ!!

 納屋の中に、鼓膜を破らんばかりの鋭い金属音が鳴り響いた。

 俺は咄嗟に左腕を突き出し、『背反の盾』でイグナスの渾身の一撃を受け止めていたのだ。

「がはっ……!? この衝撃は……っ!」

 受けたダメージの三割を反射する呪いの盾。

 その強烈なカウンターがイグナスの腕を襲い、彼は苦悶の声を上げて数歩後ずさった。

「何考えてんだ、お前ッ!」

 イグナスの言う通りだ。相手は人間に仇なす邪悪な存在。

 盾を構えたまま動揺する俺を、イグナスは心底見下したような目で睨みつけた。

「どけ! この無能がァッ!!」

 苛立ちに任せたイグナスの前蹴りが、俺の腹部に深く突き刺さる。俺はたまらず後方へと吹き飛ばされた。

 体勢を立て直したイグナスが再び剣を構えると、刀身に眩い白雷が収束していく。

 勇者の必殺奥義――『雷鳴の一閃アラメイ・スラッシュ』だ。

「確実に殺さなきゃな。塵一つ残さず消してやる」

「やめろッ!」

 女魔族は目を見開き、迫り来る死の閃光を見つめていた。

 気丈に振る舞ってはいたが、よく見るとその華奢な身体は小刻みに震えている。

 やはり、死への恐怖には抗えないのだ。

「せめて、苦しまずに殺してやる!」

 ダメだ……。

 このままでは、彼女が――!

 ――ゴギャァッ!

 生々しく、ひどく鈍い音が納屋に響き渡った。

 確実に、太い骨が砕け散る音。

 雷鳴の一閃アラメイ・スラッシュで、彼女が斬られたのか……?

 違う……いや、待て!

 この『骨が砕ける音』を出したのは――!?

「ガ、ルア……貴様、というヤツは……ッ!」

 俺の右手に握られた『カタストハンマー』の凶悪な鉄塊が、イグナスの胸部を深々と陥没させていた。

 当たれば確実に会心の一撃が出るが、命中率はわずか三分の一という絶望的な武器。

 だが、今回ばかりは運良く『当たり』を引いた。俺は、勇者イグナスに渾身の一撃を叩き込んだのだ。

「ぐ、ばあっ……!!」

 イグナスは大量の血を吐き出すと、白目を剥いてそのまま床へと崩れ落ちた。

「あんた……」

 一部始終を目の当たりにしていた女魔族は、信じられないものを見る目で俺を見上げている。

 それもそうだろう。まさか敵である人間に、自らの命を救われるなどと思ってもみなかったはずだ。

「逃げるぞ」

「えっ……?」

「逃げると言っているんだ! さっさと魔法を発動して、その縄を焼き切れ!」

 俺の怒鳴り声にハッとした彼女は、指先から小さな火を練り出し、戒めの縄を瞬時に焼き切った。

 だが、自由になってもなお、彼女は呆然と俺を見つめたままだ。

「すぐにここから出るぞ」

 俺は強引に女魔族の細い手を取ると、倒れた勇者を残し、納屋から夜の闇へと駆け出した。

 強く握り締めた彼女の手は、魔族という恐ろしい響きとは裏腹に――不思議なほど冷たくなく、むしろ何故か温かかった。

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