ANMELDEN千暁には、咲夜が落ち込んでいることがはっきりと分かった。先ほどの咲夜と瞳の一触即発の雰囲気を思い出し、わずかに眉を寄せる。千暁は声を落ち着けると、咲夜に言った。「瞳が何を言っても気にするな。今はあいつも気が立ってるんだ」二人の間でどんな話をしたのかまでは分からないが、決して愉快な内容ではなかったのだろう。しかも先ほどの瞳の言葉や表情を見る限り、母親の死に関係することのようだった。彼の言葉を聞き、咲夜は唇を引き結んだまま考え込んだ。しばらくして、ようやく小さく頷く。「うん」絢子が亡くなった以上、千暁にはこれからやらなければならないことが山ほどある。咲夜も、自分のことで彼を煩わせるつもりはなかった。そもそも瞳との間に生じた問題は、一朝一夕に解決できるようなものでもない。それなら今は、千暁には絢子の葬儀やその後の手続きに専念してもらったほうがいい。咲夜が予想したとおり、それから数日間、千暁は絢子の葬儀の準備に追われ続けた。咲夜と瞳の連絡も途絶えた。咲夜が知っているのは、あの日のあと瞳が退院手続きを済ませ、千暁のそばで葬儀の準備に奔走しているということだけだった。その間、兄妹の間ではかなり激しい口論もあったらしい。瞳が感情に任せてひどい言葉を口にし、普段は彼女をとても可愛がっている千暁が、とうとう瞳の頬を平手で打ったという。しかも咲夜が聞いたところでは、その喧嘩の原因はどうやら自分にあるらしい。咲夜はスマートフォンを手にしたまま、千暁にメッセージを送るべきか、それとも電話をかけるべきか迷っていた。もう二日半も彼に会っていない。病室には星奈が付き添っていた。スマートフォンを見つめたまま悩んでいる咲夜を見て、星奈がそっと声をかける。「千暁さんにメッセージを送るか、電話しようか迷ってるの?」ここ数日、咲夜を見舞いに来るたび、星奈は彼女がずっと上の空でいることに気づいていた。咲夜はスマートフォンをしまうと、星奈に小さく笑いかけた。「ううん、何でもない」それを聞いた星奈は、咲夜のそばに腰を下ろした。「だったら、最近あったことを私に話してみない?毎日そんなに落ち込んでるのを見てると、私までつらくなるよ」その言葉に、咲夜は驚いたように彼女を見た。まさか星奈が、自分の気持ちの変化に気づいていたと
ただ、まだ瞳に話す機会がなかっただけだ。「もう黙れ」畳みかけるように責め立てる瞳に、千暁は鋭い視線を向けた。苛立ちを滲ませたその目には、明らかな警告が込められている。「そんなことしか言えないなら、もう何も言うな。瞳、もう一度言っておく。母さんの死と咲夜には何の関係もない。母さんを亡くしたばかりのお前がつらいのは分かってる。だが、この件を咲夜のせいにするのは筋違いだ。これから先、彼女を悪く言うのは一言たりとも許さない。もしまた言ったら……」その先をどうするのか、千暁は最後まで口にしなかった。だが、その眼差しに宿る凍てつくような冷たさを、瞳ははっきりと感じ取った。あまりの冷たさに、瞳は思わず目を逸らした。千暁もそんな瞳の反応に気づいていたが、表情を緩めることはなかった。実際、千暁が険しい顔で黙り込むと、それだけで周囲の空気まで重苦しくなる。その変化を誰よりもはっきり感じ取っていたのは咲夜だった。唇を固く結び、何も言わずにいる千暁は、咲夜でさえ少し怖いと感じるほどだった。そう思った咲夜は手を伸ばし、千暁の大きな手をそっと包み込んだ。そして指先で彼の掌をそっとなぞった。千暁が自分を見たのに気づき、咲夜は小さく首を横に振った。その仕草だけで、千暁には咲夜の言いたいことが分かった。咲夜に無言で宥められ、千暁の怒りも少しずつ収まっていった。瞳は、そんな二人をただ黙って見つめていた。しばらく見ていたあと、瞳は歯を食いしばって口を開いた。「お兄ちゃんが彼女を庇うことに、私は何も言わない。それはお兄ちゃんの自由だから。でも同じように、誰がお母さんを死なせたと思うかは私の自由よ。お兄ちゃんに止める権利はない」瞳が言いたいことは、その言葉だけで十分伝わった。千暁がこれほど咲夜を庇う姿を見て、瞳の中ではすでに答えが出ていた。母親が死んでもなお、千暁は迷うことなく咲夜の側に立つことを選んだのだ。そう思うと、ただただ可笑しかった。そして瞳は、本当に笑った。その笑い声は、ひどく皮肉めいていた。「お兄ちゃんが咲夜を選ぶなら、もう私たちの間に話すことなんて何もない。荻野グループから身を引いてまで、咲夜を信じることを選んだんだものね。ふふ……」瞳は冷笑を浮かべた。「お兄ちゃん、これから先も
千暁と恭介が戻ってくると、目に入ったのは病室の外でじっと待っている咲夜の姿だった。千暁は足早に近づき、咲夜の前でゆっくりとしゃがみ込んだ。「どうして外にいるんだ?」咲夜の顔色は、あまりよくなかった。心配そうに見つめてくる千暁と目が合っても、咲夜はただ首を横に振るだけだった。そのとき、病室にいた瞳も外の物音に気づいた。勢いよくドアを開けると、冷淡な目で千暁を見た。「私が追い出したの」その口調には、少しの遠慮もなかった。千暁は勢いよく立ち上がったものの、瞳のひどく腫れ上がった両目を見た途端、口元まで出かかっていた叱責の言葉をすべて飲み込んだ。母親を亡くしたばかりで、気持ちが荒れているだけだと思ったのだ。もし瞳が絢子の死まで咲夜のせいにしていると知ったなら、千暁は怒りを抑えられなかったかもしれない。長兄が自分を責めようとしているのを察した瞳は、彼を見る目まで冷たくした。「悪いけど、お兄ちゃん、この人を連れて帰って。これからはこの人とは赤の他人。お互い知らない者同士ってことでいいから」その言葉に、千暁は怪訝そうに妹を見た。「瞳、お前いったいどうしたんだ?」ここでようやく、千暁も瞳の言葉に咲夜への強い恨みが込められていることに気づいた。なぜここまで咲夜を憎んでいるのか。長年の友情まで捨てるようなことを、なぜ平然と言えるのか。「私は何ともない」瞳の声は、先ほどまで泣いていたうえに再び感情が昂ぶっているせいで、聞いているほうがつらくなるほど掠れていた。恨めしそうな目で咲夜を睨みつけ、言い放つ。「お母さんがどうして死んだのか、もう知ってる。この人が株を遥斗兄ちゃんに売ろうとしなかったら、お母さんは死ななかった!」必死に怒りを抑えようとしていたものの、瞳の声は次第に大きくなっていった。咲夜を追い返すだけで済ませていること自体、今の瞳にとっては精いっぱいの自制だった。今は本当に咲夜の顔など見たくなかった。ほんの一目さえも。咲夜がここにいるだけで、彼女の決断によって自分の母親が死んだのだと思い知らされる。そして瞳自身も、咲夜に手を貸したあの日から、すでに共犯者の一人となっていた。瞳は自分自身を憎み、それ以上に咲夜を憎んでいた。千暁は顔を険しくし、瞳を叱りつけた。「株は俺が彼女に好きに処分し
瞳が今それを受け入れられるかどうかはともかく、咲夜は改めて、はっきりとそう言い切った。すると瞳は、嘲るように笑った。「人殺しが、自分から人を殺したなんて認めるわけないでしょ」その一言で、咲夜はもう何を言っても無駄だと悟った。今ここでどれほど言葉を尽くしたところで、瞳は信じてくれないだろう。咲夜は仕方なく視線を逸らし、静かな声で言った。「今のあなたは冷静じゃない。何か話すにしても、もう少し気持ちが落ち着いてからにしましょう」今の瞳はあまりにも感情的になっている。これ以上話しても仕方がないと咲夜は判断し、この話はひとまずここで終わらせるつもりだった。これ以上ぶつかり合い、長年築いてきた二人の友情に取り返しのつかない傷をつけることだけは避けたかったのだ。咲夜は二人の間に漂う険悪な空気を和らげようとしたが、瞳にその気はなかった。彼女は唇を吊り上げ、鼻で笑った。「私は十分冷静よ。私が冷静じゃないことにして逃げようとしないで。咲夜、こんなことになるって分かってたら、あのとき何があってもあなたに協力なんかしなかった。たとえ花江グループを犠牲にしてでも、お兄ちゃんを助けたいから力を貸してくれって言ったわよね。それで、結果はどうなったの?」千暁のことに触れたところで、瞳はわずかに言葉を止め、その眼差しには明らかな不満が滲んだ。そして冷たく笑い、皮肉たっぷりに続ける。「お兄ちゃんの脚は何ともなかった。それなのに二人して平然と芝居を続けて、私を騙してた。私が心配して焦ってるのを見て、さぞ楽しかったでしょうね。二人で私を笑いものにしてたんでしょ?」自分だけがまるで道化のように、何も知らず必死になっていたのだと思うと、瞳は拳を強く握り締め、その目には悔しさと怒りが溢れた。自分はあまりにも馬鹿で、あまりにも人を信じすぎていたのだ。本当に信じてしまったのだから。瞳は、そんな自分の愚かさを嘲るように笑った。その言葉は、咲夜の胸にも重く突き刺さった。どうして自分と瞳の関係が、こんなところまで来てしまったのか分からない。何より、瞳がここまで自分を疑うようになるとは、咲夜は思ってもみなかった。二人は何年も友情を育んできたはずなのに。まるで見えない手で喉を強く締めつけられているようで、咲夜は息苦しさすら覚えた。説明した
瞳の言葉を受け、咲夜は彼女へ視線を向けた。瞳はじっと咲夜を見つめ、一語一語噛みしめるように問いかけた。「本当に、株を遥斗兄ちゃんに売るつもりなの?」そのことは、景浦市へ戻る途中で耳にしていた。最初、瞳は咲夜が本当に株を遥斗へ売るなど信じていなかった。だが今となっては、疑わずにはいられない。咲夜は驚いた顔で瞳を見つめ、慌てて説明しようとした。「あなたが思ってるようなことじゃないの。ちゃんと説明すれば……」「じゃあ、本当なのね?」瞳は最後まで言わせなかった。咲夜を見るその目には、二人の仲が良かった頃のような親しみはもうなかった。その表情は徐々に冷え切っていく。咲夜はその冷たい眼差しを受けながら、覚悟を決めて答えた。「……そうよ」その瞬間、瞳は勢いよくベッドから飛び降り、車椅子に座る咲夜を見下ろしながら睨みつけた。「あなたが遥斗兄ちゃんに株を売ろうとしたから、母は必死になって止めようとしたのよ。そのせいであの事故が起きたの。咲夜、あなたのせいで母は死んだのよ。全部あなたのせい!」一気に感情が昂ぶり、声を荒らげた。瞳から浴びせられた非難に、咲夜は信じられない思いで彼女を見つめた。まさか、親友だった瞳が絢子の死の責任を自分に押しつけてくるとは思ってもみなかった。母親を失った瞳の苦しみは理解できる。だが、だからといって今の言い分まで受け入れることはできなかった。咲夜はできるだけ穏やかな声で言った。「その言い方は受け入れられない。絢子さんが事故に遭ったのは、私がそうさせたわけじゃない。それを私のせいにするのは違うわ」何とか冷静に話し合おうとしていた。しかし、母親を失った悲しみに沈んでいる今の瞳に、そんな理屈が通じるはずもなかった。今の彼女には、胸の内に溜まりきった苦しみをぶつける相手が必要だったのだ。そして今、病床のそばにいる咲夜が真っ先にその標的となり、瞳の怒りを一身に受けることになった。瞳は咲夜の言葉をただの言い逃れとしか受け取らず、その眼差しには、ますます強い嘲りが滲んでいった。「私が株を譲ってほしいって頼んだとき、あなたは無理だって言った。私はあなたを信じたのよ。なのに、あなたを信じた結果、私は母を失った。あなたが母を死なせたのよ。……本当に『最高の友達』ね」「友達」という言葉を口にし
まだどこか信じられない気持ちが残っていたのだろう。だが霊安室で、事故で傷だらけになった母親の姿を実際に目にした瞬間、瞳の張り詰めていた心は、一気に崩れた。「目が覚めたのね。どこか具合の悪いところはない?」物音に気づいた咲夜は、瞳が目を覚ましたのを確認すると、心配そうに声をかけた。瞳が意識を失ってからというもの、咲夜はずっと気が気ではなかった。それだけに、こうして無事に目を覚ました姿を見て、ようやく胸を撫で下ろした。瞳はひどく泣いたせいで、目が赤く腫れ上がり、じんじんと痛んでいた。咲夜に気遣われても、瞳は複雑な表情で彼女を見つめるだけだった。その視線に気づいた咲夜は、やはり心配になってもう一度尋ねた。「瞳、どこか具合が悪いの?」そうかもしれないと思った途端、咲夜の表情はいっそう心配そうになった。瞳は冷淡に視線を逸らした。「別に」その返事は、あまりにも素っ気なく、投げやりだった。咲夜にもそれは分かった。彼女は何とか説明しようと口を開く。「千暁のことをすぐに瞳に話さなくて、ずっと心配させたのは私が悪かった。本当にごめん。本当は最初から話そうと思ってたの。でも、そのあとあまりにもいろんなことが立て続けに起きて、ちゃんと説明する暇もないまま、瞳が景浦市を離れてしまって……」何より、あの頃はあまりにも多くのことが一度に起こり、咲夜自身も対応するだけで精一杯だった。それどころか今になっても、咲夜は事態がどう動いているのか、すべてを把握できているわけではない。千暁のさまざまな行動から、大まかな事情を推測できる程度だった。咲夜も何度か探りを入れたことはある。だが、千暁は頑として何も話そうとしなかったため、最後には諦めるしかなかった。ところが瞳は、まるで冗談でも聞かされたかのように、皮肉な目で咲夜を見た。「話す機会がなかったんじゃないでしょ。私にはっきり打ち明けられる機会なんて、何度もあった。でも、あなたは言わなかった」それこそが、瞳が何よりも引っかかっていることだった。自分と咲夜の仲なら、何とかして話してくれると思っていた。なのに友人であるはずの咲夜は何も言わず、最後まで隠すことを選んだ。瞳は今、胸の奥に溜め込んできた感情をすべて吐き出そうとしているかのようだった。咲夜を淡々と一瞥し、静か
「あなたと結婚するわ」区役所の前。閉庁時間を過ぎ、もはや人の出入りのないガラスの自動ドアを見つめながら、花江咲夜(はなえ さくや)はスマートフォンを取り出し、ある番号へ電話をかけた。今日は、森崎晴南(もりさき せな)と入籍する約束の日だった。それなのに、彼女は朝九時から午後五時半まで待ち続け、手元には十数枚もの整理券が溜まっていた。結局、晴南が姿を現すことはなかった。入籍を言い出したのは晴南の方なのに、すっぽかしたのも彼だった。これで、咲夜が彼に約束を破られたのは三度目になる。咲夜はもう使い物にならない整理券をゴミ箱に捨て、背を向けると、晴南の宿敵である荻野千暁(お
寝室へ戻った途端、咲夜のスマートフォンには真奈美からのメッセージが怒涛のように押し寄せていた。【咲夜、どうしてもそんなに意地を張るつもり?本当に花江家のことなんてどうでもいいの?お父さんやご先祖様が代々築き上げてきたものを、このまま潰して平気だっていうの?】【私やお父さんが死んだあと、ご先祖様にどう顔向けすればいいのよ】【分かってるわ、あなたが辛い思いをしてきたことは。でも、あの白羽さんは晴南さんにとって忘れられない人なのよ。あなたが少し我慢すれば済む話じゃない】【男なんて外で遊ぶものよ。心を繋ぎ止められないなら、せめてお金だけでもしっかり握っておけばいいの】【咲夜、お願い
咲夜が病院を後にして間もなく、真奈美から電話がかかってきた。鳴り続けるスマートフォンを、咲夜は手に取ろうともせず放置したまま、自動的に通話が切れるのを待つ。だが、着信は執拗に繰り返された。出ない限り、母が決して諦めないことなど分かりきっている。結局、咲夜は小さく息をつき、妥協するように通話ボタンを押した。「咲夜、森崎家が資金を引き揚げるって!両家の提携も全部白紙よ。これで満足なの?」電話の向こうから、激情に駆られた真奈美の罵声が飛んできた。これまでどれほど理不尽を押しつけられても耐え続けてきた咲夜が、なぜ今になって意地を張るのか、真奈美には理解できなかったのだ。
晴南も、外の騒がしさにはすでに気づいていた。つい先ほどまで浮かべていた穏やかな笑みは、咲夜の姿を認めた瞬間に凍りつき、その冷ややかな瞳には露骨な不快感と詰問の色が宿る。咲夜はその視線を真正面から受け止めながら、感情を削ぎ落とした無表情のまま、真奈美の背後に静かに立っていた。「晴南さん、うちの咲夜が分からず屋で本当にごめんなさい。ちゃんとお詫びさせようと思って、連れてきたの」真奈美は卑屈な笑みを顔に貼りつけ、機嫌を窺うような声音で言った。そう言いながら、咲夜の背中を突き飛ばすようにして、彼女を晴南の目の前へ押し出す。晴南はただ冷ややかにその様子を眺めるだけで、自分から口を







