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第4話

Auteur: ネコ芋
晃は頬の筋をきつくこわばらせたまま、表情を崩さずに私の身体を支え、階段を上がらせた。

私は少し気落ちして、自嘲気味に視線を落とす。

――やっぱり、ただ家まで送ってくれただけなんだろう。

ふらつきながら鍵を取り出し、震える手で何度も差し込もうとしても、うまく開かない。その瞬間、晃が私を扉に押しつけ、身をかがめて、激しく唇を塞いだ。

どうしてだろう。それは「初対面で惹かれ合った男女」の軽い衝動じゃなかった。長いあいだ抑え込まれていたものが、ある瞬間に一気に崩れ落ちたような――そんな重さがあった。

晃のキスは熱く、切実で、私を骨の奥まで引き寄せようとするみたいだった。

抱きしめられた胸元で、激しく、荒々しい鼓動が打ち鳴らされているのが分かる。

私は言葉を失い、唇と舌だけで応えた。

長くて、息を奪うほど独占欲に満ちたキスのあと、晃はふいに私を離し、壁にもたれて大きく息を吐いた。胸が上下し、視線を逸らしたまま、こちらを見ようとしない。

「柚葉……」

少し頭はふらついていたけれど、意識はまだはっきりしていた。

足元が頼りなく、目を細めたまま顔を上げて、私は晃を見つめる。

晃は背が高い。宗一郎より、ほんの少し上だ。細い腰に、長い脚。凛とした眉と、澄んだ目。興奮を必死に抑えているのに、隠しきれない男の気配が、静かに滲み出ていた。

――何も感じていないはずがない。そう確信できる空気が、確かにそこにあった。

私は片手を、彼の背後の壁につき、距離を奪うように身体を寄せる。逃げ場のない、狭い空間に閉じ込めるみたいに。

「今さら、後悔するの?」

つま先立ちになり、さっき私が吸って赤くした唇に、もう一度キスを落とした。

晃は息を詰め、私の手から鍵を奪うように取ると、ドアを開け、そのまま私を抱き上げた。大股で寝室へと向かう。

……

目を覚ましたとき、外はすっかり明るくなっていた。

晃は、もうベッドにはいない。

一晩中抱かれて、身体はすっかり疲れ切っている。眠りに落ちたのは昨夜で、気づけば昼近くまで寝てしまっていた。

重だるい身体を起こし、寝室を出た瞬間、ふわりと香りが鼻をくすぐった。

土鍋では出汁の効いたスープが弱火で温められ、テーブルの保温容器には、胃にやさしい薄味の料理がきれいに詰められていた。どれも、私の好物ばかりだった。

キッチンは驚くほどきれいに片づいているのに、使った形跡だけは残っている。

物が足りないこの台所で、よくここまで整えたものだと、思わず感心してしまう。

私は椅子に腰を下ろし、スープを一杯よそった。

昨夜から空っぽだった胃が、温かさにゆっくり目を覚ます。立ちのぼる湯気が、そのまま目に染みるみたいで、視界が滲んだ。

スプーンで一口すくって飲み込んだ、その瞬間。涙が、ぽとりと、器の中に落ちた。

宗一郎は昔から、私のことを「要領が悪い」「女らしさがない」そう責め続けてきた。挙げ句の果てには、外で女を作る理由まで、私のせいだと平然と言い切った。

たった一晩の関係だったはずなのに、私は初めて、甘やかされて、守られていると感じた。

家でさらに一日休むと、ようやく気力が戻ってきた。目を背けていた現実に、そろそろ手をつけなければならない。

私はチームのエースドライバーで、理事も兼ねていた。この数年、時間も神経も、すべてクラブに注ぎ込んできた。

けれど、離婚した今、宗一郎とこれ以上関わるつもりはない。退職して、抱えている仕事を正式に引き継ぎ、それで終わりにする。

服を着替え、私はもう一度クラブへ向かった。

個室の扉を押し開けた瞬間、予想どおり、宗一郎と取り巻き連中が揃っていた。

私の姿を認めた途端、空気がぴしりと固まる。

短い沈黙のあと、誰かが無理に笑って言った。「宗一郎さん、ほら。柚葉さん、戻ってきたじゃないですか。だから言ったのに……」

別の誰かが、慌てて取りなす。「戻ってきたんですし、もうこの話は終わりでいいんじゃないですか。柚葉さん、長いこと一人で入院してたんですよ?ねえ、宗一郎さん」

宗一郎は表情を硬くし、目の奥に薄い嘲りを滲ませたまま、こちらを見ていた。

視線だけを寄こし、鼻で笑う。「柚葉。今さら後悔したって、遅いと思わないのか?」

諦めると決めて、離婚して、そして今、こうして向き合うまで。たった二、三日しか経っていないのに、彼は妙に遠い存在に見えた。

――私は、この男を、六年も愛していたんだろうか。

そう思うと、憎らしくて、滑稽で、思わず笑えた。

何が私を支えて、六年も踏ん張らせてきたのか。自分でも、もう分からない。

「宗一郎さん。退職しに来ました。今日から、クラブの仕事はしません。役職もすべて降ります」

私は手帳を一冊、彼の前のテーブルに置いた。

「担当していた内容は、すべてここにまとめてあります。引き継ぎの人を手配してください。確認したいことがあれば連絡して構いませんが、お答えするのは引き継ぎに関することだけです」

宗一郎は、表情を崩さないまま、妙にゆっくりとした口調で言った。

「お前の契約、十年だろ。途中で抜けるつもりなら、違約金の条項くらい、分かってるよな?」

私は視線を逸らさず、静かに答える。「わかっています。ですが、契約には、クラブ側が業界の慣行や規範を逸脱していないことが前提であると、明記されています」

宗一郎の眉が、ほんのわずかに動いた。

そのとき、誰かがスマホを見て、急に声を上げた。

「宗一郎さん……!この前のレース、主催側がSNSで謝罪を出して、受賞者リストを訂正して……それに――」

一瞬、息を呑んでから続ける。

「美緒を、三年間出場停止にしたそうです!」

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