LOGIN五年前、夫の一時の身勝手な行動で、私は息子と視力の両方を失いかけた。 五年後、思いがけない出来事がきっかけで、失明していた目が奇跡的に回復した。 嬉しい知らせを夫と息子に伝えようと、弾むような胸を躍らせて家に駆け込んだのに、目に飛び込んできたのは、夫が息子のピアノの先生を抱き寄せる姿だった。 夫はピアノの先生の頬を撫でながら言った。 「やはり君がいい。もうあの目の不自由な者への気遣いという偽りを生きるのは、うんざりだ。この五年間は、俺にとって牢獄のようなものだ」 息子もピアノの先生の胸に飛び込み、こう言った。 「白野先生がママだったらよかったのにな。そうしたら、目の不自由なママのことで笑われることもなかったのに」 玄関に立った私は、頭のてっぺんから足の先まで、一瞬で凍りつくような冷たさに襲われた。 スマホを取り出し、仲睦まじい「親子三人」の姿を、こっそりと写真に収めた。そして、一つの番号に電話をかけた。 「先生、以前おっしゃっていたフランスへの研修の件、引き受けさせていただきます」
View More隆介もさすがに面目を失ったと思ったのか、それ以来、茜を遠ざけるようになった。だが茜はあきらめなかった。会社にまで押しかけて「妊娠した」と騒ぎ立て、彼に責任を取れと迫ったのだ。その頃、隆介は本当に彼女を家に迎え入れた。だがやがて気づいた――その子は自分の子ではない。実は茜は隆介のほかにも元カレとの関係を続けており、その結果、妊娠してしまったのだ。けれど彼女は隆介が与える贅沢な暮らしにすっかり慣れきっており、彼を縛り留めるために、その子を隆介の子供だと偽るしかなかった。当然、隆介は激怒した。弁護士を立て、茜にこれまで贈ったすべての贈り物を返せと要求した。二人の騒動は収拾がつかない大騒動となり、周囲の人々は面白がって好奇の目で見ていた。友人は少し躊躇い、続けた。「この前、追い詰められた茜が、隆介を脅すために健太くんを拉致したらしいよ。警察がすぐに救出に向かったおかげで、健太くんは怖い思いをしただけで、大事には至らなかったそうだ」私は軽くうなずいた。「そう。彼のことなんてもう関係ないわ。彼は白洲家の人、私は三島。今後は彼とは縁もゆかりもないんだから」私は静かに電話を切り、膝の上でうつ伏せに眠っている七海の髪をそっと撫でた。私の手の動きを感じ取ったのか、彼女は小さく身じろぎし、「ママ……」と寝言のように呟いた。思わず頬に微笑みが浮かんだ。そう――私は彼女の母親だ。これから先、彼女は私の唯一の子なのだから。私と七海の生活は、再び静けさを取り戻してきた。そんなふうに日々が過ぎていき、あっという間に一年が経ち、私の研修も終わりを迎えた。帰国の日、先輩が空港まで見送りに来てくれた。彼は七海の頭を軽く撫で、笑いながら私に尋ねた。「今後、また来る?」私も笑って答えた。「わからないわ。もう来ないかもしれないし、すぐにまた来るかもしれない」自分の未来に、もう制限を設けるつもりはない。ただ、七海を連れて兄に会いに行くべきだと思った。それに、隆介とのことにも、そろそろ決着をつけなければならない。たぶん、この一年の私の冷たさが、隆介にいろんなことを考えさせたのだろう。再び離婚を切り出したとき、彼はついに、静かにうなずいた。まるで償うかのように、彼は自分の財産の大部分を私に分け与えた。離婚の日
しかしその夜のことだった。一陣の乱暴なノックの音で、私は深い眠りから叩き起こされた。ドアを開ければ、そこには健太を抱えた隆介が立ち、焦りと不安の表情を浮かべて私を見つめている。「葵、健太の具合が悪いんだ」……健太は高熱を出し、意識を失っていた。私たちはすぐに病院へと運び込んだ。幸い処置が間に合い、すぐに意識を取り戻した。やつれた顔の健太が私の手を握りしめ、離そうとしない。「ママ、まだ怒ってるの?僕、もう悪いことしないから……傍にいてくれない?」そのとき、もう一方の腕が小さく引っ張られた。「ママ、いつおうちに帰るの?」隣に立つ七海は、眠気で今にも目を閉じそうなのに、それでも必死に私を見上げていた。まるで、少しでも目を閉じたら私が消えてしまうとでも思っているようだ。私は微かに口元を緩めて言った。「ママがすぐにおうちに連れて帰るからね」私は健太の手をそっと振りほどき、足を踏み出そうとした瞬間、彼がわっと泣き出した。病床から身を起こし、私を引き留めようと手を伸ばした。「ママ、ごめんなさい。僕を置いていかないで……」「人違いよ。私はあなたのママじゃないの。すぐに新しいママができるよ」私は一瞬だけ足を止めたが、胸を引き裂くような泣き声を背中に受けて、七海の手を引いて病室を後にした。けれど、少し歩いたところで、隆介が私の前に立ちはだかった。「葵、七海が君の兄さんの娘だってことはもう知ってる。調べもした。あの男はただの先輩なんだろ?君……ほかの誰かを好きになったわけじゃないんだよな?だからさ、もう一度やり直そう!今までのことは全部水に流して、これからは七海と健太と一緒に、みんなで穏やかに暮らしていこう」私は勢いよく彼の手を振りほどき、嘲るように笑った。「隆介、あんたと茜が私の目前でやったあの汚らしいこと、まさか全部忘れたというのか?よくもまあそんな口がきけるわね」隆介は一瞬、硬直し、唇を何度か震わせたあと、やっとの思いで声を絞り出した。「自分の犯した罪は許されないってわかってる……だけどな、あれは君が一度も俺を頼って来なかったからだ。君はいつも強すぎて、一人でなんでもできちゃって、俺なんて全然必要ないみたいに振る舞うから……だから俺は、茜のような女に惑わされちまったんだ」彼の声は卑屈で、
私は冷ややかに口角をわずかに引き上げた。「人違いよ。私はあなたのママじゃない」健太の頬を涙が次々と伝い落ち、全身を震わせながら泣き出した。「ママ、僕のこともう忘れたの?僕、健太だよ……」隆介の顔色も真っ青になった。「葵、俺が悪かった。君が俺を恨むのは当然だ。でも健太はまだ小さいんだ。そこまで冷たくすることないだろ?」しかし、私の心は微塵も揺るがなかった。ただ、滑稽だとしか思えない。私は冷笑して言った。「隆介、よくそんなことが言えるわね。目の見えない女を彼の母親にしたくないって言ったのはあなたでしょ?もう新しい『ママ』を用意してたくせに、忘れたの?」隆介の唇が震え、何か言おうとしたその時、家のドアを中から開けた。玄関に立っていた先輩は、目の前の光景をまったく予想しておらず、その場で呆然と立ち尽くした。突然、七海が勢いよく駆け出し、隆介と健太を指さして叫んだ。「パパ、彼らがママと私をいじめたの!」その突発的な一言に、場の空気が一瞬で凍りついた。隆介の体がぐらりと揺れ、握りしめた拳には青筋が浮かび上がった。しばらくして、彼は目を赤くしながら私に問いかけた。「葵、あいつは誰なんだ?」……私は何も説明せず、そのまま彼の横を通り過ぎて中へ入った。夜になると、外の空気は一気に冷え込んだ。隆介は玄関先に立ち尽くしたまま、健太もその隣で身をすくめ、どうしても離れようとしない。健太は頑なにこちらの方を見つめ、ときおり小さな手で顔をぬぐっていた。外の様子を見ながら、先輩はため息をついた。「説明してやったほうがいいんじゃないか?」以前、七海を実質的に引き取るために、やむを得ず一旦、先輩の戸籍に登録した。あくまで一時しのぎのつもりだったが、それでも先輩は七海をとても大事にしてくれた。私が学業で忙しいときは、時間を作ってよく面倒を見てくれたものだ。幼少期に父親の庇護を感じたことがなかったからであろうか、七海は次第に、先輩を実の父として受け入れ始めていた。私は少し笑って言った。「説明する必要なんてないわ。あの人とはもうとっくに終わったの」出ていく前に、私は彼のもとに離婚届を残してきた。もう彼とは、何の関係もない。さっとカーテンを引いて、外に立つ二人を遮った。あの夜、彼らがい
彼女には、ただただもっと優しくしてあげたい。一緒に絵本を見たり、体を洗ってあげたり、寝る前の物語を読んであげたりしていた。そんな日々が、静かに積み重なっていった。七海は本当にいい子で、私が根気よく接していくうちに、少しずつ心を開いてくれた。私が料理をしていると、いつも台所の入り口に立って、じっとこちらを見つめている。そして私が振り返ると、ほんのり柔らかい笑顔を見せてくれるのだ。そのたびに、胸の奥がじんわりと温かく、くすぐったくなる。もっと彼女に優しくしようと思ってしまう。その日も、私はいつもと同じように、彼女に物語を語って聞かせた。薄暗い灯りの下、七海はおとなしく布団にくるまり、瞳には私への信頼が宿っている。どういうわけか、その瞬間、ふと健太のことを思い出した。今、七海にしていること――それは、かつて健太にもしていたことだった。あの頃の彼は、私に対してただひたすら苛立っていた。彼は、私が目が見えないからアニメの内容が分からないと思い込んでいた。お風呂に入れてあげる時も、いつもお湯をこぼしてしまう。そして、寝る前に、物語を読み聞かせる時でさえ、点字で読むので、いつもたどたどしくなってしまう。彼は疎ましげに私を拒み、使用人に付き添わせて、私の側にいることさえも厭うそぶりを見せた。やがて茜が現れると、彼はますます私の顔を見ようとしなくなった。過去の記憶が心の奥を引きずり回し、思考がそこに絡め取られていたとき――ふと、掌にあたたかさを感じた。顔を下げると、七海の小さな手が私の手の上に重なっていた。彼女の声はふんわりと柔らかい。「おばさん、これからは私のママになってくれる?」大きな瞳がまっすぐに私を見つめている。その中には限りない期待が宿り、まるで私だけが彼女の世界のすべてであるかのようだった。その瞬間、胸の奥がふわっと暖かくなった。いつの間にか流れていた涙をぬぐい、笑って言った。「うん」……このまま穏やかに日々が続いていくのだと思っていた。けれどその日、七海を連れて買い物から帰ってきたときのことだった。車を降りた瞬間、家の前に立っている二人の思いがけない人物が目に入った。久しく会っていなかった隆介が、健太を連れて突然私の前に現れたのだ。隆介はずいぶん痩せて
reviews