ログイン凪杜は酔った足取りで、かつて豪雨の中、絃葉を救い出したあの川辺へやって来た。橋の上に立つと、霧雨にかすむ景色の中に、あの華奢で軽やかな姿が再び見えたような気がした。「ごめん、絃葉......君を失ってしまったことが、俺の人生で最大の過ちだ。来世でもう一度君に出会えるなら、今度こそ償うよ」涙を流しながら、川に向かって声の限り叫んだ。それからスマホを取り出し、千晶へ電話をかける。「千晶、弁護士に頼んで、もう遺言書を作ってある。俺の全財産は、絃葉のおなかにいる、まだ生まれていない二人の子どもへ遺贈する。俺が絃葉を深く傷つけたことは分かっている。もう彼女に許してもらおうとは思わない。ただ、これから先もずっと幸せでいてほしい。二人の赤ちゃんにも、無事に生まれて元気に育ってほしい......」千晶は胸騒ぎを覚えた。「おい、急に何を言ってるんだ?今どこにいる?何をするつもりだ?」凪杜は苦しげに笑った。「俺たちが初めて絃葉と出会った、あの川辺にいる。覚えてるか?画板を背負った彼女が、小舟の上でたった一人、途方に暮れていた姿を。俺は今でも覚えているよ。俺はあのとき彼女を助けたように、その後も彼女を救う存在になるべきだった。それなのに、俺は彼女へ消えることのない傷を与えてしまった。そのことを思い出すたびに、自分が憎くてたまらないんだ......絃葉はもう結婚した。俺が生きている意味もなくなった。これから先、彼女がほかの男と手をつなぎ、幸せに生きていく姿を見続けるなんて......俺には耐えられないよ。心は大きな穴が開いて、血を流し続けているようなんだ。なあ千晶、彼女に伝えてくれ。俺、澤木凪杜は永遠に彼女を愛しているって。この人生でも、来世でも、その次の人生でも......ずっと愛している。どうか幸せにって」「ちょっと、馬鹿なことはするな!そこで待っていろ。今、迎えに行くから!おい、凪杜?凪杜!」電話の向こうで千晶は必死に叫んだ。しかし凪杜は、そのまま通話を切った。ただならぬ事態を察した千晶は、勢いよく家を飛び出した。車を走らせながら、ハンズフリー機能を使い、取り乱した声で絃葉へ音声メッセージを残す。「もしもし、絃葉?大変だ。凪杜に何かあったかもしれない。さっき、訳の分からないことをたくさん言われて、初めて出会っ
そこで絃葉は、このお金を、経済的に余裕がない中で、初めての育児に悩む親たちへの支援に使おうと考えていた。基金の名前も、景とすでに話し合って決めている。「しあわせ基金」だ。景は、彼女があまりにも疲れ切っているのを見て胸を痛め、自ら足湯用のお湯を運んできて、履いていた靴を脱がせた。大企業のトップである彼が、少しも嫌がることなく彼女の前にしゃがみ込み、自らその足を洗ってやる。「お疲れさま。これで結婚式もすべて終わった。これから先、一生、君は俺の妻で、俺の大切な人だ。俺は絶対に、世の中の一部の男たちのように、妻が子どもを産んだ途端、冷たくなったりはしない。これまで以上に君を大切にすると約束する。双子を妊娠しているだけでも大変なのに、こんなに疲れている君を見ると、胸が痛くて仕方がない。俺は......」......以前は口数の少なかった彼が、今では絃葉の前になると驚くほどよく話す。絃葉はどうにか上体を起こすと、人差し指を伸ばして彼の唇に当てた。「もういいわ。今は何も言わなくていいの。もう寝たいの」そう言い終えると、もう体を支えていられず、ベッドへ倒れ込んだ。そして次の瞬間には、深い眠りに落ちていた。景は疲れ果てた彼女を見つめ、優しく手を伸ばして、膨らんだおなかをそっとなでた。その瞳には、彼女をいたわる深い思いが満ちていた。「君たちが男の子なのか女の子なのかは、まだ分からない。でも生まれてきたら、絶対にママを大切にするんだぞ。分かったか?ママは、パパがこの世で一番愛している女性だ。君たちにとっても、一番大好きな女性でいてほしい。だから二人とも、ママのおなかの中でおとなしくしていて」......景は特に何も期待せず話しかけていた。ところが、おなかの中の赤ちゃんがまるでその声を聞いたかのように、不思議なことに突然動いた。景は信じられないという顔で目を見開いた。一瞬、自分の勘違いではないかと思ったほどだった。すぐに両手を、絃葉の膨らんだおなかへ重ねる。すると赤ちゃんたちは、父親の存在を感じ取ったかのように、おなかの中で続けて何度も動いた。景は信じられない思いで目を見開いたまま、しばらく動けなかった。やがて瞳が大きく揺れ、数秒後には目の縁が赤くなった。絃葉にも、この喜びを伝えたかった
1か月後。絃葉の妊娠経過は順調で、おなかの赤ちゃんたちも元気に育っていた。結婚式は予定どおり執り行われることになった。景と湊は相談の末、Y国でロマンチックな雰囲気に満ちた、森の中の古城を見つけた。二人は一流のウエディングプロデュース会社へ式のすべてを依頼し、古城の中に、この上なく幻想的な会場を作り上げた。絃葉と悠は控室に並んで座っていた。二人が身にまとっているのは、景と湊が巨額の費用を投じてデザインさせた、おそろいのウエディングドレスだった。その顔には、今も一流のメイクアップアーティストたちが丁寧にメイクを施している。景は以前から言っていた。この結婚式には費用を惜しまない。何よりも愛する女性を妻に迎えるためなら、いくらかかっても構わないと。湊も胸をたたいて宣言していた。景が妻のために用意できるものなら、自分にだって用意できないはずがない。同じ日に式を挙げるのだから、自分の花嫁に肩身の狭い思いはさせないと。古城は祝福に訪れた人々で、大いににぎわっていた。結婚式を見届けるために招かれたのは、両家の親族や友人だけではない。仕事上のパートナーや、かつての同級生たちも集まっていた。美しいメイクを施し、おそろいのウエディングドレスをまとった二人の花嫁が、肩を並べて古城の大広間へ足を踏み入れた瞬間、壇上で待つ二人の新郎の瞳には、抑えきれない驚きと喜びの光が浮かんだ。ウエディングドレス姿の絃葉は、柔らかく幻想的な美しさをたたえ、まるで古城に暮らす姫のようだった。一方の悠は堂々としており、女王のような圧倒的な気品をまとっている。その姿は、まるでその古城を統べる主だった。二人は喜びに満ちた眼差しを浮かべながら、それぞれの愛する男性のもとへ、ゆっくりと歩いていった。「絃葉、絶対に一生幸せになってね」「悠もね」新郎たちのもとへたどり着く直前、二人は示し合わせたかのように足を止めた。そして互いを振り返った瞬間、そろって目を赤くした。幼い頃に抱いた夢が、現実になったのだ。手を取り合い、長い年月をともに歩んできた二人が、本当に同じ日におそろいのウエディングドレスを着て、それぞれが愛する男性のもとへ嫁ごうとしている。この友情は、二人にとって尊い宝物だ。二人が抱き合うと、会場からはいつまでも鳴りや
「バカね。心がいつも寄り添っているなら、どこにいたって関係ないでしょう?」景は力強くうなずいた。「俺は幼い頃から、将来どんな女性と結婚するのかを思い描いていた。そして今、ようやく理想の女性に出会えた......絃葉、君が俺たちの家族に、これほど大きな変化をもたらしてくれるとは思ってもみなかったよ」「私は昔から、家庭は愛を語る場所だと思っているの。愛さえあれば、どんな問題だって乗り越えられるわ。私が幼い頃、おじいちゃんはとても短気だったの。突然、私に怒鳴りつけることもあった。でも私は、つられて腹を立てたり、言い返したりはしなかった。おじいちゃんの気持ちが落ち着くまで待って、怒鳴られたときに私がどう感じたのかを伝えていたの。そしたらおじいちゃんも私の話を聞き入れてくれて、怒ることが少しずつ減っていったの。私への愛情も、ますます深くなった。だから、家族が心から一つになろうと思っているなら、どれほど大きなわだかまりがあっても、いつか必ず解消できる機会が訪れるものよ。まだそのときが来ていないのなら、焦らず待てばいい。私と静代さんも、ちょうどいいきっかけが訪れたから、すべての問題を解決できたの」これまでは景が絃葉を諭すことのほうが多かった。しかし今回は、絃葉が景に道理を説いていた。景は興味深そうに聞き入り、その眼差しには心からの感服がにじんでいた。「確かにな。君と母さんの関係が、一気にここまでよくなるなんて想像もしていなかった」絃葉は首をかしげ、悪戯っぽく微笑んだ。「だって、私はずっと分かっていたもの。静代さんは少し世間知らずでわがままなところがあるだけで、悪い人ではないって。それに、私は静代さんを恨んだことなんてないわ。むしろ感謝しているの。静代さんがあなたを産んでくれたから、私はこんなにすてきな夫と出会えたんだもの」その言葉を聞いた瞬間、景の瞳に欲望の色が深く宿った。彼は再び身をかがめ、絃葉の唇を捕らえると、息もつかせぬほど激しく口づけた。「待って......」絃葉は彼の胸を押し返した。呼吸が乱れている。「家に帰ってから......運転手さんもいるでしょう?」「待てない」景の唇が、再び彼女の唇へ重なった。激しく口づけながらも、彼は両腕で体を支え、絃葉の体に自分の体重がかからないよう細心の注意を払
重久はうなずいた。「ああ。これはそのおばあさんが遺したものだ。これを、私からの祝いの品として、お前に受け継いでもらいたい。このネックレスをお前に贈るのは、かつてのおばあさんのように家族全体のことを考え、家庭をしっかり支えてほしいからでもある。景と力を合わせ、弟たちのよい手本となって、この家をますます栄えさせてくれ」絃葉は表情を引き締め、恭しくネックレスを受け取った。ふと振り返ると、静代の表情が明らかに曇っていることに気づいた。絃葉には、その気持ちが理解できた。もともとこれは、景の祖母が遺した品だ。本来なら、まず嫁である静代へ受け継がれ、その後、静代から絃葉へ渡されるべきものだった。それを祖父が直接絃葉へ渡したということは、静代を嫁として認めていないという意味にも受け取れる。絃葉が内心で気まずさを覚えていると、重久はもう一つ、瑪瑙のブレスレットを取り出した。「静代、お前も潤一のもとへ嫁いでから、長い間、いろいろとつらい思いをしてきた。3人の息子たちを育て上げ、築山家に大きく貢献してくれたことも分かっている。お前は華やかなものが好きだったな。彼女が遺したこの瑪瑙のブレスレットは、お前によく似合う。受け取りなさい」静代の沈んでいた表情は、たちまち喜びへ変わった。すぐに重久のもとへ歩み寄り、うれしそうにブレスレットを受け取る。「ありがとうございます、重久さん。まさか私にも......」重久は穏やかに微笑んだ。「今日、こうして仲よくしている姿を見られて、私は安心した。よい家風は、次の世代へ受け継いでいかなければ。おばあさんも生きてこの光景を見ていたら、きっと喜んだだろう。それと洸、彰。お前たちはまだ若く、これから経験を積まなければならない。今後は兄と兄嫁からよく学び、一日も早く一人前になって、兄の負担を減らしてやりなさい。兄嫁のことも、実の姉として必ず敬意を持って接するように。将来、恋人を選ぶときにも覚えておきなさい。築山家に必要なのは、見た目が美しいだけの飾り物ではない。容姿だけでなく、知性と人柄を兼ね備えた女性だ」洸と彰は何度もうなずいた。「はい、おじいさま!」絃葉はネックレスを手にしたまま、その重みを感じていた。席へ戻ると、景がすぐにテーブルの下で彼女の手を握った。彼は絃葉を見つめれば見
週末、築山家の本邸。景と絃葉がリビングへ姿を現すと、静代は以前の冷淡な態度から一変し、満面の笑みで二人を迎えた。家族の男性陣が意味ありげに見守る中、二人の女性は、これまで一度もわだかまりなどなかったかのように皆の前で抱き合い、腕を組んで食卓へ向かった。「絃葉ちゃん、最近甘酸っぱいものが食べたいでしょう?アロエと柑橘のゼリー、それから牛肉の甘酢炒めを作ったの。おばあさまにも頼んで、京城名物を送ってもらったわ。脂っこくないから安心して。食べても気持ち悪くならないと思うわ」絃葉は目を細めて微笑んだ。皆が見守る中、迷うことなく呼び方を改める。「ありがとうございます、お義母さん。わざわざすみません」静代は感激した様子で絃葉の手を握った。そして皆の前で、自分がことのほか大切にしていたホワイトパールのネックレスを首から外すと、自ら絃葉の首へかけた。「遠慮しなくていいのよ。娘になった記念の贈り物も、まだ用意できていなかったでしょう?このホワイトパールのネックレスは、オークションで7600万円で落札したものなの。私もずっと気に入っていたけれど、あなたに贈るわ。私からの歓迎のしるしとして受け取って。私には娘がいないけれど、今日からあなたを私の本当の娘だと思うわ。今は妊娠しているんだから、私がちゃんと世話をするから。食べたいものがあれば何でも言って。これからは潤一と一緒にお昼ごはんを作って、あなたたちのところへ届けるわ」あまりにも熱心な静代の様子に、かえって絃葉のほうが恐縮してしまった。「いえ......そこまでしてもらわなくて大丈夫です。毎日行き来するのも大変でしょう?」「まさか。私も潤一も、家にいても特にすることがないもの。これからは二人で料理を研究して、あなたと景を食事の面から支えることに専念するわ。もう二人で相談したのよ。これからは朝、一緒に起きてウォーキングをして、帰りに食材を買うの。それから家で料理を作って、あなたたちへ届ければ、お昼にちょうど間に合うでしょう?」景は二人へ近づき、その顔を交互に見比べながら疑わしそうに目を細めた。あの晩、静代が絃葉を訪ねたとき、二人の間で何か大きな出来事があったに違いない。そうでなければ、静代の態度がここまで変わるはずがなかった。今の母親は、息子である自分でさえ見違えるほ
「......?」絃葉はぼんやりとした目で顔を上げる。視界の中には、端正な顔立ちでスーツを着た若い男が立っていた。その背後には、長身で引き締まった体格の男。スーツを羽織り、帽子の影で顔は見えないが、圧倒的な存在感を放っている。――ただ者じゃない。絃葉は周囲を見回す。自分は隅にしゃがみ込んでいたつもりだったのに、気づけば駐車場の入り口にいた。「すみません......」反射的に謝って立ち上がり、道を譲ろうとしたその時、強い立ちくらみが襲い、身体がぐらりと傾いた。倒れかけた彼女を、力強い腕が素早く受け止め、そのまま抱きとめる。目を開けようとするが、激しい眩
その様子を見た野々花は、顔色をさっと強張らせ、反射的に前へ出ようとした。「それは――」「そうだ!」凪杜はまっすぐ絃葉のそばへ歩み寄り、花束とギフトボックスを彼女の手に押しつけた。「プレゼントは先に持って帰ってくれ。俺も後で帰るから」野々花はなおも何か言おうとしたが、凪杜に視線で制され、言葉を飲み込んだ。彼が明らかに彼女を早く帰らせようとしているのは、誰の目にも明らかだった。絃葉は袖の中で指をぎゅっと握りしめる。凪杜の顔を見つめ、何か言おうとしたが、結局は飲み込んだ。「......わかった。じゃあ、家で待ってるね」――会社の外。堪えていた涙がついに
車は澤木グループのビルの下で停まった。絃葉が車を降りるとすぐ、デリバリーの配達員が大きな赤いバラの花束を抱えて、慌ただしく中へ入っていくのが目に入った。その包装も、添えられたカードのデザインも、彼女には見慣れすぎていた。凪杜がいつも注文している、あの高級フラワーショップのものだ。絃葉の胸がきゅっと締めつけられ、思わず指を強く握りしめる。彼女は足早に配達員の後を追い、同じエレベーターに乗り込んだ。そしてカードに目をやると、そこには――「愛しい野々花へ、誕生日おめでとう――夫より」と書かれていた。その一文が、鋭い針のように胸を深く刺した。今日は、自分と凪杜の
西尾絃葉(にしお いとは)はスマホを握りしめ、力の入った指先がうっすらと白くなっていた。――ついに、5年もの間待ち続けた電話が来た。祖父が最も信頼する秘書の日野(ひの)からだった。「お嬢様。澤木様とのご結婚は、会長が定めた5年間の試験期間を無事に通過されました。会長のご指示により、澤木様とご一緒にご帰宅いただくことを許可いたします。また、全財産を前倒しでお嬢様に名義変更の手続きも進めております。ご都合はいかがでしょうか」「本当?!」絃葉は込み上げる歓喜を抑えきれず、声がわずかに震えた。「やった......!今日でいいから。今すぐ向かうよ!」電話を切ると、ようやく