LOGIN*** 記者会見から数ヶ月、嵐のような日々を乗り越えた先には、驚くほど穏やかで温かな日常が待っていた。 「フォトグラファーの浅野です。本日は宜しくお願い致します」 カメラバッグを背負い動きやすいラフな出で立ちの透利さんは、いつもの星空を見上げる時とは少し違う、柔らかな表情で施設に足を踏み入れた。 今日は俺の勤務先である乳児院に、仕事……撮影カメラマンとしてやって来ている。 「わー! 本物だ、おっきいカメラかっこいい~」 「みせてみせて! 私も写真撮りたい!」 ホールでおままごとをしていた子どもたちが、振り向いた先で挨拶をしていた透利さんに一斉に駆け寄る。 「透利さん、来てくれたんですね」 背中でおんぶしている赤ちゃんを優しくあやすように揺らしながら歩み寄ると、透利さんはカメラのレンズ越しに、とろけるような笑顔を向けた。 「珠依、お疲れ様」 「ごめんなさい。みんな、三日前からこんな調子で……テンションが高くて」 「謝ることじゃないよ。こんなに大歓迎されて、嬉しい以外のなにものでもない」 彼の足元では、幼稚園に通う年中・年長組の子どもたちが「それ、どうやって撮るの!」「星とか撮る人なんでしょ!」と、矢継ぎ早に質問を投げかけている。 透利さんは膝を折り、子どもたちと同じ目線まで沈み込むと、楽しそうにレンズの仕組みを教えていた。 今回の依頼は、建て替えを終えた乳児院のホームページを一新するためだ。本来は、児相と連携して身寄りのない子供たちを預かる場所。けれど、それだけでなく一時預かりや園庭解放など、地域に開かれた施設としての魅力を伝え、「可哀想な子供達が生活している場所」というマイナスイメージを少しでも払拭したい――というのが目的だ。 ホームページに載せる施設や職員紹介の写真を撮影するにあたって、会議でのカメラマン選定の話題になると、職員たちの視線が自然と俺に集まり、断りきれず透利さんに打診したところ……人を撮るのが苦手だと言っていたのにも関わらず、透利さんは二つ返事で快諾してくれた。俺が透利さんと正式なパートナーシップを結んでいることを伝えてからは、腫れ物に触るようだった雰囲気もどこか丸くなって、あたたかく受け入れてもらっている。 本来なら、透利さんの事務所では人物に関する撮影は引き受けていない。だ
本来なら翌日の昼前に帰宅するはずだった透利さんが、『今から行く』という短いメッセージを送って実家に現れたのは、夜七時を過ぎた頃だった。 突然の前倒しに、お義母さんと透花さんは「もう、あの子ったら!」と呆れ顔だったけれど、お義父さんだけは「来ると思っていたよ」と、どこか嬉しげに笑みを浮かべていた。「透利の支払いで、うな重の特上を五人前頼んでおいたぞ」 お義父さんが事もなげにそう言い放つと、お義母さんと透花さんは顔を見合わせて、またしてもお腹を抱えて大爆笑した。「まぁ、それにしても。あれだけ男前な会見なら、マスコミももうこれ以上は騒ぎ立てないでしょう」 透花さんの言葉に、帰宅して早々に同じ食卓についた透利さんは深く息を吐いた。「……弁護士と、かなり考え抜いて文面は作ったから。まぁ、最後が質疑応答で多少なりとも空気が和らいだのは、結果として良かったかな」 透利さんはお茶を一口すすると、会見の疲れがどっと出たのか、深い溜息をついた。 あの会見の後半、記者たちから「お相手の方」についての質問が飛んでいたことを思い出す。出会いや、プロポーズの言葉について――そんな少しだけ砕けた質問に対し、透利さんは「それは答えられません」と毅然と断ることもあれば、俺との初対面の印象や、俺のどこを尊敬しているのかという問いには、何の淀みもなく、心からの言葉で答えていた。「……あー、腹いっぱい。父さん、晩酌は明日の夜付き合うのでもいい?」 「構わないよ。珠依くんの晩酌がないのは寂しいがね」 お義父さんの冗談めいた返答に、透利さんは「久し振りに会う息子より気に入ってないか?」と毒づきつつも、急かすように俺の手首を引いて立ち上がった。その強引な力に、俺は少しだけたじろぐ。 部屋を出ようとすると、キッチンからデザートの柿を運んできた透花さんが、がしっと透利さんの腕を掴んで制止した。「あんた、ちょっと目が血走ってるわよ。珠依くんに無理させたら駄目だからね?」 「はぁ!? つーかそういうの、親の前で言うなよ……!」 「うるさいわねー、男子高校生みたいにソワソワしててダサいから言ってんのよ。いいから、今日はアタシが和室で寝るから。どうぞ久しぶりの再会を熱く分かち合ってね」 ウフフ、とわざとらしく微笑む透花さんに、透利さんは顔を真っ赤にして『行こう』と俺の手を引っ張り、逃
透利さんの実家にお世話になってから、五日が経過した。マスコミ各社を集めての記者会見は予定通り開かれ、その様子は複数の主要テレビ局で生放送されることになった。 透花さん、お義母さん、お義父さんと共にテレビの前のソファーに並び、俺たちは固唾をのんでその様子を見守る。『フォトグラファーの浅野氏、アウティングに関する記者会見を予定』 ――数日前からネットニュースはこの件一色で、世間の関心は想像以上に高いようだ。 SNSは極力見ないようにしていたけれど、ニュースアプリのコメント欄が瞬く間に五千件を超えていた、と透花さんが溜息まじりにボヤいていたのを思い出す。 会見予定時刻ぴったりに、黒のスーツを纏った透利さんが現れた。その背後には、弁護士らしき人物が控えている。 代理人を前に立てず、自分自身の言葉で語ることを選ぶあたり、いかにも彼らしい決断だった。『それでは只今より、浅野透利氏によるマスコミ各社へのアウティングに関する記者会見を始めます。本日、司会進行を務めさせていただきますのは……』 長机の前に座り、静かに前を見据える透利さんに、一斉に無数のフラッシュが焚かれる。 普段は星空を追いかけるためにカメラを握っているはずのパートナーが、今はカメラを向けられる側として座っている――その光景は、見ていてひどく不思議で、胸が締め付けられるような感覚だった。『本日は、ご多忙の折、わたくしのためにお時間を割いていただき、誠にありがとうございます。本来であればこのような形でお騒がせするつもりはございませんでしたが、自身の言葉で事実をお伝えしたく、本日の場を設けさせていただきました』 透利さんの落ち着いた挨拶を聞いて、隣に座る透花さんの目がすっと鋭く細められた。『今回の週刊誌による一連のアウティング行為について、私の見解を述べさせていただきます。まず、各社より届いておりました質問状につきましてですが、当初、わたくしはこれらのプライバシーに関わる事項について回答する意思はございませんでした。私という人間は公の場で活動しておりますが、自身の恋愛や、誰を愛するかということは、私人として等しく守られるべき領域であるという強い認識を持っていたためです。 また、先日の報道では「保育施設」との記載がございましたが、これについては明確に訂正させていただきます。私とパートナーシップ制
『珠依の顔も見たい。……もっとちゃんと映してよ』 透利さんのその言い方は、甘えるようでいて、どこか有無を言わせない強制力があった。 焦らすつもりなんてなかったけれど、自分の顔を直接レンズに晒すのは、いつまで経っても気恥ずかしい。 パートナーとして過ごす日々、透利さんが出張先からビデオ通話をせがむのはいつものことだ。 そしてその結末が、最終的にお互いのあられもない姿を画面越しにさらけ出すことになるのを、俺はよく知っている。(……今日は、絶対にダメだ。絶対に!) ここは透利さんの実家なのだ。一応ドアには鍵をかけているとはいえ、自分の心の中にいる理性が『今は、絶対にしてはいけない』と必死に警鐘を鳴らしていた。 そんな俺の緊張など露知らず、インカメに切り替わった俺の顔を見るなり、透利さんの意地悪な笑みが炸裂する。『……何でそんなに、顔が赤くなってるの?』 「そ、れは……ちょっと、部屋が暑いだけです」 『エアコンついてるはずだけど。ほら、入口のところにリモコンあったでしょ?』 「あっ……本当だ。ちょっとつけてきますね」 逃げるようにベッドから降り、リモコンの元へ歩みを進める。 火照る顔を冷たい空気で誤魔化そうと深く息を吐いたけれど、その不自然な動作一つで、透利さんは俺の動揺をすべて見透かしていた。『珠依……もうちょっと下、映してよ』 「だ、だめ。今日はその手には乗りませんから」 『ええっ? 何か、俺がいつも悪いことをさせてるみたいな言い方だな』 「実際、いつもそうじゃないですか。今日は絶対にダメ……」 言っているそばから、画面越しの透利さんの逞しい裸体に目を奪われる。 タオルがはらりと落ちた先、ズボンの布地がわずかに持ち上がっているのに気づき、心臓が大きく跳ねた。思わず息を呑んだ俺の様子を見て、透利さんはくくっと喉の奥で笑いを漏らす。『もしかして、ベッドの残り香だけで感じちゃった?』 「ち、ちがいます。全然平気……」 『俺は全然平気じゃない。早く会いたいし、触りたい。出張なら我慢もできるけど……今回は自分から距離を置く選択をしたせいかな。一日会えないだけで、すげー欲求不満だよ』 ストレートすぎる言葉にたじろぎ、慌ててスマホのボリュームを下げた。 廊下を挟んだ向こうには透花さんの部屋があるのだ。音漏れには細心の注意を払わなけれ
「私たちはね、珠依くんにそんなふうに遠慮させるために、わざわざここに呼んだわけじゃないわ」 頭を垂れる俺の肩に、お義母さんがそっと手を添えてくれる。 その瞳には、これまでの苦悩を察するような切なさと、それ以上に深く包み込むような温かな慈愛が宿っていた。 「大事な息子が選んだパートナーが、心ない人たちにさらし者にされて、黙って指をくわえて見ているなんて……そんなこと、親としてできるわけがないでしょう? 今はまず、私たちができることとして、珠依くんが心から落ち着ける日々を過ごさせてあげたいの。お仕事のほうは、ちゃんと休みの手配はついているのかしら?」 「は、はい……。今まで年休をあまり使っていなかったので、残りをすべて消化するということで施設長とも話がついています」 「なら安心ね。万が一、ここまでパパラッチが嗅ぎつけてきたとしても、門のところで父さんがしっかり追い払うから。なんならアタシだって、熊手やシャベルを片手に、庭の番人として追い払ってあげるわよ!」 「母さん、それはさすがに野蛮すぎるわよ」 透花さんが苦笑して宥める横で、お義母さんは膝の上で小さく拳を握りしめている。 その姿には、透利さんと俺を守ろうとする強固な意志が表れていた。 「だって、許せないんだもの。こんなに痩せちゃって……! もう、本当に透利も透利だわ。『珠依くんを必ず守る』って、あんなに真っ直ぐな顔で私たちに誓ったくせに!」 お義母さんの溢れる憤りを聞き、胸が熱くなるのを抑えられない。 そんな中、向かいに座るお義父さんが、ふと穏やかな視線を俺に向けてきた。目が合うと、深々と目尻を下げて優しく微笑まれる。 「私も同じ気持ちだよ。記者がうろつくようなら、ホースで水を撒いて追い返してやろうかと思っていたんだ」 「ちょっと、父さんまで何言ってるのよ……。そんなことしたら、『過激な実父』なんて書かれてニュースになっちゃうわよ」 透花さんの二度目のツッコミにも、お義父さんはいたって真剣な表情を崩さない。 「異常だって? なんとでも言えばいいさ。守りたいもののために汚名を着るくらい、親なら当然の覚悟だ。世間がどんなに息子たちの幸せを面白おかしく書き立てたとしても、ここには変わらない生活と、家族の愛がある」 お義父さんは胸ポケットから一枚の紙をスッと取り出し、俺と透花
あの後、俺は周囲の喧騒を避けるように、透利さんの実家へと身を寄せることになった。 これからの一週間、慣れない環境に身を置くことへの緊張で、自然と顔が強張ってしまう。「珠依くん、お待たせ。さぁさぁ、早く乗って」 ちょうど長期休暇中だった透花さんが迎えに現れたのは、真っ赤な外車のオープンカーだった。 初夏の風を切るエンジン音が、閑静な住宅街でひときわ異彩を放っている。パパラッチの影に怯え、じめじめと湿っぽく沈んでいた俺の気分を吹き飛ばすように、透花さんは「アタシは何を書かれたって平気よ」と快活に笑い、アクセルを軽く煽った。「うわっ、透花さん、スピード!」 「大丈夫大丈夫、法定速度はちゃんと守ってるから! あっ、でもシートベルトはしっかり締めておいてね? あたし、トロトロ走る車はガンガン追い越していくタイプだから」 「う、あ、はいっ……宜しくお願いします」 俺が命を預ける思いでいつもより数段強くシートベルトを締め直すと、透花さんはサングラスの奥でいたずらっぽく目を細める。蛇行するように細い道を抜け、パパラッチの追跡を撒くように何度も鋭いハンドル操作を繰り返してから、高速道路の流入路へと一気に躍り出た。***「珠依くん、久しぶり。長距離移動でお疲れでしょう? さあ、ゆっくりしてね」 目的地に到着すると、玄関先にはお義母さんとお義父さんが温かな笑顔で待っていた。 久方ぶりの再会に、強張っていた胸の奥がふわりと緩む。車を降りて改めて見上げた透利さんの実家は、俺の想像を遥かに超えた邸宅だった。(……これ、本当に家、なのか……?) 重厚な門構えからして、俺の知る「一般家庭」の定義とは一線を画している。 整備された庭園の奥には、周囲の景観を圧倒するような、広大な平屋の屋根が横たわっていた。 ぽかんと開いてしまいそうな口を必死に閉じ、圧倒されるような思いでその佇まいを見つめ続けた。「こっちが透利の部屋よ。帰省のたびに片付けはしていたみたいだから、珠依くんの個室として使ってね。記者会見が終わったら、透利もこちらに戻ってくる予定だし……アイツが来る前に、こっそり卒業アルバムでもチェックしておいたら?」 透花さんにそう茶化されると、俺は「そんな!」と慌てて手を振って否定する。 けれど、内側では好奇心が疼いていた。学生時代の透利さん。知らない頃の彼を、
(いや、でも……流石にもう、俺のことなんて気にしてないか……) 世界を股にかけるフォトグラファーにとって、道端でぶつかった「人形を抱いた不審な男」なんて、有給休暇中に起きた一時の災難に過ぎないはずだ。 そう自分に言い聞かせ、少しだけ重くなった胸を落ち着かせるように、再びプレオールに手を伸ばした。 白地に青で車が描かれたのと、淡いグレーの動物柄。見てるだけで、心が癒されるようなデザインの筈――なのに。(……テレビで見ました、なんて言ったら有名人だから連絡したって思われそうだし。……うん、忘れよう、忘れるべきだ) ソファーに置いたままの霞くんを見やり、俺は「この子」のために買い揃えた数
「……あ、あそこのマンションです。エントランスまでで大丈夫ですので」 指し示した先は、かつて早霧と選んだ、日当たりのいいマンション。「あそこですね。了解です」 浅野さんは軽快に頷くと、歩調を俺の痛む足に合わせてゆっくりと刻んでくれる。 早霧が出ていってから、この道はいつも一人だった。 冷たい風に吹かれ、孤独に耐えながら、ただ消えてしまいたいと願って歩く道だった。 けれど今、隣に他人の体温がある。 人形を抱く自分を「気持ち悪くない」と言い切り、片方だけの靴下を全力で届けてくれた、お人好しすぎる赤の他人の体温が。 エントランスに辿り着き、彼から重い荷物を受け取る。「本当に、助か
「あ……」 彼を見ると、そこには軽蔑も、気味悪がる色もなかった。 ただ、大切なものを届けに来た、ということを伝えてくれるような穏やかな表情。「ありがとう、ございます……」「いえ。靴下って、片方なくなっちゃうと結局買い直しになっちゃいますもんね」 はは、と至って普通の調子で笑う浅野さん。その屈託のなさを前に、俺は自嘲を隠せないまま、消え入りそうな声で問いかけた。「……気持ち悪くないんですか? 俺のこと」「え、どうしてですか?」 浅野さんは、本気で心当たりがないという風に首を傾げた。「どうしてって――客観的に見て、おかしいでしょう。大の男が、抱っこひもをして、中に人形を入れて歩
「……あの。俺、絆創膏は持ってるんで。せめて手当だけでもさせてもらえませんか? そこのベンチでいいので」 彼は桜の木の傍らにある古びた木のベンチを指差した。断る上手い口実も見つからず、俺は促されるまま、自転車を押して歩く彼と並んで腰を下ろした。「じ、自転車……キズとか大丈夫ですか? 俺がちゃんと前を見てなかったせいで、本当にすみません」 弁償とかしなきゃいけないかも、とチラリとその高そうな細いフレームの自転車を見やる。 けれど、男性は首を左右に振って否定した。「何言ってるんですか。自転車なんてどうにでもなりますけど、命に替えはきかないですよ」 困ったように眉を下げて笑うと、彼は近