Masukその言葉を聞き、雪美はついに感情を露わにした。「あの女のことは、もう二度と口にしないでちょうだい!あの人はあなたのことなんか、これっぽっちも大切に思っていなかったのよ!本当の愛情で接してなんかいなかったの!あなたが大怪我をして死にかけていたとき、血液型が合っているのに、あの女は頑としてあなたへの輸血を断ったのよ!あんな自分勝手で嘘だらけの恐ろしい女には、これから絶対に近づいちゃいけません!絶対に許しませんからね!」「母さん、瞳真はさっきやっと目を覚ましたばかりです。少し静かにしてもらえませんか」蒼真が、苛立ちを隠しきれない声で鋭く口を挟んだ。「パパ……おばあちゃんの言ってること……本当のことなの?」瞳真は大きな瞳をうるうると揺らした。今にも泣き出してしまいそうだった。「雫……本当に、僕を見捨てたの?そんな……だって、雫は……誰よりも僕に一番優しくしてくれてたのに……」「瞳真、お前にはママがいるじゃないか」蒼真は静かに、しかし言い含めるようにしっかりと言った。「お前が倒れたと聞いて、ママは真っ先に病院へ駆けつけてくれたんだ。自分の体が決して丈夫じゃないのに、それでもお前のために輸血しようとしてくれた。ママは、本当にお前のことを心配しているし、誰よりも深く愛しているんだ。お前は、パパとママにこれだけ愛されている。それで十分だろう」瞳真は、しばらく黙り込んだ。蒼真の言葉の奥に隠された本当の意味は、幼い瞳真にも痛いほどよくわかった。つまり、おばあちゃんの言ったことは、すべて紛れもない真実だということだ。大好きだった雫は、いざというときに、本当に自分を見捨てたのだ。「うわあああああ……!」瞳真は耐えきれずに声を上げて泣き崩れ、しゃくりあげながら悲痛な声で叫んだ。「うわーん!ママ……ママに会いたいよ!パパ、今すぐママをここに連れてきて!」その幼い叫び声が耳に刺さり、蒼真の胸にずきりと耐えがたい痛みが走った。それは決して浅い傷などではなく、全身の神経を切り裂くように深く響いた。……一方、彩葉のターナルテック新会長就任を祝おうと、翔吾が西月の個室を借り切って、身内だけの小さな食事会を開こうと提案していた。だが彩葉は、翔吾の肩の傷を深く案じて、場所を自分の自宅に変え、自ら手料理を振る舞うと強く主張して
翌日。孝俊の電撃的な逮捕と、彩葉のターナルテック新会長就任のニュースは、瞬く間に北都中を駆け巡った。病院の病室で、重傷を負った息子の目覚めを待ち続けていた蒼真の耳にも、当然その衝撃的な報せが届いた。胸の奥底から込み上げてくる感情は、到底言葉にはならないほど複雑だった。自分と一緒に暮らしていたころの彩葉は、ただ黙々と料理を作り、子どもの世話をする以外には何もできない、どこにでもいる「つまらない退屈な女」のようにしか見えていなかった。それなのに、自分の傍を離れ、翔吾と関わり始めてからの彼女は、まるで鳥籠から解き放たれた鳥のように、どこまでも遠い空へと飛んでいってしまった。彩葉に類まれな才能があったのは確かだ。だが、それだけではない。翔吾という男が、彼女の後ろでずっと支え続けてきたことも、紛れもない事実だった。「社長!奥様、すごすぎますよ!こんなにお若くして、堂々の会長就任です。社長だって、まだグループの会長にはなられていないのに!」ニュースを聞きつけた颯は、無邪気に手を叩いて喜んだ。蒼真の顔が、一瞬にして険しく凍りついた。「気の利いたことが言えないなら、二度と口をきくな」「す、すみません……!でも、奥様が優秀なのは確かですが、やっぱり社長にはかないませんよ!奥様は会長とはいえ、ターナルテックはまだまだ小さな会社ですし、氷室グループ社長の足元にも及びませんよ……」蒼真はギリッと奥歯を強く噛み締めた。「……出て行け」颯はぺろりと舌を出し、そそくさと病室から立ち去ろうとした――が、蒼真が低く呼び止めた。「花を買ってきてくれ。彩葉に届けてやってくれ」颯は一瞬きょとんとした後、顔をぱっと明るく輝かせた。内心で小躍りして飛び上がるほどの思いだった。結婚していた五年間、蒼真は彩葉にプレゼント一つ贈ったことがなかったのだ。ついに、この強情な社長も目が覚めたのだ!「わかりました!何の花がよろしいですか?」颯はまるで自分自身がプロポーズするかのように興奮して尋ねた。蒼真は、ベッドで眠る青白い瞳真の顔をじっと見つめたまま、しばらく黙り込み、やがて少しかすれた声で答えた。「赤いバラで、頼む」颯は弾むような足取りで病室を出ていった。それと入れ替わるようにして、雄平に体を支えられながら雪美が重い足取りで入っ
一瞬、取締役たちが困惑したように互いの顔を見合わせた。すると、一人の取締役が翔吾に向けてあからさまに媚びた笑みを浮かべ、真っ先に口を開いた。「まったくです!これほどの不祥事があった以上、すぐにでも強力なリーダーに舵取りをしていただかなければなりません。この場にいる皆の意見をまとめるとすれば……北川さん、あなた以外にこの会社を率いる適任はいません!」周囲の取締役たちも、すかさずその言葉に同調した。「そうそう!北川さんが新会長に就任されるのが、文句なしに適任ですとも!」彩葉は静かに、しかし揺るぎない表情でそのやり取りに耳を傾けていた。異論はなかった。権力に対する野心など、もとから彩葉の胸には微塵も存在しなかった。自分がどれほど高い地位に就くかよりも、ただ純粋に研究開発に打ち込んで、母が生きていたころのターナルテックの輝きをもう一度取り戻したい――彼女の願いは、ただそれだけだったのだ。孝俊が真っ当に会社を経営していてくれたなら、こんな泥沼の権力闘争には最初から加わりたくなどなかった。それが彼女の偽らざる本音だった。だからこそ、皆がこぞって翔吾を推しても、彩葉の心は少しも揺れ動かなかった。今のターナルテックには、強力で優秀な経営者が必要だ。ただ、それだけのことなのだから。「皆さんのご支持とご厚意には、心より感謝いたします。ですが、俺の中にはすでに、この会社を率いる『より適任な人物』がいます」翔吾はゆっくりと視線を動かした。力強く、熱を帯びた眼差しが、彩葉の清らかな横顔へとまっすぐに注がれた。「俺は氷室彩葉さんを、ターナルテックの新会長として推薦します」その言葉に、その場にいた一同は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。……二十五、六歳の小娘を会長に、だと?自分たちのような、何十年もビジネスの荒波をくぐり抜けてきた百戦錬磨の古参たちの上に立たせるというのか。この場にいる誰一人として、そんな提案を素直に受け入れられるはずがなかった。彩葉自身も、驚きで目を大きく見開いた。心臓がどくどくと激しく鳴り、体中を熱い血が駆け巡っていく。「しかし……彩葉さんは、いくらなんでもまだお若すぎます。もう少し、現場で経験を積まれてからでも遅くは……」「その通りです。まずは役員として二、三年ほど経営を学ん
病院を出た彩葉は、休む間もなくすぐにターナルテックへと向かった。会社の入口に近づいたところで、彩葉はその異様な光景に思わず息を呑んだ。会社の正面玄関を、カメラを構えたマスコミの記者たちが幾重にも取り囲んでいる。彩葉は慌てて翔吾に電話をかけた。呼び出し音が鳴り始めたまさにその瞬間――彩葉はぱっと目を見開いた。孝俊と高橋が、屈強な警察官に両脇を固められるようにして玄関から引き出されてきたのだ。二人ともすっかり生気を失って頭を垂れ、その手首には手錠がかけられていた。血の匂いを嗅ぎつけた飢えたサメのように、記者たちが一斉に押し寄せ、無数のフラッシュが焚かれる。警官たちでさえ身動きが取れなくなるほどの凄まじい熱気だった。それでも二人はなんとか警察車両に押し込まれ、けたたましいサイレンを鳴らしながら走り去っていった。彩葉はしばらくの間、目を丸くしたままその場に立ち尽くした。朝から、まだ三、四時間しか経っていないというのに。いったい、そのわずかな間に何が起きたというのだろう。そのとき、温かく大きな手のひらが、そっと彩葉の肩に置かれた。「翔吾さん?」振り返ると、翔吾がいたずらっぽく人差し指を伸ばし、彩葉の頰のえくぼをちょんと優しくつついた。彩葉は一瞬きょとんとした後、嬉しそうに目を細めてふわりと笑顔を咲かせた。「なんで俺だってわかった?」翔吾は両腕を広げて彩葉の細い腰に回し、そっと自分の胸元へと引き寄せた。「感じたの。あなただって」彩葉は白い顔を上向け、二人の甘い視線が静かに交わった。「瀬川孝俊は、どうして逮捕されたの?」「贈収賄、密輸、巨額の横領――複数の重い罪状だ。あの飼い犬のような秘書は、殺人教唆にも加担していたからな。三好にすべての決定的な証拠を整理させて、まとめて警察に突きつけてやった。連中の資産はすでに全部凍結されたから、まともな弁護士を雇う金すら残っていないだろう」彩葉は胸の中でひとつ、深くため息をついた。この人は、本当に底知れず強い。この人の前でなら、ずっと着込んでいた重い鎧を脱ぎ捨てて、やわらかい本来の自分のままでいられる気がした。誰かに大切にされ、守られる――そういう普通の女でいてもいいのだと、心から思えた。「肩、まだ痛いでしょう?」彩葉は彼の傷を思い出し、心配そうに
雫は顔を伏せ、視線をせわしなく泳がせながら、壁に立てた爪で塗装が剥げ落ちんばかりに強く引っ掻いていた。瞳真に血を提供するなんてできるわけがない。そもそも自分の血液型は、Rh陰性ですらないのだから。「もういい」蒼真は、それ以上雫を責め立てるのをやめた。だがその目には、そして心には――底知れぬ深い失望だけが色濃く残っていた。「はっ……やっと本性がわかったわ」雪美は怒りと焦りのあまり、雫への態度を豹変させた。完全に愛想を尽かした、冷酷な声で言い放つ。「日ごろの瞳真への優しさは、全部薄っぺらい演技だったのね。私たち親子の機嫌を取っていただけ。いざとなれば、こうして冷たい本性が出るってことね。そうよね、瞳真はあなたがお腹を痛めて産んだ子じゃないもの。心から大事になんてできるはずないわよね」雫は慌てて首を振った。「ち、違うんです、だって……!」「届いた!血液が届きました!」別の医師が、慌ただしい足音とともに駆け込んできた。手には厳重な保冷ケースを提げている。「適合する血液パックが届きました!」その場にいた全員が、ぱっと顔を上げた。蒼真と彩葉は、同時に深く息を吐き出した。雪美に至っては震える両手を合わせ、「ああ、ありがとうございます……!」と何度も繰り返し呟いた。看護師がすぐに医師に尋ねた。「一体どこから調達してきたんですか?」「北都第一病院の森田先生が手配してくださって、ヘリで緊急輸送されてきたんです!」「森田」の名前を聞いた瞬間、彩葉の胸の奥にじんわりとした温もりが広がった。きっと翔吾がすぐに知らせを受け、裏で蒼唯に連絡を取って動いてくれたのだ。だからこそ、こんなにも信じられない早さで血液パックが届いた――それは彩葉にはっきりとわかった。血液パックが処置室へと運び込まれていく。蒼真は目を固く閉じ、静かに祈りを捧げた。瞳真がこの危機を無事に乗り越えてくれるように、と。雫は心の中で、激しく舌打ちをして後悔した。どうせこうして血液パックが届くのなら、さっきの場面では「やってみます」と健気に答えておけばよかったのだ。あの拒絶のせいで蒼真をひどくがっかりさせてしまったし、雪美との関係にも決定的なヒビが入ってしまった――だが、今さら後悔しても遅かった。それからさらに一時間ほどという永遠のよ
その場にいた全員の視線が、一斉に彩葉へと向けられた。次の瞬間、氷室グループの社員たちが揃って深々とお辞儀をした。「奥様、お待ちしておりました!」彩葉は思わず一歩、後ずさりした。その表情や瞳には、明らかな戸惑いと拒絶の色が滲んでいた。雫は、彩葉が「奥様」として恭しく迎えられる光景を目の当たりにし、顔にどす黒い憎しみと怨嗟を浮かべた。その嫉妬に狂った視線は、鋭い刃のように彩葉へと突き刺さる。「彩葉……」蒼真は彼女の姿を目に捉えた瞬間、暗く沈んでいた瞳にわずかな生気が宿った。凍てついていた心の中に、かすかな温もりがぽっと灯る。やはり瞳真のことが心配で駆けつけてくれたのだ。普段は憎まれ口を叩いていても、その奥にはやわらかく優しい心を持っている。蒼真はすっと立ち上がると、すがりつこうとする雫をためらいもなく振り払った。「蒼真さん、ちょっと……」雫は手を宙に浮かせたまま、ひどくきまりの悪い思いをした。蒼真が彩葉のほうへ歩み寄ろうとしたまさにそのとき、雪美が泣き崩れながら近づいてきた。「瞳真!私の大事な、大事な瞳真が!どうしてこんなことに!?」「……母さん、落ち着いてください」蒼真は結局、母親のほうへ歩み寄り、崩れ落ちそうなその体をしっかりと支えた。「なんでこんなことが起きたの!?なんで突然、事故なんかに!」雪美は泣き叫びながら、蒼真の腕を激しく揺さぶった。「瞳真は今、どんな状態なの!?」蒼真は苦しげに目を伏せ、暗く沈んだ声で答えた。「まだ、危険な状態が続いています」雪美は目の前が真っ暗になった。蒼真が支えていなければ、そのまま床に崩れ落ちていたところだった。「どうか落ち着いてください。お体に障りますわ!」雫も慌てて擦り寄り、蒼真の隣に立った。まるで自分こそがこの家の正式な女主人であるかのように。「落ち着けって言うの!?可愛い孫の命が危ないというのに、どうして落ち着いていられるの!」雪美は雫に向かってヒステリックに怒鳴りつけた。雫はきつく唇を噛み締めた。そのとき、処置室の重い扉が開き、手術着を血で汚した看護師が形相を変えて飛び出してきた。「出血過多です!稀少な血液型なのですが、病院の在庫が底をついてしまっています!どなたか、Rh陰性の方はいらっしゃいませんか!」「私です!」
総一郎は激しく驚いた。だが、おそらく彩葉の言葉があまりに真摯だったからだろう、彼はこの大それた夢を語る娘を嘲笑せず、むしろ真剣に言った。「お気持ちは理解できます。しかしCEOというのは、一時的な情熱や理想だけでできるものではない。あなたは技術がわかりますか?経営がわかりますか?仮にわかったとしても、瀬川社長が支配的な株式を持っている。我々は皆、彼に従わなければならない。彼があなたを阻めば、あなたの考えは全て空想に終わります」「もし私が、彼と対抗できる資本を持っていると言ったら、牧野さん、母に免じて、私に力を貸していただけますか?」「株式を持っているのか?」彩葉は紅い唇を
一同が驚きの声を上げた!彩葉は、彼らに次から次へと衝撃を与える。そして孝俊は、脳天を殴られたような衝撃を受けた。高橋が慌てて駆け寄り、その株式保有契約書を手に取って孝俊の元へ戻り、彼の前に広げる。紛れもない、本物の契約書だ。孝俊の目の前が、また真っ暗になった。樹は唇の端を僅かに上げ、ゆっくりと口を開いた。「彩葉の弁護士として、明確に申し上げます。この株式保有契約書は法的効力を有します。瀬川社長が信じられないなら、社内の法務部の方々を呼んで、その場で検証していただいても構いません」ここまで言われて、嘘であるはずがない。孝俊は彩葉を睨みつけた。その鋭い視線に、隠しき
「西園寺先生が、ターナルテックの法律顧問に……!?」会議室に、衝撃が波紋のように広がった。誰もが信じがたいといった様子で、呆然と顔を見合わせている。西園寺樹といえば、あの氷室グループ本隊の顧問を務めても何ら遜色ない男だ。それほどの怪物が、こんな斜陽の弱小企業に降臨するなど――自らのキャリアに泥を塗るも同然の暴挙ではないか。「彩葉、経営のいろはも知らんとは思っていたが、まさかここまで世間知らずとはな!」孝俊が、勝ち誇ったように嘲笑を浴びせた。「西園寺先生の実力は、我々も高く評価している。だがな、国内トップクラスの弁護士を招くコストがどれほどか、そのおめでたい頭で考えたことがあ
夜は深く、静まり返っている。彩葉はベッドに横たわり、孝俊が蒼真に保釈されてターナルテックに戻ったことを考えていた。これから叔父とどんな対立が待っているのか、不安もあり、期待もあった。眠気は全くなく、寝返りを打ち続けた。その時、枕元のスマホが震えた。彩葉は手探りで取り上げる。画面に表示された「パンパン」の文字。こんな遅い時間に、この子が電話をかけてくるなんて。何か起きたのだろうか?彩葉の胸が締め付けられ、慌てて飛び起きて電話に出た。まるで電話をかけてきたのが実の息子であるかのように、一秒たりとも無駄にできない。「パンパン、どうしたの?何か手伝えることが?」「い







