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第3話

Auteur: 詩音
たとえ今のような結末になると分かっていたとしても、あの時の彼女はやはり和也のプロポーズを受け入れただろう。

雨子は病院で一週間を過ごした。

麻酔が切れた夜に、傷の痛みで眠れず、冷や汗が患者衣を濡らした。

春海は和也に何度も電話をかけたが、返ってくるのはいつも話し中の音だけだった。

【離婚しよう】

雨子が彼に送ったのは、その一通のメッセージだけ。

二日、三日……

そのメッセージはまるで深海に沈んだ石のように、波紋ひとつ起こさなかった。

心の底では彼がどんな人間か、とっくに分かっていた。それなのに、この徹底した無視を前に、胸の奥にしまい込んでいた、自分さえ認めたがらないかすかな期待までもが、静かに消えていった。

雨子は自嘲的に苦笑した。冷たい石は、いくら抱きしめて温めようとしても、結局は温まらない――今さらそう悟るのだ。

退院の日、春海は出張で不在だった。

雨子が待っていた和也は現れず、代わりに病室に入ってきたのは美月だった。

美月はきれいに包装された果物バスケットを抱え、無邪気な笑顔を見せた。

「雨子さん、ごめんね。この数日、なんだか気分がふさぎ込んでて……お兄ちゃんがずっと家で付き添ってくれてたから、お見舞いに来られなかったの」

雨子は静かに彼女を見つめた。手を伸ばすことも、言葉を返すこともしなかった。

美月の笑顔は崩れないまま、一歩踏み出してきた。瞳の奥が鋭く光り、声を潜める。

「なんでよ……どうしてあなただけがそんなに幸せなの?どうして私の全てを奪ったの?」

雨子には、その瞳に宿る憎しみの理由が理解できなかった。ただ、反射的に距離を取った。

「何を言っているのか分からない。あなたの全てを奪ったって、どういう意味?」

美月はそれ以上何も言わず、強引に果物バスケットを雨子の胸元に押しつけると、再び無邪気な笑顔を浮かべた。

「雨子さん、ゆっくり傷を治してね。じゃね!」

果物バスケットは思ったより重く、雨子がそれをテーブルに置こうとした瞬間、手首に鋭い痛みが走った。

視線を落とすと、鮮やかな色の、ぬめりとした蛇が、いつの間にか果物バスケットの隙間から現れ、今まさに彼女の腕にがみっと食らいついていた!

「きゃあああああ!!!!」

激痛と恐怖が一気に彼女を呑み込む。

美月は病室の入り口に立ち、雨子が後ろへ崩れ落ちる様子を満足げに見届けた。

その口元に、一見無邪気な笑みが浮かんでいたが、その裏には冷たい残酷さが潜んでいる。

「死ねえ!」

軽く吐き捨てるようなその一言のあと、彼女はドアを閉めた。床に倒れた雨子は、そのまま意識を失った。

次に目を覚ましたのは、三日後のことだ。

雨子は重たいまぶたをゆっくりと上げた。ぼんやりと見えてきたのは、病室のまばゆいほど白い天井だった。

身体にはいくつものチューブが取り付けられ、機械が規則的にピッ、ピッと音を立てている。

首を少しだけ傾けると、ベッドのそばの椅子に和也が座っている。

彼女の目が開くのを見て、彼は表情ひとつ変えず、いつものように静かで冷ややかな調子で言った。

「目が覚めたか」

その声が一瞬途切れ、かすかに察知できるほどの罪悪感が滲む。

「すまない。美月から目を離してしまった。あの子は離婚してからずっと情緒が不安定で……お前のせいで俺が彼女を見捨てると思い込んで、蛇で脅かしたんだろう。気にするな、ただの悪ふざけだった。

医者によると、もう命に別状はないそうだ。ICUであと少し様子を見たら、一般病棟に移っていいって」

――悪ふざけ?

雨子は病床に横たわったまま、全身が氷のように冷え切っている。指先さえ動かせない。

心が真冬の川の底へ沈められ、ゆっくりと、深く深く落ちてゆく。

命をも奪いかねない毒蛇の事件が、彼にとっては妹の気まぐれな悪戯でしかないとは。

これまでの努力も、我慢も、そして今にも消えそうなこの命も――一体、何のためのものだったのだろう。

雨子は口を開いた。声はひどく掠れている。「この件、どうするつもり?警察に通報する?それとも内々で処分する?」

和也はわずかに眉をひそめ、声の調子を低く落とした。「警察を呼ぶほどのことじゃないだろう。美月はもう自分の過ちを認めている。家族同士なんだから、そんな些細なことで大げさに騒ぐこともないじゃないか。なにより、お前ももう無事なんだろう?」

信じられないという思いで、雨子は彼を見つめた。和也の冷たい瞳の奥に、わずかな苛立ちが垣間見えた。

命が危うかったというのに、彼の目には、彼女がただ些細なことにこだわっているようにしか映っていない。

涙が、何の前触れもなくあふれ出し、視界をぼやけさせた。

何か言おうとした瞬間、胸の奥から激しい咳が込み上げ、喉の奥に鉄の味がした。

黒ずんだ血が口からあふれ、真っ白なシーツに飛び散った。その光景があまりにも衝撃的で、和也は思わず息を呑んだ。

目に初めて動揺の色が走り、彼は勢いよく立ち上がってナースコールを押した。「先生!」

白衣の一団が慌ただしく駆け込み、雨子の病床を取り囲んだ。

救急処置は三時間以上も続き、ようやく主治医が疲れ切った様子で扉の向こうから現れた。外で待っていた和也に向かって、医師は言った。

「秦野さん、奥さんの体内にはまだ毒が完全には抜けていません。ですから、極力平静を保つことが大切です。興奮されると毒が回りやすくなりますので、どうかご注意ください」

和也はその後も二日間、病室に付き添い続けた。

雨子が再び意識を取り戻したとき、目に入ったのは病床のそばに座る彼の姿だった。

彼女が目を開けるのを見るなり、和也はすぐに身を乗り出し、点滴の針が刺さっていない方の手をそっと握った。掌は温かく、その動きは驚くほど優しい。

「すまなかった」低く落ち着いた声が響く。「今回は俺の不注意だ。ゆっくり安静にして。必ず償うから」

雨子はこれ以上感情を高ぶらせまいと、呼吸さえも静かに整えた。

それでも、涙が一筋目尻からこぼれ、冷たい頬を伝って髪に消えていった。

雨子は思ってもみなかった。本当に、想像すらしていなかった。

和也の妹に命を奪われそうになり、今もかすかな息を続ける私。それでも彼は、まるで施しのように、ようやく少しだけ傍にいてくれる。

けれど、彼が「そばにいる」のは、果たして私のためなの。それとも単に私をなだめるだけなの。

あるいは、私が自分の目から離れたら、すぐさま警察に通報して美月を刑務所に送り込まれるのではないかと、ただそれを恐れているだけなのね。
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