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第168話

Author: 玉酒
そう言い捨てると、彼は踵を返してそのまま駆け出していった。

柳本安里(やなぎもと あんり)は絶句した。

背筋がぞっとし、他の人々の表情を見る勇気もなく、その場で穴があれば入りたい心地だった。

「申し訳ありません」一瞬の気まずさのあと、安里はすぐに振り返り、誠に向かって頭を下げた。「弟が……その……」

「構わん」誠は大きく手を振った。「まずは立ち話せず、座って話そう」

安里は慌てて礼を言い、残っている席を探した。空いているのは鳴海の隣だけ。

その顔に視線が触れた瞬間、彼女の目が大きく見開かれ、信じがたい驚愕が瞳にあふれた。

同じく鳴海も、だらけた姿勢を正し、翔太の肩に置いていた手を引っ込めてしまった。

指で安里を指しながら、「お、お、おまえ……」と言うばかりで、まともな言葉にならない。

誠は怪訝に眉をひそめた。「お前たち、どうした?」

「この縁談は無理だ!」

思いがけず鳴海が立ち上がり、耳まで赤くしながら個室を飛び出していった。

ずっと傍観していた美穂には、その後ろ姿がまるで逃げ出すように見えて仕方なかった。

鳴海の襟元の口紅の跡、そして安里が入室する直前の仕草を思い出し、胸の中である推測が芽生えた。

だがそれは他人の家庭のこと、自分には関わりのない話だった。

華子も由美子も口を出す気はなく、安里に座るよう促しただけ。

一方、誠は腹を立て、自分の息子に電話をかけに出て行った。

長い間待った後、やがて人が揃ったところで、ようやく宴席が始まった。

年長者がいることを考慮し、料理はどれもあっさりしたものばかり。

その中で、特に華子の気に入ったのは醤油味の鶏手羽だった。

ただ、骨付きの料理は食べにくい。

美穂はそれに気づくと、さりげなくウェイターに食器を追加してもらい、手際よく骨を外して華子に差し出した。

「そんなことまでできるの?」妊娠して食欲が増している遥は、本当は年長者の手前控えようと思っていたが、どうしても止められず、食べながら美穂に話しかけた。「私は無理ね。でも、軟骨をしゃぶるのってすごく美味しいのよ」

美穂は箸で骨と肉を器用に分けながら答えた。「習ったことがあるから、少しは」

「旦那さんのために?」

不意を突かれるような問いだった。

美穂の手が一瞬止まり、口を閉ざした。

遥は敏感だった。美穂の器にあまり料理が入
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Comments (1)
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カナリア
分かりにくい 鳴海が拗らせてるってこと?
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