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義母からの呼び出し

作者: 影畑凛星
last update 公開日: 2026-04-14 18:05:40

熱が完全に下がった翌日の午後、唯のスマホに一本の電話がかかってきた。

画面に表示された名前を見て、唯の背筋が自然と伸びた。

黒崎 麗子——涼の母親だった。

「唯さん? 今、時間はあるかしら」

麗子の声はいつも通り、優しさのかけらもない冷たい響きだった。

唯は慌てて姿勢を正し、明るい声を作った。

「はい、お義母様。お呼びでしょうか」

「今日の三時、いつもの銀座のホテルラウンジに来てちょうだい。少し話があるの」

拒否などできるはずもなかった。

唯は「わかりました」と答え、電話を切った後、深く息を吐いた。

義母に呼び出されるたび、いつも胃が重くなる。

三時きっかりに指定されたラウンジに着くと、麗子はすでに窓際の席に座っていた。

上品なグレーのスーツに身を包み、背筋をぴんと伸ばした姿勢は、まるで唯を値踏みする審査官のようだった。

「お待たせして申し訳ありません」

唯が頭を下げて席に着くと、麗子はコーヒーカップを置いて、冷ややかな視線を向けた。

「唯さん、あなた、最近どうなの?」

「え……?」

「涼から聞いたわよ。昨日は熱を出して寝込んでいたそうね。妻がそんなに弱くてどうするの。黒崎の人間は、多少の体調不良で人を煩わせるものではないわ」

唯は唇を軽く噛んだ。

涼が母親に話していたとは思わなかった。

それも「煩わせた」という表現で。

「申し訳ありません。もう大丈夫です」

麗子は小さく鼻を鳴らした。

「大丈夫であってほしいわね。うちの家にふさわしい妻として、ちゃんと振る舞いなさい。涼は忙しい身よ。あなたが体調を崩してまで迷惑をかけるなんて、言語道断だわ。家の中を完璧に整え、夫の負担を一切減らす。それがあなたの役割でしょう?」

言葉の一つ一つが、唯の胸に冷たい棘のように刺さった。

唯はテーブルの下で膝の上で手を強く握りしめ、我慢強く頭を下げた。

「……はい。お義母様のおっしゃる通りです。今後、気をつけます」

麗子は満足げに頷きながらも、追い打ちをかけるように続けた。

「それから、笑顔が足りないわよ。外ではいつも完璧な黒崎の妻でいなさい。あなたのその、どこか頼りない雰囲気は、うちの家にふさわしくない。もっと背筋を伸ばして、堂々としなさい。涼があなたを選んだのは、ただ『問題ない』と思ったから。それ以上を期待されては困るのよ」

唯は指先が白くなるほど、指に力を込めた。

「問題ない」——あのプロポーズの言葉が、また蘇ってきた。

唯は涙がこみ上げてくるのを必死に堪え、静かに微笑んだ。

「ご忠告、ありがとうございます。肝に銘じます」

ラウンジを出た後、唯はタクシーの中で窓に額を押しつけた。

胸が苦しくて、息がうまくできない。

義母の冷たい言葉が、頭の中で何度も繰り返される。

家に帰ると、唯はすぐにキッチンへ立ち、夕食の準備を始めた。

体はまだ少しだるかったが、休んでいる暇などない。

「完璧にしなければ」と自分を急かしながら、涼の好みの煮物を丁寧に作った。

夜九時過ぎ、珍しく涼が少し早く帰宅した。

唯はホッとして笑顔で迎えた。

「おかえりなさい、涼さん。今日は少し早かったんですね」

「ああ」

涼はコートを脱ぎながら、唯の顔を一瞥した。

唯は勇気を出して、今日の出来事を切り出した。

「実は今日、お義母様に呼び出されて……『黒崎の妻としてふさわしく振る舞いなさい』と、お叱りを受けました。私、何か至らないところがあったのでしょうか……」

唯の声は少し震えていた。

相談というより、せめて「大丈夫だよ」と言ってほしかった。

涼はネクタイを緩めながら、淡々と答えた。

「母の言う通りだ。お前はもっと強くならなければいけない。黒崎の人間として、弱音を吐くんじゃない」

唯の胸が、ずしりと沈んだ。

「強くならなければいけない」

——それは、唯の苦しみを一切認めない言葉だった。

唯は唇を噛み、笑顔を無理に作った。

「……はい。気をつけます」

涼はそれ以上何も言わず、書斎へ消えた。

唯は一人、静かに立ち尽くした。

 

◇◆◇

 

その頃、高倉櫂は本社で涼の翌日のスケジュールを調整していた。

涼の母親・麗子が唯を呼び出す予定を事前に察知した櫂は、今日の涼の会議を一つ前倒しにずらし、少しでも早く帰宅できるように手を回していた。

唯に負担がかかりすぎないよう、せめて涼が家にいる時間を少しでも長くしたかった。

もちろん、唯にはその事情は一切伝わらない。

櫂はただ、静かに自分の役割を果たしていた。

 

◇◆◇

 

夜更け、唯は寝室のベッドに一人で横になっていた。

隣のスペースはまだ冷たいまま。

今日の義母の言葉と、涼の冷たい返事が頭の中でぐるぐる回る。

唯は天井を見つめながら、小さく呟いた。

「……この家に、私の居場所はあるのかな」

声はとても小さく、暗闇に溶けていった。

目を閉じても、眠りはなかなか訪れなかった。

心のどこかで、今日も誰かがそっと手を差し伸べてくれているような気がした。

でも、それが誰なのかは、まだわからないままだった。

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