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第2話

Author: Shion Violet
last update publish date: 2026-11-04 13:18:10

目を覚ましたとき、彼女の視界に映ったのは見知らぬ天井だった。

ぼんやりとした意識の中、彼女はゆっくりと瞬きをする。

白い天井、見慣れない照明。

更に目だけを動かして周りを見ると、そこはどこか静かな部屋。

自分がどこかの天蓋つきのベッドに寝かされているらしいということは理解できた。

ここは、どこなのだろう。

そう思って身体を起こそうとした瞬間、全身に鈍い痛みが走った。

「……っ」

思わず小さく声が漏れる。

身体が重く、頭も痛い。

何より、自分がなぜここにいるのか、まったく思い出せなかった。

どこから来たのか、自分が誰なのか、そして最後に何をしていたのか。

それらのことを考えようとするほど、頭の中に霧がかかったようになっていく。

「目が覚めたか?」

突然、冷たさを帯びた声が部屋の隅から聞こえてきた。

彼女は驚き、声がした方へ顔を向けつつゆっくり身体を起こして見ると、部屋の入り口に一人

の男が立っていた。

黒いスーツを着た三十代半ばほどの男。

整った顔立ちをしているが、その表情からは何の感情も読み取れない。

「……あなたは?」

か細い、掠れた声で尋ねると、男は静かに答えた。

「私は片桐朔と言う」

彼女は一瞬考えを巡らせるが、その名前に覚えはなかった。

「ここは……?」

「九条さんの屋敷です」

「九条……さん?」

彼女が聞き返すと、朔は少しだけ視線を動かした。

「あなたは昨夜、道路脇で倒れていたところを九条さんに拾われた」

拾われたというその言葉を聞いても、彼女には何も思い出せなかった。

「九条さんというのは……?」

「じきに会えばわかる」

朔はそれ以上詳しい説明をしなかったので、彼女は不安そうに視線を落とす。

「私……どうして、あそこにいたんでしょう」

「それは、こちらが聞きたい」

朔の返答は淡々としていた。 「あなたの所持品から身元を確認できるものは何も見つかっていない。こちらでも調べている」

「そう、ですか……」

彼女は自分の手を見つめた。

名前も、住所も、家族のことも分からない自分。その事実が、遅れて胸に重くのしかかってきた。

「……私、誰なんでしょう」

ぽつりとこぼれた言葉に、朔は答えず、目を細めただけだった。

そのときだった。

「朔」

部屋の外から、低い声が響き、朔が振り返る。

「九条さん」

扉の向こうに立っていたのは、昨夜倒れていた彼女を抱き上げた男だった。

彼女はその姿を見た瞬間、身体を強張らせた。

昨夜の記憶は当然無いが、目の前の男から感じる何かに彼女は本能的な恐怖を覚えた。

「起きたのか」

男は彼女を一瞥し、相変わらず氷のように冷たい声色で言う。

その問いに朔は頷いて答える。

「はい。先ほど意識を取り戻しました」

「そうか」

それだけ言うと、静かな部屋にコツ、コツ、と靴音を一定のリズムを響かせてその男は部屋の

中へ入ってきた。

彼女は無意識にシーツを握りしめる。

「お前の名は?」

玲は氷のような瞳で彼女を見下ろして見つめながら尋ねた。

彼女は答えようとしたがその冷たい目つきに喉が詰まり言葉が出てこない。

更に、自分の名前すらわからないのだから答えようがない。

胸が早鐘を打つのを感じながら、彼女はやっとの思いで言葉を絞り出した。

「……分かりません」

「分からない?」

「はい。何も……思い出せないんです」

男は鋭く目を細めてしばらく彼女を見つめていたが、視線には同情も心配もなかった。

その視線は、ただ目の前にいる人間を観察しているようだった。

「医者には診せたんだろうな?」

玲が僅かに顔を朔に向けて尋ねる。

「はい。外傷は複数ありますが、命に別状はありません。記憶については、今後の経過を見なければ判断できないとのことです」

「そうか」

玲は再び彼女へ視線を戻して唐突に言う。

「しばらくここにいろ」

「……え?」

彼女は思わず聞き返した。

「身元が分かるまで、ここにいろと言っている」

「でも……どうして?」

その問いに、玲は答えなかったが、彼女には到底理解できなかった。

見ず知らずの自分を、なぜこの男が屋敷に置いてくれるのか。

そしてこの男は一体何者なのか……。

「迷惑では、ありませんか?」

「迷惑なら最初から連れてきていない」

彼女は恐る恐る聞いたが、玲は伸ばした彼女の問いを退けるようなひどく淡々とした声で言

葉を返した。

それ以上の説明はないし、優しさを感じさせる言葉でもなかった。

ただ、今の彼女には行く場所がないから、ここにいろと言われるのはありがたいことだった。

「……ありがとうございます」

小さな弱々しい声でそう言うと、彼女は頭を下げる。

しかし、玲はその言葉にも反応を示さなかった。

「朔。彼女に必要なものを用意しておけ」

「承知しました」

「それと、身元の調査を続けろ。早急に洗い出せ。それと、この屋敷のこの西側からは出すな」

「了解しました」

玲はそれだけ告げると、最後には彼女に目を向けることもなく部屋を出ていこうとした。

「あの……!」

彼女の精一杯の掠れた声に、玲の足が止まる。

「あなたのお名前を、聞いてもいいですか?」

その言葉に玲はわずかに顔を彼女に向けた。

「九条玲だ」

「九条……さん」

彼女はその名前を、確かめるように繰り返した。

玲は何も言わず、今度こそ部屋を後にした。

扉がパタン、と静かに閉まり、彼女はしばらくその扉を見つめていた。

九条玲。

片桐朔。

どちらの名前にも彼女は覚えがない。

自分がどこから来たのかも、何をしていたのかも分からない。 ただ一つ確かなのは、彼女は九条玲の屋敷に身を置くことになったということだけ。

そして、彼女の知らないところで、何かが静かに動き始めていた。

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