LOGINルナリアが王家の長子であるハウエルの婚約者に選ばれたのは13歳の時。
政治的なあれこれや家格などを考慮した結果の、完全なる政略結婚であった。 その日からずっと、ルナリアは我慢してきた。 いずれ王族になるのだから表情管理が重要だと言われて、自分の感情を表に出すことを我慢した。 泣くことも、怒ることも我慢する代わりに身につけたのは、完全無欠なる美しいアルカイックスマイル。 淑女たるもの身につけるものにも細かなルールがあると言われて、好きな服を着ることを我慢した。 夜会用の華やかなドレスや、公式行事で着る仕立ての良いドレスがクローゼットに詰め込まれたが、本当はそんなもの、少しも好きじゃなかった。 淑女は夫を立てるべしと言われたから、ハウエル王子の愚行に眉を顰めることを我慢した。 もちろんルナリアは、ハウエルのことなど、これっぽっちも好きじゃない。 それでもルナリアは、いずれ王妃となる身として、健気に王妃教育をこなし、高貴な淑女としての振る舞いを心がけてきた。 いつしか彼女は “磁器人形の姫君”と呼ばれるようになった。 手入れの行き届いた肌は白く美しく、社交の場では穏やかな笑顔を常に絶やさず、常に淑女として正しい振る舞いをする姿は、まるで人形のようではないかと。 もちろん、妬みを存分に含んだ蔑称である。 だがその二つ名に相応しく、高貴で貴族的であり、そして淑女の手本から外れる行動をしない……生前のルナリアは、そんなガッチガチの淑女だったのだが…… 「私、復活ですわ!」 ルナリアは、儀式のために組まれた祭壇の上で、ガバッと飛び起きた。 格好は、およそ淑女らしからぬ、スッポンポンである。 肌は白を通り越して青白く、血の通っている気配が一切ない。 首にはぐるりと一周、黒い糸で縫い付けられた跡。 そう、ルナリア・アクイールはゾンビとして蘇ったのだ。 祭壇の前に立っていた彼女の義兄、レイヴンがドレスを差し出す。 「ルナ、これ」 ルナリアはドレスを受け取るよりも早く、兄の両頬を両手でむぎゅっと挟んで、彼の顔を覗き込んだ。 「にーさま、目が!」 レイヴンの右の目玉は失われ、空っぽになった眼窩が暗闇を抱いている。 「どうして、どうして兄様の美しいお目目が……!」 取り乱すルナリアに対して、レイヴンはふっと僅かに頬を緩めて笑った。 「君を甦らせるために使ったんだ」 「そんな!」 「いいんだ、目玉一つで君を取り戻せるのなら、安いものだ」 「にーさま……」 「いいから、ほら、服を着て、裸のままでは風邪をひく」 「ふふっ、死んでいるから風邪は引きませんわよ」 ルナリアは、そう言いながらドレスを受け取る。 だが、それを広げた途端、彼女は土気色した顔に不満の色を浮かべた。 「このドレス、可愛くありませんわ!」 ふんわりと広がったのは、この世界の貴族令嬢がごく一般的に着ているゴージャスなくるぶし丈のドレスなのだが。 「こんな可愛らしくないドレスは着たくありませんわ!」 ルナリアのわがままにも、レイヴンは顔色ひとつ変えない。 「前は、いつも、こういうのを着ていたじゃないか」 「それは、王子の婚約者として相応しい格好を、と我慢していたからですわ! せっかく一度死んだのだから、これからはもう我慢なんていたしませんの!」 「それもそうだな」 レイヴンがパチンと指を鳴らすと、ドレスの丈はシュルシュルと縮み、裾や胸元にたっぷりとレースが生え、あっという間にミニ丈のゴスロリ風ドレスに変わった。 「お前が好きなのは、こういうのだろう」 「さすがにーさま、私のことをよくわかっていらっしゃいますわ!」 ご機嫌で着替えを済ませたルナリアは、スカートの裾を整えながら言った。 「さて、にーさま、教えてくださいまし、私が死んでいる間に何があったのかを」 ルナリアはここに至るまでの詳しい経緯を聞きたかったのだが、元々クールで無口なレイヴンの回答は実にシンプル。 「首が落ちてたから、拾ってきて、繋いで、死者蘇生の魔術をかけた」 「にーさま、念の為に聞きますが、その術って?」 「ああ、禁術だな」 ルナリアが頭を抱える。 「禁術を、そんなサクッと使わないでくださいまし」 「理論自体は簡単だったぞ」 「そういうことじゃあないんです、倫理的な問題とか常識的な問題とかあって、人間が踏み越えてはいけない一線の向こうにあるから使ってはいけない、それが禁術なのですわ」 「だが、使わなければお前は死んでいた」 「今だって死んでいますわ、ゾンビですから!」 レイヴンはクールに、少しだけ首を傾げて言った。 「そうだったな」 ルナリアは土気色の顔で可愛らしく頬を膨らませて上目遣いにレイヴンを睨む。 「そうだったな、ではありませんわ! 私をゾンビにして、どうするつもりですの!」 レイヴンは全く動じない。 真顔で逆に聞き返す。 「お前は、どうしたい?」 「えっ、私? 私は……」 ルナリアは、これまで我慢ばかりだった人生を思い出した。 感情を我慢し、着たい服を我慢し、そして好きでもない男との婚約すら我慢して受け入れた、忍耐強くて従順な“アクイール嬢”は死んだ。 今の自分は身分の立場も、そして命すらも失った、ただのゾンビだ。 「私、今まで我慢していたことを全部やってみたいですわ、もっと可愛いお洋服も着たいし、いろんなところに行ってみたいし、楽しいこともいっぱいしたい!」 「いいだろう、叶えてやる」 「それに、恋も……もう我慢しませんことよ!」 ルナリアは恥ずかしそうにもじもじしながらレイヴンの顔を見る。 レイヴンは相変わらずの真顔。 「なるほど、可愛らしい願いだ」 「もう、にーさまったら! そこは突然の告白に驚くとか、恥ずかしそうな顔するとか、何か反応してくださいませ!」 「わかった、練習しておく、それよりも……」 レイヴンはスッと手を伸ばし、生気のないルナリアの頬をそっと撫でた。 「今のお前の体は人間じゃない、生活する上での注意事項がいろいろあるから教えてやろう、来なさい」 「はいですわ、にーさま!」 こうして、ルナリアの楽しいゾンビ生活は始まった。「……ここは……?」目を覚ましたガイストが最初に見たものは、至近距離でじっとこちらを見つめる、表情筋乏しいレイヴンの顔だった。「うわあああ!」驚いて飛び起きれば薄暗い部屋の中、ガイストは床に描かれた魔法陣のど真ん中にいる。両手両足首は荒縄でぎっちり縛られて、最低限の動きしかできない状態。絶体絶命危機一髪の状況である。「これって、俺のこと、本気で生贄にしようとしてるってことっ?」そう叫べば、傍に立つレイヴンが答える。「そうだが?」「いやいやいや。そんな平然と言うことじゃなくない?」「だが、ルナリアは人間に戻りたがっている」「そういうことが聞きたいんじゃない、まず、なんで俺を生贄にしようと思ったの! 幼馴染の情とかないの?」「ある。だから殺しはしない」「あ、生贄ってそういう……」「君の生命力をルナに与え、君にはゾンビとして生きてもらう」「それって死とほぼ同意じゃん!」「同意ではないだろう、だって……動けるぞ?」「ああ、ああ、お前は昔っからそういうやつだったよな! ほんと、何考えてるかわかんねえ!」なんて言い争っているところに、ドアが開いてルナリアが入ってきた。「にーさま、生贄の準備はできまして?」彼女の方も、幼馴染を生贄にすることに全く躊躇がない。床に転がっているガイストを睥睨して冷たく笑う。「ふふ、私、怒ってますのよ……だから、あなたを生贄に選んだのですわ」突如、レイヴンが早口で語り始める。「ただの食事とは違い、復活のための生贄には被術者間に精神的な繋がりが必要だ。今回は怒りという感情のつながりを足がかりに二人の生命力を入れ替え……」「にーさまストップですわ! 細かい説明はいらないのです!」「そうか」「私が簡単に説明いたしますわね、つまり私はあなたに対して腹を立てている、だから、その怒りの感情を足がかりに魂を結んで、入れ替えて、ポイしちゃおうと、そういう感じですわね、にーさま?」「完璧だ、さすがはルナリア」ガイストは震え上がって、拘束された手足をモゾモゾと動かしながらルナリアの足元に這い寄る。「つまり、怒っているのか? 俺がお前を処刑台に送ったから」「あー、それは、そんなに怒ってませんわ、だって、そのおかげで私、こんなに自由なんですもの!」「じゃあなんで!」「お忘れですの? あなた、私のお人形を壊しま
二人がいちゃついているその一方で、ハウエル王子の方は——「ガイスト! ガイストはいないのか!」彼は友人であり護衛でもあるガイストを自室に呼びつけた。部屋に入ってきた彼は、人相が変わって見えるほどに両頬を腫れ上がらせていた。「お呼びですか」「なんだ、その顔は」「はい、ルナリアを処刑したことで親父に怒られまして」「お前もか!」二人は顔を見合わせて、大きなため息をつく。「たかが公爵令嬢一人処刑しただけなのに……」「そうですよね、俺もそう思います」「しかもうちの父上、この後とんでもないことが起きないように早々に対策をしろとか言い出してな」「具体的には?」「ふん、ルナリアの義兄のことは知っているか?」「はい、まあ、一応幼馴染ですので」ガイストとアクイール家の義兄妹は幼馴染だ。子供の頃は屋敷の庭で一緒に遊んだこともあるが……「なんか、不気味なやつだなって思っていました、表情は変わんないし、何考えているかわからないし」「そうか、それはまあいい、その男がな、ルナリアの死体を持って姿をくらましているらしいんだ」「死体を? うえっ、やっぱり気持ち悪ぃヤツ!」「それでな、この男を探し出して、連れて来いって、父上に言われたんだ、生死は問わないらしい」「そうなんですね」「なんで他人事みたいな顔をしてるんだ」「えっ?」「お前が探しに行くんだよ」「俺がですかっ?」「そうだ。言っておくが、自分で行くのがめんどくさいからじゃないぞ、戦略的選択というやつだ」ハウエルが偉そうに顎を上げる。「お前はあの義兄妹とは幼馴染だろ、だとしたら、行動パターンを予測して居場所を探し出すことができるはずだ」「無理ですよ、ほんと、何考えてるのかわからない男だったんですから」「いいから行け! レイヴンを見つけるまで帰ってくることは許さん!」横暴だが、それでも王子からの命令だ。逆らうわけにはいかない。「でもなあ、ほんとどこ探せばいいのか……」ハウエルに追い払われたガイストは、手始めにアクイール邸へとやってきた。逃亡中の相手が、そんなわかりやすいところに潜伏しているとは思えないが、他に思い当たる場所がなかったのである。案の定レイヴンは不在で、耳の遠いおじいちゃん執事がガイストを出迎えた。「バウアー家の坊ちゃんじゃないですか、どうぞ中へ」ガイストは応接
ゾンビだって腹は減る。人間の“腹が減る”とはまた違う感覚だが、減るもんは減る。ということで、レイヴンが最初にルナリアに教えたのは、ゾンビの食事についてだった。「ゾンビは、身体機能は停止しているのだから、普通の食事から栄養を摂ることはできない。だから普通の食事は必要ないが、人を食う」ルナリアは見た目ゾンビだが、まだ人間的な精神を失っていない。だから最初は、さすがに反抗した。「それは人倫的にアウトですわ」「いや、食べると言っても、消化するわけじゃない、魔術的には、食事ではなくて生贄だ」「そういう問題じゃありませんわ、私のお食事のために、人間が犠牲になるということでしょう?」「だが、食べなければ人の姿を保てない」「難しい問題ですわねえ」「じゃあ、こういうのはどうだ?」二人は、山賊のねぐらがある山の奥へと出かけた。「ここの山賊は悪逆非道で、近隣の村におりてきて女子供にまで手を出し、幾つもの村を焼き払ったそうだ」「そんなの、人間の所業じゃありませんわね」「ああ、だから、罪悪感なく食い散らかすことができるだろ」しかも討伐依頼は出されているけれど、ギルドは何度も討伐任務に失敗している。ここで山賊団を壊滅させても、誰からも責められることはない。「ゾンビは食い溜めが効く、安心して存分に食い散らかせ」「了解ですわ、にーさま」ルナリアはゴスロリドレスの裾を軽快に揺らして、山賊の住む洞穴に飛び込む。逆に、いきなりゾンビに飛び込んでこられた山賊の方は、びっくり仰天。「な、何者だ!」「女?」「ただの女じゃなさそうだ、油断するな!」慌てて立ち上がるが、それよりも早くルナリアが——「うふふ、私、ゾンビになってから、とーっても力持ちになりましたのよ!」得物を手にする暇すら与えず、山賊たちをぶっ飛ばす。「ヒイッ、ば、化け物!」そう言いながら這って逃げる山賊を掴み上げて、ルナリアが笑う。「乙女に向かって失礼ですわね」「や、やめてくれ、助けてくれ……死にたくない!」「あなたのような悪人は、今までその言葉を言われる側だったのでしょうね、で、そのうちの一回でも、見逃してあげたことがございますの?」「……な、ないけど」「では、私も見逃してはあげませんわ」「ひゃああああ!」その後も掴んでは投げ、叩きのめしては齧り、踏み潰しては蹴り飛ばし、洞
ルナリアが王家の長子であるハウエルの婚約者に選ばれたのは13歳の時。政治的なあれこれや家格などを考慮した結果の、完全なる政略結婚であった。その日からずっと、ルナリアは我慢してきた。いずれ王族になるのだから表情管理が重要だと言われて、自分の感情を表に出すことを我慢した。泣くことも、怒ることも我慢する代わりに身につけたのは、完全無欠なる美しいアルカイックスマイル。淑女たるもの身につけるものにも細かなルールがあると言われて、好きな服を着ることを我慢した。夜会用の華やかなドレスや、公式行事で着る仕立ての良いドレスがクローゼットに詰め込まれたが、本当はそんなもの、少しも好きじゃなかった。淑女は夫を立てるべしと言われたから、ハウエル王子の愚行に眉を顰めることを我慢した。もちろんルナリアは、ハウエルのことなど、これっぽっちも好きじゃない。それでもルナリアは、いずれ王妃となる身として、健気に王妃教育をこなし、高貴な淑女としての振る舞いを心がけてきた。いつしか彼女は “磁器人形の姫君”と呼ばれるようになった。手入れの行き届いた肌は白く美しく、社交の場では穏やかな笑顔を常に絶やさず、常に淑女として正しい振る舞いをする姿は、まるで人形のようではないかと。もちろん、妬みを存分に含んだ蔑称である。だがその二つ名に相応しく、高貴で貴族的であり、そして淑女の手本から外れる行動をしない……生前のルナリアは、そんなガッチガチの淑女だったのだが……「私、復活ですわ!」ルナリアは、儀式のために組まれた祭壇の上で、ガバッと飛び起きた。格好は、およそ淑女らしからぬ、スッポンポンである。肌は白を通り越して青白く、血の通っている気配が一切ない。首にはぐるりと一周、黒い糸で縫い付けられた跡。そう、ルナリア・アクイールはゾンビとして蘇ったのだ。祭壇の前に立っていた彼女の義兄、レイヴンがドレスを差し出す。「ルナ、これ」ルナリアはドレスを受け取るよりも早く、兄の両頬を両手でむぎゅっと挟んで、彼の顔を覗き込んだ。「にーさま、目が!」レイヴンの右の目玉は失われ、空っぽになった眼窩が暗闇を抱いている。「どうして、どうして兄様の美しいお目目が……!」取り乱すルナリアに対して、レイヴンはふっと僅かに頬を緩めて笑った。「君を甦らせるために使ったんだ」「そんな!」「いいんだ
それは——あまりにもありふれた断罪から始まった。「公爵令嬢ルナリア・アクイール! 王太子ハウエル・マッケンドニーの名において、貴様を処刑する!」声高らかに宣言する王太子の隣には、うるうるっとあざとく瞳を揺らす可憐な男爵令嬢、アナ・デンバー。「アナに対する嫌がらせの数々、そしてアナを襲わせようとした暴挙、全て証拠は揃っているぞ、この悪女め!」細かい字でびっしりと罪状を書き込んだ羊皮紙を振り回して激昂するメガネの男は、宰相子息で王太子の側近候補であるグラン・ディノス。「残念だよ、あの気高かった公爵家の姫君が、まさかここまで堕ちるとはね」ギロチン台に向かうルナリアの腰縄を持つのは、騎士団長子息で王太子の友人兼護衛を務めるガイスト・バウアー。お手本通りすぎるほどの“悪女断罪”の光景であった。そして、“悪女”ことルナリアは——ギロチン台の前に立たされて、スッと背筋を伸ばして辺りを見回した。処刑台の足元には人々が押し寄せ、口々にルナリアを罵り、中には石を投げているものもいる。対面に組まれた見物用の櫓の上に立つのは、アナの肩を抱き寄せてニタニタと笑う元婚約者。その隣で険悪な表情をしたグランは、ついこの間まで成績を競い合っていた良きライバルだった。そして背後からルナリアを突き飛ばすガイストは……「幼馴染のよしみってやつだ、苦しまずに逝かせてやるよ」ルナリアはいま一度背筋を伸ばして、それらをぐるっと見回した。最後に、ハウエルに視線を止めて、彼女は小さく笑う。「後悔しますわよ?」ハウエルはこれを鼻先で笑い飛ばした。「後悔しているのはお前のほうだろう、アナをいじめた時に、さらにはその命を狙った時には、まさかこんな日が来るとは思わなかったんじゃないか?」「何度も申し上げていますが、それは……」反論しようとしたルナリアだったが、ふと言葉を止めて笑う。華やかに、まるで自分の死を祝うかのように。「それは、もう、どうでも良いことですわ」ハウエルが片手をあげる。「諦めが良くてなによりだ、やれ!」一際大きな歓声が上がった。巨大な刃は陽の光を反しながら滑り落ちた。その瞬間、ルナリアの人生は終わった……終わったはず?「はーっはっはっは! 稀代の悪女と呼ばれた女も、こうなっては形無しだな!」高らかに笑い声を上げたハウエルだったが、その数日後——「







