Share

第6話

Author: 清水澪
僕は浩次を慰めようとはしない。泣きわめき、床に座り込んで駄々をこねる姿を、ただ静かに見つめていた。

幼い頃から自分の手で育ててきた子どもが、こんなにも見知らぬ存在に思え、こんなにも嫌悪感を抱く日が来るなんて。

哲也は慌てて浩次を抱き起こし、優しくなだめる。それから僕へ向き直ると、眉をひそめて責めるように言った。

「森さん、それでも父親ですか?子どもの自尊心くらい守ってあげるべきでしょう」

その言葉だけを聞けば、まるで僕のほうが冷酷な父親みたいだった。

夕顔は苛立ったように眉間を押さえ、哲也を制した。その声もどこか棘がある。

「そもそも、あなたが勝手に立ち上がったりしなきゃ、こんなことにはならなかったのよ!」

ところが浩次は、哲也の手を勢いよく振り払う。一度も顔を見ることすらしない。

母子の態度が急に変わったことに、哲也の目が一瞬だけ険しく細められた。

それでもすぐに表情を取り繕い、再び僕へ話しかける。

「森さん、どうか浩次のことは許してあげてください。やっぱり本当の家族は、君たちなんですから……

もし今までのことが許せないなら、二度と同じことはしないと約束します。
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 別れの空へ   第9話

    夕顔はなおも必死に言葉を重ねる。何とか僕の気持ちを変えようと、諦めずに話し続けていた。僕は足を止める。そして無表情のまま振り返り、自分の義眼を指差した。「僕がどれだけの代償を払ったか、話してほしいのか?浩次は水鉄砲の中に唐辛子入りの液体を入れていた。僕は手術を終えたばかりだった。傷口にそれが入って、神経は全部壊死した。医者には言われたよ。神経が壊死した影響で、残った左目も、いずれ視力を失う可能性が高いって。一年後か、二三年後か、いつ完全に見えなくなるかは、誰にも分からない。夕顔、どうして僕たちは、こんな結末になった?全部、君が招いたことじゃないのか」僕の問いに、夕顔の顔から血の気が引いていく。唇を震わせるだけで、一言も言い返せなかった。「哲也は若くて見た目も良かった。だから惹かれたんだろ。でも、自分が家庭を裏切っておいて、どうして今さら僕に許しを求められる?浩次がああなったことだって、君に責任がないと言えるのか」夕顔は、自分と浩次が反省して謝れば、僕がこれまで受けた屈辱も、味わった苦しみも、すべて忘れてくれるとでも思っていたのだろう。僕は皮肉っぽく笑い、義眼を軽く叩く。「謝れば、この目は元に戻るのか?」その一言で、夕顔は完全に力を失った。さっきまで必死だった表情は消え、肩を落とし、行き場を失った子犬のように俯く。「本当に、離婚するしかないの?」「そうだ」僕は迷わず答える。一切の躊躇もなく。……結局、夕顔は離婚協議書にサインした。その後も離婚成立までの手続きを黙って進め、正式に離婚が成立した日、浩次も病院を退院した。本来なら、何事もなく終わるはずだった。だが、その頃にはネット中で、夕顔と哲也の不倫騒動が大きな話題になっていた。【河口グループの株価が急落した理由ってこれか。業界じゃ不倫なんて珍しくないけど、河口って男を見る目がなさすぎる】【自分の秘書と不倫してたらしいね。あの男、どう見ても金目当てじゃん】【聞いた話じゃ、その秘書を喜ばせるために旦那さんの目まで犠牲にしたとか……】さらに、こんな書き込みまで現れる。【でも子どもはかわいそうじゃない?】するとすぐに返信が付く。【全然かわいそうじゃないよ。うちの子が同じ学校だけど、あの子はかなり性格が悪かったらし

  • 別れの空へ   第8話

    僕は帰ってきた夕顔を見ると、あらかじめ用意しておいた離婚協議書をテーブルの上へ置き、そのまま彼女の前へ滑らせた。「浩次の親権は君に渡す。財産分与は弁護士と相談して決めたとおりにする。本来なら、君は不倫した側なんだから、慰謝料を請求したっておかしくない。でも……浩次を育てていくことを考えれば、そこまで争うつもりはない」最後まで言い切る前に、夕顔は疲れ切った声で僕の言葉を遮った。「浩次、両目とも助からなかったの」僕は一瞬だけ言葉を止める。それでも表情を変えず、静かに続けた。「それでも財産は半分ずつだ」夕顔は真っ赤に腫れた目で僕を見つめる。その瞳には失望が滲んでいた。「阿須賀……あの子は私たちの息子なのよ。この事故で、もう二度と目が見えないの。人生そのものが変わっちゃったのよ!それなのに、あなたは帰ってきて最初に離婚の話しかしない。私、お金を渡さなかった?もしかして、浩次が今こうなってるのを見て、内心では当然の報いだって喜んでるの?哲也も同じよ!あいつも何かあったら全部逃げて、自分だけ責任を放り出した!」夕顔は取り乱したように叫ぶ。全身を震わせ、泣き崩れそうになりながら。まるで僕が悪者であるかのように。僕は黙ってペンを彼女の前へ置く。「前にも言った。これは全部、自業自得だ。ここで泣き喚いたって、何も変わらない。離婚協議書にサインしてくれ。せめて最後くらい、穏便に終わらせよう」夕顔は涙を拭い、かすれた声で言う。「ずっと前から離婚するつもりだったの?浩次の親権だって、最初から放棄するつもりだったんでしょう?」「保護者会の日、君が浩次に言ったこと……全部聞いてた。もうずっと前から僕を捨てるつもりだったなら、今さら優しいふりなんてしなくていい。それとも、哲也に捨てられたから、今になって後悔してるのか?」感情的になったわけじゃない。ただ、事実を口にしただけだった。夕顔の肩が小さく震える。俯いたまま、僕の目を見ることができない。「浩次には、父親はあなたしかいない。あの子、本当に危ない状態だったの。お願い……離婚のことは今は置いて、一緒にあの子を支えてくれない?どうしても離婚するなら、その前に一度だけ浩次に会ってあげて」何度も何度も頭を下げられ、僕は最後には折れるしかなかった。浩次はIC

  • 別れの空へ   第7話

    僕は病院で入院手続きを済ませ、一週間後に義眼を入れる手術を予約する。手術に向けて、医師が義眼の型取りをしている最中だった。半月以上も姿を見せなかった夕顔から電話がかかってくる。受話器の向こうから、泣き叫ぶ声が響いた。「阿須賀……浩次が、大変なの!学校でいじめられて……階段から突き落とされて……目にガラスの破片が刺さって……」泣き声で言葉は途切れ途切れだった。僕は最後まで黙って聞き、それから淡々と尋ねる。「それで?」あまりにも冷たい返事だったのだろう。夕顔はしばらく何も言えなくなった。「阿須賀、今回は本当なの!浩次、すごく血を流してるの……お願い、来て……」「行かない」僕はその言葉を遮る。「夕顔、自分で蒔いた種だ。浩次がこうなったのは、君にも責任がある。僕はもう片目を失った。そして残った目も、いずれ見えなくなる。だから僕を利用しようなんて考えるな。本当でも嘘でも関係ない。もう、君の言葉は一切信じない」夕顔の泣き声がまだ続いていた。僕はそのまま電話を切る。義眼の装着が終わり、診察室を出た頃、病院の廊下が急に騒がしくなった。「お願い!息子を助けて!先生……先生はどこですか!」血だらけの夕顔が、意識を失った浩次を抱えて病院へ駆け込んでくる。両膝は真っ赤に腫れ上がり、ここへ来るまで何度も転んだのだと分かった。その後ろには、哲也も険しい表情で続いている。以前のような親密さはどこにもなく、今にも掴み合いになりそうなほど険悪な空気が漂っていた。夕顔は近くにいた医師へすがりつく。「先生!息子の目にガラスが刺さって……全身血だらけなんです!お願い、助けてください!」ちょうどその時、僕は診察室から出てきた。その光景を見た瞬間、心臓が大きく脈打つ。どれほど憎もうとしても、浩次は僕が幼い頃から育ててきた子だ。血まみれでぐったりしている姿を見ると、胸が締めつけられる。夕顔も僕に気づく。涙を乱暴に拭いながら、恨めしそうに叫んだ。「これで満足?浩次が大変だって言ったのに、また嘘だと思ってたんでしょう!あなたの息子なのよ!もう何とも思わないの?」その責めるような声を聞いた瞬間、わずかに湧き上がった痛みも消えていく。僕は静かに視線を浩次から外した。「病院まで来たなら、

  • 別れの空へ   第6話

    僕は浩次を慰めようとはしない。泣きわめき、床に座り込んで駄々をこねる姿を、ただ静かに見つめていた。幼い頃から自分の手で育ててきた子どもが、こんなにも見知らぬ存在に思え、こんなにも嫌悪感を抱く日が来るなんて。哲也は慌てて浩次を抱き起こし、優しくなだめる。それから僕へ向き直ると、眉をひそめて責めるように言った。「森さん、それでも父親ですか?子どもの自尊心くらい守ってあげるべきでしょう」その言葉だけを聞けば、まるで僕のほうが冷酷な父親みたいだった。夕顔は苛立ったように眉間を押さえ、哲也を制した。その声もどこか棘がある。「そもそも、あなたが勝手に立ち上がったりしなきゃ、こんなことにはならなかったのよ!」ところが浩次は、哲也の手を勢いよく振り払う。一度も顔を見ることすらしない。母子の態度が急に変わったことに、哲也の目が一瞬だけ険しく細められた。それでもすぐに表情を取り繕い、再び僕へ話しかける。「森さん、どうか浩次のことは許してあげてください。やっぱり本当の家族は、君たちなんですから……もし今までのことが許せないなら、二度と同じことはしないと約束します。僕は今すぐ会社を辞めても構いません!」「辞める」という言葉を聞いた途端、夕顔は慌てて哲也を見上げる。僕はそんな二人を見て、小さく笑う。「浩次を自分の息子みたいに思ってるんだろ?だったら、この先は君が育てればいい。生きようが死のうが、もう僕には関係ない」「阿須賀!何てこと言うの!」夕顔が声を荒らげる。「そんな言い方したら、浩次が傷つくじゃない!哲也はただの秘書よ!私たちの間には何もない!浩次の父親になれるわけないでしょ!」必死に否定する夕顔を見ても、僕はもう何も言う気になれなかった。浩次もまた涙を流し始める。「パパ、ごめんなさい……もう怒らないで……」哲也の表情がわずかに曇る。それでも矛先は最後まで僕へ向けられた。「森さん、子供は悪くありません。全部、僕のせいです。社長も浩次も、僕を元気づけようとしてあんなことをしただけなんです。僕は今日限りで会社を辞めます。だから、どうか許してください」三人が口を揃えて芝居を続けるたび、胸の奥の怒りだけが膨れ上がっていく。僕は口元だけをわずかに吊り上げた。「そうか。じゃあ、君も片目をえぐり

  • 別れの空へ   第5話

    教室中の視線が、一斉に僕へ集まる。誰もが一瞬言葉を失い、面白い噂でも見つけたような顔をしていた。浩次の目はみるみる赤くなり、ついに大声で泣き出す。夕顔は慌てて駆け寄り、眉をきつく寄せた。信じられないものを見るような目で僕を睨む。「阿須賀!何考えてるの?今日は浩次の保護者会なのよ!」そう言うと、今度は周囲の保護者へ頭を下げる。「すみません、主人が変な冗談を言ってしまって……」そのまま僕の腕を強引に引っ張り、教室の外へ連れ出す。そして歯を食いしばるように、小声で言った。「恥をかかせないで。ここは名門私立なのよ。この中にはうちの会社の取引先だっているかもしれないの。こんな騒ぎを起こして、恥ずかしいと思わないの?」僕は思わず笑ってしまう。「これくらいで恥ずかしいのか?自分の秘書と堂々と不倫してる時は、恥ずかしいなんて思わなかったくせに」夕顔の口元がぴくりと震える。何か言い返そうとして、結局何も言えずに黙り込んだ。その横で、哲也が空気を取り繕おうと笑顔を作る。「浩次にお願いされて来ただけなんです。お父さんがお仕事で来られないって聞いて……皆さんに誤解させてしまったなら申し訳ありません」だが、そんな言い訳を信じる者はいない。浩次のクラスメイトたちは容赦なく言葉を浴びせる。「浩次、やっぱり嘘つきだったんだ!いつも迎えに来るの、この人じゃん!前にパパって呼んでるのも聞いたよ!」「助けて片目になったヒーローのお父さんなんて、最初からいなかったんだ!この嘘つき」浩次の瞳に涙が溜まり、顔を真っ赤にして叫ぶ。「僕は嘘つきじゃない!」夕顔も慌てて何か説明しようとする。だが周囲の保護者たちは、あからさまに冷たい視線を向けていた。「あの人、河口グループの社長でしょ?前から秘書との噂が絶えないって聞いてたけど……」「もしかして、本当に不倫なの?」小さな声だった。それでも、その場にいた全員の耳にははっきり届いていた。きっと明日には、ネットで噂が一気に広がるだろう。もともと僕は夕顔と離婚するつもりだった。もう、この場にいる理由もなく、踵を返した。まさか夕顔が浩次まで置き去りにして、慌てて僕を追いかけてくる。服の裾を掴み、その顔は怒りで真っ赤になっていた。さっきの一件で、彼女のプライドは完全に傷つ

  • 別れの空へ   第4話

    「ほかの子よりパパが一人多いんだよ!」それでも浩次は、どこか納得できない様子で俯いた。「でも僕、哲也さんと一緒に暮らしたいの。もしパパが反対したら、暴力を振るわれたって言えばいいよ。僕をいじめたって警察に言って、捕まえてもらおう。そうしたら、僕とママと哲也さん、ずっと三人で一緒にいられるでしょ?」母子は楽しそうに未来の話を続ける。その間ずっと、僕がドアの外に立ち尽くしていることにも気づかずに。やがて夕顔が振り返り、僕の姿を見つける。さっきまで浮かべていた笑顔が、一瞬で凍りついた。慌てて立ち上がると、反射的に声をかけてくる。「どうしたの?目が痛むの?すぐに往診の先生を呼ぶから」僕は背中で握り締めていた拳を、ゆっくりとほどく。胸の奥に残っていた最後の希望も、その瞬間、跡形もなく消えた。夕顔が伸ばしてきた手を避ける。込み上げる吐き気だけが、喉の奥を焼いていた。そんな僕を見て、夕顔はおそるおそる口を開く。「まだ怒ってるの?明後日は浩次の保護者会だから、一緒に行こう。あの子も悪気があったわけじゃないの」話題を変えるのが早い。それが、僕に引くに引けない空気を作ろうとしていることも分かっている。僕は夕顔の後ろへ隠れる浩次を一度だけ見つめる。「行くよ」これが最後だ。浩次の父親として。保護者会当日。教室には、子どもたちの保護者がほぼ全員集まっていた。夕顔が僕を連れてきた理由も分かる。父親が来ない家庭だと思われて、浩次が周囲から変な目で見られないようにするためだ。ただ、僕が予想していなかったのは、哲也まで一緒に来ていたことだった。「哲也さん!こっち!一緒に座ろう!」浩次は本当に哲也が好きなのだろう。満面の笑みで、大きく手を振っている。一方で、僕が教室へ入ってきても、まるで存在しない人間のように視線すら向けない。「浩次は哲也のことが好きなの。気にしないで」夕顔はそれだけ言い残すと、当然のように哲也の隣へ腰を下ろした。教室は満席だった。僕だけが三人から遠く離れた教室の隅に、一人で座る。やがて担任が出席を取り始める。「森浩次くんの保護者の方」その瞬間、哲也が何の迷いもなく立ち上がった。夕顔も浩次も、一瞬だけ目を見開く。すると近くの子どもが不思議そうに声を上げた。「浩次、その

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status