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第178話

Author: 青山米子
優花は、昔から「二者択一」のゲームを好んだ。だからこの二年間、一葉は何度もその選択の天秤にかけられてきた。

そのたびに、彼女は言吾が自分を選んでくれることを渇望した。

選ばれるはずがないとわかっていても、心のどこかで、彼が自分を選んでくれることを、願わずにはいられなかった。

そして、その願いはいつも、絶望へと変わった。

今、言吾がまたしても「二者択一」を迫られていることなど、彼女は知る由もない。そして、もはや彼に選ばれることを望んでもいなかった。

彼女は、ただ何度も何度も、周囲の地形に目を凝らしていた。

辱めを受けるくらいなら死を選ぶと決めたものの、このまま死ぬには、あまりにも無念が過ぎる。

だから、追っ手の足音がもう間近に聞こえる、この最後の瞬間まで、彼女は生きるための機会を探すことを諦めなかった。

そして、その執念が、土壇場でついに希望の光を見つけ出した。

二本の大木の陰に、小さな洞穴があった。枯草がその入り口を覆い隠しており、注意して見なければ気づくことすらないだろう。

それはつまり、ここに人が隠れていても、見つかる可能性は極めて低いということだ。

心に活路を見出した一葉は、一秒たりとも躊躇しなかった。まず、着ていたダウンジャケットを脱ぎ、崖の淵に生えた木の枝に引っ掛けて引き裂いた。破れた布地が枝にまとわりつき、まるで彼女が崖から身を投げたかのように見える偽装工作だった。

次に、素早く辺りを駆け回り、足跡を無数につけて攪乱する。これで、最後の足取りを追うことはできなくなるはずだ。

そして最後に、彼女はその小さな洞穴へと身を滑り込ませた。

外から枯草をさらに引き寄せ、入り口を念入りに隠すと、あとは身を丸めて息を殺す。ただ、じっと動かずに。

洞穴は、本当に、驚くほどに小さかった。

もし、自分がもう少しでも太っていたら、この中には入れなかっただろう。

この絶望的な状況の中で、ふと、そんな場違いな考えが一葉の頭をよぎる。

前の怪我も、全く悪いことばかりではなかったのかもしれない、と。

あれほど何をしても落ちなかった体重が、あの崖からの転落で、ようやく落ちてくれたのだから。

もし以前の体重のままだったら、この小さな隙間に滑り込むことは、おそらくできなかっただろう。

……

まさに、ぎりぎりのタイミングだったと言えよう。

一葉が
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