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台風の日、女同僚を送った彼と別れると決めた
台風の日、女同僚を送った彼と別れると決めた
Auteur: 七瀬秋

第1話

Auteur: 七瀬秋
ニュースでは、午後6時ごろ、猛烈な台風が凪浜市に上陸する見込みだと伝えていた。

午後4時になると、同僚たちは次々と帰り支度を始めた。

電車も路線バスも、すでに運休が決まっている。

車で来ていた人たちは、帰る手段のない同僚に声をかけていた。

私、高階結月(たかしな ゆづき)も乗っていかないかと聞かれたが、笑って断った。

「ありがとう。でも大丈夫。彼氏が迎えに来てくれるから」

すると、みんなから「彼氏がいるといいね」とからかわれた。

恋人の鷺坂柊真(さぎさか とうま)からは、1時間前に【もうすぐ着く】とLINEが届いている。

午後5時。

外の風は、さらに強くなっていた。

柊真に電話をかけたが、出なかった。

道路も混んでいるだろうし、遅れるのは仕方がない。

そう思って待ち続けた。

午後5時半を過ぎると、外では激しい雨が降り始めた。

オフィスに残っているのは、もう私一人だけだった。

天井の照明が何度かちらつき、パチンと音を立てて消える。

暗闇の中で、もう一度柊真に電話をかけた。

今度はつながった。

ところが、聞こえてきたのは、柊真の同僚・星名陽葵(ほしな ひまり)の声だった。

「結月さん?」

一瞬、言葉を失う。

「……柊真は?」

「柊真さんなら運転中です。今は電話に出られなくて」

「今、2人はどこにいるの?」

「私の家に向かってるところです。ひとりで帰るのは危ないからって、柊真さんが送ってくれてて」

「そういえば、30分くらい前に結月さんへLINEしたって言ってましたよ。自分でタクシーを呼んで帰ってって。もう家に着いてますよね?」

窓の外では、風が激しく唸っている。

その音を聞きながら、指先から少しずつ力が抜けていった。

この3年間、柊真が気にかけてきたのは、いつもこの女同僚だった。

今夜、わずかに残っていた気持ちまで消えた。

「うん。もう着いたよ」

もう二度と、柊真と暮らすことのない家に。

……

電話の向こうで、陽葵がほっと息をついた。

「よかった。私たちも、もうすぐ着きます」

それから、何でもないことのように続けた。

「ただ、もうすぐ台風が上陸するみたいで……今夜はたぶん、うちに泊まることになりそうです。柊真さんから、結月さんにも伝えておいてって言われました」

「そう」

気のない声で、それだけ返した。

すると、少し離れたところから男の声が聞こえてきた。

電話越しにもわかるほど、やさしい声だった。

「寒くない?設定温度、少し上げようか?」

陽葵が笑う。

「もう、今は夏ですよ。柊真さんってば」

そうだ。

今は夏なのに、体の芯まで冷えきり、震えがどうしても止まらなかった。

通話が切れた。

LINEのトーク画面を見つめる。

けれど、【タクシーで帰って】というメッセージは、どこにも届いていなかった。

たぶん、本当に送ったのだろう。

電波が悪く、送信できなかっただけかもしれない。

けれど、それでわかるのは、送ったつもりになってから、一度も私とのトーク画面を開いていないということだけだ。

昔の柊真は、こんな人ではなかった。

付き合い始めた頃は、眠っているときと授業中以外、ほとんどスマホを手放さなかった。

道端の犬に吠えられた、なんて取り留めのないことまで、わざわざLINEしてきた。

私から送ったメッセージには、いつもすぐ返事が来た。

『結月からの連絡は、一つも見逃したくない。何かあったとき、すぐに気づけなかったら嫌だから』

そう言っていた。

けれど今、柊真が心配しているのは別の人だ。

風が窓を強く叩くたび、息が浅くなった。

午後6時。

台風が凪浜市に上陸した。

私はひとり、会社から出られずにいた。

休憩室に入り、扉をしっかり閉める。

それから、遠く離れた澄野市に住む両親へ、無事だとLINEを送った。

すぐに返事が届く。

【柊真くんと一緒なんでしょう?】

少し迷ったものの、結局こう返した。

【うん】

画面の明かりが消えると、室内は再び暗くなった。

聞こえるのは、外で荒れ狂う風と雨の音だけだった。

そのとき、スマホの画面がふいに明るくなった。

胸が大きく跳ねる。

反射的に手を伸ばして通知を開いたが、すぐに期待はしぼんだ。

柊真からではない。

凪浜市の防災情報メールだった。

【台風の接近に伴い、暴風や大雨に厳重に警戒してください。不要不急の外出は控え、窓から離れた安全な場所で身を守ってください】

Instagramを開くと、台風のひどさを嘆く言葉と一緒に、夕食の写真が次々と流れてきた。

見ているうちに、お腹が小さく鳴る。

そこで初めて、まだ何も食べていなかったことを思い出した。

休憩室にあったビスケットを1袋見つけ、画面に並ぶ料理を眺めながらかじった。

そのままスクロールしていると、見覚えのあるアイコンが目に入り、指が止まった。

陽葵の投稿だった。

【同僚の料理が上手すぎるんだけど、どうしよう。舌が肥えちゃいそう】

写真には、おかずが3品と汁物が並んでいる。

どれも、よく知っている料理だ。

柊真の得意料理だった。

画面の端には、ピースサインを作る男の手だけが写り込んでいる。

以前、柊真は言っていた。

『親以外には、一生、結月にしか料理を作らないから』

その一生は、ずいぶん短かったらしい。

投稿に「いいね」を押し、その下にコメントを書き込んだ。

【それなら、もう彼氏になってもらえば?】

ほどなくして、柊真からLINEが届いた。

【結月、あんなこと書いて何のつもりだ?】

何のつもりかと聞きたいのは、こっちだ。

2人であんな写真を撮っておいて、よく私を責められる。

こうして私とのトーク画面を開いたのに、自分のメッセージが送れていないことにも気づかない。

今どこにいるのかさえ、聞こうとしなかった。

スマホを握る指に力が入る。

家には帰っていない。

今も会社にひとりでいる。

そう伝えようとした、その瞬間だった。

外から、何かが破裂したような大きな音が響いた。

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