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last update 公開日: 2026-01-03 09:40:05

 ピンク色のポップなフォントが、ビジネス誌らしからぬ浮ついた空気を放っている。

 記事の中身も酷いものだった。小夜子の清楚な微笑みを捉えた写真の横には、「不器用な優しさ」「道具だからこそ大切に磨き上げる究極の愛」といった、少女漫画のような言葉が並んでいる。

「……なんだ、これは」

 隼人が呻くように言った。

「俺はいつから、こんな……『ツンデレ溺愛キャラ』になったんだ……!」

「ですが社長、売れ行きは好調です」

 控えていた秘書が、必死に笑いを噛み殺している。肩が小刻みに揺れていた。

「女性層からの問い合わせが殺到しておりまして。『あんな旦那様が欲しい』『ギャップが尊い』とのことで」

「うるさい、黙れ。全員、眼科に行けと言っておけ」

 隼人は頭を抱えた。

 そこへ、いつものように決裁書類を抱えた小夜子が入室してきた。最近の小夜子は社長室に出入りして、積極的に業務のサポートを行っている。

 足音を立てず、空気のように近づく。彼女はデスクの上の
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     分厚いガラス扉の向こうに、黒いサーバーラックがいくつも並んでいる。 部屋全体が強力な冷房で冷やされており、電子機器特有の乾いた匂いが鼻を突く。「わあ……」 先ほどの施設管理部門とまた違う雰囲気に、子供たちが歓声を上げる。 何台ものサーバーの冷却ファンが回転する、フォーという低い唸り音が空間を満たしていた。 色とりどりのLANケーブルは束ねられ、見事な美しさでラックの裏側に這わせられている。 ガラス扉の手前のオペレーションルームには、複数の大型モニターが壁沿いに設置されている。 デスクに向かっているのは、理玖の父である翔吾だった。(あっ、父ちゃんがいる) 翔吾は銀縁眼鏡を指で押し上げ、モニターの情報を確認しながら、キーボードを軽快に叩いている。 カチャカチャカチャという、打鍵音が途切れなく響いていた。「ここはシステム管理室です。翔吾さん、解説をお願いします」 引率スタッフの言葉を受けて、翔吾がキャスター付きの椅子を回転させる。子供たちに向き直った。「システム管理室は、ホテルのあらゆる情報を管理する場所だよ。みんなが見ているあの画面には、客室のエアコンの温度、レストランの予約状況、スタッフの配置データなどが全部集まってくるんだ」 いつもは誰に対しても丁寧な口調で喋る翔吾だが、今日は子供相手だからと気を遣っているようだ。 ちょっと棒読みで、理玖は思わず笑いそうになるのをこらえた。(父ちゃん、家で説明を練習してたもんな。でも棒読みだよ!) ふと実加を見ると、はっきりと笑いを噛み殺している。母子は視線を交わしてぐっと腹に力を込めた。 彼らの様子に気づいたのだろう。 翔吾の頬が赤くなった。 それでも表面上は冷静なふりをして、モニターを指さした。 モニターには、数字とグラフが規則正しく並び、リアルタイムで更新されている。「ホテルという大きな建物の中で、情報が迷子にならないように、ここで地図を見ているんだよ。例えば、お客

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     スタッフがバルブの調整を終え、額に浮いた汗を首に巻いたタオルで拭った。「巨大なボイラーでお湯を作り、ポンプでホテルの最上階まで汲み上げます。もしここで機械が止まってしまったら、ホテル全体が真っ暗になり、お湯も出なくなってしまいます。お客様の目には触れない場所ですが、彼らがいないとホテルは1日も機能しません」「すごいね」「ね!」 子供たちは巨大な機械の並ぶ光景に目を輝かせている。 理玖は壁に沿って走る青色の太い配管に近づいた。 指先でそっと表面に触れてみる。 結露した冷たい水滴が指を濡らし、金属の鋭い冷たさが肌に伝わってきた。 ごくわずか、ごうごうと水が流れる音も聞こえてくる。「あ、こら。危ないから触らないでね」 作業着のスタッフが慌てて声をかけてきた。理玖は「ごめんなさい」と言って壁から離れた。(ここは秘密基地みたいだ。ホテルの裏側に、こんなすごい機械がいっぱい隠れてるなんて知らなかった。この太いパイプの中を、客室に行く水が通ってるんだな) 理玖は配管の先が、天井のコンクリートを抜けて上の階へ繋がっているのを見上げた。 どこまでも続くパイプの列に、建物の巨大さを改めて思い知らされる。「配管の点検では、水漏れがないか、圧力メーターの数値が正常かを確認します。ちょっとした異音から故障の兆候を見抜く耳の良さも求められます」 スタッフが円形のメーターを指差しながら補足した。 赤い針が、緑色の安全な範囲の真ん中にピタリと収まっている。 理玖はメーターの数字をじっと見つめて、その針が微かに揺れるのを観察した。 理玖の目では細かい内容は分からないが、スタッフたちには分かるのだろう。 針の動きを見て、何事か言葉を交わすとまた作業を始めていた。(かっこいい。プロの仕事だ) 理玖はすっかり感心してしまった。「ありがとうございました!」「パイプ、すごかったです!」 子供たちは彼らに挨拶をして、地下の施設管理部門を出た。

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    「このおさかな、いくらでかったの?」 唐突な質問に、担当者が目を丸くした。まさか3歳児から原価を聞かれるとは思わなかったのだろう。「えっと、これは市場の価格変動があるから一概には言えないけれど、今日はキロあたり……」 美夕は小さな指で納品書の数字をなぞる。 価格に納得したようで、うんうんと頷いた。「きせつのかんりは、だいじよね。いいものを、やすくしいれるのが、けいえいのきほんよ」 引率スタッフや周囲の大人たちが、苦笑いを漏らした。 理玖は発泡スチロールの箱から漂う潮の匂いを大きく吸い込んだ。鼻の奥が少しツンとする。(ただ食材を買うだけじゃなくて、全部調べてからホテルに入れるんだ。入り口の門番みたいだな。ここで変なものを入れたら、お客さんがお腹を壊しちゃうかもしれないし) ピーッ。「はい、みんな! 危ないから下がってね!」 フォークリフトがバックする電子音が鳴って、引率係が前に出た子供を押さえた。 理玖は慌てて安全な場所まで下がる。 購買・研修部門はそれからも一通りの見学をして、終わりとなった。◇ 次に一行が向かったのは、地下の施設管理部門だった。 非常階段を降りるにつれて、空気が徐々にひんやりとしてくる。 重い鉄製の防火扉を開けると、そこはまるで別世界だった。迷路のように入り組んだ薄暗い地下空間が広がっている。 天井には銀色や青色、黄色に塗られた太いパイプが網の目のように這い回っている。「うわあ、すごい。迷路みたい」 子供たちは驚きに目を丸くしている。 部屋の奥には巨大なボイラーや発電機が並び、低い重低音が常に腹の底に響いていた。 オイルの匂いと、微かな埃の匂いが混ざった、機械室特有の空気だ。 作業着姿のスタッフが数名、巨大な配電盤や計器類の前に立っていた。 チカチカと点滅するランプの光が、彼らの真剣な横

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     引率スタッフに連れられて、いよいよ一行はホテルの裏側へと足を踏み入れた。「皆さん、はぐれないでくださいね。まずは購買・研修部門へ向かいます」 最初に訪れたのは、一階奥の搬入口に隣接する購買・検収部門だ。 自動ドアが開くと、大型トラックのディーゼルエンジンの低い振動が床から足裏へと伝わってくる。 排気ガスの匂いに混じって、土のついた根菜類や、段ボール箱の紙の匂いが入り交じっていた。「でっかいトラックがいるよ!」 子供たちは早くも大はしゃぎだ。 搬入口は外気に開かれており、初夏の風が吹き込んでくる。 木製のパレットに積まれた無数の食材や備品が、フォークリフトで次々と運ばれていく。 黒いゴムタイヤがコンクリートの床を擦る摩擦音が響き、警告音がピーッピーッと規則正しく鳴っていた。「わあ、すごい。車が荷物を運んでる」 フォークリフトの動きに、特に男の子たちが目を輝かせた。 検収担当のスタッフが、クリップボードを手に立っていた。 真っ白な白衣に身を包み、鋭い目つきで荷物を見下ろしている。 彼の前には、発泡スチロールの箱に氷詰めされた巨大な魚が数本並んでいた。銀色の鱗が、蛍光灯の光を鈍く反射している。 氷が溶けて水滴が落ちる、ピチャピチャという音が足元で聞こえる。 担当者は金属製の棒状の温度計を取り出し、魚の身の中央部に突き刺した。デジタル表示の数字がパラパラと切り替わる。「購買・検収部門は、ホテルの巨大な胃袋を満たす入り口です。つまり、お客様のお腹をいっぱいにするための最初の場所ですね」 引率スタッフが声を張って説明を始めた。「毎日何トンもの食材や備品がここに届きます。担当者は、注文した品物が正しい数量で届いているか、品質に問題はないか、温度管理は適切かを厳しくチェックします。少しでも鮮度が落ちていたり、規格に合わなかったりするものは、決してホテルの中には入れません」 担当者が温度計の数値を読み上げた。横のスタッフがチェックリストにペンを走らせる。 担当者も親なの

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     理玖は床に、母の実加は椅子に座っている。 実加は客室清掃スタッフの制服姿で、髪を後ろでキッチリと束ねて後れ毛一つ出していない。 彼女の服からは、業務用の柑橘系洗剤の匂いがほのかに漂っていた。 前方には小夜子が立っていた。タイトスカートのスーツに身を包み、手にはマイクを握っている。 マイクを通した小夜子の声が、プレイルームの壁に反響した。「本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。これより、サンクチュアリの裏側を巡る公式職場見学ツアーの概要をご説明いたします」 小夜子は手元の資料をめくった。「ホテルという巨大な組織は、お客様の目に見える華やかな表舞台だけでは機能しません。その土台を支える、数多くの裏方部門が存在します。本日は子供たちに、ご両親がどのような環境で、どのような役割を担ってホテルを支えているのかを学んでもらいます。これは情操教育の一環でもあり、また、従業員の皆さんも自分たちの部署以外の理解を深める機会でもあります」 保護者たちが頷いた。実加も真剣な顔つきで話を聞きながら、理玖の背中を見つめた。 サンクチュアリは大きなホテルだ。 それだけに、従業員と言えど自分の担当部署以外のことは詳しくない。(子供用の解説ツアーだが、良い機会だ) 実加はそう考えている。 小夜子はホワイトボードに貼られた館内図を指し示した。赤いマーカーで順路が引かれている。「本日のルートは、購買・検収部門、施設管理部門、システム管理部門の3箇所です。その後はウェディング部門とレストラン部門へ向かいます。ホテルを物理的、情報の両面から支える中枢神経とも言える部署です。普段は関係者以外立ち入り禁止のエリアですが、本日は特別にご案内します。各部門の責任者が業務内容を解説いたしますので、子供たちは質問があれば遠慮なく聞いてください」「はーい!」 子供たちの間から、わぁっと歓声が上がる。 引率の若手スタッフが、首から下げるお揃いの小さなネームプレートを配って回った。 そこには手書きで「ゲスト」と書かれている。

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     理玖は唇を噛んだ。 遊び半分の探検が、どれだけ危険で迷惑な行為だったのかを突きつけられる。 だが隣に座る3歳児は違った。 美夕は出されたカップを両手で持ち、陶器から伝わる温かさを小さな指先で確かめている。 ハーブティーを一口すすると、ほうっと息を吐き出した。「でも、おかあさま。げんばをみないと、けいえいできないわ。おへやがきれいにされてるか、ちぇっくするのはたいせつなことよ」 3歳児の堂々たる反論に、理玖は思わず口を半開きにした。(美夕ちゃん、あのお説教を聞いてまだ言い返せるの? 心が強すぎ) 小夜子は手元のスケジュール帳に視線を戻して、わずかに頬を緩めて柔らかく微笑んだ。 厳しくも冷静な支配人という仮面が外れて、そこには1人の親として、教育者としての表情がある。「なるほど、現場を知るのが経営の基本。その通りですね」 小夜子は万年筆を置く。優しく微笑みながら理玖と美夕を見下ろした。「ならば、コソコソと隠れるのではなく、正面から堂々と視察できる機会を設けましょう。来週、『従業員家族向けの公式職場見学ツアー』を開催します。あなたたちには、第1回のゲストとして参加してもらいます」 小夜子の即断即決に、理玖は目を丸くした。(小夜子おばちゃん、怒らないどころか新しいイベントを企画しちゃったよ。経営者って、頭がいいんだな……。普通なら正座のお説教なのに) 理玖は隣でティーカップを傾ける美夕と、手帳に予定を書き込んだ小夜子を交互に見比べた。「さて。そうと決まれば具体的な計画を詰めなければなりません。理玖くん、美夕。ホテルのどこが特に見たいですか?」 問われて理玖ははっと顔を上げた。 見たい場所はたくさんある。でも彼が一番興味があるのは、もちろんあそこだ。「父ちゃんが働いているところを見たいです!」「ええ、了解しました。翔吾さんのシステム部はもちろん見学に組み込みましょう」「わたしは、レストランとちゅうぼう。おしょくじはだいじ」

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