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last update Last Updated: 2025-09-01 17:10:27

 父は生前、家の一階で小さな馬具屋を営んでいた。地下には工房があって、店は一階。二階は住居で、僕たちはそこで暮らしていた。店ではおもにくらを売っていて、父は工房でそれを作っていた。オーダーメイドで丁寧に作られるくらは、多くの人に求められ、店は子どもでも理解できるほど、繁盛していた記憶がある。

 火事で家はすっかり焼けてしまったが、地下の工房だけはわずかに残り、作りかけのくらがいくつかのこされていた。それが父の唯一の遺品だ。それもあって、僕は自然と馬に興味を持つようになり、祖父に「馬の仕事ならなんでもいい、たずさわってみたい」と話して、運よく紹介してもらった。そうして、今に至った――というわけである。

 約数十分ほど経ち、列車が駅に到着する。予定時刻の十二時きっかりだった。だが、しっかり停車しても、僕はなかなか立ち上がることができない。極度の緊張のせいだ。まずは深呼吸をする。それからわかりきっているのに、腕時計で時間を確認し、荷物を持ち、ようやく立ち上がった。

 明らかに観光客と見られる人の波に揉まれて、列車を降りる。フェリーがどうのとか、トレッキングコースがどうのとか、彼らの暢気のんきな会話や笑い声が少しだけうらやましかった。

 足早に改札を出ると、ちょうど目の前には一台の車が停まっていた。黒いワゴン車だ。車体はピカピカに磨かれて、太陽の光に反射し、まぶしいほど光っているが、足回りには泥が付着している。

 ピカピカに磨かれた車体のせいで、余計にそれが目立ってしまって、お世辞せじにも綺麗な車とは言いがたい。目を細めていると、運転席にいた男も目を細めながらこちらを凝視ぎょうしして、車から降りてきた。

「やあ!」

 背丈は僕と同じくらいだろうか。細身で、背すじがピンと伸びている。身なりはずいぶんと着古したブルゾンにジーンズを穿いていた。足下はスニーカー。だが、黒い車と同様、所々に土汚れがついている。それを見れば、彼が乗馬クラブの人かもしれない――と、僕は自然と察することができた。

「もしかして……、君がオリバー・トンプソン?」

「はい……」

 僕が彼を乗馬クラブの人間だと察したように、彼もまた僕を見て、新人きゅう務員むいんだと察したようだ。僕はドキドキしながら手を差し出した。

「はじめまして。オリバー・トンプソンです」

「あぁ、よかった……! オレはライル。ライル・ロバーツ。ウィンダミア乗馬クラブの厩務員きゅうむいんをやってるんだ。オーナーに頼まれて迎えにきたよ」

 ライル・ロバーツ、と名乗ったその人はそう言って、僕が差し出した手をぎゅっと握る。あいさつの握手にしては、少々力が強く感じた。

「いやぁ、すぐに見つかってよかった」

「お……、お迎えにきてくれて、ありがとうございます。よろしくお願いします」

「よろしく。さぁ、乗って。みんな、クラブで君を待ってる。――あぁ、荷物は後ろへ置いてくれ」

「はい」

 ライルさんは、僕を車の助手席へ乗るようにうながし、僕は手荷物を後部座席へ置いて、助手席へ乗り込む。車はすぐに走り出した。ラジオからは流行の歌が流れている。助手席の窓は少しだけ開いていて、そこから乾いた風が吹き込んでくる。緑と土の匂いがする。

「ロンドンから来たんだっけ。この辺は田舎でびっくりしただろ」

「いえ……。僕の住んでいたところはロンドンといっても郊外でしたから……。それにここは可愛らしい町で、素敵です」

 ロンドンの郊外にあった祖父母の家は、とてもこじんまりとしていたが、僕は好きだった。長年住み慣れた土地というだけでも、そこは魅力的だと思えるものだが、しかし。このウィンダミアも、まだ来たばかりではあるが、それに似た雰囲気を感じる。

 建物も道も古いようだが、どこか控えめに建っているような雰囲気が可愛らしく、また、とても綺麗だった。それは今日まで、この町が人々によって大切に守られてきた証だろう。

「僕、ここが好きです」

「ありがとう。ウィンダミアは今回が初めて?」

「はい」

「そうか。馬は? 乗った経験ある?」

「何度か……。でも、本当に数えるほどしかなくて……お恥ずかしいですが……」

 僕がこれまで馬に乗った経験は本当に言葉通り、数えられるくらいだった。それも学校の授業で乗っただけ。乗馬に関しては素人同然だ。

「ほとんど、なにも知らないんです……」

「あぁ、時々そういう人もいるよ。大丈夫。君はまだ若いし、すぐ慣れちゃうって」

「ありがとうございます」

「オレは小さいころから乗ってるからさ。馬について知らないことはほとんどないと思うんだ。なんでも聞いて」

 そう言いながら、ライルさんはハンドルを握り、ふふんと鼻を鳴らした。自慢げな彼の口調は、やや鼻につくが、僕はうらやましかった。多少の経験でもなければ、そうはなれないだろう。

「しかし……、ロンドンの方からこんな田舎へ来るなんて、君は変わってるなぁ。馬の仕事なら向こうにもたくさんあったんじゃないか?」

「はい……。でも、おじいちゃ――祖父が、ウィンダミア乗馬クラブの社長さんをとてもいい人だと話していましたから。それに、僕は田舎の方が好きなんです」

「ふうん。まぁ、シティから来た人間はみんなそう言うね」

「はぁ……、そうですか」

「そうだよ」

 ライルさんはそう言うと、今度は意地悪そうな笑みを浮かべて「今に不便で泣きを見るぞ」とおどすように付け足した。それから、ラジオから流れる曲に合わせて、陽気な鼻歌を唄い出す。僕はひとまず苦笑いで返し、窓の外を見つめた。そうして、窓のすき間から入る風の匂いを感じながら、彼の歌を聴くことにした。

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  • 君と風のリズム   12ー9

    「彼は繊細なんだ。気を付けてくれよ」 リーさんはそう言って、その場を去ろうとする。僕は隣にいるハーヴィーの瞳を見つめる。彼の目は伏せられ、とても――悲しげだった。僕はその瞳を見て、初めて彼と出会ったときのことを思い出す。 ハーヴィー……。『オリバー、君は優しくしてくれる?』 彼が初めて、僕の心に訊ねたあの日と、今の彼の瞳は、表情は、あの日と同じだ。僕はごくり、と唾を飲む。それから、拳を握り、気を奮い立たせて駆け出した。「リーさん……っ、リーさん!」 ここで引き下がるわけにはいかない。ハーヴィーを守ると、もう何度も心に誓った。僕はそれだけでここまで来たのだ。襲い来る恐怖と不安を断ち切り、懸命にリーさんを追いかける。「リーさん! 待ってください!」「……なんだね」「あの、僕は……、この数ヶ月間、ずっと彼と……、スノーケルピーと一緒に過ごしてきました。彼の世話をして、家族以上に密に、接してきました。僕は彼が好きだし、彼も僕を好いてくれているんです。たぶん……、この乗馬クラブの誰よりも、です……」「ほう」「これは自慢とか、あなたへの当てつけじゃない。本当のことなんです。僕たちはすごく相性がよくて、今や彼は僕にとって、なくてはならない存在になりました。パートナーなんです。だから、その……」「だから?」「スノーケルピーを、僕に譲っていただけないでしょうか……!」「君に?」「お金なら払います! お願いします! 必ず、必ず彼を幸せにするので……」 リーさんは目をぱちくりさせたあと、今度はその目をゆっくりと細めた。そうして、訊ねる。「オリバーくんといったかな。君の月収はいくらだね」「千……五百ポンド、くらいです……」「そうか。この馬の値段はね、五万ポンドだ」「五万ポンド……」 五万ポンド。それは僕の月収どころではない。年収をはるかに超える額だった。僕は息を呑む。「私と君が値段交渉をするということになれば、それ以上にはなるだろう。そして馬は生きている。生涯かかる金はその何十倍、いや……何百倍にもなる」「はい……」「わかったかな? 残念だが、そういうことだ」 そう言って、リーさんは去っていく。その細い背中を、僕は見つめた。あまり

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  • 君と風のリズム   12ー4

     僕はホッとして、再び常歩を指示し、放牧地の中をラウンドする。柵の外で見守っているライルさんも、親指をぐっと立てて見せている。きっとこの安定感が彼の目にも見えているのだ。僕は彼に返すように、親指を立てて、手を挙げた。しかし、その時だ。「やぁ! しばらくだね、ライル君」 ひとりの男がライルさんに近づき、声をかけているのが視界の端に見えた。聞き覚えのある声にビクッと体が震える。全身から冷や汗が滲み出る。この低い声は間違いない。あの男だ。 デクスター・リー……。 動揺しながらも、その名前を思い浮かべる。手綱を握る手もじっとりと汗ばんでいく。すると、常歩でゆったりと歩いていたハーヴィーが突如、駆歩を出した。僕は驚いて、慌てて手綱を引く。だが、彼は首を振って、まるで言うことを聞かない。「スノーケルピー、待って……! 落ち着いて……!」 ――嫌だ。あの人が来てるよ。「大丈夫だよ、あの人は君になにもしないさ。僕が一緒にいるんだから、大丈夫」 ――嫌だ。会いたくない。あの人の顔なんか見たくもないよ。「ハーヴィー……っ」 ――わかるだろ、オリバー。あの人は、ぼくたちを引き裂こうとしてるんだ。 彼は足を止めず、放牧地の端まで一気に駆けていく。まるで、リーさんから逃げるかのように。もうライルさんもリーさんも、とても小さくなって、声は当然聞こえない。そこでようやく、ハーヴィーは止まった。「ハーヴィー、だめだよ。僕たちは特別の相性なんだってところを、彼に見せなくちゃ。そうすれば大丈夫だって、そう話していたのは君じゃないか」 ――もちろん、わかってるよ。でも、今は本当に会いたくないんだ。せっかく、いい気分だったのに、ここであの人に会ったりなんかしたら全部台無しにされる。 ごもっともだった。僕だってあの男には会いたくない。しかし、騎手としては馬主が来ているのに、挨拶をしないわけにもいかないのだ。「でも……、挨拶しなくちゃ」 僕はそう言って、首のあたりを撫でる。すると、そこへ。不意に一頭の人馬が近づいてきて、騎手が僕に声をかけた。「こんにちは」「あ――……。こ、こんにちは……」「いい馬ね。とても賢そう。それに綺麗

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