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5-2

last update Last Updated: 2025-09-08 07:49:08
「さぁ、ここまで来れば大丈夫だね」

 そう言うが早いか。ハーヴィーは草の上にごろんと横になった。そうして「気持ちいい夜だなぁ」と言いながら、目をつぶる。僕はその隣に座って、彼の穏やかな表情を見つめていた。

「ハーヴィー、すごくいい顔してる」

「そりゃそうだよ。今日は最高の一日だったもの」

「そうだね」

 僕にとっても、今日は最高の一日だった。ハーヴィーに乗って、彼と意識の深いところで繋がり、互いの意思を交換し合い、言葉ではなく、心で会話をした。それは今、思い出しても、とても気持ちがいいものだった。ただ、そう思っていたのはハーヴィーも同じだったのだと、それを言葉で伝えられれば、途方もなく嬉しい。きっとそうだったのだろうと、わかっていても、だ。

 ハーヴィーはそばに生えている花の匂いを嗅いだり、時々、僕のひざ小僧こぞうに顔をすり寄せて甘えたりしながら、草の上でゴロゴロとしている。穏やかな時間は、僕にとっても至福の時間だった。さっき、宿舎を出る時には少し肌寒く感じていた風も、二人でこうしているとちょうどいい涼しさだった。

「いい風だ……」

 僕は呟く。だが、突然。ハーヴィーは「そうだ!」と声を上げて、起き上がった。

「どうしたの?」

「いいこと考えた。オリバー、とびっきりの魔法を見せてあげようか」

「とびっきりの魔法?」

「そう」

 返事をすると、ハーヴィーはすぐに青白い光に包み込まれ、馬の姿に変わった。僕はぱちぱちと瞬きをして、首をかしげる。

「ハーヴィー?」

「さぁ、乗って。オリバー」

「乗……って? で、でも……、君、今はくらがないじゃないか……。それに手綱たづなも」

「そんなのなくたって平気だよ。ちょっとぼくにつかまっててくれたら」

 ハーヴィーがそう言うので、僕は仕方なく彼の背によじ登るようにして、そこへまたがった。そうして首の辺りにしがみつく。手綱たづなくらもつけていない裸馬はだかうまなんて、乗ったことがない。こうして、ただまたがっているだけで、今にも落ちてしまいそうで、僕は何度も座り直し、ハーヴィーの首にぴったりと抱きついた。

「こうでいいの?」

「そう。じゃあ、行くよ!」

「行くって、どこに?」

「風になるんだ!」

 そう言うが早い
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  • 君と風のリズム   5-2

    「さぁ、ここまで来れば大丈夫だね」 そう言うが早いか。ハーヴィーは草の上にごろんと横になった。そうして「気持ちいい夜だなぁ」と言いながら、目を瞑る。僕はその隣に座って、彼の穏やかな表情を見つめていた。「ハーヴィー、すごくいい顔してる」 「そりゃそうだよ。今日は最高の一日だったもの」 「そうだね」 僕にとっても、今日は最高の一日だった。ハーヴィーに乗って、彼と意識の深いところで繋がり、互いの意思を交換し合い、言葉ではなく、心で会話をした。それは今、思い出しても、とても気持ちがいいものだった。ただ、そう思っていたのはハーヴィーも同じだったのだと、それを言葉で伝えられれば、途方もなく嬉しい。きっとそうだったのだろうと、わかっていても、だ。 ハーヴィーはそばに生えている花の匂いを嗅いだり、時々、僕の膝小僧に顔をすり寄せて甘えたりしながら、草の上でゴロゴロとしている。穏やかな時間は、僕にとっても至福の時間だった。さっき、宿舎を出る時には少し肌寒く感じていた風も、二人でこうしているとちょうどいい涼しさだった。「いい風だ……」 僕は呟く。だが、突然。ハーヴィーは「そうだ!」と声を上げて、起き上がった。「どうしたの?」 「いいこと考えた。オリバー、とびっきりの魔法を見せてあげようか」 「とびっきりの魔法?」 「そう」 返事をすると、ハーヴィーはすぐに青白い光に包み込まれ、馬の姿に変わった。僕はぱちぱちと瞬きをして、首を傾げる。「ハーヴィー?」 「さぁ、乗って。オリバー」 「乗……って? で、でも……、君、今は鞍がないじゃないか……。それに手綱も」 「そんなのなくたって平気だよ。ちょっとぼくにつかまっててくれたら」 ハーヴィーがそう言うので、僕は仕方なく彼の背によじ登るようにして、そこへ跨った。そうして首の辺りにしがみつく。手綱も鞍もつけていない裸馬なんて、乗ったことがない。こうして、ただ跨っているだけで、今にも落ちてしまいそうで、僕は何度も座り直し、ハーヴィーの首にぴったりと抱きついた。「こうでいいの?」 「そう。じゃあ、行くよ!」 「行くって、どこに?」 「風になるんだ!」 そう言うが早い

  • 君と風のリズム   5 風になる

     夜――。数年ぶりに馬に乗った僕は、心地のいい疲れに浸る暇もなく、机に向かい、乗馬の本を読みながら、夜が更けるのを今か、今かと待っていた。ハーヴィーに乗ったのはもう数時間も前のことなのに、まだ少し興奮していて、思い出せば胸が高鳴ってしまう。体中がうずうずして、本当ならベッドに横になってのんびりしていたいのに、そうもしていられない。 ――オリバー、ぼくを信じて。 あの時、ハーヴィーの言葉と優しい声が、極度の緊張でアガってしまった僕を正気に戻してくれた。技術も自信も経験もない僕に、彼は、互いに心が通じているから大丈夫だと、そう言ってくれた。おかげで僕は、ライルさんやみんなに無事に認められ、スノーケルピーの担当厩務員となったのだ。あのルークさんでさえ、「相性のいい子がスノーケルピーなんて、ずるいや」と口を尖らせながらも、僕の成長を褒め、喜んでくれていた。 ここまではなにもかもハーヴィーの作戦通り。僕はひとまずほっとしていたが、同時に大きな目標を再確認させられていた。 ハーヴィーのために、早く一人前にならなくちゃ――。 今日のことは、すべてハーヴィーがいたからこその結果である。僕は彼なしでは調教はおろか、馬にだって満足に乗れやしない。このままでは、いつまでもハーヴィーにおんぶにだっこ。彼に負担がかかるばかりだ。僕は、それは嫌だった。なるべくなら、ハーヴィーの負担がないように、僕だって乗馬の技術や知識をこれまで以上に勉強し、馬を深く知りたい。与えられた職務を自信を持って熟(こな)し、恥じないだけの技量を得て、厩務員として早く一人前になりたい。それはきっと、ハーヴィーの幸せに通じている。さらに言えば、馬の仕事に没頭し、馬に魅せられた父の思いを知るきっかけにもなるはずだ。 父さんにも、特別に思い入れのある馬がいたのかも……。ハーヴィーは厳密にいうと馬じゃなくて、馬の妖精だけど……。 なによりも、僕はハーヴィーをもっと知りたかった。ライルさんから聞いたケルピーの伝説では、あまりに美しい姿に人間は魅了され、その背に乗った途端、あの世に連れていかれてしまうのだというが、ハーヴィーにはそんな狡猾さは微塵にも感じない。むしろ彼は、犬のように従順で、心配になるほど純粋だった。そんな

  • 君と風のリズム   4-6

     どうしよう、どうしよう……。なんにも思い出せない……。 頭の中は真っ白だ。だが、ここで大失敗をするわけにはいかない。ライルさんとハーヴィーからの信頼を失ってしまわないために、どうにか上手くやらなければ。その重圧と不安が襲いかかり、体中からは冷や汗が噴き出していた。「オリバー、どうした? 脚を入れて。馬を出すんだ」 脚……。 ライルさんの声が微かに聞こえる。だが、足が動かない。まるで、体と心がそれぞれ別人のものになってしまったかのようだった。『人間の緊張状態は、馬に自然と伝わるものだ。乗るときはリラックスして、王様になったような気持ちで乗ること。でないと、馬まで緊張して、突然走り出したりするからね』 かつて、乗馬の体験授業で習ったときの記憶だろうか。もう顔もほとんど覚えていない講師の教えが、不意に脳内に浮かんだ。僕は焦りを感じながら、グッと目を瞑る。こんなにも緊張した状態で馬に乗っていることが、本来ならどれほど危険か。そんなことばかり考えてしまう。しかし、その時だった。 ――オリバー、大丈夫だよ。 不意に、ハーヴィーの声が聞こえた。柔らかな口調と声に、僕はハッとした。「ハーヴィー……」 思わず、彼の本当の名前を呼んだ。するとまた、頭の中にハーヴィーの声が響く。 ――絶対に大丈夫。ぼくを信じて。なにもかも、うまくいくから。「でも……、僕……」 ――大丈夫。目を瞑って。 言われるまま、僕は目を瞑る。 ――そのまま、ぼくの体に触って。 やはり言われるまま、僕は手綱を握っていた右手を放し、そっとハーヴィーの首に触れた。手の平から彼の体温が伝わってくる。その温かさには、どこか硬直していた体や心臓がほぐれていくような感覚を覚えた。 あぁ、あったかい……。 冷や汗で、指の先まで冷たくなっていたというのに、手の平はどんどん温まっていく。その熱が体中に届いて、やがて胸の奥までじんわりと熱くなった。呼吸が落ち着いてきて、そのリズムは次第にハーヴィーの呼吸の音と重なった。 ――目を開けて。 また、ハーヴィーの声がした。彼に誘われるように、僕はぱち、と目を開ける。とても不思議だった。自分でも驚くほど、今、僕は落ち着きを取り戻している。さっきまで

  • 君と風のリズム   4-5

    「オリバー? どうした?」「いえ……、なんでも」 ひと言、そう言って笑みを見せる。それからタックルームを出て、馬房に戻るまでライルさんも僕も、なにも話さなかった。だが、ハーヴィーの馬房に戻ると、ライルさんは耳打ちをするかのように、ハーヴィーに声をかける。「スノーケルピー、今日は絶対に乗せてくれよ。君の友達が乗るんだ。いいな?」「え……」 僕は驚いてライルさんを見つめるが、彼は僕を一瞥して、さらに続けた。「彼はこのクラブで一番優しい男だ。それを君もわかってる。そうだな?」「ライルさん……。まさか今日の調教……、最初から僕が乗るんですか?」「もちろん。君だってそのつもりでオレのところへ打診しにきたんじゃなかったのか?」 ライルさんは意地悪そうに笑った。無論、彼の言う通りではあるものの、僕は慌てて、かぶりを振った。「でも……、でも僕はまだ、乗馬経験が数回しか――」「大丈夫。オリバーだって、もっと馬に乗れないと仕事にならないし、慣れるのにはちょうどいいタイミングだよ」「そう……ですけど……」「大丈夫だって」 ライルさんに、馬術で使用する専用の頭絡を渡され、不安と緊張で胸がドキドキと高鳴る。半ば勢いばかりでここまで来てしまったことをほんのわずかに後悔したが、もう後戻りはできないこともわかっていた。ひとまず、一度だけ深呼吸をする。ライルさんに馬術専用の頭絡の装着方法を教わりながら、ハーヴィーの頭部にしっかりとそれを装着させ、鞍を背に乗せる。それから、しっかりと腹帯を締める。「これでよし。さぁ、馬場に出るぞ」「本当に大丈夫かな……」 しかし、やはり不安で堪らなくなって、僕はハーヴィーの顔を撫でて、そこへ額をつけた。彼の声は聞こえない。恐らくはそれこそがハーヴィーの返事なのだろう。心配ない――と、彼はそう言っているに違いなかった。ただし、そうであっても、僕の不安が消えるはずはなかった。 もちろん、ハーヴィーに乗るということ自体に恐怖はない。乗馬の経験も少しずつ、積んでいかなければならないことも理解している。それでも、ハーヴィーが本当に僕を受け入れてくれるのか。それに自信はまだなかった。いくらハーヴィーが僕を好いてくれ

  • 君と風のリズム   4-4

    「数回、あるかないか……」「君たちはきっと相性がいい。運命なのかもしれないよ」 ライルさんがそう言うと、ハーヴィーがふわりとしっぽを振った。きっと喜んでいるのだろう。そんな彼を見れば、僕もなんだか嬉しくなって、自然と笑みが零零れる。「そうなのかもしれません。でも、運命だなんて……。なんだかちょっとスピリチュアルだ」「そうとも。知らなかったのか? 馬ってのは、スピリチュアルな生き物なんだよ」 ライルさんと僕は顔を見合わせて笑う。ハーヴィーとの出会いが運命的だったか――と問われれば、それは否定できなかった。 初めて彼に会った日。視線がぶつかったあの瞬間に聞こえた声は、きっと僕にだけ聞こえていたのだ。しかも、彼はただのサラブレッドではない。ケルピーという妖精で、しかも王子様だった。こんな出会い、誰にでも訪れるものではない。人生のうちで数回どころではない。恐らく、もう二度とない。「運命かぁ……」 そう呟き、泡だらけになったハーヴィーの体を水で流しながら、ふと思う。ハーヴィーとはきっといい友達になれる。いや、最高の親友になれる。その確信が、僕にはあった。ただし、彼は妖精。ケルピーの王子。一緒に過ごす時間は限られている。もしかすると、ある日突然、別れが訪れるかもしれない。 帰り道がわかったら、ハーヴィーはきっと元の世界に戻ってしまうのだろう。いつまでもこの世界で、サラブレッドとして厩舎に飼われ、こんなふうに暮らしてはいられないはずだ。いずれ、時が来れば。僕と彼は別れなければならなくなる。 お別れするのはちょっと寂しいけど、でも、ハーヴィーにとってはそれが一番の幸せだもん。……しようがないよね。 それもまた運命だ。ハーヴィーの体の泡を流したあと、僕は汗こきで彼の体の水分をよく落としていく。そうしながら、心の中で強く決意していた。限りあるハーヴィーとの時間を、大切にすること。そして、ハーヴィーが妖精界に帰れるようになるまで、リーさんから、彼を守り抜くこと。 ハーヴィー。君がこの世界にいる限り、僕は君を守るよ。 首を撫でて、心の中で語りかける。すると――。ハーヴィーの声が頭の中に響いた。 ――ありがとう、オリバー。ぼく、君が大好きだ。*** その日の午後は、これまで全くできずにいた調教に挑戦してみることになって、僕は少し緊張

  • 君と風のリズム   4-3

    「馬が緊張するから、行って」 ライルさんが声をかけると、厩務員たちはそれぞれの持ち場に戻っていく。ただ、ルークさんだけは周辺をうろうろとしながら、心配そうにこちらを気にしていた。無理もない。先月入ったばかりの未経験者の新入りが、ベテランでも手を焼く暴れ馬を担当し、一人で頭絡を付けて引き、馬房の外に出そうと言うのだから。 頼むよ……。ハーヴィー……!「まず、馬の左側に立って、無口はこうやって、右手で持つ」「こう……ですか……?」「そうそう。それから、鼻先を軽く押さえて――下に引いて……。そうだ、うまいぞ」 ライルさんに教えられるまま、僕がハーヴィーの頭に頭絡を付けようとすると、ハーヴィーは大人しく頭を下げてくれた。その様子に、ライルさんは目を丸くする。「まるで違う馬みたいだな……。いつもならここで絶対に頭を振るのに」 僕が肩をすくめ、無言で微笑むと、ライルさんは続けて無口の付け方を教えてくれた。そうして最後に、それがきつくないかどうか確認し、装着は難なく終わってしまった。僕はホッとして、ハーヴィーの首を撫でてからそこに額をこつん、と合わせ、ライルさんに目をやる。ライルさんはこれは参った、と言わんばかりに眉を上げた。「信じられないな……。普段の半分の時間もかかっていない。お前、本当にスノーケルピーか?」「ライルさん。僕、このまま彼を引いて、放牧に行きます」「ああ、頼むよ」「スノーケルピー、行こう」 僕がハーヴィーに声をかけ、引き手を取ると、ハーヴィーは歩き出した。彼とともに馬房を出て、厩舎の敷地内を歩き、放牧地へ向かう。朝の澄みきった空気が気持ちよくて、僕はハーヴィーを引きながら、思いっきり深呼吸した。「気持ちいいね、ハーヴィー」 こっそり、そう声をかけると、ハーヴィーはブルル……ッと鼻息を荒くした。これは、馬がリラックスしているときに見られる反応だ。昨晩のように妖精の姿になれたなら、きっと彼は今、「そうだね」と言って、微笑みかけてくれただろう。しかし、彼は馬の姿のまま。ただ、僕の少し後方を歩くだけ。そうして、微笑むことすらしない。それでも、彼の穏やかな眼差しや

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