LOGIN「河原……?」 窺うように見上げた先で、河原はまっすぐ俺を見下ろしていた。 その物言いたげな眼差しを受け止めながら、俺は問うように呼びかける。 けれども、河原はそれには答えず、ただ少しだけ考えるような間を置いて、「たまには、暮科も……」 と、独りごちるように呟いただけだった。 ――たまには? たまにはってなんだ……? …………まさか……。 そのどこか不穏にも聞こえる言葉の先を勝手に想像し、「違うよな」と念を押すように河原を見る。 いや……だって……いくらなんでも、昨夜の今日で……。 だけどやっぱり俺は、このままもし河原にどうしてもって言われたら……。 あぁ……いや、でも――。 頭の中でぐるぐる考えているうちに、心なしか河原の顔が近づいてきて、俺はとっさに目を閉じた。 その刹那、「ピンポーン」 とまるで空気を読まない音が部屋に響いて、俺も河原もぴたりと動きを止めた。「え……誰?」 河原の声に、俺はおそるおそる目を開ける。 河原はきょとんとした顔をして、扉の方を振り返っていた。「宅配とか……くる予定あった?」 「……いや、特にない」 俺の返答に、河原は「そっか」と浅く頷くと、「じゃあ、とりあえず俺見てくるから、暮科は寝てろよ」 言うなり、俺にふわりと布団を被せてあっさりベッドを下りた。「たまにはお前も、ゆっくり寝ろよな」 そして河原はそう念を押すように言って、部屋を出て行った。 取り残された俺は、まだ少し逸る鼓動を宥めるように、密やかに――それでいて深く長い息を吐く。 ……それが言いたかったのかよ。 口元までかけられた上掛けから片手を出して、前髪を緩く掻き上げる。幾度か掻き上げては軽く掴み、そのまま小さく苦笑した。 ……そうだよ。あいつの行動に、いちいち深い意味なんてねぇんだよ。 分かっていたはずなのに、
あの河原と木崎が、わざわざ恋愛対象の話をするなんて――しかも誰が誰と寝られるかまで話すなんて、普通に考えれば不自然だ。 ……もしかして、木崎がまた何かしたのか。 嫌でも連想される木崎の顔が妙に忌々しい。俺は胡乱げに目を眇めつつ、河原の眠る部屋のドアを開けた。 俺の寝室――俺のベッドの上で、河原は相変わらず穏やかに眠っていた。 まだ寝てんのかよ。 予想はしていたものの、思わず笑ってしまう。 そのあまりに平和な様相に、できればすぐにでも問い詰めたいと思っていた気持ちが、一気に薄らいでいく。 ……まぁ、またゆっくり聞くか。 俺は気を取り直してベッドに上がると、そろそろと布団の中に潜り込み、いまだ起きる気配のない河原の身体を、背中からそっと抱きしめた。 襟足に頬を擦り寄せ、項に口付ければ嗅ぎ慣れた河原の匂いが鼻孔を擽る。穏やかに繰り返される呼吸音にほっとしながら、伝わってくる体温の心地良さに目を細めた。 そうして俺は、再び夢の中へと落ちていく。この何より愛しい存在が、いつまでも俺の腕の中にいてくれますようにと祈りながら――。 *** 次に目覚めたのは昼下がり――。 河原はと言うと、相変わらず俺に背を向けたまま眠っていた。 つーか、ほんとよく寝るな。 確かに昨夜は遅くまで起きていたけれど、それにしたってもうぶっ通しで10時間近くは寝ていることになる。 俺は額に張り付く前髪を掻き上げながら、そっとその耳元に顔を寄せた。「おいこら、いつまで寝てんだよ……マジで寝込み襲うぞ」 からかうように囁いて、耳朶にふっと息を吹きかける。それでも河原はぴくりともせず、ただすやすやと寝息を立てているだけだった。 ……まぁ、いいけどな。 お前が隣にいてくれるなら。 俺は苦笑混じりにため息をつくと、軽く伸びをしながらベッドを下りた。「とりあえず、風呂……
「いってぇ……」 翌朝、目を冷ました俺は、額を押さえながら上体を起こした。こめかみの辺りが、ずきずきと疼くような痛みを訴えていた。 そんな俺の横で、河原はこちらに背を向け、ぐっすりと眠っている。 一つのベッドで隣り合って寝ると、河原はいつもこんなふうだった。最初は向かい合っていたとしても、気がつくと身体を反転し、なんなら頭まで布団を被って隠れられてしまう。 ……まぁ、いいけどな。 俺は安らかに寝息を立てるその気配にわずかに目を細めると、サイドテーブルの上から煙草とライターだけを手に取り、静かに寝室をあとにした。「とりあえず、薬……」 それほど熱がある感じもしなかったが、少なくとも頭痛はぶり返してしまったらしい。意識すると、胃や胸の辺りも微妙にむかむかしているような気もする。 昨日に比べれば随分マシではあったけれど、このまま仕事に行っていつも通りに動けるかと言われれば、正直ちょっときびしい気もする。そう思う程度には、身体に重怠さが戻ってきていた。 ……情けねぇ。 やるだけやって、結局また不調とか――。 こんな状況、河原に知られたら今度こそ完全に治るまで顔も見せてくれなくなるかもしれない。勝手に責任を感じて、謝って、そそくさと部屋を出て行く姿が容易に想像できる。 河原が先に目を覚ましていなかったのが幸いだった。 まぁ、普段から河原が俺より先に起きることは滅多にないが。 例えばこんなふうに抱き潰してしまった翌朝でなくとも、河原は放っておくといつまでだって眠っていたりするのだ。一旦寝ると少々の物音では起きないし、時間が許す限り眠りを貪る――なんていうか、見た目に寄らず案外寝汚いタイプというか。反して俺は比較的眠りが浅く、わりと短時間の睡眠でも平気なたちだった。 そんなだから悪戯されたりするんだけどな。俺に。さすがに突っ込まれるまで起きなかった時はいろんな意味で心配にもなったが、あれに関して言えば相当無理をさせたあとだったので、むしろ木崎辺りに知られたらドン引きされていたかもしれないとも思う。 だからって別に後悔はねぇんだけ
……まさか、これでも足りねぇのか、俺の言葉って。 言ってくれないと分からない。 それは河原自身からも、何度となく言われた言葉だった。 だけど、俺には意外とそれが難しくて――。 こう……なかなか木崎のようにはいかないのだ。 まぁ、言わなくていいことまで言う木崎を見習おうなんてもともと思ってはいないけれど。 俺は自嘲気味に息をつき、無言で河原の目尻に指で触れた。「……あのな」 河原の上に影を落とし、改めてその双眸をまっすぐ見下ろしてみる。河原の目が戸惑うように揺れて、視線が中空を彷徨った。 その困ったような反応に、俺はわずかに目を細めつつ、観念したように呟いた。「言っとくけど俺、お前にしか興味ねぇから」 「……え」 「だから、もうお前しか抱けねぇから」 「え……?」 「え、じゃ、ねぇんだよ」 最後はしっかり釘を刺すように、少しだけ苦笑混じりに語気を強めた。「え……え……っ」 河原の目端が、じわじわと赤くなっていく。ようやく言葉の意味を理解したのか、そこからは一気に動揺の色を濃くして、唇をはくはくと開閉させた。 これまでにも似たようなことは何度か言ったつもりだったけど、やっぱり河原にはド直球で言わないと通じないらしい。 河原はそのまま閉口し、ただ俺の顔を信じがたいように見上げていた。 潤んだ瞳がたゆたい、上気したその相貌はすでに耳と言わず、首まで真っ赤になっていた。それはもはや、見ているこっちが恥ずかしくなってくるほどで――というか、実際俺も顔がどんどん火照ってきて……。 ――ああ、やっぱり慣れないことはするもんじゃない。 何もかも木崎のせいだ。木崎が余計なことを言ったりするから――。 河原の心音が、いまにも聞こえてきそうだった。それに呼応するよう、俺の心臓もやたらとうるさく鳴り響く。 ……もう一度河原の顔に布団を掛けても構わないだろうか。 こんな時に限って逸らされない視線
「な……なんなら、お……俺とも寝れるって……」 「は……?」 思わず声を上げると、咥えていた煙草が口からこぼれる。とっさにお手玉したそれには、今度はしっかり火が点いていて、俺は慌ててそのフィルター側を摘み直しながら、上掛けで顔を隠したままの河原を振り返った。「俺ともって、お前とってことだよな……!? そんなこと言ったのか、木崎?」 「う、うん……それが……俺、結構衝撃で……」 そりゃそうだろうな……。 思わず口端がひきってしまう。 そんな俺をよそに、河原は続けた。 「木崎は、自分のこと男としか寝れないって言って、だからなんなら俺ともいけるって。……でも、それって要するに、暮科ともなのかなって……。そしたら、例えば暮科も……もしかして将人さんと……? え? って……なんか、考えれば考えるほどよくわからなくなっちゃって……」 ……んだよ、それは……。 俺は煙草を口に戻すこともできないまま、閉口していた。 マジ笑えねぇんだよ。 頭の中に、無駄に明るく笑う木崎の顔が浮かんでくる。それが妙に忌々しくて、煙草を持つ指先に力がこもる。 恐らくは、河原のとらえ方が微妙にずれているのだろうとは思う。それは容易に想像がつく。でもそれは木崎にだって分かるはずだ。あまり認めたくはないけれど、そういう面においてあいつは本当に聡いんだから。 ……ということは。 わざとだろ、絶対……! 差し入れだけでなく、鍵の件まで黙っていたことといい……雨降って地固まるとでも言うつもりか――。 俺は布団越しの河原をどこか遠い目で見つめながら、ため息混じりに口を開いた。「……あのな、河原。分かってるとは思うけど……木崎の言うそれは例えで……ある意味一般論っていうか。お前で言えば、相手が女ならっていう――」 それと、似たような意味で……。 けれども、そう続けようとした言葉を、俺は半ばで飲み込んだ。……自分で言っておいて、それの意味するところに嫉妬した。「……まぁ、なんて言うか」
「ってぇな……なんだよ、いったい」 「なんだよじゃないだろ。なんで無視するんだよ、俺のこと」 「無視?」 俺が? 河原を?「無視なんてしてねぇよ」 心外とばかりに言い返すと、河原は仕方ないように息を吐いた。「何一人で考えてんだよ」 ややしてそう告げた河原の声は柔らかい。 どこか軽口めいたそれに、けれども俺はきわめて真面目に答える。「いや、だから……。もしお前が、どうしてもって言うなら、って……」 「なんの話?」 「なんの話って……」 すると河原は不意に破顔した。「誰もそんなこと言ってないだろ」 そして俺の足下の煙草を拾い上げながら、更に小さく肩を揺らす。「あー、でも、もし逆に……暮科が俺にって望むなら……」 独り言のように呟きながら、河原は改めて俺を見る。 窺うように向けられる視線を遮るように、俺は「いや」と食い気味に被せ、誤魔化すように口元に手を当てた。くわえている煙草に指を添えるつもりで。そこにはいま何もないのに。 というか、そもそもそれが河原の手の中にあるのははっきり見えているのに、なのにそんな行動をとるなんて――。「マジねぇわ、俺……」 恥ずかしすぎて死にそうだ。穴があったら入りたい――どころか、もはやその穴ごと生き埋めにしてほしい。 声にならない声でこぼした俺に、河原はなんでもないように笑う。それがまた居た堪れなかった。「別にさ、俺、いけると思うんだよ。暮科のこと……可愛いって思うこともよくあるし」 河原は持っていた煙草の端を軽く拭うと、凍り付いたように固まっていた俺の口元にそれを寄せた。条件反射的にそれをくわえはしたものの、俺はますます動けなくなる。河原の方がよほど平然として見える分、よけいに気恥ずかしさが増した。「でも、気持ちはそうでも、実際にってなると、まだ――」 「い……っや、いい。大丈夫。俺は全然、現状で十分満足してるし」 とは言え、これ以上変な空気になるのは堪







