ログイン見知らぬ女の唐突の挨拶に面食らった弥一はしばらくお辞儀したままの女を見つめていたが、女が顔を上げて再度自分と目が合うと、すぐさまハッとしたように我に返って女の挨拶を無視して八重子に向かって言った。
「おばあさま、誰ですかこの人?てか、何なんですかこの状況!」 そう尋ねながら、ちらりと女を見る。 その後、弥一は女のそばに寄りたくないのを隠す様子もなく、女から距離を取るようにわざと迂回して八重子に近づいていった。 その様子を見ていた八重子はこちらも不快な気持ちを一切隠すことなく、ありありとその顔に浮かべると、 「あんたみたいな女の見る目もなければ礼儀もなってないような人間を孫に持ってしまったことが、私にとって最大の汚点だわね。」 弥一はむっとする。 「見る目がないのはおばあさまのほうでしょう。彼女ほど俺に相応しい女性はいないのに。そんなことも見抜けないなんて、歳を取られておばあさまの先見の目もいよいよ陰ってきてしまったんじゃないですか?そろそろおばあさまがトップの座を降りる日も近いのかなあ。」 「言わせておけば、このクソガキ!」 八重子がガバッと立ち上がり、二人の言い争いがヒートアップしそうになったその瞬間、プッ、と言って女が吹き出した。 弥一と八重子がそちらに目を向けると、さも可笑しそうに、女が口元を隠しながらその目を三日月にして笑っている。二人から尖った目で見つめられているにも関わらず、女はまだクスクスと笑ったまま、 「申し訳ありません。どうぞ、私のことは気になさらずお続けになさって下さい。」 その晴れ晴れとしながらも穏やかな空気に充てられたのか、二人の険悪なムードはいくらか紛れたようだった。 軽く咳払いした後、八重子が口を開く。 「見る目のないあんたに代わって、あたしがあんたにピッタリな奥さんを見つけて来てあげたわよ。」 「はあ!?」 素っ頓狂な声が出る。 「みっともない声出さないでちょうだい。」 「いやいやいやいや。え、何?奥さん?はあ?」 あまりに脈絡のない話に頭が追いつくわけもなく、弥一はただただ混乱した。 そんな弥一に八重子は一切構うことなく淡々と話を進める。 「見る目のないあんたにはこの女性の良さはまだわからないでしょうけど、あんたはいずれ必ずかすみちゃんを好きになる。その未来はあたしが保証する。」 「んなわけないだろっ!」 堪らず弥一が叫ぶ。 「おばあさま、いくらなんでもやりすぎですよ!俺から愛する人を奪って、彼女の代わりにもにもならない人を勝手に用意して…俺がこの人を好きになる?ありえない!俺の気持ちを蔑ろにしすぎだ!」 八重子は小馬鹿にしたように笑うと、 「奪っただなんて笑わせてくれる。彼女は勝手にあんたから離れてったんでしょうが。まあ、そうね。その点に関しては彼女のこと褒めるべきかもね?おかげで手間が省けたわ。」 「おばあさまっ!」 食ってかかろうとする弥一を八重子は手で制すると、 「そんなに彼女が好きだってんなら御子柴家を出ていって一緒になってちょうだいな。あんたたちの愛が本物なら、例え何年か塩を舐めるような生活になるとしても乗り越えられるでしょう?」 その問いに弥一は言葉に詰まってしまう。 その様にすかさず八重子が畳み掛ける。 「おや?所詮あんたたちが語る愛ってのは御子柴家の後ろ盾あってこそのものなのかしら?」 「違う!」 「何が違うってのよ?え?」 八重子のあからさまな煽りに、弥一は悔しそうに顔を歪めながら言葉を絞り出す。 「愛してる女性をわざわざ不自由な生活に送り込みたい男なんていない!」 そう言ってから、いかにも苦しそうな表情で、 「なんでそんな意地悪な事言うんですか?おばあさまは俺が憎くてしかたないんですか?」 バカたれ。その逆だっつーの。 心の中で激しくそう突っ込みながらも、八重子は感情の昂ぶり何とか抑え落ち着いた声で諭すように言った。 「弥一。彼女に心を奪われている今のあんたじゃ、とてもじゃないけど受け入れられない提案だってことはわかる。いくらあたしがあんたのためだと言ったところで響きゃしないってこともよくわかってる。わかるけど…あたしはあたしが間違ったことをしているとは思わない。」 そう言いながら八重子は弥一の目を覗き込もうとするが、弥一はスッとその視線を躱した。 八重子は困ったようにため息を吐く。 「さっきも言った通り、それでも彼女と一緒になりたいってなら家を出な。御子柴家に居座ったままあの子と一緒になる日は未来永劫訪れないんだからね。その道を選ぶってならあたしは止めないよ。ただ、このまま御子柴家の人間として生きて行くというのなら、あたしの言いつけ通りかすみちゃんと結婚するんだ。あたしはあんたにこの二択しか与えられない。さあ、どうする?」 弥一はすぐには答えなかった。 誰に言われたわけでもないが、彼は昔から自分が御子柴家を継ぐことしか考えてこなかった。それは息をすることと同じくらい当たり前のことをで、だからこの家を出るなんて発想、微塵もなかった。 とはいえ、愛する彼女との未来を諦めるつもりも毛頭ない。祖母は彼女を誤解しているだけだ。 彼女がどんな人間で自分のことをどれほど大切に想ってくれているのかが伝わりさえすれば、祖母の頑固な頭も心も解きほぐれ、彼らの結婚を快諾してくれるだろう。 これからの長い人生を考えればいくらでもその機会はある。ただ、そのためにはすこしの間自分が折れているよう見せる必要があるだけだ! しばしの沈黙の後、弥一はちらりと女を見る。 かすみは終始穏やかな表情を浮かべていたが、弥一の視線に気付いたのか、ふいに、伏せていた目線を上げて弥一と目を合わせた。 "どうされますか?" 視線でそう尋ねられたような気がした。 挑発するでもなく、嘲るでもなく、ただただ問いかけるだけの視線に、弥一は何とも言えない感情になり、少しうろたえてしまった。 そして、そんな自分に気づき一人気まずくなった弥一は、かすみをキッと睨みつけた後、八重子に視線を移すと、 「わかりました。おばあさまがそこまで俺のことを考えてくださってのことなら受け入れます。ただしー」 そう言って再びかすみに鋭い視線を向けると言葉を続けた。 「いくらこの人がおばあさまが見込んだ人であっても、今日会った人を急には好きになれません。自分で言うのも何ですが、俺は一途な男なんで。なので、何かの間違いがあってもし仮にこの人のことを俺が好きになることがあっても、それにはかなりの時間がかかるでしょう。そうなると正直、おばあさまが生きてる間に孫を見せてあげられない可能性大ですが、それでも構いませんか?」 そう言われ八重子は思わず笑ってしまった。 "御子柴家の男でありながらこんなに鈍いだなんて…先が思いやられるわね。" またも弥一はムッとすると、 「何がおかしいんですか?」 八重子は滅相もないと言うように顔の前で両手を上げて振ると、 「いや、なんでもない。あたしの方はそれで了解。何の異論もないよ。ただ今後のために一つだけアドバイスしておく。いいか弥一、人の上に立つ立場の者になりたいのなら、細部にこそ気を配りなさい。人が聞き逃したり見逃したりするようなことにも気づく力がなきゃ、御子柴グループを束ねていくことなんて到底できないよ。」 今までの流れと何を絡めてそう言ったのかがまるで理解できなかったらしい弥一が、八重子を訝しむように見てきたが、八重子はその視線を明るく無視すると、 「てことで、あんたの気が変わらない内にさっさとこれにサインしてもらおうか。」 そう言っておもむろにバッグから一枚の紙を取り出した。 そこには婚姻届との文字が書かれており、その文字に弥一はぎょっとしたが、八重子はその反応をまたしても明るく無視すると、 「かすみちゃんにはもう書いてもらったからね。あとはあんたが書けば、二人は晴れて夫婦ってわけだ。」 弥一は絶句した。と、ふいに背後に気配を感じた彼が振り返ると、いつの間に動いたのかそこには早苗が立っていた。そして、「どうぞ。」と言って手の中の万年筆を渡してくる。 弥一は渡された万年筆を力なく握ると、ちらりと八重子に目をやった。満面の作り笑顔を浮かべ、八重子がその視線に応える。 その顔に弥一は冷めた目で返すと、斜め向かいに座るかすみに目をやった。今度はかすみが視線を上げることはなかったため、二人の視線が交わることはなかった。 少しの辛抱だ。 弥一は唇を引き結んで自分にそう言い聞かせると、なんでもないことのようにさらさらと自身の名前を書いて、 「はい。」と言って結婚届の紙を八重子に渡した。 「これで満足ですか?」 「ええ、大満足よ。」 そう言って八重子は結婚届を受け取ると、 「忙しい二人に代わって、あたしが責任を持って窓口に出しとくから安心してちょうだいね。」 弥一は心底どうでもよさそうに適当な相槌を打ったわかけだが、八重子の言う通り、弥一が物事の細部にこそ注意を向けられる人間であったのならば、この時点でこの結婚が本物ではないことに気づいたはずだろう。 日本という国において常にトップに君臨してきた御子柴家の現当主である八重子がやることにしては、このやり口はあまりに稚拙であった。 それに何より、かすみが既に真実を話していたようなものである。 そう、彼女は最初の挨拶で言っていた。 今日から《しばらく》お世話になる、と。猿渡と七瀬が去った後、その場に残った弥一とかすみはゆっくりとお互いに顔を合わせると、 「何の話しをしてたのかわからなくなっちゃったね?」 そう話しかける弥一に、かすみも「ハハっ」と小さく笑う。 ただ、雰囲気を替えてくれたあの二人に、内心彼らも感謝していた。 弥一は軽く咳払いしてから、 「喫茶店行ってみたいな。今からでも連れてってくれる?」 かすみはすぐさま、「はい!」と答えてから、「少し、歩くんですけど。」 「全然いいよ!行こう?」 かすみは微笑むと、「こちらです。」 そう言って、弥一を思い出の喫茶店に案内しようと先を歩いて行ったわけだったがー 「やってないみたいだね。」 10分ほど歩いて例の喫茶店に辿り着いた二人だったが、喫茶店の扉には"CLOSED"と書かれた札が下げられていた。 「営業日とか全然考えていませんでした。すみません。」 そう謝るかすみに、 弥一は何てことないといったように、 「仕方なくない?それより、これからどうしようか。正直、店を替えようにもここら辺のお店は詳しくないんだよね。」 その問いに、何か良い案はないかとかすみが思い悩む。 弥一はそんなかすみにチラリと視線をやってから、 「あー。かすみさんさえ良ければさ、これから一緒に本家に行かない?」 「え⁉︎」と、間髪入れずにかすみは反応し、 「いや、あの、それはちょっと…ご家族様との時間に私がお邪魔するわけにはー」 「かすみさんが嫌ならもちろん止めるよ?けど、実は早苗さんもいま本家にいるみたいでさ。」 「早苗さんが?」 「うん、あと咲希も。おばあさまは海外に行ってていないけど、かすみさんが顔を出してくれたら二人も喜ぶと思うんだ。もちろん、うちの両親もね。」 海老原市の家を出てからもちょくちょく二人とはやり取りはしているが、二人の顔を見られると聞いてかすみの心が揺れる。 弥一はそこを逃さず、 「早苗さんが料理を作ってくれてるみたいでさ、俺も帰ってくると思ってたみたいだから、二人増えたくらいで困るってことはないと思うんだ。だから、どうかな。これから一緒に行ってみない?」 先程の父親との電話のやり取りから、これからかすみを連れて帰ろうものなら父親がはしゃぎ倒すであろうことは目に見えていた。しかし、今日
弥一とかすみが、悪い人ではないものの扱いに困る酔っ払い男への対応に手を焼いていると、 「何してるんですか、社長!」と、金髪ショートの若い女性が少し離れたところから慌てて走ってくる。 「先に車に行っててくださいと言ったじゃないですか!余計なことはせずに、言われたことを守ってくださいよ!」 そう言って、酔っ払い男をがっしりと捕まえると、 「うちの猿渡(さるわたり)がご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ありませんでした。」そう言って素早く頭を下げる。 弥一と かすみはお互いに目を合わせた後、 「いえ、特に迷惑というほどのことは何もありません。むしろ、公共の場であることを忘れて、言い合いをしていた僕らの方こそ悪かったと思ってます。なので、どうか頭をお上げください。」 そう話す弥一の後ろで、かすみも頷いて同じ意であることを示す。 「それが若さってもんだ!君らは何も気にすることはない!」 そう弥一たちを弁護する猿渡に、金髪女は、 「社長は黙っててください。」と猿渡を叱責してから、その顔を遠慮がちに上げる。 と、その目が弥一を捉えた瞬間、 「なっ。ミコ様⁉︎」 と、素っ頓狂な声を出す。 それから金髪女は再度深々と頭を下げると、 「この度は誠に申し訳ありませんでしたっ!えと、実は我々こういったものでしてー」 そう言ってカバンから名刺入れを取り出すと、そこから一枚名刺を取り出し、弥一の前に差し出した。 それを見た弥一が自身も名刺を出そうとするのを、金髪女は、「もう十二分に存じ上げておりますので!」と言って制したので、弥一は途中でその動きを止めると、代わりに女が差し出した名刺を受け取る。 弥一が名刺を受け取ると、金髪女はかすみにも名刺を差し出し、 かすみはお辞儀をしながらそれを受け取った。 弥一は受け取った名刺を見ながら、 「週刊誌モンキークロス?」 「はい!改めまして、週刊誌モンキークロスの七瀬と申します!我々は吹けば飛ぶような子会社も子会社で、他の報道陣が見向きもしないような小さな事件から、世間から忘れ去られた未解決事件なんかを独自に追って記事にしてます。」 「大事件なんかはウチで追わなくても、金儲け目当ての他のメディアがいくらでも追うだろうさ。けど、他人から見て小さかろうが過去だろうが、それを
肩を掴まれたかすみは、自ずと弥一の顔を見つめる。 弥一も一心にその目を見つめ返すと、 「もう知ってると思うけど、俺には当時、結婚を考えるほど好きだった人がいた。なのに、家族全員から反対されるわ、それに加えて会ったことのない人との結婚を強制されるわで、最初はあなたを、あそこでの生活全てを俺は疎んじてた。」 当時を思い出したのだろう。罪悪感からか、はたまた苦い記憶からか、視線を下げようとするかすみに、 「ねえ、聞いて?」と、弥一は再度自分に注意を向けさせる。 眉根を下げ、揺れる瞳で自分を見つめるかすみに、 「けど、初めてあの家に帰った日から、かすみさんの作るご飯に、あなたの俺に対しての配慮に、徐々に俺の気持ちは変わっていった。あなたと生活を共にすればするほど、あなたという人物を知りたくなった。ただ、出会いが出会いだっただけに、変なプライドもあって、今さら態度を180度変えることなんてできなくて、その結果かすみさんとの距離は一向に縮まらないまま、あなたは突然姿を消した。」 弥一は唇を噛むと、 「正直言ってかなりショックだったよ。自分のことを棚上げして、俺に何の一言もなく出て行ったあなただけを悪者扱いして責めたりもした。けど、日が経てば経つほど、怒りとか悲しみとかそんなことよりただただー」 弥一はそこで一旦言葉を切ってから、 「あなたに会いたくて仕方がなかった。」 そう言われたかすみは、何と返したら良いのかわからず、瞳を揺らし、二度三度とまばたきをした。 「そんな俺が今日、あなたの姿を見つけた時どんな気持ちだったかわかる?」 弥一は今にも泣きそうになりながら、 「めちゃくちゃ嬉しかったんだよ?」 その弥一の顔に、かすみの胸が締め付けられる。 「歩道を渡るかすみさんの後ろ姿を見つけた時、それがあなただと確信した瞬間、たまらない気持ちになった。それなのに、あなたときたら俺の姿を見るなり逃げるんだもん。さすがにイラっときた。」 そう弥一は唇を尖らせたが、 「まあ、すぐに捕まえたけどね?」 そう言って少し笑った。 胸がいっぱいいっぱいなかすみは、「すみ、ません。」とだけ謝る。 「何度謝らないでって頼んでもダメみたいだね。」 「すみません。」弥一は少し間を置くと、 「会いに来ない方がよかった?」
電話を切った弥一はすぐさまかすみのほうに振り返ると、 「今の通話聞こえてた?」 かすみは申し訳なさそうに眉を下げ、 「すみません、所々聞こえてきていました。」 弥一はかすみにツカツカと歩み寄ると、 「例えばどの辺が?」 「え、あ。えと、電話のお相手が御子柴さんのお父さんだった、とか。あとは、御子柴さんが大事な用事があって帰って来られないのを残念がっていたのとかー」 "セーフ!!!" 一番聞かれたくない部分は聞かれてなかったみたいだと心底安心する弥一に、かすみが唐突に、 「御子柴さん、今日はお会いできて嬉しかったです。それから、罪悪感から御子柴さんを避けるような真似をしてしまっていたことは、本当に申し訳ありませんでした。」 そう言ってまた、彼女は頭を下げる。 弥一はまたしても謝られたことと、なぜか急に別れの前のやり取りみたいになっているこの状況に、 「もう謝らないでってば、お願いだから!それと、あれ?俺たちこれからかすみさんの行きたかった喫茶店に行くんじゃなかったっけ?」 かすみは驚いて頭を上げると、 「あれ?でも先程の電話で、御子柴さんはこれから大事な用事があるって仰ってませんでした?確かに、そう聞こえたと思ったのですが?」 「うん、言ったよ。だから、これから喫茶店に行くんだよね?」 かすみはしばし静止すると、 「あの、まさか御子柴さんのいう大事な用事って、私と喫茶店に行くことですか?」 信じられない、という表情のかすみに、弥一は当然というように、 「そうだよ?え、何で?」 久々に帰ってきたご両親の誘いを断ってまで、自分と一緒になんてことない喫茶店に行くことを大事な用事と捉えている弥一に、かすみは、 「喫茶店ならいつでも行けます。けど、御子柴さんのご両親って、海外に行ってらしててなかなかお会いできないんですよね?それなら、ご両親を優先されたほうがいいんじゃないですか?」 そう言われた弥一は、何も言い返さずにただかすみの顔をじっと見つめる。 そして、その視線にかすみがたじろいだのを見て取ると、 「両親には明日会いに行くつもりだよ。それと、確かに喫茶店にはいつでも行けるかもしれない。けど、かすみさんとは今日を逃したらいつ行けるって言うの?」 たった一週間ほど離れただけだっ
弥一は深くため息を吐いた後、 「ごめん、ちょっと待ってて。」 そう言ってかすみに断りを入れると電話に出る。 と、電話に出た直後、 「弥一〜!!!僕のsweet boy♡♡♡」 相手の音量を考えない声量に、弥一は思わず携帯電話から耳を離した。 次に、相手は電話ではなくビデオ通話に切り替えたらしく、弥一にもビデオ通話にするよう要求する。 それに対し弥一は「出先だから無理だよ。」と断ったが、相手のほうはそれでもビデオ通話を続けたいらしく、仕方なしに弥一は自分のカメラは切ったまま、さらには携帯電話のボリュームを下げるなどして対応にあたった。 それから、弥一は苦々しい顔を浮かべると、 「で、一体何の用なの、父さん?」 まさかの人物に、かすみは思わずその目を見開いて弥一の顔を見つめた。 迷惑そうにしている弥一の様子から、よっぽど面倒臭い相手なのだろうかと思っていたが、まさかのお父さんだったとは。 咲希から、二人の両親は仕事の都合で揃ってA国に行っていると聞いただけで、かすみは二人の両親には会ったことがなかった。 かすみは自分の姿が映らないよう、カメラの死角へと回るのだった。 さて。そんな弥一の不満気な物言いに、画面に映る弥一の父親であるジョンは、 「ひどいよ、弥一。久々に巴(ともえ)と一緒に日本に帰ってこられたから、真っ先に息子に知らせてあげようと思ってウキウキで電話したってのに。僕の心は今酷く傷つけられた。これはもう、愛する息子の顔を見ないと修復できないよ!」 弥一はそんな父親の訴えを無視して、 「え、二人とも日本に帰ってきたの?いつの間に・・・」 ジョンは嬉しそうに、 「あ、さてはマミーとパピーに会いたくなったんだね、弥一?僕もハニーも君に会いたくてたまらなかったよ〜。これこそ相思相愛ってやつだね!感激だなあ!」 弥一は無意識に寄ってしまう眉間のしわを指で揉み解しながら、 「悪いけど今大事な用事の最中なんだ。今日は会いには行けないけど、明日必ずそっちに顔を出すから。それでいいでしょ?」 「えぇ〜。弥一が来ると思って君の大好きな天ぷらを揚げたんだよ?早苗さんがわざわざ来てくれて腕を振るってくれたってのに、帰ってきてくれないの?僕ハートブレイクで倒れちゃいそうだよ。」 いかにも悲しそうな
弥一の顔が暗くなったことにかすみは心配になって、 「御子柴さん?」 弥一はかすみの目を真っ直ぐに見つめると、 「ごめん、最近過去の自分に腹が立ったり、悔やむことばっかりで。日々、逃した魚の大きさに打ちのめされてるよ。」 前に、咲希からの話で、弥一が想いを寄せる女性と破局したことを聞いていたかすみは、そのことを思い出して言っているんだなと思い、彼の胸の痛みに同調した。 そんかかすみはしばし黙って弥一の目を見つめ返していたが、 「御子柴さん、お腹空いてますか?」 そう、唐突に切り出す。 ”もしかして、今から何か作ってくれるのか?” 久々に彼女の手料理が食べられるのかと期待した弥一が顔を綻ばせると、 「この近くに思い出の喫茶店があるんです。今日はそこに行こうと思って、だからこっちに来たんですけど。」 期待が外れた弥一は、「ああ、そうだったんだ。」と、少し落ち込んだものの、かすみから食事に誘われた、ということに気づくと、すぐさま顔色が明るくなった。 それから、「もしかして、それが用事ってやつ?」 「え?」と、驚くかすみに、 「ル・ボヌールに行ったとき言われたんだ。かすみさんがいないかと尋ねたら、用事があるから帰ったと言われて。」 「行ったんですか、パーティーに。じゃあ、何で今ここに?」 「パーティーにははじめ、参加する気はなかったんだ。今日俺のほうでも、新商品の展示会があって、そっちを優先させたから。けど、その展示会で、ある人から・・・円城寺愛蘭さんからそのパーティーのスッタフとしてかすみさんが参加してるって聞いて。それで、お店に行ったら加島真琴さんがかすみさんが行った方向教えてくれて、なんやかんやあって、今ここにいるって感じかな。」 かすみは口をポカンと開け、 「二人に、会ったんですか?」 「あ、うん。ただ、初めて会ったのは先週なんだけどね。お二人が経営されているケーキ屋さんを尋ねたんだ。」 "あなたにケーキを食べさせたくて" だが、弥一はその言葉を飲み込むと、 「お二人に会うのはその時が初めてで、今日が二度目だったんだ。」"まあ、それよりも前から、二人には探偵を使って調べられたみたいだけど"とも、言わなかった。 「そう、だったんですね。私の仲の良い友人たちと御子柴さんが、まさ
そんなかすみの視線に気づかなかった三雲は、咲希が言った言葉の中で単純に気になったことを質問する。 「かすみさんって、近々お店を出す予定なんですか?」 その三雲の質問に、なぜか咲希がしまったというような顔をして、さらに口元を手で抑えた。 一瞬の沈黙が訪れる。 そんな咲希の様子と、この場に流れている変な空気とに三雲は、「あれ、すみません、俺何か変なことを言ってしまいましたか?」と、動揺しながら謝った。 その三雲の様子から、彼が何か悟ったわけでもないことを確認したかすみは、にこりと微笑むと、 「いいえ、近々ではないです。いつか出せたらなあ、とは考えていますけど。」と、答えた
訝しむように自分を見つめる弥一に、咲希は、 「お兄、知らないほうが幸せなことってあると思うよ?口を滑らせちゃったことは本当に悪いと思ってるけど、真実を知ったら、お兄のガラス細工のような繊細なハートじゃきっと耐えられない。粉々に砕けちゃう。」 咲希のその鼻にかかる演技に呆気に取られていた弥一だったが、何か言おうと口を開きかけたところ咲希はそれを遮って、 「けど、お兄がそこまで言うなら私も心を鬼にするしかないわね!」 そう言って、その肩に下げていた可愛いらしいショルダーバッグをゴソゴソと漁って携帯電話を取り出した。 「何も言ってないんですけど。」 そう言う弥一を完全に無視し
そう言うと、女の子はその長い足で一直線に弥一たちに向かって歩いてくると、ソファにうなだれて座っている弥一を前にし、その腕を組んで仁王立ちした。 彼女の服装は上下紺色のセットアップで、上は胸元が大胆に開いた白いTシャツにジャケットを羽織り、下はショートパンツを履いていた。 そのショートパンツから覗く、長くて真っ直ぐな美脚を前に、三雲はごくりと唾を飲み込んだ。 そして、そのまま視線を上げて女の子を覗き見る。 そこには腰近くまで伸びた綺麗な栗色の髪に、透き通った肌の整った顔立ちがあった。 その小さな枠の中に、長いまつ毛のぱっちりした目と程よい高さで形の良い鼻、ぷっくりした色艶の
三雲は、信じられないといった様子で弥一を見つめていた。 ウォッカとはいえ、弥一が口にしたのはほんの小さなグラスにたったの二杯である。 そんな量で泥酔って… そもそも、そんなに酒が弱いならウォッカなんて頼むなよ! しかもこっちはまだ一口も飲んでもいなければ食べてもいないってのに。独りよがりが過ぎるだろ! と、一通り頭の中で喚き散らかしてから、はあ、とくたびれたように息を吐き出した。そして、仕方なしに弥一の介抱に取り掛かる。 彼は弥一の肩に手を掛けると、そのまま優しく揺さぶり起こそうとした。 弥一は嫌そうに「うーん。」と低く呻くだけで、目を開けようとさえしない。 三