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2話

last update publish date: 2026-04-11 19:45:07

見知らぬ女の唐突の挨拶に面食らった弥一はしばらくお辞儀したままの女を見つめていたが、女が顔を上げて再度自分と目が合うと、すぐさまハッとしたように我に返って女の挨拶を無視して八重子に向かって言った。

「おばあさま、誰ですかこの人?てか、何なんですかこの状況!」

そう尋ねながら、ちらりと女を見る。

その後、弥一は女のそばに寄りたくないのを隠す様子もなく、女から距離を取るようにわざと迂回して八重子に近づいていった。

その様子を見ていた八重子はこちらも不快な気持ちを一切隠すことなく、ありありとその顔に浮かべると、

「あんたみたいな女の見る目もなければ礼儀もなってないような人間を孫に持ってしまったことが、私にとって最大の汚点だわね。」

弥一はむっとする。

「見る目がないのはおばあさまのほうでしょう。彼女ほど俺に相応しい女性はいないのに。そんなことも見抜けないなんて、歳を取られておばあさまの先見の目もいよいよ陰ってきてしまったんじゃないですか?そろそろおばあさまがトップの座を降りる日も近いのかなあ。」

「言わせておけば、このクソガキ!」

八重子がガバッと立ち上がり、二人の言い争いがヒートアップしそうになったその瞬間、プッ、と言って女が吹き出した。

弥一と八重子がそちらに目を向けると、さも可笑しそうに、女が口元を隠しながらその目を三日月にして笑っている。二人から尖った目で見つめられているにも関わらず、女はまだクスクスと笑ったまま、

「申し訳ありません。どうぞ、私のことは気になさらずお続けになさって下さい。」

その晴れ晴れとしながらも穏やかな空気に充てられたのか、二人の険悪なムードはいくらか紛れたようだった。

軽く咳払いした後、八重子が口を開く。

「見る目のないあんたに代わって、あたしがあんたにピッタリな奥さんを見つけて来てあげたわよ。」

「はあ!?」

素っ頓狂な声が出る。

「みっともない声出さないでちょうだい。」

「いやいやいやいや。え、何?奥さん?はあ?」

あまりに脈絡のない話に頭が追いつくわけもなく、弥一はただただ混乱した。

そんな弥一に八重子は一切構うことなく淡々と話を進める。

「見る目のないあんたにはこの女性の良さはまだわからないでしょうけど、あんたはいずれ必ずかすみちゃんを好きになる。その未来はあたしが保証する。」

「んなわけないだろっ!」

堪らず弥一が叫ぶ。

「おばあさま、いくらなんでもやりすぎですよ!俺から愛する人を奪って、彼女の代わりにもにもならない人を勝手に用意して…俺がこの人を好きになる?ありえない!俺の気持ちを蔑ろにしすぎだ!」

八重子は小馬鹿にしたように笑うと、

「奪っただなんて笑わせてくれる。彼女は勝手にあんたから離れてったんでしょうが。まあ、そうね。その点に関しては彼女のこと褒めるべきかもね?おかげで手間が省けたわ。」

「おばあさまっ!」

食ってかかろうとする弥一を八重子は手で制すると、

「そんなに彼女が好きだってんなら御子柴家を出ていって一緒になってちょうだいな。あんたたちの愛が本物なら、例え何年か塩を舐めるような生活になるとしても乗り越えられるでしょう?」

その問いに弥一は言葉に詰まってしまう。

その様にすかさず八重子が畳み掛ける。

「おや?所詮あんたたちが語る愛ってのは御子柴家の後ろ盾あってこそのものなのかしら?」

「違う!」

「何が違うってのよ?え?」

八重子のあからさまな煽りに、弥一は悔しそうに顔を歪めながら言葉を絞り出す。

「愛してる女性をわざわざ不自由な生活に送り込みたい男なんていない!」

そう言ってから、いかにも苦しそうな表情で、

「なんでそんな意地悪な事言うんですか?おばあさまは俺が憎くてしかたないんですか?」

バカたれ。その逆だっつーの。

心の中で激しくそう突っ込みながらも、八重子は感情の昂ぶり何とか抑え落ち着いた声で諭すように言った。

「弥一。彼女に心を奪われている今のあんたじゃ、とてもじゃないけど受け入れられない提案だってことはわかる。いくらあたしがあんたのためだと言ったところで響きゃしないってこともよくわかってる。わかるけど…あたしはあたしが間違ったことをしているとは思わない。」

そう言いながら八重子は弥一の目を覗き込もうとするが、弥一はスッとその視線を躱した。

八重子は困ったようにため息を吐く。

「さっきも言った通り、それでも彼女と一緒になりたいってなら家を出な。御子柴家に居座ったままあの子と一緒になる日は未来永劫訪れないんだからね。その道を選ぶってならあたしは止めないよ。ただ、このまま御子柴家の人間として生きて行くというのなら、あたしの言いつけ通りかすみちゃんと結婚するんだ。あたしはあんたにこの二択しか与えられない。さあ、どうする?」

弥一はすぐには答えなかった。

誰に言われたわけでもないが、彼は昔から自分が御子柴家を継ぐことしか考えてこなかった。それは息をすることと同じくらい当たり前のことをで、だからこの家を出るなんて発想、微塵もなかった。

とはいえ、愛する彼女との未来を諦めるつもりも毛頭ない。祖母は彼女を誤解しているだけだ。

彼女がどんな人間で自分のことをどれほど大切に想ってくれているのかが伝わりさえすれば、祖母の頑固な頭も心も解きほぐれ、彼らの結婚を快諾してくれるだろう。

これからの長い人生を考えればいくらでもその機会はある。ただ、そのためにはすこしの間自分が折れているよう見せる必要があるだけだ!

しばしの沈黙の後、弥一はちらりと女を見る。

かすみは終始穏やかな表情を浮かべていたが、弥一の視線に気付いたのか、ふいに、伏せていた目線を上げて弥一と目を合わせた。

"どうされますか?"

視線でそう尋ねられたような気がした。

挑発するでもなく、嘲るでもなく、ただただ問いかけるだけの視線に、弥一は何とも言えない感情になり、少しうろたえてしまった。

そして、そんな自分に気づき一人気まずくなった弥一は、かすみをキッと睨みつけた後、八重子に視線を移すと、

「わかりました。おばあさまがそこまで俺のことを考えてくださってのことなら受け入れます。ただしー」

そう言って再びかすみに鋭い視線を向けると言葉を続けた。

「いくらこの人がおばあさまが見込んだ人であっても、今日会った人を急には好きになれません。自分で言うのも何ですが、俺は一途な男なんで。なので、何かの間違いがあってもし仮にこの人のことを俺が好きになることがあっても、それにはかなりの時間がかかるでしょう。そうなると正直、おばあさまが生きてる間に孫を見せてあげられない可能性大ですが、それでも構いませんか?」

そう言われ八重子は思わず笑ってしまった。

"御子柴家の男でありながらこんなに鈍いだなんて…先が思いやられるわね。"

またも弥一はムッとすると、 「何がおかしいんですか?」

八重子は滅相もないと言うように顔の前で両手を上げて振ると、

「いや、なんでもない。あたしの方はそれで了解。何の異論もないよ。ただ今後のために一つだけアドバイスしておく。いいか弥一、人の上に立つ立場の者になりたいのなら、細部にこそ気を配りなさい。人が聞き逃したり見逃したりするようなことにも気づく力がなきゃ、御子柴グループを束ねていくことなんて到底できないよ。」

今までの流れと何を絡めてそう言ったのかがまるで理解できなかったらしい弥一が、八重子を訝しむように見てきたが、八重子はその視線を明るく無視すると、

「てことで、あんたの気が変わらない内にさっさとこれにサインしてもらおうか。」

そう言っておもむろにバッグから一枚の紙を取り出した。

そこには婚姻届との文字が書かれており、その文字に弥一はぎょっとしたが、八重子はその反応をまたしても明るく無視すると、

「かすみちゃんにはもう書いてもらったからね。あとはあんたが書けば、二人は晴れて夫婦ってわけだ。」

弥一は絶句した。と、ふいに背後に気配を感じた彼が振り返ると、いつの間に動いたのかそこには早苗が立っていた。そして、「どうぞ。」と言って手の中の万年筆を渡してくる。

弥一は渡された万年筆を力なく握ると、ちらりと八重子に目をやった。満面の作り笑顔を浮かべ、八重子がその視線に応える。

その顔に弥一は冷めた目で返すと、斜め向かいに座るかすみに目をやった。今度はかすみが視線を上げることはなかったため、二人の視線が交わることはなかった。

少しの辛抱だ。

弥一は唇を引き結んで自分にそう言い聞かせると、なんでもないことのようにさらさらと自身の名前を書いて、

「はい。」と言って結婚届の紙を八重子に渡した。

「これで満足ですか?」

「ええ、大満足よ。」

そう言って八重子は結婚届を受け取ると、

「忙しい二人に代わって、あたしが責任を持って窓口に出しとくから安心してちょうだいね。」

弥一は心底どうでもよさそうに適当な相槌を打ったわかけだが、八重子の言う通り、弥一が物事の細部にこそ注意を向けられる人間であったのならば、この時点でこの結婚が本物ではないことに気づいたはずだろう。

日本という国において常にトップに君臨してきた御子柴家の現当主である八重子がやることにしては、このやり口はあまりに稚拙であった。

それに何より、かすみが既に真実を話していたようなものである。

そう、彼女は最初の挨拶で言っていた。

今日から《しばらく》お世話になる、と。

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