เข้าสู่ระบบ過去に思いを馳せていた弥一の耳に、「社長、着きましたよ。」と、三雲の声が響く。
一気に現実に引き戻された弥一は、反射的に「ああ。」と返して、シートベルトを外した。 そして、運転手が開けてくれたドアからその長い足を外に出しながら、 「今日は厄介な接待に付き合わせて悪かったな。明日の昼にでもこの埋め合わせをしたいから、予定空けといてくれよ。お前の大好きな寿司でも一緒に食いに行こう。じゃあ、お前も早く帰って休め。」 そう三雲に言って車を降りると、今度はドアを開けてくれた運転手に向かっていつものように「ありがとう。」と言った。運転手もまた、「とんでもございません。」と言って微笑む。弥一もそれに頷き返す。 そうして部下と使用人への労いの言葉を掛け終わると、足早に家へと向かって歩いて行った。 三雲も素早く助手席から降りるとその背中に向かって、「社長、お疲れ様でした。」と言って深々と頭を下げた。その言葉に、弥一は背を向けたまま利き手である右手を軽く挙げて応える。 御子柴会長(八重子)の指導が行き届いているからか、御子柴家の人々は大金持ちでありながら、金持ちにありがちな横柄な態度を取る者は三雲の知る限り誰一人としていなかった。弥一は三雲のことを、呼び方こそ"お前"などとは言ってきても、その接する態度は先程見た通り思いやりがあって礼儀正しい。 だからこそ三雲はどこか歯痒い気持ちでいた。 というのは、弥一のかすみに対する態度である。彼は彼の妻であるかすみにだけはなぜか、素直になれないのか、少し距離があるような態度を取るのであった。とはいえ、当初の弥一からすればだいぶまともになったものの、自分らに向けるのと同じくらいの気持ちで彼女にも接することができれば、彼らの結婚生活はもっと円滑に進むのではないか、そう思わずにはいられないのであった。 三雲と弥一はあくまで仕事上仲がいいといった関係性だったが、 そんな三雲から見ても、弥一がかすみにだけわざとそういった態度で接していることは明らかだった。 彼が上司の妻であるかすみに会ったのは数えるほどしかなかったが、確かに弥一とかすみでは見た目に釣り合いが取れているとは言えなかった。 ただし誤解がないよう言っておくと、かすみは決して不細工なわけではない。ただ、弥一の見た目が飛び抜けすぎているのだ。 二次元のイケメンが三次元に飛び出してきたかのような、はたまた美青年という言葉そのものを具現化してできたかのような弥一と、顔もスタイルも全てにおいて平均点並みのかすみとでは、並んで歩いた所で到底夫婦には見えない。 会社で弥一のことを分かりやすく狙っている噂好きな派手目女子たちが言うには、彼は非常に信仰深く、それ故に敢えてかすみのような平凡な年上の女性を妻に据えることによって、三代欲求である性欲というものが彼の身に湧くことがないようにしているのだと言っていた。 三雲が知る限り、弥一が何かの神なり宗教なりを崇めている様子はなかった。だが、あながちその噂話も的外れではないように思えた。と言うのも、弥一には他に想いを寄せる相手がいるように思え、その人に対して操を立てているようには見えていたからだ。 三雲がまだ弥一の同期として、二人して女性用下着のマーケティング部に配属され仕事をしていたときの話だ。 その頃の弥一の携帯は昼夜問わずひっきりなしに鳴っていた。そしてそのメッセージや電話がくる度に、弥一が就業中にも関わらずその都度仕事の手を止めると、優しい声色で電話に出たり、嬉しさが隠しきれない様子でメッセージを返したりしている様を何度も見てきた。三雲もその度にうんざりさせられたものだった。彼が御子柴家のご子息でもなくただの一介の新入社員だったのなら、同期として不満を爆発させたことだろう。 だが、弥一はやはり一般人とは一線を画していて、他者の思いも寄らないような切り口から解決策や案を導き出しては、何度となくチームの成長に貢献してきたのだった。 そして後日、弥一が既婚者であること、しかも結婚してまだ日が浅いことを知った三雲は、自分と同い年ながらも既に愛妻家が板についている上に何だかんだで誰よりも仕事ができてしまう弥一のことを認め、尊敬するようになっていった。そして将来自分も結婚する時には、弥一に負けないくらい、心から愛せる人を奥さんにもらおうと決めたのだった。 そんな中、新卒の初々しさもとうに抜け、仕事のほうも一通り慣れてきたある日のことだった。一時間ほど残業した後、そろそろ帰ろうかと立ち上がった三雲に、同じく残業していたらしい弥一が声を掛ける。 「なあ、三雲。よかったらこれから二人で飲みに行かないか?」 三雲は、今まで幾度となく同期という立場から弥一のことを食事や飲みに誘おうとしていた。しかし、いざ誘おうとすると、相手との圧倒的な身分の違いにやはり怖気付いてしまい、結局毎度毎度誘わず終いだったのである。そんな弥一から誘われたとあったら行かない理由が三雲にはなかった。 彼はすぐさま二つ返事で了承した。 そんな三雲に、弥一は「ありがとな。」と言って笑った。どこか寂しさが窺える、そんな笑い方だった。 会社を出た二人は、弥一の行きつけだという会員制のバーに向かった。 そこの利用者は全て、金持ちか芸能人や政治家といった要人のみを御用達にしている、いかにもお高そうなバーだった。そんなバーであっても、さすが天下の御子柴グループである。 バーのスタッフは弥一の顔を見るなり深々とお辞儀をすると、どうぞと言ってバーテンダーのいるカウンターを抜けた先の部屋へと二人を案内した。 重厚な扉を開けた先には広々とした空間が広がっており、大理石でできた床はよく磨かれ、天井からは豪華なシャンデリアの灯りが煌々と辺りを照らしている。座り心地の良さそうな革張りのソファに、ガラス張りのテーブルを挟むようにしてそれぞれ腰を下ろす。 ソファに腰を下ろすなり、弥一はスタッフに向かって、「ウォッカをストレートで。あと適当に何かおつまみを。三雲、君は何を飲む?」 「えっと、じゃあ同じのを。」 「かしこまりました。」と恭しく頭を下げて、スタッフが部屋を後にする。 天下の御子柴グループに就職したとはいえ、一般社員では到底関わることがないであろう空間に、三雲はただたま飲み込まれ、居心地が悪かった。普段自分が行きつけとしている、平日ならハイボールが一杯199円が売りの大衆居酒屋が恋しくて堪らない。 そんなことを考えていた矢先、スタッフが注文のお酒たちを手に戻ってきた。 スタッフは数種類のナッツが入った小皿と、生ハムとチーズが乗った皿、シャインマスカットやいちごといったフルーツが彩りよく盛られた皿をお盆から丁寧にテーブルへと置くと、最後に小さなグラスと切り分けられたライムが乗った皿をそれぞれ二人の前に置いた。そしてウォッカが入ったボトルの蓋を開けると、手際よくそれぞれのグラスに注いで行く。注いだ後、手にしていたナフキンでボトルの口を拭くと、蓋を閉め、弥一のそばに音もなく置いた。そして、「では、私はこれで失礼いたしますが、何かあれば何なりとお申しつけくださいませ。」 「ありがとう。」と弥一が答えると、またしても恭しくお辞儀して部屋を後にしていく。 スタッフが出ていくのと同時に、弥一がウォッカが入ったグラスを手に持ったのを見て、慌てて三雲もその手にグラスを持った。 弥一はくすりと笑うと、「乾杯。」と言ってグラスを少し持ち上げる仕草を見せた後、そのまま一気にグラスを煽る。くーっ、と言って息を吐き出した弥一は、間髪入れずにウォッカのボトルを手にすると、空いたばかりの自身のグラスにウォッカを注ぎ入れようとする。三雲はまだ自分の分を飲んでいなかったが、弥一に手酌をさせるわけにはいかないと思い、ウォッカが入ったグラスを慌てて置くと、「僕に注がせてください。」と言って弥一の手から優しくボトルを奪い、そのグラスに注いだ。 弥一は「ありがとう。」と言うと、三雲を待つこともなく、またしても一気にグラスの中のウォッカを飲み干した。と、急に勢いよく目の前のガラス張りのテーブルに派手に突っ伏す。 自身も飲みっぷりのいい弥一に続こうと、ウォッカの入ったグラスを口元まで近づけていた三雲は、陶器同士がぶつかって立てるその騒がしい音に、驚いて手を止める。 幸い、弥一が突っ伏した際弾かれた皿からはいくつかのシャインマスカットがころころと転げ落ちただけで済んだ。 三雲は数秒間そのまま突っ伏している弥一を見つめていたが、微動だにしない彼を前に不安になって、 「御子柴さん、どうしました?大丈夫ですか?」と、声を掛けた。だが、弥一からの返答はない。 焦りが増した三雲は、グラスを置くと、急いでテーブルを周って弥一のそばに寄り、遠慮がちにその肩を叩く。 「御子柴さん?あの、返事してください、御子柴さんっ!」 嘘、どうしよう。反応がない。そうだ、救急車呼ばなきゃ! そう思い携帯を取り出したその瞬間、突っ伏したままの弥一の方から「ぐぅ。」と言う、くぐもった音が聞こえた。 三雲はピタリとその手を止めると、意を決したように、弥一の身体をソファの方へと勢いよく起こした。 無理矢理体勢を変えられた弥一は不満気に「ううーん。」と言って、眉間にしわを寄せる。しかし、その目は閉じられたままだった。 そんな弥一を、三雲は呆然と見つめる。 嘘だろ、こいつ…寝てやがる!?猿渡と七瀬が去った後、その場に残った弥一とかすみはゆっくりとお互いに顔を合わせると、 「何の話しをしてたのかわからなくなっちゃったね?」 そう話しかける弥一に、かすみも「ハハっ」と小さく笑う。 ただ、雰囲気を替えてくれたあの二人に、内心彼らも感謝していた。 弥一は軽く咳払いしてから、 「喫茶店行ってみたいな。今からでも連れてってくれる?」 かすみはすぐさま、「はい!」と答えてから、「少し、歩くんですけど。」 「全然いいよ!行こう?」 かすみは微笑むと、「こちらです。」 そう言って、弥一を思い出の喫茶店に案内しようと先を歩いて行ったわけだったがー 「やってないみたいだね。」 10分ほど歩いて例の喫茶店に辿り着いた二人だったが、喫茶店の扉には"CLOSED"と書かれた札が下げられていた。 「営業日とか全然考えていませんでした。すみません。」 そう謝るかすみに、 弥一は何てことないといったように、 「仕方なくない?それより、これからどうしようか。正直、店を替えようにもここら辺のお店は詳しくないんだよね。」 その問いに、何か良い案はないかとかすみが思い悩む。 弥一はそんなかすみにチラリと視線をやってから、 「あー。かすみさんさえ良ければさ、これから一緒に本家に行かない?」 「え⁉︎」と、間髪入れずにかすみは反応し、 「いや、あの、それはちょっと…ご家族様との時間に私がお邪魔するわけにはー」 「かすみさんが嫌ならもちろん止めるよ?けど、実は早苗さんもいま本家にいるみたいでさ。」 「早苗さんが?」 「うん、あと咲希も。おばあさまは海外に行ってていないけど、かすみさんが顔を出してくれたら二人も喜ぶと思うんだ。もちろん、うちの両親もね。」 海老原市の家を出てからもちょくちょく二人とはやり取りはしているが、二人の顔を見られると聞いてかすみの心が揺れる。 弥一はそこを逃さず、 「早苗さんが料理を作ってくれてるみたいでさ、俺も帰ってくると思ってたみたいだから、二人増えたくらいで困るってことはないと思うんだ。だから、どうかな。これから一緒に行ってみない?」 先程の父親との電話のやり取りから、これからかすみを連れて帰ろうものなら父親がはしゃぎ倒すであろうことは目に見えていた。しかし、今日
弥一とかすみが、悪い人ではないものの扱いに困る酔っ払い男への対応に手を焼いていると、 「何してるんですか、社長!」と、金髪ショートの若い女性が少し離れたところから慌てて走ってくる。 「先に車に行っててくださいと言ったじゃないですか!余計なことはせずに、言われたことを守ってくださいよ!」 そう言って、酔っ払い男をがっしりと捕まえると、 「うちの猿渡(さるわたり)がご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ありませんでした。」そう言って素早く頭を下げる。 弥一と かすみはお互いに目を合わせた後、 「いえ、特に迷惑というほどのことは何もありません。むしろ、公共の場であることを忘れて、言い合いをしていた僕らの方こそ悪かったと思ってます。なので、どうか頭をお上げください。」 そう話す弥一の後ろで、かすみも頷いて同じ意であることを示す。 「それが若さってもんだ!君らは何も気にすることはない!」 そう弥一たちを弁護する猿渡に、金髪女は、 「社長は黙っててください。」と猿渡を叱責してから、その顔を遠慮がちに上げる。 と、その目が弥一を捉えた瞬間、 「なっ。ミコ様⁉︎」 と、素っ頓狂な声を出す。 それから金髪女は再度深々と頭を下げると、 「この度は誠に申し訳ありませんでしたっ!えと、実は我々こういったものでしてー」 そう言ってカバンから名刺入れを取り出すと、そこから一枚名刺を取り出し、弥一の前に差し出した。 それを見た弥一が自身も名刺を出そうとするのを、金髪女は、「もう十二分に存じ上げておりますので!」と言って制したので、弥一は途中でその動きを止めると、代わりに女が差し出した名刺を受け取る。 弥一が名刺を受け取ると、金髪女はかすみにも名刺を差し出し、 かすみはお辞儀をしながらそれを受け取った。 弥一は受け取った名刺を見ながら、 「週刊誌モンキークロス?」 「はい!改めまして、週刊誌モンキークロスの七瀬と申します!我々は吹けば飛ぶような子会社も子会社で、他の報道陣が見向きもしないような小さな事件から、世間から忘れ去られた未解決事件なんかを独自に追って記事にしてます。」 「大事件なんかはウチで追わなくても、金儲け目当ての他のメディアがいくらでも追うだろうさ。けど、他人から見て小さかろうが過去だろうが、それを
肩を掴まれたかすみは、自ずと弥一の顔を見つめる。 弥一も一心にその目を見つめ返すと、 「もう知ってると思うけど、俺には当時、結婚を考えるほど好きだった人がいた。なのに、家族全員から反対されるわ、それに加えて会ったことのない人との結婚を強制されるわで、最初はあなたを、あそこでの生活全てを俺は疎んじてた。」 当時を思い出したのだろう。罪悪感からか、はたまた苦い記憶からか、視線を下げようとするかすみに、 「ねえ、聞いて?」と、弥一は再度自分に注意を向けさせる。 眉根を下げ、揺れる瞳で自分を見つめるかすみに、 「けど、初めてあの家に帰った日から、かすみさんの作るご飯に、あなたの俺に対しての配慮に、徐々に俺の気持ちは変わっていった。あなたと生活を共にすればするほど、あなたという人物を知りたくなった。ただ、出会いが出会いだっただけに、変なプライドもあって、今さら態度を180度変えることなんてできなくて、その結果かすみさんとの距離は一向に縮まらないまま、あなたは突然姿を消した。」 弥一は唇を噛むと、 「正直言ってかなりショックだったよ。自分のことを棚上げして、俺に何の一言もなく出て行ったあなただけを悪者扱いして責めたりもした。けど、日が経てば経つほど、怒りとか悲しみとかそんなことよりただただー」 弥一はそこで一旦言葉を切ってから、 「あなたに会いたくて仕方がなかった。」 そう言われたかすみは、何と返したら良いのかわからず、瞳を揺らし、二度三度とまばたきをした。 「そんな俺が今日、あなたの姿を見つけた時どんな気持ちだったかわかる?」 弥一は今にも泣きそうになりながら、 「めちゃくちゃ嬉しかったんだよ?」 その弥一の顔に、かすみの胸が締め付けられる。 「歩道を渡るかすみさんの後ろ姿を見つけた時、それがあなただと確信した瞬間、たまらない気持ちになった。それなのに、あなたときたら俺の姿を見るなり逃げるんだもん。さすがにイラっときた。」 そう弥一は唇を尖らせたが、 「まあ、すぐに捕まえたけどね?」 そう言って少し笑った。 胸がいっぱいいっぱいなかすみは、「すみ、ません。」とだけ謝る。 「何度謝らないでって頼んでもダメみたいだね。」 「すみません。」弥一は少し間を置くと、 「会いに来ない方がよかった?」
電話を切った弥一はすぐさまかすみのほうに振り返ると、 「今の通話聞こえてた?」 かすみは申し訳なさそうに眉を下げ、 「すみません、所々聞こえてきていました。」 弥一はかすみにツカツカと歩み寄ると、 「例えばどの辺が?」 「え、あ。えと、電話のお相手が御子柴さんのお父さんだった、とか。あとは、御子柴さんが大事な用事があって帰って来られないのを残念がっていたのとかー」 "セーフ!!!" 一番聞かれたくない部分は聞かれてなかったみたいだと心底安心する弥一に、かすみが唐突に、 「御子柴さん、今日はお会いできて嬉しかったです。それから、罪悪感から御子柴さんを避けるような真似をしてしまっていたことは、本当に申し訳ありませんでした。」 そう言ってまた、彼女は頭を下げる。 弥一はまたしても謝られたことと、なぜか急に別れの前のやり取りみたいになっているこの状況に、 「もう謝らないでってば、お願いだから!それと、あれ?俺たちこれからかすみさんの行きたかった喫茶店に行くんじゃなかったっけ?」 かすみは驚いて頭を上げると、 「あれ?でも先程の電話で、御子柴さんはこれから大事な用事があるって仰ってませんでした?確かに、そう聞こえたと思ったのですが?」 「うん、言ったよ。だから、これから喫茶店に行くんだよね?」 かすみはしばし静止すると、 「あの、まさか御子柴さんのいう大事な用事って、私と喫茶店に行くことですか?」 信じられない、という表情のかすみに、弥一は当然というように、 「そうだよ?え、何で?」 久々に帰ってきたご両親の誘いを断ってまで、自分と一緒になんてことない喫茶店に行くことを大事な用事と捉えている弥一に、かすみは、 「喫茶店ならいつでも行けます。けど、御子柴さんのご両親って、海外に行ってらしててなかなかお会いできないんですよね?それなら、ご両親を優先されたほうがいいんじゃないですか?」 そう言われた弥一は、何も言い返さずにただかすみの顔をじっと見つめる。 そして、その視線にかすみがたじろいだのを見て取ると、 「両親には明日会いに行くつもりだよ。それと、確かに喫茶店にはいつでも行けるかもしれない。けど、かすみさんとは今日を逃したらいつ行けるって言うの?」 たった一週間ほど離れただけだっ
弥一は深くため息を吐いた後、 「ごめん、ちょっと待ってて。」 そう言ってかすみに断りを入れると電話に出る。 と、電話に出た直後、 「弥一〜!!!僕のsweet boy♡♡♡」 相手の音量を考えない声量に、弥一は思わず携帯電話から耳を離した。 次に、相手は電話ではなくビデオ通話に切り替えたらしく、弥一にもビデオ通話にするよう要求する。 それに対し弥一は「出先だから無理だよ。」と断ったが、相手のほうはそれでもビデオ通話を続けたいらしく、仕方なしに弥一は自分のカメラは切ったまま、さらには携帯電話のボリュームを下げるなどして対応にあたった。 それから、弥一は苦々しい顔を浮かべると、 「で、一体何の用なの、父さん?」 まさかの人物に、かすみは思わずその目を見開いて弥一の顔を見つめた。 迷惑そうにしている弥一の様子から、よっぽど面倒臭い相手なのだろうかと思っていたが、まさかのお父さんだったとは。 咲希から、二人の両親は仕事の都合で揃ってA国に行っていると聞いただけで、かすみは二人の両親には会ったことがなかった。 かすみは自分の姿が映らないよう、カメラの死角へと回るのだった。 さて。そんな弥一の不満気な物言いに、画面に映る弥一の父親であるジョンは、 「ひどいよ、弥一。久々に巴(ともえ)と一緒に日本に帰ってこられたから、真っ先に息子に知らせてあげようと思ってウキウキで電話したってのに。僕の心は今酷く傷つけられた。これはもう、愛する息子の顔を見ないと修復できないよ!」 弥一はそんな父親の訴えを無視して、 「え、二人とも日本に帰ってきたの?いつの間に・・・」 ジョンは嬉しそうに、 「あ、さてはマミーとパピーに会いたくなったんだね、弥一?僕もハニーも君に会いたくてたまらなかったよ〜。これこそ相思相愛ってやつだね!感激だなあ!」 弥一は無意識に寄ってしまう眉間のしわを指で揉み解しながら、 「悪いけど今大事な用事の最中なんだ。今日は会いには行けないけど、明日必ずそっちに顔を出すから。それでいいでしょ?」 「えぇ〜。弥一が来ると思って君の大好きな天ぷらを揚げたんだよ?早苗さんがわざわざ来てくれて腕を振るってくれたってのに、帰ってきてくれないの?僕ハートブレイクで倒れちゃいそうだよ。」 いかにも悲しそうな
弥一の顔が暗くなったことにかすみは心配になって、 「御子柴さん?」 弥一はかすみの目を真っ直ぐに見つめると、 「ごめん、最近過去の自分に腹が立ったり、悔やむことばっかりで。日々、逃した魚の大きさに打ちのめされてるよ。」 前に、咲希からの話で、弥一が想いを寄せる女性と破局したことを聞いていたかすみは、そのことを思い出して言っているんだなと思い、彼の胸の痛みに同調した。 そんかかすみはしばし黙って弥一の目を見つめ返していたが、 「御子柴さん、お腹空いてますか?」 そう、唐突に切り出す。 ”もしかして、今から何か作ってくれるのか?” 久々に彼女の手料理が食べられるのかと期待した弥一が顔を綻ばせると、 「この近くに思い出の喫茶店があるんです。今日はそこに行こうと思って、だからこっちに来たんですけど。」 期待が外れた弥一は、「ああ、そうだったんだ。」と、少し落ち込んだものの、かすみから食事に誘われた、ということに気づくと、すぐさま顔色が明るくなった。 それから、「もしかして、それが用事ってやつ?」 「え?」と、驚くかすみに、 「ル・ボヌールに行ったとき言われたんだ。かすみさんがいないかと尋ねたら、用事があるから帰ったと言われて。」 「行ったんですか、パーティーに。じゃあ、何で今ここに?」 「パーティーにははじめ、参加する気はなかったんだ。今日俺のほうでも、新商品の展示会があって、そっちを優先させたから。けど、その展示会で、ある人から・・・円城寺愛蘭さんからそのパーティーのスッタフとしてかすみさんが参加してるって聞いて。それで、お店に行ったら加島真琴さんがかすみさんが行った方向教えてくれて、なんやかんやあって、今ここにいるって感じかな。」 かすみは口をポカンと開け、 「二人に、会ったんですか?」 「あ、うん。ただ、初めて会ったのは先週なんだけどね。お二人が経営されているケーキ屋さんを尋ねたんだ。」 "あなたにケーキを食べさせたくて" だが、弥一はその言葉を飲み込むと、 「お二人に会うのはその時が初めてで、今日が二度目だったんだ。」"まあ、それよりも前から、二人には探偵を使って調べられたみたいだけど"とも、言わなかった。 「そう、だったんですね。私の仲の良い友人たちと御子柴さんが、まさ
そんなことに気づく由もない孫を尻目に、八重子はソファから立ち上がると、「じゃあ、あたしはそろそろお暇しようと思うのだけれど、その前に。かすみちゃん、荷物はもう部屋に運んだのかしら?」 かすみはゆったり微笑むと、「はい、荷物は全て午前の内に業者さんに手伝っていただいて運び終わりました。」 その返答に八重子は安心したように微笑むと、 「それなら良かった。弥一にはこの後すぐ荷物をまとめさせるけれど、それでもなんだかんだこの別荘に来るのには二、三日かかると思うわ。その間大丈夫?いつでも早苗はいてくれるとしても、何か心配事はない?」 かすみは首を横に降ると、「早苗さんが居てくださるので
見知らぬ女の唐突の挨拶に面食らった弥一はしばらくお辞儀したままの女を見つめていたが、女が顔を上げて再度自分と目が合うと、すぐさまハッとしたように我に返って女の挨拶を無視して八重子に向かって言った。 「おばあさま、誰ですかこの人?てか、何なんですかこの状況!」 そう尋ねながら、ちらりと女を見る。 その後、弥一は女のそばに寄りたくないのを隠す様子もなく、女から距離を取るようにわざと迂回して八重子に近づいていった。 その様子を見ていた八重子はこちらも不快な気持ちを一切隠すことなく、ありありとその顔に浮かべると、 「あんたみたいな女の見る目もなければ礼儀もなってないような人間を孫
接待を終えた御子柴弥一(みこしば やいち)はいつもよりだいぶ遅くなったものの、ちゃんと帰宅しようとしていた。 今日の相手は得意先の中でもダントツで厄介な質で、酒好きな上に女好きとあって、そいつの接待には必ず美味しいお酒と華やかな女を用意しなければならなかった。 弥一自身もかなり酒を飲まされた上に、そのルックスから女たちは皆彼をロックオンすると、あからさまなボディタッチをするなどしてアピールしてきた。 残念ながら弥一がそれに釣られることはなく、むしろベタベタ触られたことで彼女たちの付ける香水の匂いが自分からもしていることにかなり苛立っていた。 車の空気を入れ替えようと後部座席の窓を
挨拶は済んだと言うのに、まだその場に弥一がいるのを気配で感じ取った愛羅は、顔は前に向けたまま、 「まだ何か?」 少し冷めたような言い方だったが、普段から八重子や咲希で鍛えられている弥一はそれをものともせず、 「ご友人の方とか、どなたかのを選ばれているんですか?」 愛羅は訝しむような目を向けると、 「何でです?」 弥一は愛羅が持っている買い物かごにちらりと目をやってから、 「円城寺さんのにしては控えめな感じだったので。」 “へぇ、そういうのはちゃんと気付くのか” 「仰るとおり、親友に似合う下着を選んでます。」 だから邪魔せずさっさと去れ、そういう意味合い