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大人になれない君を、今日で捨てます
大人になれない君を、今日で捨てます
Author: リィワイ

第1話

Author: リィワイ
ミュージックバーの喧騒の中、スピーカーから流れる重低音のBGMだけが、やけに私の耳に響いていた。

渉は舌打ちをすると、吸いかけのタバコを灰皿にゴリッと押し付けた。

「お前さ、目覚まし止められたくらいでキレてんの?」

苛立たしげに立ち上がった彼が近づいてくる。

187センチの長身が、私をすっぽりと暗い影の中に閉じ込めた。

「なあ琴音、たかが一日あのクソみたいな会社休んだくらいでどうなるってんだよ。

自分が今、どれだけ堅物でつまらない女になってるか自覚あるか?

こっちはわざわざサプライズ用意してやったのに、可愛げの欠片もなくさっさと寝やがって。

お前と一緒にいるの、マジで息が詰まるんだよ」

上から見下ろすように吐き捨てられた言葉の刃が、一つ一つ鼓膜を突き刺す。

ああ、間違ってない。

別れるという私の選択は、絶対に間違っていない。

「……息が詰まるなら、もうやめにしましょう」

私の時間だって、タダじゃないのだ。

彼に無駄にしていい10年は、もうこれ以上残っていない。

渉は不機嫌そうに唇を噛み締め、何も言い返さなかった。

私はきびすを返し、迷うことなくその場を立ち去る。

背後からは、彼の取り巻きたちがざわめく声が聞こえてきた。

「え、嘘でしょ?昨日、10年の記念日祝ったばっかじゃん」

「琴音ちゃん、結構ガチっぽかったすけど。渉くん、追いかけなくていいんすか?」

戸惑う男友達の声に被せるように、甘ったるい声が響いた。

「振られた直後にご機嫌取りとか、プライド高い渉さんがするわけないじゃん」

声の主は、渉の遊び仲間の一人である小林莉愛(こばやし りあ)。昔から渉の周りをうろちょろしている、やたらと距離感の近い女だ。

彼女は口にくわえていたチュッパチャプスを転がしながら、悪びれもせずに笑う。

「ねえ、別れたなら私と遊ばない?私なら重いこと言わないからさぁ」

そのあからさまな誘いを軽く聞き流し、渉は別の男友達から差し出された新しいタバコを受け取った。

そして、ふっと鼻で笑う。

「放っとけ。どうせいつもの当てつけだ」

心底どうでもよさそうに、彼は言葉を続ける。

「ここ2年くらい、結婚結婚ってうるさかったからな。

俺を焦らせて妥協させるための駆け引きだよ。本気で別れる度胸なんて、あいつにあるわけねぇって」

――渉は、私がまた結婚を迫るために芝居をしていると思っているらしい。

私自身、彼に何度プロポーズめいたことを口にしたか、もう数え切れないのに。

その度に、彼は決まってこう言った。

「まだ早いって。

もう少し自由でいさせてくれよ。

何ビビってんの?俺の気持ちはお前にあるんだから、紙切れ一枚あるかないかなんて関係ないだろ」

だけど、私はもう30歳になった。

20歳の頃、同じ大学のサークルで出会って恋人同士になってから、今日まで。

丸10年。

私は「行き遅れる」のが怖かったわけじゃない。

ただ、彼のお嫁さんになりたかった。

本当に、ただそれだけだったのに。

……

マンションの部屋に戻っても、泣き崩れるような気力は残っていなかった。

ただ黙々と、昨夜の惨状を片付けるしかなかったからだ。

昨夜は、私たちにとって交際10周年の記念日だった。

けれど私は、今日の重要なプレゼンのために、深夜3時まで残業して企画書を仕上げなければならなかったのだ。

疲れ果ててドアを開けると、床一面に散らばったバラの花びらと、すでに燃え尽きたキャンドル。

そして、ひどく不機嫌な様子の渉が待ち構えていた。

「もう記念日、終わっちゃったけど?

昔はお前の方から『記念日はちゃんとお祝いしよう』ってうるさかったくせに。今はこういうロマンチックなことされると、逆に引くわけ?」

私は本当に限界まで疲弊していて、頭は割れるように痛かった。

だが彼は、私の顔色なんて一切見ていなかった。

冷蔵庫から、わざわざ手作りしたらしい、イチゴと生クリームをたっぷり乗せたウォッカベースのオリジナルカクテルを取り出してくる。

「イチゴは一番甘い先っぽだけ、お前のためにわざわざ切って残しといてやったんだぜ。生クリームも俺が泡立てた特製だ」

「……ありがとう、お疲れ様。でもごめん、私、今はもう泥のように眠りたいだけなの」

ただでさえ徹夜明けなのに、ここでこんな度数のキツいウォッカなんて胃に流し込んだら、間違いなく過労死してしまう。

私は彼を置いて寝室に向かい、ベッドに倒れ込んで泥のように眠った。

次に目を覚ました時。

時計の針は、すでに午前10時を指していた。

プレゼンは8時半から。

本来なら7時には起きていなければならなかったのに。

スマホを見ると、目覚ましの設定はすべてオフにされ、ご丁寧にマナーモードにまで変更されていた。

画面には、会社からの10件以上の不在着信。

最後に来ていたのは、人事部の担当者からのメッセージだった。

【社長の指示です。至急、退職手続きに来てください】

――実のところ、渉のこういう幼稚な嫌がらせは、これが初めてではない。

私が在宅ワークをしていると、仕事用のエクセルファイルに勝手にパスワードをかけ、「2時間一緒にゲームしてくれたら解除してやる」と駄々をこねる。

大事なリモート会議の最中なのに「腹減った」と騒ぎ立て、仕事を抜け出してデートに行こうとせがむ。

少し目を離した隙に、私の企画書の中に【琴音は渉を愛してる】なんてふざけた文字を打ち込んだこともあった。

今までは、全部私が折れて我慢してきた。

けれど今回ばかりは、到底笑って許せるラインを超えている。

床に散らばった花びらやグラスを片付けた後、私は重い足取りで会社へ向かい、解雇の手続きを済ませた。

人事の担当者は、深くため息をついた。

「社長も君の仕事ぶりは高く評価していたんだけど……仕事は仕事だからね。

一番大事なコンペに穴を開けた上に、音信不通じゃあ、かばいきれないよ」

私は静かに頷いた。

「……申し訳ありません。理解しています」

言い訳はしなかった。するべきではないと思ったからだ。

プライベートのゴタゴタを仕事に持ち込み、会社に損害を与えたのは、紛れもなく私の責任だ。

私物をまとめた段ボール箱を抱え、再びマンションに戻る。

玄関を開けると、そこには見慣れない靴が脱ぎ捨てられていた。

リボンのついた、量産型女子が好みそうなバレエシューズ風のスニーカー。

リビングからは、莉愛のやけに甲高い笑い声が響いてきた。

「えーっ、マジで!?2ヶ月もご無沙汰なのぉ?

琴音さんがレスなわけ?それとも渉さんがダメになっちゃったとかぁ?」

それに答える、渉の気怠げで甘い声。

「じゃあ、お前で試してみるか?」

ふふっ、と響いた二人の笑い声は、玄関に立つ私の姿に気づいた途端、ピタリと止んだ。

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