LOGIN◇ ──タンっ、と音を鳴らし、自分の家のベランダに降り立つ。 俺は降り立った時のしゃがみ込んだ体勢のまま、ベランダの壁にそのまま背中を預けてずるずると座り込んだ。 「香月の目に、熱が無かった……」 ぽつり、と呟く。 いつから、あんなに凪いだ瞳で俺を見るようになったのだろうか。 いつから、あんな風に諦めたような瞳で俺を見るようになったのだろうか。 「香月……」 あんな目をしている香月に、自分の気持ちを伝えたとしても。 信じてもらえないような気がして。 俺は、香月に拒絶される可能性を考え、怖くて逃げ出した。 本当は、RikOの件が誤解だと、もっとちゃんと説明したかった。 だけど、今は何を言っても全部ただの言い訳にしか聞こえないかもしれないから。 事務所が、俺とRikOの付き合いを正式に認めてしまっている。 その状態で、俺がどれだけ香月に説明しても、何も信じて貰えない。 それに──。 「今日の、生番組……香月は最後まで見てくれていない……」 今までだったら、絶対に見てくれてた。 もしかしたら、最後までどころか、最初から見ていないかもしれない。 歌番組が終わった俺に、今までだったら香月は必ずどこのシーンが良かった、とか。 ここのダンスが凄かった、とか。 メンバーの事も嬉々として話してくれていたのに。 今日、香月と会ってから最後まで、歌番組の事には何も触れなかった。 と言う事は、あの発言も聞いていないって言う事だ。 事務所にこっぴどく怒られたあの発言。 俺は、スマホを取り出してSNSを開いた。 未だに、トレンドは俺の発言した「大切な人」と「信じて欲しい」と言う言葉で大盛り上がり中だ。 俺がその発言をした時のRikOの顔がカメラで抜かれていて。 ネット上では様々な憶測が飛び交っている。 RikOとの事は本当は嘘で、俺には本当に大切な人が別にいる、だとか。 その大切な人に向けて、今回の熱愛報道は嘘だから、俺を信じて欲しい、ときっと言っているんだ、とか。 好き勝手な憶測や、妄想が飛び交っているが、まさにその通りだ。 事務所に拘束されて、中々自分の家に帰って来る事ができず、ストレスは溜まりっぱなし。 大切な人、香月と会えないストレス。 香月と連絡が取れないストレス。 それが最高潮に達して、俺は今日の番組が終わっ
ぐいっと奏斗を押し返す。 すると、私から拒絶されたと感じたのだろう。 奏斗の顔が、絶望に染まった。 「なん、何で……香月っ」 「奏斗は、付き合っている女の人がいるでしょう!?いくら私たちが仲のいい幼馴染だとしても、こんな風に触れるのは駄目だと思う。これからは、ちゃんと距離感を持って──」 「付き合ってない……っ!」 私の言葉に、奏斗が悲痛さを滲ませた声で遮った。 それと同時に、奏斗が縋るような視線を私に向けてきた。 「付き合ってない……俺は、RikOと付き合ってないんだ。あれは、理由があって……ああするしかなかった……」 「えっ、え??」 RikOと、付き合ってない──? でも、事務所も認めてて……。 「じゃあ、事務所も……奏斗とRikOが付き合っていないのを知ってて、あの記事を認めた……の?」 私の言葉に、奏斗がこくりと頷いた。 「ああ。ちゃんと、説明する……だけど、なんて言ったらいいのか……」 奏斗が難しい顔をして、悩む素振りを見せる。 そんな奏斗を見て、私は再びそっと奏斗の胸を押した。 「いい、よ……無理して話さなくても。それより、奏斗はちゃんと自分の部屋に戻って、ゆっくり眠りなよ……。私のベッド狭いからゆっくり休めないし、奏斗がここで寝るなら、私は床で寝る」 「──っ、香月。ごめん、やっぱり怒ってるんだよな?この間は、俺から誘ったのに連絡が出来なくてごめん、ちゃんと話す。だから、俺から離れて──」 「大丈夫。奏斗は芸能人なんだし、急な仕事だって入るでしょう?だから、そんなに気にする事なんて無いよ。奏斗はしっかり休んで、それでファンの子達を楽しませてあげて」 私は笑みを浮かべながら、奏斗に向かってそう話す。 この気持ちは、
「──え……?ちょ、ちょっと奏斗……っ」 一瞬、何が起きたのか分からなかった。 だけど、奏斗に抱きしめられていると分かった瞬間、羞恥よりも先に早く離れなければ、と言う感情の方が大きくなり、私は奏斗に離してもらおうと暴れた。 だけど、私が逃げようとしている事を察知した奏斗は、私を抱きしめる腕に力を込めた。 「ちょ、奏──」 「良か、良かった……、香月……っ」 「──ぇ」 奏斗の声が、震えている。 それに、私を抱きしめる奏斗の腕も小刻みに震えているように感じて。 私は、奏斗の腕の中からそっと彼を見あげた。 すると。 奏斗は、目元を真っ赤に染めて、今にも泣き出してしまいそうな程、表情を歪めていた。 「か、奏斗……?どうしたの……、何か悲しい事があったの?」 奏斗のそんな姿を久しく見ていなかった私は狼狽えてしまう。 いつも、自信満々で、堂々とした奏斗。 だけど、子供の頃は気弱で、泣き虫な所があった。 子供の頃は、よく学校で揶揄われて泣かされていたのだ。 そんな奏斗を、私が庇って。 同級生と取っ組み合いの喧嘩をして。 私が引っかかれたりして、怪我をした時の小さい時の奏斗みたいに、奏斗は今にも泣き出しそうな顔をしている。 奏斗は、私の言葉に「信じられない」と言うような顔をしたあと、強い力で私の両頬を包んだ。 「何か、あっただって?それは俺の台詞だ……!香月と連絡が取れなくなって、どれだけ心配したかっ」 「えっ、あ」 「何度も何度も電話してるのに繋がらないしっ、電話以外にも、メッセージやメールを送ったんだぞ!?連絡の1つくらい、返してくれ……っ」 奏斗の悲痛な声が部屋に落ちる。 そして、もう一度奏斗から強く抱きしめられてしまった。 「ご、ごめん奏斗……スマホが壊れちゃって……」 「スマホが壊れた……?」 私の言葉に、奏斗は抱きしめる腕の力を弱めて私の顔を覗き込む。 暗いからだろうか。 奏斗の瞳が暗くて、どんな感情を抱いているのか、分からない。 私は必死に奏斗の腕の中で頷く。 「うん、そうなの。あの日……奏斗と約束をしてた日、急に雨に降られちゃって、体調を崩してたんだ。……入院してたから、スマホが壊れていたって気づかなくて……ごめん」 「──入院!?」 私が入院していた、と知るや否や、奏斗はぎょっとして声を荒ら
Kanatoに何があったのか──。 私は、テーブルの上に置いていたスマホを掴んだ。 だけど──。 「あ……っ、そうだ……奏斗の連絡先が分からないんだ……」 スマホが壊れてしまったから、奏斗に連絡を取る事なんてできない。 それに。 「連絡なんかしようとして……何考えてるの私。奏斗には彼女がいるんだから、いい迷惑になるわよ……」 ただの幼馴染が心配なんてしなくても、きっと奏斗の恋人のRikOがちゃんと奏斗を見てくれているだろう。 それに、もしかしたら──。 「奏斗……RikOの所にいるのかな……」 暫く家に帰っていないって言うのなら。 奏斗が寝泊まりしているのは。 彼女であるRikOの家なのかもしれない。 それを考えてしまった瞬間、私の視界はじわり、と滲む。 付き合っているなら、普通の事だ。 恋人同士ならきっと家を行き来するだろうし、泊まったりだって、するだろう。 奏斗が他の女の子の家に泊まる。 その想像をしてしまった私は、ずきずきと胸の痛みが増して来て。 「──もう、いいや。今日は早めに寝よう」 私はつけていたテレビを消して、夕食の片付けを始めた。 だから、その歌番組でインタビューを受けたnuageが。 話題沸騰中のKanatoが。 意味深な発言を生放送でした事は、私は知らなかった。 すぐにSNSでトレンドに上がったらしいけど、私は片付けを終えたらすぐに部屋に行き、横になってしまったからその騒ぎにも気付かなかった──。 こつこつ、と窓から小さな音がしている。 「─
夜。 私は、課題に集中していたけど、ふと顔を上げてリビングの時計を見上げる。 お母さんとお父さんは残業になってしまったらしく、今家にいるのは私だけ。 しーんと静まり返ったリビングで、時計の針が動く音がとても良く聞こえた。 「もうすぐ歌番組が始まる時間だ……」 夕食は、適当に冷蔵庫の中身を使っていいって言ってた。 お母さんとお父さんは残業だから夜ご飯を済ませてくるかもしれない。 だけど、もし食べて来なかったら軽く食べられるように残せておけるものがいい。 私はキッチンに向かい、冷蔵庫の中身を確認する。 お味噌汁があるし、野菜もあるし、魚もある。 「お魚は……今日使っちゃわないと駄目かな。お肉は……、よし、持ちそう」 今日はお魚を焼いて、サラダを作ろう、と考える。 お味噌汁もあるし、和食にしたらちょうど良い。 夜ご飯を作りつつ、テレビをつけておく。 キッチンの中を忙しなく動き回り、食事を作っているとあっという間に時間が経って。 そうしている内に、Kanatoが出演する歌番組が始まった。 「あっ、もう始まっちゃった!?ヤバいヤバい……っ!」 急いでご飯を盛り付けて、リビングに運ぶ。 飲み物をグラスに注ぎ、席に着いて「いただきます」をしてから食事を始めた。 テレビでは、司会のアナウンサーとアイドルを引退した芸能人が楽しそうに話している。 後方にちらっとKanatoが所属しているグループ、nuageのメンバーが映って、どきっと心臓が跳ねた。 【それでは、今日の番組スタートを飾ってくれるのは、今話題沸騰中のnuage!歌っていただきましょう──】 司会が、nuageの名前を口にする。 するとカメラがnuageの皆を映して、そしてKanatoが画面に大きく映る。 話題沸騰中、と言うワードにKanatoが苦笑いを浮かべたのが分かった。 けれど、それよりも私が気になったのは──。 「Kanato……痩せすぎじゃない……?」 箸をテーブルに置き、私はついつい椅子から立ち上がって前のめりになってしまう。 今、可愛い恋人と付き合っている事を公にして、幸せなんじゃないの……? メイクで上手く隠しているけど、目の下の隈が酷い。 体だって、衣装で分かりにくいけど絶対以前より痩せてしまっている──。 「何で……?ご飯ちゃんと食べてない
スマホを新しく購入し直した私は、新しいスマホを手に、自室で操作に慣れるために奮闘していた。 以前まで使っていた機種とは違い、新しいメーカーの物にしたから、操作性が全然違う。 お母さんとお父さんの連絡先は今朝の内に聞いているから、とりあえず電話番号を登録して、メッセージアプリも追加しておいた。 これで、両親への連絡は大丈夫。 だけど、友人や──奏斗の連絡先は全部分からなくなってしまっている。 以前まで使っていたスマホは、完全に壊れてしまっていて、データの復旧も難しかった。 バックアップもタカをくくっていたせいで取ってなくて、本当に失敗した、と後悔した。 「美緒や遠藤くんの連絡先は、週明けに大学に行けばどうにかなるけど……問題は、奏斗だよねぇ……。でも、すぐに必要って訳じゃないから、いいか……」 私は、スマホが壊れてからと、入院していた間、SNSにログイン出来ていなかったから、いそいそとログインをした。 たった数日間。 されど、数日。 数日見ていなかっただけで、トレンドは目まぐるしく移り変わっている。 でも、その中でもKanatoの熱愛報道の件は未だにトレンドに上がり続けていた。 見たくなくても、自然と視界に入ってきてしまった、その文章──。 それに、私は釘付けになった。 【そう言えば、付き合ってるあの2人、今日の生歌番組で共演だよね……】 【やだなぁ、イチャイチャしてるの見せつけられるのかなぁ】 【Kanato担下りるわ……もう推せない……】 などなど……。 Kanatoのファンが沢山そんな文章を書いているのが画面上に映る。 「そっか……今日の歌番組で、共演するんだ……しかもライブかぁ……」 この時期になると毎