Mag-log in
「嫌なら断ればよかったのに」そう言い放つと、私はもうこの二人と関わる気も失せて、警備員に二人をつまみ出させた。ようやく私の周りが静かになった。雪をクビにし、弘樹も私の人生から完全に消え去った。もう二度と、この二人に会うこともないだろうと思っていた。それなのに数ヶ月後、まさか弘樹がうちの玄関の前に現れるなんて、思いもしなかった。髪はボサボサ、目の下には濃いクマができていて、顔色もひどく悪かった。見るからに、ずっとまともに眠れていないようだった。さらに驚いたのは、あれだけ見栄っ張りだった弘樹が、私がプレゼントした腕時計を外して、安物の時計をしていたこと。あの時計は、弘樹が初めてはっきりと欲しいものを伝えてくれたものだったから、私はすごく嬉しかった。だから私は、すぐに人を使って、世界に一つしかないと言われるその時計を手に入れたのだ。雪からプレゼントをもらった時でさえ、弘樹はあの時計を決して外さなかったのに。弘樹は私を見るなり、その場に土下座した。かつての傲慢な態度は、見る影もない。「凪、俺が悪かった。本当に自分が間違っていたって、今ならわかる。雪とはもう何の関係もない。お前と離れてみて、俺が本当に愛していたのが誰なのか、やっとわかったんだ。だから、お願いだよ。もう一度だけチャンスをくれ」弘樹の話で初めて知ったのだが、あの日会社を追い出されてから、雪と弘樹の関係は少しずつおかしくなっていったらしい。お金に困っていない時は、愛こそがすべてだなんて思えるものだから。そして、雪の実家はまるで底なし沼のように……弘樹の稼ぎをあっという間に吸い尽くした。弘樹の仕事はもともと私が与えたようなものだったため、私と縁が切れた弘樹は当然、新しい仕事を探すしかなかった。運が良かったのか、次の仕事もそこそこの待遇だったらしい。しかし、彼を追い込んだのは、ショックから立ち直れなかった雪が、一日中家にいて養われるだけの生活を送っていたことだった。そうすると自然に、弘樹は雪だけでなく、金食い虫の雪の実家まで養うことになり、背負うものは膨れるばかり。それでも弘樹は、雪としっかりやっていこうと思っていたらしい。だが、仕事が忙しくなるにつれて、弘樹が雪と一緒にいられる時間はどんどん減っていった。すると、神経質になって
「あなたが自分の将来のために頑張っているんだと思って、これまでずっと目を瞑ってきた。でも、一向に改善されず、あなたは仕事でミスばっかり。私がチェックしなかったら、会社には少なくとも数千万円の損害が出てたぐらいにね。もし、あなたが弁償することになったら、一生かかっても払いきれなかった額よ?」これは遠回しだったが、雪の家庭環境のことだった。目を赤くする雪は、まるで虐められた子供のように、声は小さいがどこか反抗的な響きがある。「社長。たったそれだけのことで、私をクビにするんですか?私はまだ新人です。新人がミスするのは当たり前じゃないんですか?」その思考回路がまったく理解できず、私は驚いて雪を見た。「新人がミスをすることはある。でも、そのミスの尻拭いをする義務は私にはないから」弘樹は黙り込んでしまっていた。彼は鈍感だが、さすがに私が言っていることが全部事実だってことは分かったのだろう。しかし、私は弘樹への追及もやめるつもりはなかった。カバンから一枚の写真を取り出す。それは、私が弘樹と付き合い始めたばかりの頃に撮ったもの。弘樹の浮気を知るまで、この写真は私の宝物だったため、ずっと大切にしまっておいた。今までは、これが何よりも大切なものだと思ってた。だが今となっては、ただの一枚の写真でしかない。それに特別な意味を持たせていたのは、私自身だったから。「弘樹。みんなは私があなたたちの仲を引き裂こうとしたけど、失敗した腹いせに長谷川さんをクビにしたって言ってるよね。でも、あなたなら分かってるはずだよね?私と長谷川さん、どっちが先にあなたの前に現れたのか。答えたくないなら別にいいけど。でも、この写真が証拠。私はあなたと6年付き合ってたけど、あなたは一度も私たちの関係を周りには言ってくれなかった。私のこと、好きじゃなかったから、周りに言いたくなかったんでしょ?でもね、今だからはっきりいうけど、好きじゃないならそう言ってくれればよかったのに。私だって、そこまで馬鹿な女じゃないんだからさ。きれいに別れることくらい、私にもできたよ。弘樹と一緒にいることによって、得られるメリットを捨てられないまま、長谷川さんに手を出したのは、あなたの方でしょ?この関係を裏切ったのは、私じゃない。あなただよ」この言葉で、その場
そう思うと、過去に戻って自分の頬をひっぱたいてやりたいくらいだった。しかし、今さら後悔したってもう遅い。私は冷静に弘樹を見つめて、きっぱりと言う。「いじめたつもりはないよ。だって、私はビジネスをしてるんだから。ボランティアじゃない。だから、仕事のできない人を置いておく意味はないの」とても冷たい言い方だが、これが現実だ。たとえ金銭的に余裕があったとしても、仕事のできない人を養ってあげる義理はない。私の言葉に反論できなかった弘樹は、顔を真っ赤にして、論点をずらしてきた。「お前、俺と雪の関係を知って、逆ギレしてるだけだろ?お前みたいな女、絶対に好きになるもんか。雪の足元にも及ばない」弘樹にそう言われるのはもう2回目。聞いているだけで腹がたつ。この男の目は節穴なのだろうか?私のことが嫌いなのは勝手だが、誰が見ても雪より私の方が優れているのは明らかなのに。言い方は悪いが、あんな女と比べられること自体が不愉快だ。周りの社員たちも、ひそひそと私を見ながら噂話をしている。「社長と長谷川さんがうまくいってないって噂は聞いてたけど、まさか男が原因だったとはな。ていうか、あの冷徹な社長にも恋愛感情ってあったんだ。お金にしか興味ないと思ってたよ!」「まあ、俺でも長谷川さんを選ぶかな。若い子同士の恋愛って感じだし。社長みたいな人と付き合うのはいいけど、圧が強すぎて。めちゃくちゃ束縛されそうだし、彼氏だったら息が詰まると思う」「え、もしかして社長が長谷川さんの彼氏さんを気に入っちゃったから、長谷川さんがどうしていいかわかんなくなっちゃったとか?うわ、もしそうなら長谷川さん可哀想すぎるでしょ。前にもそんな噂聞いたことあったけど、まさかって思ってさ。でも、この彼氏さん見たら、いかにも社長が好きそうなタイプかも」「みんな知らないの?私、社長の後輩なんだけど、この男の人、うちの大学ですごい有名だったんだよ。クールなイケメンだけど、家は貧乏っていう、なんかもうドラマみたいな設定。確か、社長が2年もアタックしてたって聞いたな。その後、付き合ったかどうかは知らないけど。もし長谷川さんが彼女なら、あの男の人センスなさすぎ。社長の方がよっぽどいいのに」「やめなよ。いくら社長でも、人の彼氏を奪うなんてね……プライドないのかな?」最後の一言
弘樹は雪の表情から、彼女が何か良くない想像をしたことを感じ取った。慌てて雪の後を追いかける。「雪、話を聞いてくれ。お前が思ってのとは違う」しかしその言葉は、かえって言い訳のように聞こえたのか、雪は弘樹の頬を思いきり叩くと、泣きながら病室を飛び出してしまった。雪が泣いているのを見て、弘樹は当然、私にかまっている場合ではなくなったため、彼も慌てて雪を追いかけて行く。弘樹の去っていく背中を見つめながら、愛の有無とはこんなにもはっきりわかるものなのだと痛感した。弘樹と付き合ってからこれまで、彼が私をなだめてくれたことなんて一度もなかった。最初は、ただそういう性格なんだと思っい、私が一途に思い続ければ、いつか弘樹の心も動くと信じていた。だか、違ったようだ。弘樹は人を宥めるのが苦手なわけではなく、ただ私を宥めたくなかっただけなのだ。数日後退院すると、私はそのまま会社へ向かった。しかし、なぜか会社の皆が変な目で私を見るのだった。社長である私に遠慮しているのか、誰も面と向かって何かを言うことはなかったが、私が休んでいる間に何かがあったのは明らかだった。私が考え込んでいると、突然、雪が入ってきた。おどおどした表情で、入社した頃の元気な様子はどこにもない。俯く雪は、今にも泣き出しそうな顔で私に退職届を差し出す。私は少し驚いた。雪を辞めさせようとは思っていたが、それはインターン期間が終わってからのつもりだった。こんなに早く自分から辞めるなんて、どうしたのだろう?部下を気遣う気持ちから、私は何気なく声をかけた。すると雪は突然わっと泣き出し、その場にひざまずいて私の袖にすがりついた。「社長。私、本当はこの仕事を続けたいんです。父には多額の借金があって、母は病気で入院しています。だから、母の治療費のためにも、この仕事はどうしても必要なんです。だから、お願いします。クビにしないでください。もう弘樹とは別れました。二度と連絡は取りません。自分の立場は分かっています。社長と張り合おうなんて思っていませんから」話を聞けば聞くほど、奇妙に感じた。雪の家庭がどんなに大変だろうと、正直、私には関係のないことなのだから。私が雪の家庭の事情まで背負う義理はない。だが、どうしてこれが弘樹と関係あるのだろうか?
私の婚約者だったはずの人が、いつの間にか秘書の彼氏になっていた。こんなの気分がいいわけない。仕事の面で見ても、雪はごく普通というよりも、ミスばかりしてるくらいだった。こんな人を側に置いておいても、私にとってメリットなんて何もない。私は軽くこめかみを押さえると、雪の評価シートにそっとバツ印をつけた。次の日、まさか彼らが本当に来るとは思わなかった。「彼ら」と言っても、正確には違う。来たのは弘樹だけだった。弘樹は病院の外で買ってきたお弁当を置くと、まるで恵んでやるかのように言った。「雪がお前の様子を見てこいって。彼女は仕事が忙しくて手が離せないから」その見慣れた顔を見ても、心はもう少しもときめかなかった。私は静かに頷いて、分かったとだけ伝えた。なのに弘樹は、勝手に部屋をうろつき始める。そして、彼の視線が雪の評価シートに留まった。私がつけたバツ印を見ると、険しい顔で眉をひそめた。「雪をクビにする気なのか?」冷たい口調で、信じられないというように私を見ている。「なんでクビにするんだよ?あんなに頑張ってるじゃないか」そんなこと聞きたくなくて、私は顔をそむけた。私はただの上司だ。雪が努力しているかなんて、どうでもいい。私が見るのは最終的な成果、それだけで十分だから。雪の仕事ぶりは特に優れているわけではない。私にとって何の役にも立たないし、そんな人間を置いておく必要はない。しかし、そんなことを弘樹に説明する気にはなれなかった。他の人は知らなくても、長年一緒にいた私だから知っていた。弘樹はひどく身内びいきなのだ。雪のことを話したところで、私が彼女に意地悪していると勘違いするだけだろう。だが、今となってはたとえそう思われたとしても、別に構わない。なぜなら、本当に雪のことが気に食わないのだから。弘樹は苛立ったように病室を行ったり来たりし、机を強く叩いた。「凪、お前がそんな女だとは思わなかった!雪はようやくこの仕事を見つけたんだぞ?お前に気に入られようと、雪は寝る間も惜しんで働いてる。ただ正社員になりたいだけなのに、お前は平気でその努力を踏みにじるのか?お前がこんなに根性が腐ってる女だって知ってたら、お前について行けば大丈夫って雪に言わなかったのに」聞いていると笑えてきたので、も
弘樹の顔つきが急に険しくなる。彼は私をきつく睨みつけ、真実を言うなと目で警告してきた。その瞬間、自分がどんな気持ちなのか、自分でもよく分からなくなった。だが、これでやっと弘樹のことを忘れられるのだと思った。6年間も私を苦しめ続けたこの関係に、ようやく終止符を打てる。だから私は雪を見て、軽く笑いながら言った。「婚約者?もう別れたの」雪は目を細め、弘樹の手を握りながら、大袈裟に残念がる。「それは残念ですね。うちの社長を射止めるなんてどんな方なのかと思っていましたが、そのご縁はなかったみたいですね」私の言葉を聞いた隣の弘樹は、ずっと体をこわばらせていた。彼自身ですら、自分が一瞬悲しんだことに気づいていない。しかし、一体何を悲しんでると言うのだろうか。目の前で手を繋いでいるカップルが、今では酷く目障りだった。気持ちなんて、誰にも分からない。かつての私は、弘樹とは一生こうして、憎み合ったり愛し合ったりしながらも、離れられないものだと思っていた。弘樹と一緒にいられるなら、どんなことでも喜んで受け入れた。でも、まさか私が弘樹に対してうんざりする日が来るなんて。雪が弘樹の腕の中に潜り込み、甘ったるい声を出した。「弘樹、今日は弘樹の手料理が食べたいな。いいでしょ?」それで我に返った弘樹は、仕方ないなという顔で雪を見ると、甘やかすように「いいよ」と答える。それから雪は、にこにこしながら私に別れを告げた。「社長。もう遅いですから、私たちはこれで失礼しますね。明日また伺いますので」雪は私とは何の関係もない他人なのに、どうしてこんなに私の前で存在感をアピールしてくるのか分からなかった。たとえ今、私の秘書としてインターン中だったとしても、ここまでしなくてもいいはずだ。しかし、私は愛想よく接してくる相手を無下にするような人間ではない。だから、軽く頷いて「ええ」とだけ返事をする。去り際に弘樹が私のことをじっと見つめてきた。その瞳には、私には理解できない感情が宿っていた。その感情が何なのか深く考えはしなかったが、雪が最後に言った言葉は、やっぱり胸に少し突き刺さっていた。正直に言って、私は雪に嫉妬しているのだ。私と弘樹はこんなにも長く付き合っているのに、彼から少しでも気にかけられたことなんて、一