เข้าสู่ระบบ少しは懲りてほしい。 あれほどの惨劇を経験したというのに、まだ教訓が足りないというのか。 「どうして急に、留学なんて?」小夜は怪訝そうに尋ねた。「どこへ」 「イギリスだ」雅臣は淡々と答えた。 小夜は絶句した。 「お前がしばらく国内に留まるわけにはいかないのか」雅臣もお手上げといった様子でぼやいた。「お前さえここにいれば、佳乃が海外へ行きたいなどと言い出すこともないだろうに」 佑介の留学については、これ以上一言も触れようとしなかった。 長谷川家のこのいびつな親子関係にはとうに慣れていたから、小夜も今さら驚きはしない。 だが、やはり静かに首を振って応えた。「大叔母様のそばにもいなければなりませんし。それに……大叔母様は私が国内に長く留まることを、あまり良く思っていませんから」 ――正確には、小夜が「長谷川家」と関わり続けることを良く思っていないのだろう。 雅臣にはわかっていた。だが、どうしようもない。珠季と長谷川家の折り合いが悪いのは昨日今日に始まった話ではなく、もう七、八年にもなるのだから。 ――あの馬鹿息子め。いなくなった後まで、こんな厄介ごとを残していきおって。 …… 書斎を出た後、雅臣の言葉が引っかかっていた小夜は、やはり気になって佑介に電話をかけた。すぐに繋がった。 「お姉さん?」 小夜は回りくどいことはしなかった。「留学したいって、本当?」 「……今、本家にいるんですか?」 「ええ」 「……はい、行きたいです」 佑介は声を落として続けた。「お姉さん、前に約束したじゃないですか。お姉さんがイギリスに行ったら、僕も追いかけるって。それなら、留学がいちばん自然でしょう?」 そこで、声のトーンがさらに沈んだ。 「それに、お姉さん。僕はずっと先生と籠もって数学の研究をしていて、お姉さんがあんな目に遭っていたなんて全然知らなかったんです。 ……もう少しで、もう二度と会えなくなるところだったんですよ。お姉さんが一人で海外にいるなんて、心配で仕方ないんです……僕にはもう、お姉さんしか家族がいないんですから」 ――違う。あなたには、佳乃と雅臣がいる。 小夜はそう否定しかけて、さきほどの雅臣の突き放すような態度を、そして佳乃の消えゆく記憶を思い出し、口
夕食を終え、小夜はしばらく佳乃に付き合って他愛のない話をした。やがて佳乃がうとうとと微睡み始めたのを見届けてから、そのまま雅臣のいる書斎へと向かった。 …… 「お母さんに、何があったんですか」 小夜は眉間に深い皺を寄せていた。「様子が変です。どう見てもおかしいですよ」 「記憶だ。記憶に障害が出始めている」雅臣の顔には、隠しきれない深い疲労が滲んでいた。眉間を指で揉みほぐしながら、重いため息をついた。 「私も、先週になってようやく気づいたんだ。毎朝目を覚ますたびに、少しずつ何かを忘れている。記憶も心も、ゆっくりと退行しているんだ」 「そんな……」小夜は絶句した。「今は、どの頃の記憶まで戻ってるんですか」 雅臣は力なく答えた。「十八歳になる前の状態だろう。正確な年齢まではわからないが」 「待ってください」小夜は納得がいかないように首を傾げた。「おかしくないですか?さっき、私のことはちゃんとわかってましたよ」 「それが私にもわからないんだ」雅臣自身も、同じ疑問を抱えていた。「この一週間、医師と一緒に佳乃の記憶を慎重に探った。多くのことを忘れている。私との結婚も、圭介を産んだことも……だが、なぜかお前のことだけは鮮明に覚えているんだ」 雅臣と佳乃は幼なじみであり、早くから付き合い始め、成人してすぐに婚約した。今の佳乃の記憶はまだその頃に戻っているため、彼を「恋人」だと思っており、拒絶されることだけはなかった。 だがそれでも、夫としてはやはり堪えるものがある。三十年以上連れ添った自分との記憶が消えつつあるのに、数年前に嫁いできた小夜のことだけは、彼女の中に強く根付いているのだから。 小夜は黙り込んだ。 圭介の死後、小夜が最も警戒してきたのは、決して表舞台に姿を現そうとしないコルシオだった。この一年、なぜ彼らが動かなかったのかはわからない。こちらの厳重な警備が功を奏したのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。 それでも、いつ暗闇から現れて佳乃を傷つけるか――その恐れはずっと小夜の胸の底に巣食っていた。 けれど今、コルシオが動くより先に、佳乃の精神はここまで崩れてしまっていた。以前はトラウマで感情の波が激しくなるだけだった。だが今は、記憶の土台そのものが崩れ始めているのだ。
小夜はグループの業務を片付けた後、本家の佳乃を見舞う前に、まず霊園へと足を運んだ。 空は、重く暗い雲に覆われていた。 誰の同行も許さず、彼女は車を降りてひとりで霊園の小道を進んでいく。手にした白い花を墓石の前に供え、しばし無言で立ち尽くした。それからゆっくりと腰をかがめ、墓石の埃を指先でそっと拭う。 切れ長の瞳に、鋭く妖しい光を湛えたあの男。あの顔が脳裏に浮かぶ小夜の表情は、凪いだ水面のように静かだった。 「一日、遅れたわ」 昨日が命日だった。あえて来なかった。わざと一日ずらしたのだ。 彼女は独り言のように、小さな声で続ける。 「あなたは私の人生の中で、何度も遅れてきたでしょう。いつも少しだけ遅くて……だから私も、少し遅れることにしたの。これからはもっと遅くなるわ。そしてそのうち……来なくなるかもしれない。不満でしょうけど、我慢してちょうだい」 もっとも、怒ったところで、もうこちらには届かないのだけれど。 小夜はゆっくりと背筋を伸ばし、ふっと口元をほころばせた。 「帰るわね。来年、また来る。来ないかもしれないけど。ここまでの道は歩きにくいし、この季節は湿気がひどいし…… それに、死んだ人より生きてる人のほうが大事だから。あなたなら、わかってくれるわよね」 言い終えると、小夜の唇の笑みがふっと薄れた。 まるで強がる子供のような自分の幼稚さに呆れたのか、小夜は小さくかぶりを振って踵を返した。そのまま振り返ることなく、霊園の出口に向かって歩いていく。 その華奢な姿が遠く小さくなった頃―― 墓の裏手の木立から、ひとつの影が音もなく姿を現した。長身の男だった。しなやかで力強い手が、墓石の上にそっと置かれる。 黒いロングコートの裾が、冷たい風にゆるく翻っていた。 …… 長谷川本家。 ガラス張りの温室のドアを開けると、中で小さなスコップを片手に草花をいじっている佳乃の姿があった。 役員会議の席で冷たく張り詰めていた小夜の目元が、ふわりとほどける。小夜はわざと少し足音を立てて近づき、振り返った佳乃にやわらかく声をかけた。 「お母さん」 「小夜ちゃん!帰ってきたのね!」 佳乃は子供のような無邪気な笑顔を弾けさせ、スコップを放り出すと、泥だらけの手も気にせず飛びついてきた。 一年前、あの島で
それが今日、隆栄の口から突然持ち出された。 しかも、一千億円もの予算をつけてプロジェクトを立ち上げるという。役員たちは押し黙り、上座で表情ひとつ変えない小夜をちらちらと窺うばかりだった。 隆栄はプロジェクト計画書をスクリーンに映し出し、自動化の研究がいかに長谷川グループの未来にとって不可欠かを淡々と説明し始めた。そして、これは前代表である長谷川圭介がかねてより構想していたものであり、いわば「遺志」でもあると付け加えた。 彼はまっすぐに小夜へ目を向けた。 「このプロジェクトの重要性は、社長にもご理解いただけるはずです。大型の工業設備にスマート管理システムを導入し、機器の故障予測から保守、部品の消耗削減、リスクの予見、そして安全性の向上に至るまで――グループにとって、計り知れない利益をもたらします。 外部との技術提携という選択肢もありますが、やはり自社の開発部門に勝る機密性と信頼性はありません。どうか、個人的な感情は脇に置いて、合理的なご判断をいただきたいです」 明らかな当てこすりだった。 だが小夜は、涼しい顔でかすかに笑っただけだった。 「個人的な感情?岸本取締役は、ずいぶんと私の内情にお詳しいのですね。私自身、この件にどのような私情が絡んでいるのか、まったく心当たりがないのですが。よろしければ、皆さんの前で具体的にご説明いただけますか」 隆栄はぐっと眉根を寄せた。 愛人のゴシップなどという下世話な話を、この厳粛な場で口にできるわけがない。確証もないのだ。だが、彼には到底理解できなかった。この一年、ヴァルテックが上げてくる案件を、なぜ彼女はことごとく潰してきたのか。審査を通ったものはほとんどない。 たしかに問題のある計画もあった。だが、まったく欠陥のないものまで無慈悲に否決されている。そこに彼女の「個人的な感情」が混じっていない証拠など、どこにもないではないか。 「岸本取締役」 小夜が、静かに口を開いた。 「私も以前は、技術畑で生きてきた人間です。おっしゃる自動化技術、その構想自体は決して悪くありません。ですが、ヴァルテックの現行の技術チームを精査した上で申し上げます。構想は良くとも、彼らの開発力がまったく追いついていない。長谷川グループ全体のスマート化を担えるだけの水準には達していないと判断しました。
長谷川グループの経営だけではない。珠季の指導のもと、小夜は少しずつ「スプレンディド」のマネジメントも引き継ぎ始めていた。 その重圧は、想像を絶するものだった。 幸い、彼女はもう一人ではなかった。 …… 電話が繋がった。 小夜の少し冷ややかだった顔に柔らかな光が差し込み、声も自然と優しくなった。「大叔母様。無事に着いたわ」 「そうか」 珠季の口調は少し硬かった。「いつこっちへ戻るんだ?」 珠季は長谷川家を毛嫌いしており、小夜が未だに関わりを持ち続けていることを快く思っていなかった。あの憎き男が死んだからといって、たとえ莫大な遺産が残されようと、本当なら小夜にそれを継がせる気などなかったのだ。 珠季自身も、小夜に十分な財産と地位を与えてやれるのだから。 彼女から見れば、あの遺産などただの足枷であり、小夜の貴重な時間を奪うだけの代物にすぎない。 姪孫である小夜がどれほどの地獄を味わったか、珠季は決して忘れてはいない。だが、元凶である圭介はすでにこの世を去っている。小夜自身の決断に対し、珠季がそれ以上強く干渉することはなかった。 死んでしまえば、どんな罪も追及のしようがないのだから。 「すぐよ。いつも通り、一週間くらいで戻れると思うわ」 珠季の心にある棘を理解している小夜は、長谷川家の話題にはあえて触れず、できる限り早く戻るという約束だけを伝えた。 短い報告を終え、通話が切れる。 車はすでに、緑豊かな敷地内へと滑り込んでいた。統一されたデザインの赤い六階建てのビル群が、中央にそびえ立つ超高層ビルを囲むように配置されている。ここが長谷川グループの本社中枢だ。周囲の低層ビルは、それぞれ部署ごとの機能を集約している。 一年前までは見慣れぬ風景だったが、今では隅々まで熟知していた。 車を降りる。 小夜は迷いのない足取りで中央のメインビルへと入り、指紋認証で役員専用エレベーターを開くと、一気に最上階の役員会議室へと向かった。 …… 本日の予定は役員会議である。 この会議室に座ることを許されているのは、グループの株式を保有する役員たちのみだ。筆頭株主である小夜が、静かに上座へ腰を下ろす。 それを合図に、会議が始まった。 進行は迅速だった。長谷川グループの主力事業は重工業であり、すでに
一年後。帝都空港。 VIPゲートの出口。隙のないスーツ姿の男が、背筋を真っ直ぐに伸ばして前方を見据えていた。 彰だった。 五分ほど待つと、ゲートの奥から女性の明るい笑い声が近づいてきた。やがて、ふたつの人影が姿を現す。 彰は無意識のうちに姿勢を正した。 ゲートから出てきたのは、二人の女性だった。小柄な方がにぎやかに何かを喋り続けており、笑い声の主はどうやら彼女のようだ。だが、彰の視線は一瞬にして、その隣を歩くもう一人の女性に吸い寄せられた。 洗練された目鼻立ちに、すらりと高い背。張りのある黒のスラックスが長い脚を包み、白のサテンブラウス越しの細い腰を、黒のレザーベルトがきゅっと絞っている。 その上にショート丈のジャケットを無造作に羽織った、端正なブリティッシュスタイル。エレガントでありながら、一切の隙がない。唇にほんのかすかに浮かんだ笑みが、彼女の放つ冷ややかなオーラをいっそう際立たせていた。 たった一年で、彼女はまるで別人のように生まれ変わっていた。 「……社長」 彰が進み出た。 「桐生さん、お久しぶりです!」 笑い声の主である小柄な女性――中野奈々(なかの なな)が、彰の姿を認めてパッと目を輝かせ、嬉しそうに声をかけた。 彰は軽く頷くだけで応じた。 自分に向けられた視線を感じ、小夜はわずかに眉をひそめた。唇の笑みをすっと消し、素っ気なく顎を引くにとどめる。 この一年、業務で頻繁に顔を合わせてきたにもかかわらず、小夜はどうしても彼に対して壁を感じていた。 だからこそ、珠季の勧めに従って専属の秘書を雇い、間にワンクッション置くことで彰との直接的なやり取りを減らしていたのだ。それが奈々である。 それでも、完全に避けることはできない。 イギリスから帰国している間は、長谷川グループのトップとして、どうしても彼と顔を突き合わせる必要があった。 迎えの車に乗り込む。 運転席の彰が、後部座席へタブレットを差し出した。「本日の役員会の議題をまとめてあります。お目通しを」 「雅臣さんは?」 小夜が尋ねたのは、グループのもう一人の大株主のことだ。 現在の長谷川グループを実質的に支えているのは、小夜と雅臣の二人だった。そうでなければ、巨大な帝国を背負いきれるはずもない。小夜が気を配るべき場所
青山は苦笑した。「会う勇気がなかったんだ」小夜はひどく意外に思い、胸が締め付けられるようだった。「……私の方が、あなたに謝らなきゃいけないのに」会う勇気がないのは、小夜の方のはずだ。青山は静かに首を振った。「ささよ、もう過去のことだ」小夜がまだ躊躇っているのを見て、青山は不意に提案した。「君は今、大変な状況だろう。落ち着いたら、僕が手配して海外へ行かせてあげる。それでいいかい?」……海外へ。小夜の心は、その言葉に揺れた。小夜の状況は確かに良くない。圭介が目を覚ますかどうか、目を覚ましたらどうなるか分からない。身分証も、すべて取り上げられてしまった
「佑介!」小夜は驚きの声を上げ、圭介の手を振り払うと、足早に駆け寄った。彼女も床に倒れた佑介をうかつに動かすわけにはいかず、慌てて医者を呼び、緊急で手術室へと運んでもらった。歩いたせいで開いてしまった傷口を、再び縫合するためだ。手術室の外で、圭介は冷笑を漏らした。「あいつは昔から芝居がうまい。注目されたくて、わざと傷口を開いたに決まってる。放っておけ。死にたいなら、好きにさせればいい」その言葉には、氷のような冷酷さが満ちていた。小夜は眉をひそめて聞き返した。「あなたの実の弟でしょう」何という言い草だ。言葉の一つ一つが死を呪っているようだ。圭介は笑ったが、その
「任せて!」二人は他愛もない話をしてから電話を切った。……アトリエまでは、さほど時間はかからなかった。小夜は竹林を抜け、アトリエのある別荘の前に車を停めたが、向かいの別荘の前に数台のトラックが停まり、多くの人々が家具を運び入れているのが目に入った。引っ越しだろうか。その時、荷物の搬入を指示していた若い女性が彼女に気づき、遠くから声をかけ、ゆっくりと歩み寄ってきた。「徒花先生、こちらにいらっしゃるのはお久しぶりですね。お元気でしたか?」小夜もここではデザイナーとしての雅号で通しており、顔見知りの隣人たちも皆、そう呼ぶ。礼儀正しく挨拶を返し、彼女はついでに尋ねた
小夜は眉をひそめ、躊躇いを見せた。「確信が持てないの。迷ってる。なぜか分からないけど、長谷川がサインに応じた時から、ずっと胸騒ぎがして……何かがおかしい気がするの」芽衣が尋ねた。「あいつが約束を破るかもしれないってこと?」小夜は頷いた。その通りだ。雪山でのあの一夜が、不安をさらに増幅させていた。どうしても安心できない……何より、長谷川は自分のことになると、常軌を逸した行動に出る。理屈など通用しない相手だ。また何か予期せぬ事態が起きるのではないかと、怖かった。だが一方で、あとしばらく待つだけで離婚できるという誘惑は、あまりに大きかった。この日を、どれほど待ち望んだ