LOGIN水色のアクアマリンの差し色に並んだ紫色のアメジストを見て、蓮花は急にまたASTERの記憶に意識を取られてしまう。
「そういえば雨宮博士、わたしが船上で見た時は大きさより……体色の変化の方が気になります。もっと青味がかってましたよね ? ……あの動画のASTERは黒に近い紫色ですよね」
「ちょっと待って」
雨宮が隠し持ってきた旭飛研究所のファイルの写真を蓮花に見せた。
ファイル名はASTER-0。「確かに。こっちは変色してないわね」
試験管の中で溶けかかったASTERの肉片。まだまだ青紫色を保っていた。
「例えばです。あの管のようなものが呼吸器官だとしたら、チアノーゼを起こして変色しているとか……」
「実験生物でも流石に酸素くらい貰えるわよ。いくら宇宙から来たヘンテコナメクジでもね……」
雨宮博士はドレスと似た髪飾りを見つけると蓮花の髪に当てて組み合わせを楽しみ始めた。
「あら可愛い。髪がアッシュ系だと映えるわねぇわたしなんかアッシュ系どころか白髪と格闘してますが〜。
……ん ? ……チアノーゼ…… ? 酸欠で起きるとしても、ヘンテコナメクジの呼吸は酸素ではないのかもしれないわ。原理的には酸欠によるチアノーゼだとしても、それも机上の空論ね。 宇宙ナメクジが呼吸するかも怪しいし」雨宮博士は蓮花からドレスを取り上げると、髪飾りを一緒に店員へ引渡した。
「お会計お願いします」
「雨宮博士 !? 」
「今、幸せ絶好調の蓮花に、"旭飛研究所の嫁"のわたしからプレゼントしてあげるよ」
「えぇ !! そんな、悪いですよ ! 」
「結婚記念日だし、今日のアドバイスのお礼 ! 折角だし祝わせてよ。
あと、旭飛研究所の嫁ってワードになにかツッコんでよ〜 ! 」「それは事実、そうですし……」
「待った。旭飛研究所って♂なの ? 」
「いえ、知りませんよ……」
「はぁ。暫く、わたしの彼ピッピは顕微鏡と膨大な論文を書く相棒のパソコン一式よ ! 寧ろ無機物ハーレム ! 」
二人並んで動画を見たところで、これ以上はどうにもならないだろう。
ここで解散となる。再び旭飛に戻っていく熱心な雨宮博士。
そのスラリとした背中を人混みにかき消されるまで蓮花は見送っていた。コンサルタントである杏が「ASTER-1を手放すべきだ」と言っていると透から聞いた事。
今日、透から聞いたことを雨宮博士に言ってしまうことに、寸前のところで踏みとどまった。
蓮花の中で透を裏切ってしまうようで出来なかったのだ。□□□□□
同時刻──
研究所へ向かったはずの透は、都心部のカーディーラーへ行っていた。
「わぁ、本当にいいの ? 」
新車の中を杏が覗く。
「希望ナンバーもバッチリ。今日から君の愛車だ」
店長が恭しくキーを差し出し透が受け取る。店員が挨拶する中、杏を連れ礼を言い、早速助手席に彼女を乗せた。
「透、運転できるの〜 ? 」
「いつでも運転手に任せっきりじゃないんだぞ ? 」
「ならいいけど〜。ロールスロイスっておじさんのイメージだったけど、このモデルは好き !
しかも透さんとお揃い ! 」「よし。出発進行だ」
ディーラーが深々と頭を下げ見送る。
「どこに行く ? 」
「海もいいけど、このままドライブもいいね。透は行きたいところ無いの ? 」
街を抜け、海へ向かう道路をしばらく走った頃だった。
「杏と行きたい場所……か。あり過ぎて答えに困るな」
ハンドルを握った透の片手が離れ、杏の髪をさらりと撫でた。杏も身を委ねるようにその指をそっと握ると唇を触れさせる。
「わたしのこと好き ? 」
「答えるまでもない。
大学入学でまだ金の無い、何者でもなかった頃。俺の心の支えは君だけだった」「ママとパパには苦戦したけど」
「今考えれば当然だな。何のビジネスも人脈もない男に杏程の娘を託すもんか」
「でも、今の透は違うわ」
「ああ。変わったよな。俺たち二人の──危ないっ !!!!」
ガッ !!
何か当たった !
左前方から飛び出した影が、ヘッドライト付近へ激突した。ソレは弾かれるようにして、道路脇のススキへ消えてしまった。恐らく人。
透はすぐ信号機を見上げ念の為ドライブレコーダーを確認する。「嘘だろ……俺の方が青だったよな ? 向こうが飛び出してきたんだろ ! 」
「透 ! 大丈夫なの !? 」
「……」
険しい面持ちで透は車から飛び出ると、車体下を覗き込む。
だが轢いたはずの人間がどこにも見当たらなかった。「いや、確かに当たったはず……」
ヘッドライトに付いた黒色の汚れと割れ。
何かに当たったのは間違いないはずなのだが 。「誰もいないけど……動物かなにかじゃない ? 人ならその場にいるし悲鳴もあげるわよ」
「あ、あぁ。そうかもな」
「ねえ ! やだ !! 嘘〜 ! 」
杏が割れたヘッドライトを見て顔を歪ませる。
「せっかく ! 新車なのに ! その日に自損なんて !! 」
「なんだか縁起悪いな。
……これは……なんだ ? 」黒ずんだ塗料──ではなく、ドス黒い液体が付着していた。
「血……ではないな。一体、何にぶつかったんだ」
「もー……。せっかくの透のプレゼントがぁー……」
「あぁ、本当にな。
そうだ。俺の方の車を使えよ」「え ? いいの ? でもお揃いだったのに ! 」
「この車は修理して蓮花にでも預ける。車なんて買い直せばいいさ」
「じゃあ、その車もちゃんとわたしの誕生日のナンバーにしてくれる ? 」
「当然。一緒に買いに行こう」
「分かった」
「これを付けて ! 会話ができる ! 」『社長、研究所へ向いますか ?』「まぁーさか ! あそこはSFGに明け渡す ! 宮城へ飛ばせ ! 別荘も近いし、駐屯地も近い。避難くらいさせてくれるだろ」『……む、無線で確認を取っておく方がよろしいかと』「任せる ! 飛ばせ飛ばせー ! はははは !! 」透がヘッドセットを杏と茜に手渡す。「杏、見ろよ。逃げ遅れた奴が追われてる ! リアル鬼ごっこみたいだ ! 」「怖〜い。透がいて良かった」マンションから乗せられた住人たちは、皆顔見知りだが素性までは知らない他人。透たちの様子を伺うがヘリの騒音とほぼ手ぶらで逃げてきたことで消耗しきっていた。「やだ、透 ! その白衣……なんで返さなかったのよ !?」杏がシートの上に丸め込まれた蓮花の白衣を見つけ、汚らわしい物を見るような視線を向けた。「あぁ、気付かなかったな。蓮花のではなく、御影 燎に借りたとか言っていたが……あいつにコスプレ趣味があるのは知らなかったな」「きゃはは ! 案外変態だったりして ? 白衣なんて趣味が悪いわね」「外に出たら捨てるから、そっちに置いておいて──」白衣を棚に上げようとした時 、ポケットから何かが落ちた。「うあっ、ゴミか ? 」「違うみたい。名札……じゃない ? 」杏が拾い、透と二人で見る。『旭飛研究所 生命科学部門主席研究員 / PRINCIPAL SCIENTIST滝川 蓮 / R. TAKIGAWA』「これって……」「滝川 ! R. TAKIGAWA !!? あのっ !!? どうしてこんな物を持ってるの ?! 」透がネームタグを杏からひったくる。「滝川 蓮 !? いや、確かに旭飛の研究員もしていたけど&he
「あれは……さっき階段から見えた家族だ ! 」「ASTER体が…… ! もうベランダに届きそうね」隣の火炎瓶やボウガンで応戦していたマンション住民が、危機を迎えていた。住民は高層マンションの二階で、ASTER体が重なり合えば決して届かない高さじゃない。「競技用クロスボウだ。殺傷能力は高くないし、火を投げつけるのも逆効果だな」蓮花が車を停める。燎も無言でコンテナに手を突っ込む。「あそこにいるASTER体を誘導する」「できるの ? 」「手持ちでは……これだな」燎が取り出したのは救難用フレア。発射式の信号銃だ。バシュ !!ハンドガンから打ち出された強烈な紅が弧を描いてマンション裏へと飛んでいく。ASTER体たちが視界に入るギリギリの位置で、尚且つ遠くに飛ばすように発射する。『〜〜〜── !! 〜〜〜』重なり合ったASTER体は、呻き声を上げながら慌てるように藻掻き、光源へなだれ込むようにもちゃもちゃと移動する。二階の住人は部屋の中に入ると、数分してからすぐ外へ出て来た。荷造りは済んでいたようで慌てて車にボストンバッグを詰め込むと車へ乗り込んだ。走り出す直前、サンルーフから一人の幼女がヒョコリと顔を出し、こちらを向いてぬいぐるみを持った手をゆっくり振って見せた。「良かった……。お子さんがいたのね」「パニックになるのも無理ないな。こんな事になるとは誰も思わなかっただろうし」「大変なことになったわ……。最初に夫にASTERを任せなければ……」「『元』夫だろ ?研究所か……やり方次第だな。宇宙生命体の研究所を始めたら、公表してしまった方が優秀な人材が集まることもある。けれど、静かな環境で落ち着いて、とはいかない。鈴峯社長の独占し
三十階もある階段を生身の足で駆け上がって来た事にまず見ていた全員が驚いていた。燎は息を切らせながら、蓮花の突き出した離婚届を見て口笛を鳴らした。「クールなこと、はぁ、してるねぇ ! ……はぁ、はぁ。話終わった ? 」「何しに来たんだ ! お前も乗せはしない ! 」燎が透を見てポカンとする。「『も』 ? レン、乗せて貰えないの ? 」「いいえ。拒んだだけ。その代わりにサインしてって、今……」「誰がサインするものか」不貞腐れる透に燎は小さく笑みを浮かべたまま息が整うのを待つが、何せ三十階だ。そう簡単ではない。「ん。そう。はぁ……。あ、あぁ〜、じゃあ。鈴峯社長。俺が鈴峯研究所のクリーン作業を引き受けると言ったらどうかな ? それに同意する ? 」「何故お前に研究所を ! それと離婚は別の問題だ」「それ、見せてよ」燎は蓮花から念書をひょいと取り上げると、頷きながら話し始める。「なるほど。じゃあ、尚更、同意すべきだ。SHADOW FLAREに委託することで、メリットがある。俺に責任転嫁が出来るってところさ。皆がその話を聞き、世間の目はまず俺たちに向き、叩かれ、株も大暴落だろうね」「それでもいいと言うのか ! 」「貴方次第だ。研究施設へ出入りするマスターキーと引替えにね。今持ってる ? 」「……」透は恨めしそうに蓮花を睨みつけると、万年筆を取りサインを書き上げた。「気が済んだか !クソ女 ! 」そういい、万年筆を顔面向かって投げつける。「キャ…… ! 」パシ !「危ない。顔に当たるところだった」「あ、ありがとうございます」「反射神経には自信あるんだ」燎は平然と横から万年筆をキャッチすると、透に手を差
『レン、雨宮博士と連絡がついたよ』「リョウ ! もうダメ ! ここに来ては駄目 ! 」『レン ? 』「ASTER体がマンションに入り込みそうなのっ ! 」『無事なのか ? 』「夫がヘリを手配してるけど、お義母さんを連れに別棟へ向かったの ! 」『俺はもうすぐ側に……なんだ ? 人が積み上がってる…… ! 』「逃げて ! 」『……あぁ、好きにやらせてもらう』通話が切れる。燎のことだ。上手くASTER体を躱しながらマンションから離れてくれるだろう。今は命が優先だ。蓮花は寝室のクローゼット部屋から自分の使い込んだキャリケースを引っ張り出す。中から丸めたリュックを取り出すと、キャリケースには透に言われた物を適当にドサドサと積み上げ力づくで閉める。そしてリュックを手に今度は自分の持ち物を詰め始めたところで手は止まった。「こんな時に感傷に浸ってる場合じゃ……」そう思いながらも、手に馴染むリュックの布地を見詰める。小さい穴も、擦り切れそうなベルトも、世界を歩き、未知のものに面してきた思い出がそこには残っていた。「ここには……。この部屋には……わたしが持って逃げたい物なんて何も無い……」ポールハンガーに引っ掛けた白衣を手に、空っぽになった部屋を見渡す。銀行通帳や印鑑を取り出そうと金庫を開けた時、そばにあるファイルや書類が崩れる落ちた。「もう〜。家のものと仕事の物は分けておくんだったわね……」その中から、知ってはいるが実物を手にした事のない一枚の紙切れが手元にハラリと舞い込んできた。「離婚届── !!? なにこれ…… ! 」紙を顔の前まで近付け目を見張る。そ
尚も透の手は蓮花を強く引き寄せる。「何故拒絶するんだよ !? お前は俺の妻で、俺の相手をするのは当然だろ ! 」「ただの『所有物』でしょ !? わたしに愛なんか無いじゃない ! 」「あるさ ! 」「都合のいい人 ! その言葉……杏さんの前でも言えるの ? 」ドッ !強い振動が肩にかかり、蓮花がソファによろめいた。「黙ってろ。……黙って言うことを聞け !! 」そういい透は覆い被さると強引に蓮花のトップスに手を入れようとまさぐり始める。「やめて !! やめてよ !! 」パンッ ! !乾いた音が響く。透は叩かれた頬を摩ると、信じられないものを見るように目を見開き口をパクパクさせた。「蓮花…… ? おい、今のはわざとか ? ……たまたま手が当たったんだよな ? 」「おめでたい人。昨日のパーティでも、結婚記念日のプレゼントも、全てを蔑ろに扱って ! それで身体だけは求めるのっ !? わたしって何 !? 」蓮花も反射的に起き上がり廊下を駆ける。「違うっ ! 待て、蓮花 !! 」追ってくる透との距離はたかだか部屋一つ分。このパンデミックの最中、逃げる場所など無いというのに。更にこの廊下の先は寝室。自ら狩場に飛び込むようなものだ。思わず目に付いたのはトイレのドアだった。急いで入り、鍵をかけドアレバーを思い切り握って恐怖に耐える。「お前の美貌と桐生の財力 ! 俺にはどっちも必要なんだ ! だから妻として慎ましく美しいお前を選んだ ! 」打算だ。それでは杏への気持ちに誤解は無いということだ。「……もう構わないで…… ! 」蓮花は床にへたり込むとドアの外にいる透が離れるのを待った。「蓮花 ! 本当に愛している女性はお
蓮花が部屋へ戻ると、既に杏と茜はいなかった。「お義母さんは ? 」蓮花が窓辺に立つ透に訪ねると、しばらくの沈黙の後ようやく口を開いた。「母さんの部屋に行った」「そう。お構い出来なくて申し訳ないわね」蓮花が心にも無いことを呟くと、透が蓮花をダイニングテーブルへ手招きした。「少し話さないか ? 」妙に静かで冷静──しかしどこか緊迫感を感じる透の面持ち。だが蓮花もはっきりさせたいことは山積みだ。 大人しく従った。最初に透からでた話題は蓮花の斜め上の話題だった。「御影 燎とは知り合いなのか ? 」蓮花は目を丸くすると、首を振った。「まさか ! 」「じゃあなんでわざわざここへ会いに来る ? おかしいだろ」「あ……雨宮博士と今、連絡が取れないんですって。わたしはドレス選びにこないだショッピング中にお会いしたから、どこか行き先を知らないかって」「そんな嘘を信じられるか ! SHADOW FLARE GROUPのCEOが !? わざわざ自分の足で !? 一研究員を探すために、挙句研究所のフロントレディに会いに来た ! ? そんなわけないだろ ! 」「……」蓮花にはもう、自身が研究者だと言う話を打ち明ける気は全く残っていなかった。 パーティの前は揺れ動いていた隠し事も、今となっては透が自分にした仕打ちの方が余程の出来事だった。 仮に研究員、R.takigawaだと透が最初から知っていたら ? 透は杏を手放しただろうか ? 手放したとしても、それは女性としての立場ではなく、R.takigawaという所持品が欲しいだけなのだ。「あなたこそ。内緒にしてる事ってあるわよね ? 」「俺が ? 何も無いが ? 」「学生時代からずっと、杏さんが好きだった事よ」「あぁ、そんな青い時代もあったな。だが、今は今だろ ? 」「杏さんとは何も無いって言うの ? 」







