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第3章

作者: London Bridge
last update publish date: 2026-09-13 12:41:13

スカーレットはごくりと唾を飲み込んだ。

「うん……大丈夫。ただ、今日は外が暑いから。ちょっと……気分が悪くて」

中庭にいる誰一人として、ダリウスを無視することはできなかった。

背が高く、目を奪われるほど端正で、ただそこにいるだけで圧倒的な存在感を放っている。何の努力もしていないのに、周囲の視線をすべて引き寄せていた。

洗練された黒いスーツに身を包んだ彼は、静かな高級感そのものだった。

隙のない佇まい。鋭い眼差し。そして、どこまでもよそよそしい雰囲気。

スカーレットが彼の顔をはっきりと見た瞬間、身体が凍りついた。

圧倒されるほど整った顔立ち。その表情には一切の隙がない。

ほんの一瞬、二人の視線が重なり、彼女の心臓が大きく跳ねた。

スカーレットは慌てて顔を伏せ、助手席のシートに身を縮める。

けれど、ダリウスの視線は彼女の上に留まらなかった。

彼は警備員に車の鍵を放り投げると、そのまま門をくぐって中へ入っていった。

本当に、ダリウスがあの夜の男なのだろうか?

もし勘違いだったら?

薔薇のタトゥーを腕に入れている男が、他にもいたら?

スカーレットの頭の中はぐるぐると混乱した。

確かめなければならない。

絶対に。

トビアスは意地を張るのを諦め、他の招待客と同じように列に並んだ。

正門側の駐車場はすでに車で埋め尽くされていて、仕方なく裏手のゴミ置き場の近くに車を停めることになった。

「中に行く準備はできた?」

そう言って、トビアスが手を差し出した。

スカーレットは一歩後ろへ下がり、距離を取った。

「一人で大丈夫だから」

トビアスは一瞬ためらったが、それ以上は何も言わなかった。

ここで騒ぎを起こしても面倒なだけだ。

「好きにしろ」

彼はそう呟いた。

***

晩餐会は、ダリウスが姿を見せることもないまま、長々と続いていた。

スカーレットは胸にのしかかっていた重圧が、少しだけ軽くなった気がした。

おそらく彼は自分の私室にいるのだろう。

家族の集まりのような社交の場を嫌っているという噂は、以前から耳にしていた。

もし彼がこの食堂にいたら、スカーレットはまともに息もできなかっただろう。

なぜここまで動揺しているのか、自分でも分からなかった。

まだ、あの夜の男がダリウスだと決まったわけではない。

それなのに胸が苦しい。

それとも、本当は心の奥底ですでに答えを知っていて、それを認めることを拒んでいるのだろうか。

会話が仕事の話に移ったところで、スカーレットはトイレに行くと言って席を立った。

けれど、実際には中へ入らなかった。

彼女はこっそり庭へ抜け出し、新鮮な空気を吸うことにした。

ここなら、家族がトビアスを好き勝手にこき下ろしていても、その場に巻き込まれずに済む。

庭にいても、メインホールからは笑い声や話し声がかすかに聞こえてきた。

この屋敷は、どこを見ても桁外れの富を感じさせた。

大理石の遊歩道に、立派な噴水。

トビアスが一族から認められようと必死になるのも無理はない。

スカーレットはあてもなく歩き続けた。

そして気づいたときには、道に迷っていた。

石造りの小道が複雑に入り組み、彼女は敷地の静かな一角へ迷い込んでしまっていた。

人目につかない池の近くから、激しい騒ぎ声が聞こえてきた。

怒鳴り声が木々の間に響いている。

好奇心に駆られたスカーレットは、そっと近づいた。

そして、思わず息を呑んだ。

二人のボディガードが、男の襟をつかんで引きずり、頭を水の中へ押し込んでいた。

男を溺れさせている。

男は必死にもがき、恐怖に引きつった声で、自分は何も知らないと叫んでいた。

パニックで声は震え、今にも泣き出しそうだった。

その周囲を、黒い制服を着た十数人の警備員が取り囲んでいる。

スカーレットは慌てて茂みの後ろへ隠れ、両手で口を覆った。

心臓が胸を突き破りそうなほど激しく鳴っている。

男が完全に水中へ沈む寸前、警備員たちは彼を水から引き上げた。

そして、ゴミでも捨てるかのように石畳の上へ放り出した。

「ア、アルダマ様、お願いします!」

男は水を吐きながら泣き叫んだ。

「本当なんです! 嘘じゃありません! あなたの部屋に入った女のことなんて知りません! 顔だって見ていません!」

警備員の一人が、男の顎を思いきり殴りつけた。

「アルダマ様に嘘をつくな! 殺されたくなければ、あの女が誰なのか吐け!」

「知りません! 本当に何も知らないんです!」

男は泣きながら必死に訴えた。

次の瞬間、石畳に耳を塞ぎたくなるような鈍い音が響き、男の絶叫が辺りにこだました。

警備員が男の指を一本、無理やり後ろへ折り曲げた。

ダリウスから答えを引き出すまで、残りの指も折るつもりなのだ。

スカーレットの身体が強張った。

冷たい汗が背中を伝う。

ダリウスだった。

彼はあの夜のことを調べている。

ということは、まだ彼女があの女だと気づいていない。

あの夜、彼は酔いすぎていて、彼女の顔を覚えていないのだ。

恐怖と安堵が入り混じった。

今すぐここから逃げなければならない。

ダリウスに、自分があの夜の女だったと知られてはいけない。

スカーレットは静かに立ち去ろうとした。

しかし、その前に二人の警備員が現れ、出口を塞いだ。

「旦那様、誰かいます!」

一人がそう叫び、彼女の腕をつかんだ。

スカーレットは凍りついた。

それでも無理やり笑顔を作る。

「わ、私はただ通りかかっただけです。何も見ていません。トイレを探していただけで……」

「誰だ?」

暗闇の中を、ダリウスの冷たい声が突き抜けた。

「トビアス様の奥様です」

彼女の腕をつかんでいる警備員が答えた。

中庭が静まり返った。

そこにいた全員の視線が、スカーレットへ向けられる。

「こちらへ連れてこい」

ダリウスが命じた。

反応する暇もなかった。

警備員たちが彼女を引っ張り、スカーレットはよろめきながら前へ連れていかれた。

喉が締めつけられる。

目を合わせるのが怖くて、彼女はずっと俯いたままだった。

「す、すみません……」

声が震え、頭の中が真っ白になる。

ダリウスは低い屋外用の長椅子に身体を預けていた。

黒いVネックのシャツに、濃い色のパンツ。

影が顔の一部を隠していたが、光に照らされた部分だけでも、その造形の美しさははっきりと分かった。

彼の視線がスカーレットに向けられる。

怯えた彼女は小さく見え、長いまつ毛が恐怖で震えていた。

そんな無防備で弱々しい姿を目にして、ダリウスの胸の奥に、かすかな感情が芽生えた。

「顔を上げろ」

彼は静かに言った。

スカーレットはドレスをぎゅっと握りしめ、唇を噛んだ。

そして、ゆっくりと顔を上げる。

ダリウスの顔には、何の感情も浮かんでいなかった。

「なぜここにいる?」

彼は淡々と尋ねた。

「夫はこの辺りにはいないはずだが」

「迷ってしまったんです……」

スカーレットは小さな声で答えた。

「邪魔するつもりはありませんでした。ただ、トイレを探していて……」

「迷った?」

彼の声が冷たくなる。

「それとも、トビアスに命じられて俺を探りに来たのか? 俺の動きを監視しろとでも言われたか?」

「違います!」

スカーレットは慌てて首を振った。

「トビアスに言われたんじゃありません。そんなこと、絶対にしません。誓います」

彼女が片手を上げる。

しかし、ダリウスの鋭い眼差しは少しも和らがなかった。

やがて彼は手首をわずかに動かした。

それだけで、警備員たちに彼女を放せという合図が伝わった。

スカーレットはほっと息をついた。

震える足で二、三歩後ろへ下がる。

その瞬間、胃が大きくひっくり返るような感覚に襲われた。

突然、吐き気が込み上げてきた。

妊娠による、予期せぬ症状だった。

彼の椅子の近くに、大きな石造りのゴミ箱があるのが目に入った。

スカーレットはそこへ駆け出した。

しかし、足が石畳の段差に引っかかった。

身体のバランスを崩した彼女は、そのままダリウスの膝の上へ倒れ込んだ。

そして、彼の胸元に吐き気をこらえながらえずいた。

スカーレットの目が大きく見開かれる。

警備員たちが慌てて彼女を引き離そうとした。

だが、ダリウスが片手を上げて制した。

彼の表情が険しくなる。

スカーレットは何度か激しくえずいた。

けれど、何も出てこなかった。

波のような吐き気がようやく収まる。

「言ってみろ」

ダリウスが低く唸った。

顎が強くこわばっている。

「夫にここへ行けと言われたのか? 俺に自分から身体を差し出せとでも?」

ダリウスは彼女を石畳の上へ乱暴に押し戻した。

スカーレットは混乱したまま、彼を見上げる。

「そんなこと、絶対にしません……」

彼女は震える声で答えた。

「ただ、急に気分が悪くなっただけです。ごめんなさい。こんな事故まで私のせいだなんて思いませんよね? 私たちは家族なんですから」

その言葉を口にした瞬間、スカーレットは後悔した。

ダリウスが目を細める。

そして、乾いた、まったく笑っていない笑い声を漏らした。

「なるほど。なかなか頭が切れる女だな」

照明の向きが変わり、スカーレットの青ざめた顔がはっきりと照らされた。

「私はもう行きます……」

彼女はそう呟き、慌てて立ち上がった。

「失礼します、ダリウス叔父様」

二歩ほど進んだ、そのときだった。

ダリウスの手が素早く伸びた。

彼の手がスカーレットの手首を強くつかむ。

鋭く、瞬きひとつせずに彼女の目を見つめる。

スカーレットの胸が締めつけられた。

「彼は……私だと気づいた?」

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