LOGIN熱愛報道の真相を聞きに来た記者に、親しくしていると返すなど、交際を認めているようなものだ。聡明な礼音がそのことを知らないはずがない。香織は礼音と付き合っているわけでもないから、そのように返すのは正しいことではない。「な、何かの間違いでは……?」「いいえ、たしかに社長はあなたと親しくしているとおっしゃっていましたよ?」記者はいやらしくニヤリと笑った。「……それに関しては、私から言えることはありません」香織はそれだけ言い残すと、すぐにその場を立ち去ろうとした。しかし、記者はそんな彼女にしつこく取材を続けた。(週刊誌の記者がしつこいのは知っていたけれど……ここまでとは驚きだわ)困り果てていた香織だったが、記者との間に希美を始めとした同僚たちが立ちはだかった。「――何をしているんですか?やめてください、みっともないですよ」「……みんな」彼女たちは香織を庇うように、記者と対峙している。彼らが香織のためにそこまでするとは、正直驚きだ。「九条さんは一般人なんですよ?こんなことをされる筋合いはないでしょう?それに、そこまで執拗に付きまとうだなんて……社長が黙っていないはずです」「……」九条家の権力を持ち出されれば、流石にこれ以上追及することはできなかったのだろう。記者は不満そうな顔をしながらも、渋々身を引いた。「ありがとうございます……皆さん」「いえいえ、気にしないでください。あの人たち、いくら仕事とはいえやりすぎですよ」「ええ、そうですね……家族や周囲の人たちに迷惑がかからないといいのですが」しかし、元々亮太との離婚で話題になっていたこともあり、燃え上がる火はなかなか収まらなかった。礼音が交際を認めるような発言をしたせいか、その後さらにSNS上では二人の熱愛の信憑性が高まるという結果になってしまった。その後、退勤時間になると、香織は外に記者たちがいないことを確認して会社を出た。「一度、彼に会いに行ったほうが良さそうね……」礼音に事前に連絡をし、会う約束を取り付けた香織は、車に乗り込んで彼に会いに行った。彼は忙しいだろうけど、緊急事態であるため仕方がない。「――礼音!」「香織」彼女は駆け足で、礼音が待つ個室バーに入って行った。不安で胸がいっぱいになっていた香織は、思わず彼の体にしがみついた。「礼音、どうしよう。私たちのことが周囲
その後、香織はいつも通り出社した。本当は身体がダルかったが、流石に二日酔いで会社を休むわけにはいかなかった。昨日は夢のような体験ができたのだから、このくらいは我慢しなければならないだろう。(今日も一日頑張りましょう)夢から現実へと一気に引き戻されたような気分だった。香織は意気込み、オフィスへと入った。「皆さん、おはようございます」「……九条さん、おはよう」出社して早々、香織はオフィス内に流れる妙な空気を感じ取った。(何かしら?みんながこっちをチラチラ見ている……?)気になった香織は、一人の女性社員に尋ねた。「どうかしたんですか?」「いっ、いえ……何でもないのよ……」女性社員は誤魔化そうとしたが、香織も引き下がらない。大体そんなふうに言われたら、余計に気になるではないか。香織は何とか渋る彼女を説得し、聞き出すことに成功した。「実は……有名な週刊誌から今日のお昼に掲載されるとある記事の情報が公開されたんだけど……そのシルエットが九条さんによく似ているってことで話題になってたの」「……私に?」女性社員はスマートフォンを取り出すと、その画面を香織に見せた。『若き敏腕実業家と超一流企業の令嬢、熱愛発覚』その一文と共に、二人の男女のシルエットが載せられていた。片方は長身の男性のもので、もう片方は細身でスタイルの良い女性のものだった。本人だからこそ、香織はすぐにわかった。――そのシルエットが、自分と礼音のもので間違いがないということに。「こ、これって……」「まったく、迷惑な話よね。九条さんは一般人なんだから、放っておいてあげたらいいものを……」SNSに上げられたその投稿は瞬く間に拡散され、たった数時間で千リツイートを超えている。芸能人でもないのにここまで拡散されてしまうとは、正直驚きである。(マ、マズイわね……このままじゃ礼音に迷惑がかかっちゃう……!)***そしてその日の昼に、香織と礼音の記事は大々的に週刊誌に掲載された。「――九条さん、福本社長と付き合っているというのは本当ですか?」「……」昼休憩で外に出ていた香織の元に、週刊誌の記者が取材をしにやって来た。香織は一瞬返答に迷ったものの、すぐに冷静を保って答えた。「……福本社長とは、ただの仲の良い友人です。それ以上でもそれ以下でもありません」「……ほう?」香織の答
香織は礼音の住むタワーマンションを出ると、そのまま寄り道することなく家に帰った。まだ朝早いからか、外を出歩いている者はほとんどいない。(昨日は夢みたいな時間だったわね……)泥酔していたものの、昨日のパーティーのことはよく覚えていた。カバンの中には有名芸能人たちのサイン色紙も入っていた。もちろん、一生の宝物にするつもりだ。リビングに入ると、エプロンを着た有真がちょうど朝食の支度をしているところだった。「おかえりなさい、香織さん」「ただいま、有真さん」昨夜はパーティーがあったせいか、朝帰りをしたところで何か聞かれることはなかった。あの一件以降、両親が過保護になっているが、香織はもうとっくに成人している。今回に至っては礼音がきちんと連絡を入れているし、特に心配されることもなかった。(それより、何だか有真さんが嬉しそうだわ……どうしたのかしら?)有真はニッコニコの笑顔で香織を見つめている。「ところで香織さん、昨夜は何かあったのですか?」「え、何かとは……?」わけがわからずに聞き返すと、有真はキャーと顔を赤らめた。理由は知らないが、なぜかはしゃいでいる。「もう、とぼけちゃって!昨夜は礼音さんのタワーマンションに泊まったんでしょう!?」「え、ええ……そうですけど……」それが何か?と香織はきょとんと首をかしげた。その反応を見た有真の熱が、一気に冷めていった。「まさか、本当に何もなかったんですか?」「ええ……特に何もしていませんよ」謎の期待をしている有真には申し訳ないが、香織と礼音の間には何もない。彼女はきっと、彼らが熱い夜を過ごしたとでも思っているのだろう。(……彼が上半身裸でいたことだけは衝撃だったけどね)男女が同じ部屋に泊まったからといって、必ず何かあるというわけではない。香織の表情からそのことを察したのか、有真が残念そうにポツリと呟いた。「あら、まぁ……礼音さんったら、ああ見えて意外と奥手なんですね」「何か言いました?」「いえ、何でもありません」有真は笑みを浮かべながら首を横に振ると、ちょうど沸騰し始めたスープに目を向けた。「もう少しで朝ごはんができますから、ちょっと待っててください」ドレスを脱いで着替えた香織は、キッチンにいる有真の横に立った。「私も手伝いますよ、有真さん」「あら、いいんですか?ありがとうございます
”帰るのか”という問いに、香織は首を縦に振った。「当然よ……いつまでも部屋にいては、誤解されてしまうわ」「一体何を誤解するというのか……まぁ、俺はされたところでかまわないけど」礼音はニヤッと笑みを深めた。彼のそんな笑顔を見ていると、何だか調子が狂わされるようだった。テレビやネットで見る礼音はいつも冷たい人なのに、どうして私の前でだけはそんな表情を見せるのか。香織は高鳴る胸を抑え、何とか自分を落ち着かせた。「父さんも心配しているでしょうし……もう帰らないと」「そうか、残念だな」香織が家に帰るのが残念だなんて。冗談で言っているのか、本気で言っているのかわからない。考えても仕方が無いことだと思い、香織は頭の中からかき消した。「今日は色々とありがとうございました。迷惑をかけてしまったようですので、後日お詫びの品を送りますね」「……」香織は最後の挨拶をすると、そのまま部屋を出て行った。家を出てエレベーターに乗り、下へと降りて行く。(わぁ、本当良いところに住んでるわね……)礼音が住んでいたのは、都内にあるタワーマンションだ。噂によると、数々の著名人や有名企業の社長が住んでいる場所なのだという。そんなマンションの最上階とは、やはり礼音は只者ではない。今話題の若手実業家なだけある。一階までやって来た香織は、エレベーターから降りて外に出た。道中何人かの住民とすれ違ったが、特に何か言われるようなことも無かった。(それにしても有名なタワーマンションの最上階で一日過ごせるなんて、良い体験だったわ)香織はそのまま正面の入り口から外へ出た。このときの彼女は浮かれていて、周囲にまで気を配る余裕が無かった。―――そのため、パーティーが終わってからずっと、彼女の後をつけていた人物がいたということに気付かなかったのだ。***香織がタワーマンションから出てくる瞬間を、ある人物が写真に収めていた。「今話題沸騰中の九条家の令嬢……ガチでいるじゃねえか」彼は興奮で鼻息を荒くしながら、遠くから香織の写真を撮り続けた。当然、彼女はそのことに気付いていない。元より芸能人でもないのだから、スキャンダルへの危機感が無いのは当たり前かもしれない。だが、亮太との離婚で話題になっている彼女は、今や芸能人も同然。プライベートを徹底する芸能人たちとは違って、無防備な彼女ほど週刊誌の
香織は顔を真っ赤に染め、思わずキャーと叫び声を上げた。その声で、ソファで眠っていた礼音が目覚めた。「……起きていたのか?」「そ、その格好!一体何なのよ!」ソファから起き上がった彼は、自分が上半身裸であることに気が付いたようだった。香織は男性経験がなく、夫である亮太とも一度も寝たことが無い。(わ、私過ちを犯したってわけじゃないわよね……?)お互いに未婚であるため、昨夜していたところで特に問題は無い。しかし、女性にとって特別な意味を持つ初めての経験が酒に酔って覚えていないというのは何とも悲しかった。香織は慌てて自身の服を確認するが、特に乱れている様子は無かった。そんな彼女に対し、礼音は困ったように口を開いた。「何って言われてもなぁ……昨日、お前が俺の服を掴んで離さなかったから仕方なく脱いだんだけど」「え、そ、そんな記憶無いわ!」昨夜、パーティーに参加した香織は浮かれて羽目を外し、かなり飲みすぎてしまっていた。結果、電柱にぶつかってそのまま眠ってしまうという醜態を晒したのである。しかし、運の悪いことにそこまでしか覚えていない。つまり、どのような経緯で礼音と会い、この場所に来たかは全く知らないままである。「まぁ、覚えていなくても仕方が無いか……かなり酔っ払っていたみたいだからな」「……」礼音はキッチンから水を持ってくると、ベッドに座った香織に差し出した。香織はコップに入ったそれを受け取り、飲んだ。「ところで、ここはどこ?」「俺の家だ」香織は室内にある大きな窓から見える外の景色を眺めた。どうやらそこは、都内でも有名なタワーマンションのようだった。九条邸も羽川邸も一軒家だったため、こういう景色の良いところに住むのは何だか憧れる。「あなた、とっても良い家に住んでいるのね」「九条家のお嬢様には叶わないと思うが……羨ましいなら一緒に住むか?」平然とそんなことを口にした礼音に、香織は正気?と返した。付き合ってもいない状態で同棲するなんて。父親が絶対に認めないだろうし、交際経験すらない香織に同棲はあまりにもハードルが高い。(何より、二度と男絡みで悩みたくないし……)「遠慮しておくわ……ここは職場からも離れてるし」「職場から近ければ、一緒に住んでたのか?」「……」あえて返す必要も無いと思い、香織はスルーした。礼音がそのような冗談を言う
礼音はただじっと、酔っ払って眠る香織を見下ろしていた。礼音はつい最近、前世の記憶を取り戻していた。愛する彼女が壮絶な拷問に遭い、命を落としてしまったこと。そのために亮太や日菜乃相手に復讐をしたことまで。忘れていた記憶がつい最近になって蘇ってきたのだ。(やっぱり、お前も前世の記憶を持っていたのか……)前々から疑っていたことではあった。亮太や日菜乃が前世とまるで変わらないのに対し、香織はあまりにも前とは違う行動を取りすぎている。あれほど亮太を愛していた彼女が、今世では彼に目もくれていなかった。そのような点から、礼音は香織もまた回帰しているのではないかと感じていた。しかし、当然本人に直接聞くこともできず、いつまでも確信を得られないまま時間だけが過ぎ去って行った。「覚えていたのか……あの残酷な日々のことを……」彼は眠る香織の頬に手を触れ、涙を流した。いっそ全て綺麗さっぱり忘れていてくれた方がよかったのではないだろうか。そう思えるほどに、彼女が前世で経験したことは惨いものだった。香織は前の世界で、一体どれだけ悔しい思いをしながら死んでいったのだろう。そのことを考えると、彼の胸がギュッと締め付けられた。気のせいか、礼音に触れられた香織が僅かに微笑んだような気がした。私は大丈夫よ――と言っているような気がして、余計に辛くなった。その笑顔を、次は何としてでも守らなければならない。俺はそのために、時を巻き戻って再び彼女の前に姿を現したのだから。彼は今すぐにでも香織を抱きたいという気持ちを何とか抑え、ベッドから立ち上がった。眠っている香織にそっと布団をかけると、過ちを犯してしまわないようにそのまま部屋を出て行った。***香織が目を覚ました頃には、すでに夜が明け、朝になっていた。外からは小鳥のさえずりが聞こえ、カーテンの隙間からは太陽の光が漏れていた。「……」見覚えの無い部屋で目を開けた彼女は、ベッドから体を起こして周囲を見渡した。「……ここはどこかしら?」昨夜の記憶がほとんど無かった。パーティーで浮かれすぎて浴びるように酒を飲んだところまでは覚えているが、その後何をしたのかは一切覚えていない。僅かに開いたカーテンの間から見える景色は、彼女が暮らす九条邸のものではなかった。(私ったら、酔っ払いすぎて不法侵入でもしてしまったのかしら?)すぐに部屋を
あっという間に五日が過ぎ、パーティーの日になった。「香織お嬢様、本当によくお似合いです。会場にいる全員がお嬢様に目を奪われるでしょう!」「そうかしら?」華やかな青いドレスに身を包み、長い黒髪を結い上げた香織は、行きつけの美容院の店長――鏑木壮太(かぶらぎそうた)の手を取り、彼の車へと向かっていた。「あなたの腕がいいのよ、いつも感謝しているわ」「それはこちらのほうですよ、お嬢様。お嬢様の父君には感謝してもしきれません」壮太は優雅に香織をエスコートし、車のドアを開けた。香織が黒のSUVの後部座席に乗り込むと、壮太が運転席に座った。「あなたが運転してくれるのね」「安物の車で申し訳
有真は結婚する十年前まで、忠嗣の経営する会社の社員として働いていた。彼女は一般家庭の生まれだったが、努力を重ねて有名大学を卒業後、大企業へと就職することができた。そんな有真は、学生時代から明るい性格でクラスの人気者だった。絶世の美人というわけではなかったが、穏やかで優しく、いつだって周囲に気さくに振舞うその姿は男女問わず魅了した。――そんなところが、彼を虜にしたのかもしれない。彼女が九条グループに入社してから一ヵ月、有真は広い会社内で迷子になっていた。(道に迷っちゃったわ……会議室はどこかしら……)会議が始まるまではあと少しだ。入社早々遅刻するわけにはいかない。有真は焦っていた。彼
夜になり、ドキドキ初出勤を終えた香織は九条邸へと戻った。結婚前はどんな小さな用でも車で送り迎えをしてもらっていた香織だったが、今日は歩きだった。(職場まではそう遠くないし……運動のためにも歩こう)羽川家では車に乗れないのが普通だったせいか、歩きに慣れてしまったようだ。しばらく歩くと、羽川家の邸宅に到着した。(今でもここへ帰るのは慣れないわね)香織はそう思いながら鍵を使って中に入った。「香織さん、おかえりなさい」「ただいま、有真さん」帰宅した香織を、継母の有真が出迎えた。夜ご飯を作っている最中だったのか、長い髪を一つにまとめてエプロンを着ていた。有真は忠嗣の二十歳年下で、香織の
それから一週間後。「初めまして、九条香織です。これからよろしくお願いいたします」「……」香織は父親の会社で新入社員として入社していた。彼女を見た社員たちはしばらく固まったあと、ヒソヒソと噂話をし始めた。「九条って言った……?もしかして社長の娘さん……?」「間違いないわ。社長の娘、夫と離婚して実家に帰ったらしいわよ」「よりによって何でこの部署に……社長の娘とか気使うわー……」「……」香織の第一印象はあまり良くなかった。コネ入社、血筋が良いだけ、だとか散々な言われようだ。しかし香織はそんな中傷など気にも留めなかった。彼女が羽川家で受けた屈辱に比べれば、こんなもの大したことないか