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第404話

Author: かおる
多くの人は「結婚すると自由がなくなる」と口にする。

だが雅臣は違った。

彼は望むことをすべて成し遂げることができ、結婚によって何ひとつ制限されることはなかった。

むしろ「模範的な妻」がいることで、何の心配もなく事業に専念できた。

――それで十分だと、ずっと思っていた。

けれど、時折ふと感じるのだ。

なにかが欠けているような気がすると。

ただ、その理由を深く考えたことは一度もなかった。

星は奇妙な視線を彼に向けた。

「雅臣......あなた、今までが順調すぎて、刺激が欲しくなったんじゃない?

それとも私が何発か張り倒してあげれば満足する?」

まさか彼にそんな趣味があるのだろうか。

殴られたり罵られたり、痛めつけられるのが好きだなんて?

――そう考えると、自分が彼の好みではないのも納得だ。

いつも面倒を起こす清子のほうが、よほどお似合いだろう。

だからこそ、雅臣はあれほど清子に執着しているのだ。

雅臣ははっと我に返り、表情をいつもの冷淡なものへ戻した。

「三日やる。

考えておけ」

「考えるまでもないわ」

星の声はさらに冷たかった。

「お断りよ」

「そんなに早く答えを出さなくてもいい」

彼は目を伏せ、静かに言う。

「星、自分のことだけじゃなくて、身近な人間のことを考えろよ」

星は笑みを浮かべた。

「清子のためなら、莫大なお金とリソースを惜しみなく投じるくせに、この二十億の補償金だけは出したくないのね?」

やがて彼女の笑みはすっと消え、真っ直ぐに雅臣を見据える。

「それとも、弱い相手をねじ伏せるのに慣れすぎて、私が相手だと金も惜しみ、脅しで済ませようってこと?

残念だけど、私はその手には乗らない。

金を払うか、さもなければ......実力勝負よ」

そう言い残し、星は踵を返した。

雅臣と分かり合えるはずなどなかった。

無駄に時間を費やすより、奏に注意を促したほうがましだ。

交流会場に戻ると、ホールにはすでに多くの人が集まっていた。

奏のまわりには音楽関係者が輪を作り、熱心に言葉を交わしている。

奏もA大の卒業生だった。

殿堂入りのメンバーではなかったが、在学中は常に上位にいた存在だ。

ただ、毎年殿堂入りに名を連ねるのはせいぜい十名ほど。

狭き門だった。

星の姿を見つけると、奏が手を上げて呼んだ。

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Comments (2)
goodnovel comment avatar
みっちゃん
課金してまで読んで、不愉快です.........
goodnovel comment avatar
みっちゃん
勇さんて、底なしの馬鹿なの(*≧∀≦*)イライラします!!!! 何処まで人を苔にすれば満足なの?雅臣さんの親友だかなんだか知らないけど… 本当に、金持ちの...ボンボンだか何だか知らないけど、ここまでくると読むのが嫌になって来ます.........消してください、要らない...️...️...️不愉快極まり無い...
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