Share

第513話

Author: かおる
――これで、山田グループはもう立ち直れない。

その現実を悟った勇は、唇を噛みしめたまま、ただ立ち尽くしていた。

葛西先生の視線がゆっくりと横へ動く。

やがて、綾子のほうを向いた。

「あなたが......星の元義母か」

綾子は、その声を聞いた瞬間に悟った。

――この老人は、和解しに来たのではない。

今日は清算に来たのだ。

顔がこわばり、笑みを作るのもやっとだった。

「ええ、そうですわ」

無理に笑みを浮かべながら、そっと翔太の肩を押し出した。

「こちらが......星野星の息子、翔太です」

翔太は小さく会釈した。

「葛西おじいさん、こんにちは」

葛西先生は淡く頷いたが、その視線はすぐに彼を離れ、綾子へ戻った。

「思えば、わしと星が出会ったのも――あなたのおかげだな」

「......え?」

「あなたが長年、偏頭痛に苦しんでいたろう。

あれを治してやりたいと、星は半年ものあいだ、わしの薬を求めて奔走していた。

ようやく特効の薬が見つかって、あなたに届けていたんだ」

「......!」

綾子の目が大きく見開かれる。

まさか――

あの薬が、この葛西先生の手によるものだったとは。

二年間、飲み続けたその薬のおかげで、数十年来の頭痛が嘘のように軽くなった。

医師からも「もう再発はしないだろう」と言われていた。

震える声で、綾子は言葉を返した。

「......ええ。

とても、よく効きました」

葛西先生は次に、翔太を見た。

「君が、神谷翔太くんだね。

君のお母さんは、君のために特別な薬草を探している時に、指を切ってね。

いまも、その傷跡が残っている」

会場の視線が一斉に星の手に集まる。

白い手の甲――そこに、確かに一本の細い傷跡があった。

誰も気にも留めなかった小さな跡が、いま、痛々しく見えた。

雅臣の胸が、かすかにざわめいた。

ふと、思い出す。

かつてレストランで翔太がアレルギーを起こしたとき、星が取り出したあのスプレー。

――あれが、彼女の努力の結晶だったのか。

雅臣は、静かに星を見つめた。

しかし彼女の表情は、驚くほど淡々としていた。

まるでそこに立っているのは、誰とも関わりのない他人であるかのように。

その無表情が、雅臣の胸をひどく締めつけた。

離婚を受け入れたのは、間違いだったのかもしれな
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter
Comments (5)
goodnovel comment avatar
しょう
もっとやって!綾子を再起不能にしてやって! 翔太、雅臣今まで自分たちがどれほど愚かやったか思い知れ!星ちゃん散々踏みにじられた事をここで返してあげなさい!勇よ、さようなら...両親もさすがに勘当もんでしょ。勇の親も結局雅臣と航平に頼りきってたバカだったね。だからこんな息子を育てたんだ。 最後に清子。どう懲らしめてくれようかwww 清子の嘘が全部バレて跡形もなく消えてくれることを願う。
goodnovel comment avatar
カナリア
いい所で明日かぁ そりゃそうかぁ… 星ちゃんを苦しめた人達は1人残らず地獄へ突き落として
goodnovel comment avatar
桜花舞
仮病のお嬢さん!いいですね〜 是非そう呼んでほしいです!
VIEW ALL COMMENTS

Latest chapter

  • 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!   第513話

    ――これで、山田グループはもう立ち直れない。その現実を悟った勇は、唇を噛みしめたまま、ただ立ち尽くしていた。葛西先生の視線がゆっくりと横へ動く。やがて、綾子のほうを向いた。「あなたが......星の元義母か」綾子は、その声を聞いた瞬間に悟った。――この老人は、和解しに来たのではない。今日は清算に来たのだ。顔がこわばり、笑みを作るのもやっとだった。「ええ、そうですわ」無理に笑みを浮かべながら、そっと翔太の肩を押し出した。「こちらが......星野星の息子、翔太です」翔太は小さく会釈した。「葛西おじいさん、こんにちは」葛西先生は淡く頷いたが、その視線はすぐに彼を離れ、綾子へ戻った。「思えば、わしと星が出会ったのも――あなたのおかげだな」「......え?」「あなたが長年、偏頭痛に苦しんでいたろう。あれを治してやりたいと、星は半年ものあいだ、わしの薬を求めて奔走していた。ようやく特効の薬が見つかって、あなたに届けていたんだ」「......!」綾子の目が大きく見開かれる。まさか――あの薬が、この葛西先生の手によるものだったとは。二年間、飲み続けたその薬のおかげで、数十年来の頭痛が嘘のように軽くなった。医師からも「もう再発はしないだろう」と言われていた。震える声で、綾子は言葉を返した。「......ええ。とても、よく効きました」葛西先生は次に、翔太を見た。「君が、神谷翔太くんだね。君のお母さんは、君のために特別な薬草を探している時に、指を切ってね。いまも、その傷跡が残っている」会場の視線が一斉に星の手に集まる。白い手の甲――そこに、確かに一本の細い傷跡があった。誰も気にも留めなかった小さな跡が、いま、痛々しく見えた。雅臣の胸が、かすかにざわめいた。ふと、思い出す。かつてレストランで翔太がアレルギーを起こしたとき、星が取り出したあのスプレー。――あれが、彼女の努力の結晶だったのか。雅臣は、静かに星を見つめた。しかし彼女の表情は、驚くほど淡々としていた。まるでそこに立っているのは、誰とも関わりのない他人であるかのように。その無表情が、雅臣の胸をひどく締めつけた。離婚を受け入れたのは、間違いだったのかもしれな

  • 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!   第512話

    勇の父の額には、じっとりと冷や汗が滲んでいた。息子の勇が、いつも外で問題ばかり起こしていることは分かっていた。もし、雅臣と航平という二人のできすぎた兄弟分がいなければ、勇など、とっくに破滅していたに違いない。彼には経営の才もなければ、判断力もない。本来なら父も、山田グループを息子に継がせるつもりなど毛頭なかった。だが――雅臣と航平、この二人が常に山田家を支えてくれていたのだ。二人が山田グループにいくつかの取引を回してくれさえすれば、会社は潰れないどころか、順調に成長していった。さらに有能な部門責任者たちが揃っており、勇はただ座っていれば利益が入るという楽な立場にいた。何か問題が起きても、雅臣が必ず後始末をしてくれた。――つまり、山田家は彼らに頼って生きてきたのだ。そんな息子が、よりにもよって葛西先生に手を出していたとは。父は、まるで血の気が引くような思いだった。「なんてことを......!よりによって、この場で!」もし今が公の場でなければ、その場で頬を張り飛ばしていたに違いない。「か、葛西先生......本当に申し訳ありません。息子は......その、あなたのことを知らずについ――」言い訳にもならない言葉を並べる父に、葛西先生は眉をピクリと上げた。「なるほど、つまり――あなた方山田家は、弱い者には強く、強い者には媚びるという家風か」低く響いたその言葉に、父は蒼白になり、口を閉ざした。膝が震え、立っているのがやっとだった。――葛西先生を敵に回すということは、葛西家を敵に回すということ。その一言で、山田グループなど瞬く間に崩壊する。その時まで黙っていた雅臣が、静かに口を開いた。「勇。......葛西先生に謝れ」彼の冷めた声が、まるで氷水を浴びせるように勇の頭を冷やした。勇は、生意気ではあるが愚かではない。自分が勝てる相手と、勝てない相手の区別くらいはつく。――だが、今回は判断を誤った。老人だと侮っていた男が、この街で最も影響力のある人物の一人だったのだ。勇の視線は宙をさまよい、葛西先生の顔をまともに見ることができない。「か、葛西先生......申し訳ありません。あの時のことは、すべて俺の過ちです。どうか、お許しください.....

  • 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!   第511話

    星は、葛西先生の顔に泥を塗るような真似はしなかった。堂々とした態度で、礼を失することもなく、その立ち居振る舞いは見事だった。会場の人々は口々に彼女を称え、「葛西先生は人を見る目がある」と感心していた。葛西先生は、まるで子どものように嬉しそうにそれを受け取り、照れもせずに笑顔で相づちを打った。――褒め言葉はすべて、素直に受け入れる。その様子を見て、「この人は褒められるのが好きなタイプだ」と、周囲の誰もが察した。とりわけ「弟子をよく選んだ」「星野星は非凡だ」といった言葉が飛ぶたびに、葛西先生の表情はますます柔らいでいく。気がつけば、会場は星を持ち上げる空気に包まれていた。――それは、星にとっては初めての体験だった。雲井家にいた頃も、神谷家に嫁いでからも、彼女はほとんどこうした場に呼ばれたことがない。神谷家では「品位に欠ける」「恥をかかせる」として、常に留守番を命じられた。雲井家では「若く、まだ礼儀を覚えていない」という理由で、外に出されることはなかった。ましてや、その頃はまだ彼女の身分が公になっておらず、連れて歩くのも気まずかったのだ。そんな彼女が今――堂々と注目を浴び、称賛を受けている。胸の奥で、何か温かいものが膨らんでいった。そのとき、一人の男が言った。「葛西先生、あなたの弟子は本当に才色兼備ですな。あの社交界の華、雲井明日香にも引けを取りませんよ」その言葉に、葛西先生は腹の底から笑った。「はっはっは!当然だ。うちの弟子が一番に決まっておる!」謙遜という言葉を知らぬかのように、誇らしげに胸を張る。周囲も笑顔で頷きながら、同時に心の中では、「雲井明日香と張り合うなど無理だろう」と、冷静に判断していた。雲井明日香は、名門・雲井家が徹底的に仕込んだ令嬢。星がいかに幸運を掴もうと、その世界で肩を並べるのは、まだ遠い。だが、誰も口に出しては言わなかった。せっかく葛西先生が上機嫌なのに、水を差す者はいない。星を連れて次々と名士たちに挨拶を済ませたあと、葛西先生はふと視線を前方へ向けた。そこには――神谷家と山田家の一行がいた。葛西先生の口元に、冷ややかな笑みが浮かぶ。「星。あちらの方々にも、挨拶しておこうか」星は葛西先生を見上げて頷いた。「は

  • 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!   第510話

    誠一のことなど、彼は眼中にもなかった。だが――葛西先生が星を庇うとなれば、さすがの誠一も、もう口を挟むことはできまい。葛西先生が星を弟子として正式に紹介した場面は、会場にいた川澄家の人々を心底驚かせた。恵美は半ば呆れたように笑った。「お父さん、来るのが遅かったみたいね。見て、葛西先生、どう見ても星のことを気に入ってるわ」父はまだ諦めきれず、「葛西先生は弟子にすると言っただけだ。孫娘にするとは、一言も言っていない」そう言いながらも、恵美にはひとつの思惑が芽生えていた。――星がこれほど葛西先生に重用されるのなら、むしろ彼女と仲良くしておくべきだ。演奏会が終わると、人々は宴会場へと移動していった。恵美は真っ先に立ち上がり、星を探しに向かった。その背を見た明日香が、声をかけた。「恵美、そんなに急いでどこへ行くの?」恵美は一瞬立ち止まり、「あ、そうだった!」と笑って引き返した。「星を探しに行くの。知ってるでしょ?彼女、うちの兄の同門なの」明日香がわずかに眉を上げた。恵美は声をひそめて続ける。「お父さんの考えなんだけどね、星を養女として迎えたいらしいの。その前に、わたしが先に話をしておこうと思って」その言葉に、明日香の瞳がかすかに揺れた。ふだん表情を崩さない彼女の顔に、ほんの一瞬、驚きが浮かぶ。「......養女に、するって?」恵美はうなずいた。二人は親しい友人同士で、恵美は何事も秘密にするのが苦手だった。「お父さんね、お兄ちゃんを何度も呼び戻そうとしたけど、帰りたがらないの。どうも同門の子のことが忘れられないみたい。二人は子どもの頃から一緒に育って、絆が人一倍強いのよ。しかも彼女、この前離婚したばかりでしょ?お兄ちゃんはきっと、放っておけないんだわ。だからお父さん、彼が彼女を娶るつもりじゃないかって心配してて、『それなら養女にしてしまえばいい』って。彼女を守ってやれるし、同時にお兄ちゃんの気持ちも断てる――一石二鳥ってわけ」恵美は楽しげに話していたが、明日香は徐々に顔色を失っていった。父と兄が、星の身分をどう公表するかで頭を悩ませている最中、川澄家はもう、養女に迎える話を進めている――「でも、川澄家に養女が増えるって、他の‍家族は何も

  • 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!   第509話

    「この件は、少し時間をかけて考えたほうがいい。焦って動くのは得策じゃない」仁志が静かに告げると、清子は目を瞬いた。「川澄家の息子って......もしかして、川澄奏のこと?」仁志は軽くうなずく。「星は、まだその事実を知らない。だが――今日中には、きっと知ることになるだろう。そして、彼女がそれを知れば、必ず奏を説得して川澄家に戻らせる。奏も、間違いなく戻るはずだ」視線を横に流し、清子を一瞥する。その黒い瞳には、深い思惑が揺れていた。「葛西家、川澄家、そしておまえの初恋――神谷家。この三家を敵に回して、星に手を出すなんて、まず不可能だ。今の彼女の後ろ盾は、最強に近い。もう、簡単に踏みつけられる虫けらじゃない」仁志の声は穏やかだったが、その中に冷ややかな現実があった。星が雲井家にいた頃のことは、彼にも分かっていない。彼女に、さらに別の顔があることを――まだ知らなかった。腕時計にちらりと目を落とす。「もう遅いな。俺は行く」そして、少年めいた悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。「......俺がここに来たこと、内緒にしておけよ」低く囁くような声。そう言い残すと、仁志は一度も振り返らずに去っていった。その背中には、いささかの未練もなかった。会場では、雲井家の人々が舞台上の光景を呆然と見つめていた。「影子が......葛西先生と知り合いだったなんて?」正道が信じられないというように声を漏らす。「一体どうやって知り合ったんだ?」葛西先生は若い頃から、癖の強い人物として知られていた。妻を亡くしてからは、さらに気難しくなり、機嫌を損ねれば親族でさえ容赦しない。これまで、彼を招こうとした家は数知れず。だが、彼が宴会に顔を出したことなど、一度もなかった。「影子はどうやってあの方を動かしたんだ?」靖が訝しげに眉を寄せた。明日香は少し考え込んでから口を開いた。「お父さん......もしかして影子が、自分は雲井家の者だと先生に話したのでは?」その一言に、正道の顔が引き締まる。「......なるほど。そういうことか」靖もすぐに気づき、顔をしかめた。「勝手に葛西家へ助けを求めるなんて......これで我が家は、大きな恩を負うことになるぞ

  • 夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!   第508話

    ――そうだ。なぜ、そのことに気づかなかったのだろう。星は結局、白い月光しか弾けない。おそらくその一曲だけを、執念のように練習し続けているのだ。清子の唇に、薄く嘲りの笑みが浮かぶ。あんな女が、本物の音楽家であるはずがない。五年間も家庭に閉じこもっていた主婦に、どんな音楽的才能があるというのだ。澄玲たちは「星はA大の殿堂入り演奏者だ」などと騒いでいたが――きっと、それも葛西先生の顔を立てただけの話だ。あの先生が言えば、誰も逆らえない。「あの女が実力者?冗談にもほどがある。――結局のところ、大したことないわ」清子はそう思い込み、自分を納得させた。星に劣っているとは、どうしても認めたくなかった。そうして「都合のよい理屈」を見つけると、胸の中のもやが、少しずつ晴れていった。軽くなった心で仁志の顔を見ると、彼は何か考え込むように黙っていた。その沈黙が、妙に落ち着かない。「......まさか、信じてない?」仁志の心の中には、自分など存在しない。彼が思い続けているのは、あの裏庭でヴァイオリンを弾いた女性だけだ。彼を欺くのは、容易ではなかった。「もしあなたがあの夜の演奏を気に入ったと言うなら......」清子はゆっくりと口を開いた。「わたし、もう一度、あの時みたいに原曲のスタイルを真似してみるわ。――それとも......」言葉を切り、彼の瞳をまっすぐに見つめた。「あなた、まだ疑ってるの?あの夜、裏庭でヴァイオリンを弾いていたのが、わたしじゃないって」仁志のような男には、隠すよりも本音で話したほうがいい。腹の底を見せたほうが、むしろ信じさせやすい。彼はゆるく微笑んだ。「少しだけ、な。――何しろ、お前には証明するものがない」そう。清子の手には、もう一方のイヤリングがない。あの夜、仁志が探していた裏庭の演奏者の手がかりは、そのイヤリングひとつだけだった。調べに調べ、あの時間帯に後庭で練習していたのが清子だと突き止めたのも、彼自身だった。複数の証言もあった。彼女は確かに、あの夜白い月光を弾いていた。本人も認めた。――それでも、何かが引っかかる。そんな偶然が、本当にあるのか?清子の呼吸が浅くなっていた。手指が震え、胸の奥

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status