LOGIN靖も明日香の方を見た。「――ウィンザー姫の方は?星の名前、出したのか?」明日香は深く息を吸い込む。「出してない。出来事の経緯を話した以外、ウィンザー姫は終始、星には触れなかった。まるで……この件が星と無関係みたいに」靖は怒りが極まって、逆に笑ってしまった。「こっちはようやくレイル家とつながったばかりだってのに、星はその直後に邪魔してきた!邪魔だけならまだしも、いきなり人を殺すなんて……どれだけ惨いんだよ!」明日香も苛立ったように眉間を揉む。彼らは長い時間をかけて入念に準備し、ようやくウィンザー姫の命の恩人という立場を手に入れた。しかも、傲慢で自信過剰――扱いやすいタイプのイーサン王子にも、運よく出会えた。次の一手を詰めようとしていた、その矢先だった。仁志が、相手を直接殺してしまったのだ。もし仁志が故意じゃないと言っても、信じる者などいないだろう。靖が言う。「これで、イーサン王子っていう駒も失った。それどころか、レイル家そのものを敵に回した」それが、何より受け入れがたかった。明日香はぽつりと言った。「……私、優芽利の言ってたこと、少し信じ始めてる。もしかしたら、本当かもしれない」靖と翔が、同時に明日香を見る。「何を言われた?」明日香は、どこか含みのある笑みを浮かべた。「優芽利が言ってたの。怜央が……星を好きになったみたいだって」二人は一瞬固まり、同時に声を上げる。「……はあ!?」明日香は微妙に笑う。「最初は私も信じなかった。でも今は……少し、そうかもしれないって思ってる」……D国。怜央がD国に着いたのは、星より一日遅れだった。その頃の星は、ちょうど契約を結び終え、彩香とあちこち観光している最中だった。怜央はこれまで、出張以外で旅をすることがほとんどない。どこにでもある退屈な景色を見て回って、何が楽しいのか――正直、理解できなかった。それでも、星と彩香が楽しそうにしているのを見ると、彼女たちが辿ったルートをそのまま追って、無言で同じ場所を歩いた。だが途中で、星が二人の護衛を連れて慌ただしく立ち去るのが目に入った。一目で分かった――何か、かなり深刻なことが起きたのだと。同時に、星の友人である彩香の姿が消えている。調べさせてみると、怜央はすぐに事情
それに、その場にはノアもいた。ノアの一族まで関わっていたのかどうかも、まだ分からない。もし複数の名家が手を組んでいたのだとしたら、レイル家を揺るがすことだって、決して不可能ではない。明日香は、まさか自分が星に巻き込まれる日が来るとは思ってもみなかった。彼女は静かに言った。「ウィンザー、信じて。私はイーサンを害そうなんてしていないわ。溝口家が私たち雲井グループに案件を回したのも、私たち雲井家のためじゃない。星がいたからよ……」まだ何か言おうとした、その時だった。電話の向こうから、王妃の取り乱した泣き叫ぶ声が響く。「イーサン!私の息子!」明日香の胸が重く沈んだ。嫌な予感が、一気に現実味を帯びる。「ウィンザー……まさか、イーサンは――」ウィンザー姫が答えるより早く、電話の向こうから医師の重苦しい声が聞こえてきた。「レイル様、王妃様……手は尽くしました。どうか、お気を落とされませんよう……」ぱたん。ウィンザー姫の携帯が床に落ちた。彼女はもう明日香と話す余裕などなく、白布をかけられたイーサンのもとへ泣き崩れながら駆け寄っていく。「お兄さん、ごめんなさい……私がお兄さんを死なせたの……」レイル国王も、大きな衝撃を受けたように何歩もよろめいた。その瞬間、彼は一気に十歳は老け込んだように見えた。だが、イーサンの寝台のそばに跪いて泣きじゃくるウィンザー姫を見た途端、国王の怒りは爆発した。彼は手を振り上げ、ウィンザー姫の頬を力いっぱい打ち据える。ウィンザー姫はその勢いのまま、床に倒れ込んだ。「全部お前のせいだ!お前が雲井家のあの落ち着きのない淫らな女に関わりさえしなければ、イーサンは死なずに済んだ!あの女はイーサンをたぶらかしただけじゃない。溝口家の当主まで誘惑したんだ。もしかしたら、溝口家の当主は、イーサンが明日香を娶ろうとしていると知って、怒りのあまり恋敵を消したのかもしれん!他の人間には無理でも、溝口家の人間ならやりかねない!」ウィンザー姫は泣きながら何かを弁解していたが、距離があって、明日香にははっきり聞き取れなかった。彼女の耳に届くのは、泣き声と慌ただしい足音、それにレイル国王の怒号ばかりだった。明日香は無言のまま通話を切った。その顔色は、かつてないほど青ざめている。いつもは優
明日香は、自分の耳を疑った。「だめって……何がだめなの?」ウィンザー姫はしゃくり上げながら言う。「お兄さんが心臓を撃たれたの……今、緊急治療室で必死に助けようとしているけど、医者は助かる見込みは高くないって……お兄さんが……お兄さんが、もう……」明日香は息を詰まらせた。「そんな……どうして?イーサンが、どうして急に撃たれたりするの?」ウィンザー姫が明日香に電話したのは、ひどく取り乱していたからだった。もし自分が彩香をさらわなければ、兄は死なずに済んだかもしれない。そう思うと、平静ではいられなかったのだ。彼女は混乱したまま、何があったのかを途切れ途切れに話し始める。「お兄さんは星に一発撃たれて、そのあと、溝口家の当主……仁志に心臓を撃たれたの。お母様は気を失って倒れてしまったし、お父様も激怒してて……絶対にあの人たちを許さないって。それに……雲井家のことも……」その言葉に、明日香のまぶたがぴくりと跳ねた。胸の底に、不吉な予感が広がっていく。彼女は問い返した。「星が雲井家の人間だから、レイル国王はそのことで私たち雲井家まで逆恨みしているの?」ウィンザー姫は言った。「それもあるけど……お父様は、今回のことは、あなたたち雲井家と仁志が手を組んで仕掛けた罠かもしれないって思ってるの」どれほど頭の回る明日香でも、この瞬間ばかりは話がすぐには飲み込めなかった。「罠?どういう意味?」ウィンザー姫は泣きじゃくりながら言う。「お父様は、あなたが私を助けたこと自体、偶然じゃなくて仕組まれたことだって。それに、星がD国に現れて、ノアと親しそうにしていたことも、全部私たちを誘い込むための計画だったんじゃないかって……少し前に、雲井グループは溝口家と大きな契約を結んだでしょう?しかも、あれは溝口家からのおいしい案件だった。ただで得られるものなんて、この世にはないって、お父様は言ってた……きっと雲井家は、溝口家と裏で何か約束をしていたんだって。そして、その条件が……仁志の仕掛けたこの罠に、あなたたち雲井家が協力することだったんじゃないかって。目的は、お兄さんの命を奪うことだったんじゃないかって……」レイル国王は、ウィンザー姫ほど簡単に丸め込まれるような男ではない。以前、ウィンザー姫が池に落ちて明日香に助け
星は仁志に返事をせず、代わりにノアの方を見た。「ノア、彩香のことお願い」それから拓海と侑吾にも、すぐに指示を飛ばす。「あなたたちは、絶対に彩香を守って。王宮を出たら、そのまま空港へ向かって。空港の方には、もうプライベートジェットを手配してあるわ。先に出発して。私たちを待つ必要はない」一瞬も迷わず、言い切る。「全員がD国に足止めされたら終わりよ。もし私が脱出できなかった時は、その時に助けを求めるから」彩香は涙ぐみながら、星を見つめた。「星……」星はやさしく言う。「私のことは心配しないで。こっちには仁志がいるから」仁志の名前を聞いて、彩香はもう一度彼を見た。自分がここにいても役に立たないことくらい、分かっている。それどころか、星の足を引っ張るだけだ。彼女はぐっと歯を食いしばり、拓海と侑吾に言った。「……行こう」ノアはまだ何か言いたげだった。だが、星の表情があまりにも揺るがなかったため、最後には長いため息をつき、彩香たちを連れて去っていった。あまりにも突然の事態だったせいで、レイル家には何の備えもなかった。イーサンは瀕死のまま運ばれていき、王妃も大きな衝撃を受けて倒れた。王宮全体が、まるで蜂の巣をつついたような混乱に包まれている。レイル国王は王宮封鎖と不審者の徹底捜索を命じたものの、自身は手術室の前でイーサンの処置を待っており、全体を指揮する余裕はなかった。しかも彩香たちと星は別行動を取っていた。人数も多くなく、追跡の目も自然と分散する。その結果、彩香たちは無事に王宮を脱出し、そのまま空港へたどり着いた。飛行機が離陸した瞬間になっても、彩香にはまだ夢の中にいるような感覚があった。ようやく少しずつ冷静さを取り戻してきたが、それでも、仁志があまりにも迷いなくイーサンを撃ち殺したことには強い衝撃を受けていた。けれど頭の中が整理されてくるにつれ、彼女は認めざるを得なかった。――仁志の判断は、正しかったのだと。あのイーサンが生きていれば、明日香と手を組み、この先も延々と星に厄介ごとをもたらし続けただろう。自分では明日香を支配できるつもりでいても、最後には逆に明日香に弄ばれ、またしても彼女の刃にされていたかもしれない。仁志のやり方はたしかに苛烈だ。だが、根から断つには、それがいちば
仁志も無駄なことは言わなかった。「分かった」けれど星の意識は、なおもイーサンへ向けられたままだった。――イーサンを人質にしたまま、自分が王宮を出られる可能性はどれほどあるのか。彼女はそのことを、冷静に計算していた。その場にいる全員の注意が、星とイーサンに集中していた、その時だった。突然、銃声が響く。パンッ!一発の弾丸が、イーサンの心臓の辺りへ撃ち込まれた。あまりにも唐突な展開に、誰もが一瞬、動きを止める。星はイーサンのすぐそばにいたため、吹き出した血をまともに浴びてしまった。黒いシャツに黒いパンツをまとった男が、光の届かない薄暗がりに立っていた。その手には消音器付きの拳銃。銃口からは、まだ白い煙が立ち上っている。男の表情は淡く冷たく、まるで感情を持たない殺し屋のようだった。どこまでも温度がない。ウィンザー姫が悲鳴を上げる。「きゃあっ!」王妃は顔面蒼白になり、そのまま気を失って倒れた。その中で、まだいくらか理性を保っていたのは国王だけだった。彼は声を枯らして叫ぶ。「医者だ!早く医者を呼べ!」星は、まだ呆然としているノアを軽く押した。低い声で言う。「早く行って」ノアはその声でようやく我に返り、騒ぎに紛れてその場を離れた。彩香にとっては、こんな生死の境を目の前で見るのは初めてだった。まるで魂が抜けたように、顔から血の気が消えている。拓海と侑吾が支えていなければ、立っていることすらできなかっただろう。彼女は呆けたように呟く。「イ、イーサン……死んだの?」仁志は雅人に電話をかけながら答えた。「まだだ。だが心臓をやられてる。長くはもたないだろう」ノアは眉をひそめ、仁志を見る。その表情は、珍しく真剣だった。「イーサンは未来の国王だ。お前、あんなふうに彼を撃ってしまったら、大変なことになる。レイル家が簡単にお前たちを逃がすと思うのか?」仁志は彼を一瞥し、淡々と返した。「殺さなければ、どうやって王宮を出る?」ノアは一瞬、言葉を失った。「じゃあ、お前がイーサンを撃ったのは……混乱を起こして、その隙にみんなで王宮を抜けるためだったのか?」仁志が答える前に、雅人の方で電話がつながった。「仁志さん、準備はすべて整いました。ただ、王宮には防空設備もありますし、警備
「私としては、見てみたいのよ。まだ数回しか会っていなくて、自分に嫁ぐかどうかも分からない女のために、あなたが本当に私を撃ち殺せるのかどうかをね」イーサンの動きが、ぴたりと止まった。その時、入り口の方からレイル国王の怒声が響く。「イーサン!何をしている!?今すぐその人を放しなさい!」一同が振り向くと、そこにはいつの間にかレイル国王と王妃が立っていた。しかも、その傍らには、ひとりの若く端正な男の姿もある。手足を縛られていた彩香は、その姿を見た瞬間、ぱっと目を輝かせた。「仁志!」仁志はわずかにうなずいた。だが視線は、イーサンに銃を突きつけられている星へ向けられたままだ。長いまつげが伏せられ、その目の底に沈む陰鬱な気配は、静かに押し隠されている。しかしイーサンは、銃を下ろそうとはしなかった。むしろ焦ったように言い募る。「父上、母上、この女は放してはいけません!この女は雲井グループの原株を握っていて、しかも複数の先端企業の支配権まで持っているんです。雲井グループの内部はまとまっていない。たとえ、こちらが身柄を押さえて、行方不明になったとしても、雲井家の人間は絶対に取り返しに来ません。しかも明日香はウィンザーの命の恩人です。この縁を利用し、星を人質にして明日香を上に押し上げれば、計り知れない利益を手にできます!」言葉自体は簡潔だったが、レイル国王と王妃には、その奥にある狙いが十分伝わっていた。イーサンは、明日香を娶りたいわけではない。彼が欲しいのは、雲井家そのものだ。そう考えるのも無理はない。明日香が持つ雲井家の持ち株は、数ある令嬢の中でも決して少なくない。婚姻を通じて相手の家の後ろ盾を得るより、いっそ家そのものを手中に収めた方が早い。イーサンの野心は相当なものだった。しかも、彼は明日香のことなど大して重く見ていない。王族出身の自分が、箱入り同然の私生児ひとり操れないはずがない。自分が娶ってやるのだから、明日香は感謝して当然――そんな考えさえ透けて見えた。国王と王妃も、イーサンの野心には息をのんだ。同時に、少なからず心を動かされたのも事実だった。だが、ここには人が多すぎる。特にノアと、溝口家の当主までいる。まさかこの二人まで口封じに消すわけにもいかない。レイル国王が、ひとまず時間を稼いでから判断すべ
その場にいた誰ひとりとして、反応する暇すらなかった。星でさえ、呆然と立ち尽くすしかない。止めに入る余裕など、かけらもなかった。ここはD国だ。M国ではない。いや、もしM国だったとしても、ノール家の後継者をこんなふうに始末していいはずがない。ノール家は、決して「取るに足らない小さな家」などではなかった。星の胸が、きゅっと強く締めつけられる。最初に仁志が現れたとき、彼女はあえて止めなかった。ノールソンに、一度思い切り痛い目を見せてやりたい気持ちもあったからだ。こんな男、死んだって誰も惜しまない――そう思っていたのも事実だ。だが、まさか本当に命を奪うとは思っていなかった。再
「でも──」謙信が言いかけた瞬間、通話は無情にも、ぷつりと切れた。謙信はしばらく携帯を見つめたまま、呆然として言葉を失った。仕事に集中していた雅人が、横目でその様子をちらりと見る。さっきの会話の断片だけで、大体の事情は察したようだった。「ほらな。前から言ってただろ。仁志さんの我慢にも限界があるって。ここまで抑え込めてたのは……全部、あの人の存在があったからだよ」謙信は、ゆっくりと我に返った。「……つまり、星野さんこそ、仁志さんの本当の逆鱗だ、ってことね」雅人は、肩をすくめてみせた。「さあ、どうだろうな。だってさ、前にも特別だと思ってた人、いたじゃないか。結局、今
航平はテーブルの下で拳を握った。仁志を見るたび、胸の奥がざらつく。――こいつは、消さなきゃいけない。食事の席で星と航平は近況を話し、話題は翔太と雅臣にも及んだ。時間はそれなりに長かったのに、星は怜央の話を一切しない。航平が何度かそれとなく話題を寄せても、星はさらりとかわした。「計画」の話は、最後まで出なかった。航平には分かってしまう。仁志が同席しているから言えない――そういう理由じゃない。奏のメッセージを見る限り、仁志も当事者だ。つまり――星は、航平に知られたくないのだ。夕食が終わり、仁志が車を出して航平をホテルまで送った。航平は相変わらず春風みたいな笑顔を崩さない
彩香は怜央が負傷したのは知っていた。だが、ここまで酷いとは思っていなかった。しかも――手が使い物にならない?胸のつかえが、一気に落ちる。星の手を壊した報いだ。自業自得。彩香は言う。「今は医療も進んでますし。手、治る可能性もありますよね」健人は首を横に振った。「ない」彩香は眉を上げる。「若様、どうして言い切れるんですか?」健人は静かに告げた。「――今も怜央の手下が、切断された腕を見つけられていないから」……昼夜をまたぐ救命処置の末、怜央はようやく目を覚ました。傷は致命傷ではない。命に別状はない。だが意識を取り戻した直後、助手が青い顔で駆け寄ってきた。「