LOGINその瞬間、翔はようやく理解した。星がどれだけ天に背くようなことをしても――仁志は、必ず彼女のための言い訳を見つけるのだ。翔の瞳の奥に、暗い光が走る。冷ややかに笑った。「仁志。俺たちは、お前の身分なんてとっくに知ってる……じゃあ、星が知らないと思うか?」言葉をゆっくり落としていく。「あいつは分かってて、知らないふりをしてただけだ。じゃなきゃ、なんでお前をずっと傍に置いて、あんなに優しくしてた?」そして、刺すように言い切る。「利用するために決まってるだろ」さらに続けた。「星は、お前を利用して俺ら両派の対立を煽った。それだけじゃない。俺らを利用して、お前の身分を暴かせたんだ」そこで一度言葉を切る。その視線は深く、底知れないものに変わっていた。「考えたことはないのか?清子が、あんな都合よく怜央に捕まった理由を。雅臣と星が、わざと仕組んだ可能性だってある」翔は、抑えた声のまま、だが刃のように続ける。「雅臣は星に負い目がある。今でも許しを乞い続けてる。星のためなら、あいつは何だってやる男だ。それに、お前が雲井グループで星を立たせたあと、星はもう使い道がないと思った。だから俺らを動かして、お前を追い出した。そのあとは、わざと被害者みたいに振る舞って、周りの人間にお前への情報を流させた」その口元に、ねじれた笑みが浮かぶ。「お前を切らさないように、ずっと釣ったままにするためにな」翔は何かを思い出したように、さらに追い打ちをかけた。「知らないだろ?お前が離れてすぐ、あいつはもう二人も秘書を傍に置いた。それに影斗と頻繁にデートしてるってニュースも、何度もトップに上がってる。雅臣も、航平も、しょっちゅう雲井グループにあいつを訪ねてきてる」その声には、露骨な嘲りが混じっていた。「仁志。お前は星の池にいる魚の一匹だ。異分子を潰すための刃――ただの道具なんだよ」そして、最後に吐き捨てる。「あいつは腹の底が深い女だ。誰に対しても、欠片ほどの本気もない」翔は分かっていた。仁志のような男にとって、星が善人か悪人かは大した問題ではない。どんな人間でも、あの男は気にしないだろう。だが――星が自分に本気かどうか。そこだけは、気にするはずだった。仁志は、翔の話を最後まで驚くほど辛抱強く聞いていた。そして、に
「しかも、あいつの本当の狙いは――雲井グループの全株主の前で、星の重要性を持ち上げること。そのうえで、俺たちを足元に踏みつけて、雲井家に徹底的に恥をかかせることだったんだ!」翔は、焼けつくような目で正道を睨みつけた。声は低く、歯の隙間から無理やり絞り出すようだった。「そんな仁志を、どうやったら見逃してくれるんだ?このままあいつが星を助け続けたら……あと三年、五年もすれば、会社名が星の姓に変わってしまうぞ!」正道が机を強く叩き、怒鳴りつけた。「翔、お前は何を言っている!星もお前の妹だ。お前たちと同じように、雲井グループの継承権がある!」翔は、乾いた笑いを漏らした。「父さん、本気でそう思ってるなら。母さんを会社から追い出し、持ち株まで奪うなんて、あそこまで周到にやったのか?」その目には冷えたものが宿っている。「父さんの中じゃ、雲井グループは最初から雲井の姓でしかありえない。星野の姓になるなんて、最初から許す気なんてないんでしょう」靖と明日香は、翔が正道の前で、あらゆる覆いを一気に剥ぎ取ったことに息をのんだ。夜は、もういない。だがその名は――正道にとっても、雲井家の三兄妹にとっても、そして雲井グループにとっても、永遠に消えない存在だった。正道は震える指で翔を指さす。胸が大きく上下していた。本気で怒っているのは、誰の目にも明らかだった。そこへ明日香が慌てて支えに入り、やわらかな声で取りなす。「父さん。翔兄さんは最近、星にいくつも案件を奪われて……気持ちが荒れてるだけ。どうか言葉を真に受けないで。父さんを責めたいわけじゃない」そう言いながら、靖に目配せする。先に翔を外へ連れ出してほしい――そう促していた。靖はすぐに察し、翔を半ば押し出すようにしてオフィスの外へ連れていった。二人が出ていくと、明日香は続ける。「星は、この半年で伸びすぎた。今や翔兄さんを完全に上回り、雲井グループの意思決定においても……翔兄さんが星の顔色をうかがわなければならない場面が増えている」少し間を置いて、さらに低く言う。「父さんも知っての通り、翔兄さんは野心の強い男だ。もし将来、星が雲井グループを継いだら……翔兄さんは絶対、その下で働くことを受け入れない。それどころか、雲井グループ自体が血の雨を呼ぶような騒動になる可能性すらあ
仁志は戻ってきた瞬間、星にこれ以上ないカードを切った。しかも規模は、かつての怜央すら上回る。これは単なる支援ではない。星の格を引き上げると同時に――雲井家の兄妹を踏みつけるための一手だった。彼が雅臣であろうと、当主であろうと、本質は何一つ変わらない。星にとって、最大の価値を作る。それだけだ。明日香は俯いたまま、表情を隠している。だが強く結ばれた唇と、机の下で握られた手が、内心を物語っていた。星は、詳細を把握していない状態で進行を任された。それでも動じない。資料を確認しながら、冷静に、的確に、最後まで会議をまとめ上げた。その姿を、仁志は静かに見ていた。――もう大丈夫だ。胸の奥に、言葉にならない達成感が湧く。これから先、彼女は一人で立てる。もう、自分が教えることはない。星はその視線を感じ、わずかにまつげを揺らした。だがすぐに表情を戻す。二時間後、会議は終了。靖、翔、明日香は無言で去る。正道派の株主は顔色が悪い。一方で夜派は、はっきりと笑っていた。万代宗一郎が意味深な笑みを残して去り、他の株主たちも軽く頷いていく。――勝負はついた。明日香の優位は崩れた。今や中立派はほぼ消え、残るのは二つの陣営だけ。そして星の支持率は、すでに正道派と並びつつあった。……正道のオフィス。室内にいるのは、靖、翔、明日香の三人。鋭い視線が、靖に向けられる。「靖……なぜ報告しなかった」逃げ道はない。だが、その前に明日香が口を開いた。「父さん。兄に言わせなかったのは、私だ」正道の視線が移る。「仁志の身分は、私たちも前から知っていた。隠したのは――星の立場が一気に上がるからだ」一歩も引かない。「株主は必ず後継者変更を迫る。それに雲井家、葛西家、司馬家――すべての関係は最悪だ。もう引き返せない」そして、真っ直ぐ見据える。「たった一人のために、そのすべてを捨てるべきか?」正道は眉を寄せた。「調整不能なら、こんな案件は持ってこない」翔が冷たく笑う。「与えたのは雲井グループじゃない。星だ」淡々と続ける。「最初から指名すればよかった。それをしなかったのは――わざとだ」一拍。「俺たちに勘違いさせるために。この案件は、誰でもいいって」
仁志は、まったく遠慮というものを知らないかのように、その事実を公然と突きつけた。その一言で、靖の顔色はみるみる沈み、明日香の瞳にも、はっきりと屈辱の色が浮かぶ。――相変わらずだ。仁志は、誰の顔も立てない。正道の笑みでさえ、わずかに引きつった。もともと、溝口家から提携の意向書が届いた時、正道は驚いた。その頃はまだ、仁志の正体を知らず――靖が謝罪に行ったついでに、新たな取引先を開拓してきたのだろう。その程度に考えていた。だが実際には違った。溝口家は自ら手を差し伸べ、しかも破格の条件まで提示してきた。どれだけ危険な噂があろうと――この利益を前に、断る理由はない。正道は、それを靖の手柄だと考え、手配を一任した。さらに「当主自ら出向く」との連絡もあったため、グループ全体で万全の準備を整えていた。株主にも、かなり前から時間を空けさせている。ただ一人、例外がいた。――星。正道派の案件に関して、彼女は出席義務がない。そして靖は、その流れに乗った。この提携を明日香に任せ、進行役まで譲った。――だが。仁志が現れた瞬間、すべてが崩れた。株主の中には、本気で「部屋を間違えたのでは」と思った者すらいた。だが窓口担当の説明で、ようやく理解する。――あれが、溝口家の当主だ。その場にいた全員が、顔面を殴られたような衝撃を受けた。派閥など関係ない。全員まとめて、叩きつけられた。星の隣から、再び声が響く。「少しでも自覚があれば、こんな恥はかかせないよね」誰も答えない。反論する者もいない。この利益を前に、多少の皮肉など、問題にもならなかった。正道は靖を一瞥する。何かを隠している――そう察したが、ここで追及すれば自分まで笑い者になる。すぐに笑みを整えた。「申し訳ありません。社内連携に不備がありました。どうかご容赦を」雅臣から仁志へ。護衛から当主へ。その落差は、さすがの正道でも飲み込みきれない。彼は視線を星へ向けた。「星。仁志さんのご指名だ。今回の案件は、あなたが全権を持って担当しなさい」――決定だった。明日香の笑顔が、わずかに歪む。本当は、全員分かっていた。相手が仁志だと。それでも賭けた。――二人は、もう決裂しているかもしれない。その可能性に。だから明
扉を開けた瞬間――全員の視線が、一斉に星へ突き刺さった。会議室は異様なほど静まり返っている。空気が重く、息苦しい。向けられる目は、言葉にできないほど不気味だった。――何が起きてる?星は視線を巡らせる。表情の固い正道。顔色の沈んだ靖。そして、何も読めない明日香。大口顧客は誰だ?そう思い、視線を向けた。そこにいたのは――白く整った横顔。口元に浮かぶ、昔と変わらない笑み。どこか少年のような空気をまとった男。星の手が震えた。資料が手から滑り落ち、床に散らばる。秘書が慌てて拾い集める。男は、いつも通りの調子で声をかけた。「星野さん、お久しぶりです」星はなんとか呼吸を整える。「……久しぶり」――仁志。雲井グループの大口顧客は、彼だった。正道が口を開く。「星、座りなさい」空いている席は一つだけ。仁志の隣。最初から、そこに座らせるつもりだったのが分かる。星は一度深く息を吸い、その席に腰を下ろした。会議室中の視線が、二人の間を行き来する。誰も予想していなかった。ただの護衛だと思われていた男が――溝口家の当主だったなど。株主も役員も、仁志の顔は知っている。星の護衛として、何度も出入りしていたからだ。しかも、あの容姿だ。忘れろというほうが無理だった。半年前、彼は突然いなくなった。違和感はあったが、深く追う者はいなかった。――星が飽きたのだろう。そう思われていた。だが裏では違った。女社長たちは、彼の行方をしつこく探った。連絡先を寄こせ、と言う者もいた。囲いたい意図は露骨で、提示額も高かった。星が呆れたのは、それが女だけではなかったことだ。男まで、何人も聞いてきた。――もし仁志が知ったら、また遊ぶだろう。そんな男が。今、堂々と戻ってきて。しかも、大口案件まで持ってきた。契約書はすでに目を通している。内容は明らかに優遇案件。だからこそ、今日は株主の出席率も異様に高い。星は、靖を見た。その時――隣の仁志が、柔らかい笑みのまま口を開いた。だが言葉は、鋭い。「靖。俺は一か月前に、協業の意向書を出している」静かな声。「俺の顔を知らないならともかく。お前はL国まで来た。直接会ってたよね」一瞬の間。「この案件を、誰に任せ
「でも、それは無理よ。催眠を使わないなら、一年が最短。それでもできるのは、病状を遅らせることだけ。次の再発を先延ばしにするだけで、根治はできない」麗子はその言葉に、思わず息を詰まらせた。「……はぁ。神様って公平だね。やっぱり完璧な人なんていないんだ」美咲の眉間に、わずかな陰が落ちる。「それが仁志の唯一の欠点。しかも――致命的」麗子はその空気を感じ取り、首をかしげた。「そんなに深刻?発作が起きても、あの強さなら誰かにやられるってことはないでしょ?」美咲は静かに言う。「麗子。人を傷つける方法は一つじゃない。血を流さなくても、見えないところで人を殺すことはできる」視線はまっすぐだった。「彼には今まで、はっきりした弱点がなかった。でも今は違う。星は――彼の鎧であり、同時に弱点でもある」……帰りの車内。彩香は気づいた。星がずっと窓の外を見たまま、黙っている。あれほど大きな契約を結んだのに、顔には喜びが浮かんでいない。彩香は、わざと軽い口調で声をかけた。「雲井家のことは、そんなに気にしなくていいって。ちょっとずつでも前に進めばいいよ」続けて、状況を整理するように言う。「今、明日香の護衛もさ、一人は怜央で引きこもり気味。ほぼ仙人モード。もう一人の朝陽も、自分のことで手一杯で、明日香に構ってる余裕ないし」肩をすくめる。「つまり今、明日香はこっちが完全に押さえてる。雲井グループをひっくり返すなんて無理。この猶予期間のうちに、こっちは伸びればいいの。向こうが立て直した頃には、もう手出しできなくなってるよ」仁志が星のそばにいた時間は、決して短くはない。だが、すべてを変えるほど長くもなかった。一年で葛西家や司馬家を潰す――そんなことは最初から不可能だ。仁志の目的も、そこにはなかった。両家に余力を与えず、星が安全に成長できる時間を作ること。それだけだ。その時、星がぽつりと呟いた。「今日、仁志の誕生日なんだ」彩香は小さく息を呑む。この半年、名前が出ることはあっても、星が自分から口にすることはほとんどなかった。何か言おうとして――結局、言葉を飲み込む。静かにため息だけが落ちた。部屋に戻ると、星は一番目立つ場所に飾られた夏の夜の星に目を向けた。なぜか――外してしまいたい衝動が湧く。それは
彩香の目は真っ赤に染まり、裂けるような声をあげた。「星、やめて!私にさせて!私が我慢すればいいの、あなたが犠牲になる必要なんてない!」怜央は眉をひそめた。「うるさい」その意味を理解した護衛が、容赦なく彩香の頬を打ち据えた。彩香は床に倒れ込んだが、それでも諦めなかった。恐怖より、胸の奥に湧き上がる怒りのほうが勝っていた。彼女は怜央を睨みつけ、生涯で最も毒のある言葉を吐き続けた。だが怜央は、微動だにしない。怒りを見せるどころか、彩香に視線すら向けなかった。――彼にとっては、蟻にすら及ばない存在なのだ。その時だった。「......ボキッ」乾
勇とは長い付き合いだ。清子に、彼が抱いている気持ちが分からないはずがない。彼女は静かに言った。「勇、あなたは雅臣と友でいたいんだよね。山田家だって、まだ神谷グループの助けが必要。でも......星の件のあと、雅臣はきっと彼女に後ろめたさを感じてる。あなたが星に散々嫌がらせしてきたこと、雅臣は必ずあなたにも怒りを向けるわ。雅臣に頼るなんて、もう無理よ」勇は髪をわしっと掴み、昨日雅臣に電話した時の冷たい態度を思い返した。「じゃあ......どうすればいい......?」清子は言った。「もし私たちの子どもを、雅臣の子だと思わせられたら?将来その子は神谷
しかし、どこで会ったのか、どうしても思い出せなかった。これほど容姿の整った若者なら、もっと印象に残るはずなのに。結局、葛西先生は「自分も歳をとって物忘れが激しくなったのだろう」と片づけるしかなかった。そのとき、暗い舞台の上から、かすかな音楽が流れ始めた。旋律が響き出すと同時に、舞台の照明が少しずつ灯っていく。一つの白いスポットライトが、ひとりの女性を照らした。柔らかな旋律が、会場全体に広がっていく。怜ははっとして、思わず声を上げた。「星野おばさんが作曲した『白い月光』だ!」影斗は星の手にあるヴァイオリンを見て、微笑んだ。「夏の夜の星だ」葛西先生も頷い
星は一瞬まばたきし、微かに戸惑った。「......どうしてそんな顔で私を見るの?」仁志は静かに言う。「自分に、そんなにたくさんの長所があったなんて......初めて知りました」星は少し考え、笑みを浮かべた。「まだ大事な長所を一つ、言ってなかったわ」仁志はわずかに目を見開く。期待の色が、ほんのりと宿った。「......何ですか?」星は真顔で言った。「スタイルが良くて、顔も最高に綺麗よ」仁志はついに堪えきれず吹き出した。星もつられて笑う。ちょうどその瞬間、彩香が病室のドアを開けた。目に飛び込んできた光景に、思わず足が止まる。――妙に、しっ







