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第12話

Author: タオミ
雨脚は次第に強くなっていくのに、ドアの外に立つその影は、最後まで動かなかった。

隼斗の、張り裂けるような泣き声が雨音に混ざり、一晩中響いていた。けれど、私の心は、少しも揺れなかった。

息子を失った時点で、彼への情は消えたのだ。

その後数日、隼斗はいつも少し距離を置き、庭の祭壇を眺めては静かに涙を流していた。

どれだけ隣の人たちが「可哀そうだから、話くらい聞いてあげたら」と言っても、私は彼を一歩たりとも中へ入れなかった。

「陽太……最後の願い、ママはちゃんと守るからね」

そして庭にある柿の木を切り倒し、隼斗の目の前で道端に投げ捨てた。

木いっぱいの柿が地面に落ち、隼斗の目は真っ赤に充血し、その夜、彼は村を去った。

――半年後。

小学校の教室には、元気な声が響いていた。「生きているということ、いま生きているということ――」

その声に導かれるように隼斗が視線を向けると、教壇に立つ私の姿があった。

息子を埋葬したあと、私は小学校の教師として働き始めた。

陽太は勉強できなくなった。でも、村の子どもたちにはまだチャンスがある。

授業が終わり、私は教案を抱えて職員室へ向かっていた。

ふと廊下の端に目を向けると、そこには制服をきっちりと着た隼斗が立っていた。

薄く伸びた青い無精髭が、彼の表情にわずかな疲れと歳月を刻んでいるほかは、まるで――何も変わっていないようだ。

私は踵を返し、その場を離れようとした。

だが、隼斗は数歩で追いつき、私の腕を掴んだ。「……柚羽。君が教師になれるなんて、思わなかった」

私は鼻で笑った。「そうよ。自分で教えられるなら、陽太を都会に連れて行かなきゃよかった。……結局、学校にすら入れなかったんだから」

隼斗は気まずそうに鼻先を触り、小さく息を吐いた。

「怒っているのは分かってる。責められて当然だ。……でも、もう全部終わらせた。皓月とは、きっぱり縁を切った。

だから……お願いだ、俺にもう一度だけ、チャンスをくれないか?お願いだ、俺を捨てないでくれ」

言葉は切実で、瞳には涙が溢れそうだ。「……頼む」

私は遠くの山を見つめ、静かに首を振った。「隼斗。手を放して。私たちはもう戻れない」

私は顔を上げ、ぼんやりとした彼の瞳を正面から見つめた。

胸の奥に沈んだ寂しさが、言葉に滲む。

「もし本当に後悔しているなら……自
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