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運河の灯、連名の歩幅

مؤلف: 吟色
last update تاريخ النشر: 2025-10-23 07:08:22

夕方の邸は、音が少ない。廊下の灯が順に点いて、息が整う。

ユリウスが足を止めた。短く敬礼して、紙片を差し出す。

「桟橋の風聞計、今夜は〈嫉妬〉が高い。〈恐れ〉〈好奇〉中。噂税も上がる」

「了解した」

レオンの声は平ら。私はうなずくだけ。

ニナが外套を肩にかけてくれる。襟を直して、日録を私の手に乗せる。

「書けなくても、持ってて。吸って、吐いて、が楽になる」

「ありがとう」

手首の誓環は静か。温かいだけ。

「……行くんですね」

「行く。君と」

「うん、二人で。私も、ちょっとだけ」

レオンがニナへ目だけ向ける。

「影に」

「心得てる」

短い支度。扉が開く。冷たい空気が入る。歩き出す。

桟橋は、人の視線でざわついていた。風聞計の札が吊られて、今夜の空気が並ぶ。〈嫉妬〉が一番上。

「『見せつけてる』『ほんとに夫婦?』って、小さく空気がざわつく。」

役人が帳面を抱えて近づく。

「ご夫婦、連名での入城ですね。今夜は風聞圧が高い。税率も——」

「連名だ」

レオンが先に答える。私は隣に立つ。群衆の視線が、私の手首へ集まる。氷の輪が見えるらしい。

「……大丈夫です。私たちで、答えます」

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  • 契約だけのはずが氷男爵の独占欲は嘘を赦さない   薄明の市、嘘の痛み

    東の空が灰色で、屋根の縁だけが少し明るい。市は半分しか開いていない。布をかけた台が並び、値札の端に「風聞割増」と小さく書かれている。列は長いのに、足が進まない。声は低い。門柱の風聞計は〈不安〉が高く、〈好奇〉が中くらい、〈祝福〉は消えたまま。役人の腰の箱に、小さな針が見える。印を押すたび、針がわずかに跳ねて、また戻る。「並んでるのに、前が……動かない」私が言う。「噂が列を増やす」レオンが短く答える。「……先に、支える」「台、借りるね」ニナが瓦版屋に目配せして、小さく手を上げた。「息、整えて」レオンが肘を差し出す。袖が、すこし触れた。受け取る力は弱いまま。誓環は温かいだけ。風聞計の針が、〈好奇〉のほうへほんの少し傾く。瓦版台の上に立つ。人々の視線が、縁をかすめて集まる。「連名で告げる」レオンが先に言う。「——東の代替倉庫を開く」「今夜から、上限を出す」私は呼吸を合わせる。「まず、歩く順を決める」記者が前に出る。手帳を開いたまま、視線は上ずらない。「それ、誰の資金で」「払う」レオンは視線を外さない。「今は、列を進めたい」「詳しい数は、紙で」私は言葉を短く置く。「——ここでは、短く」人垣の端から、若い書記風の男が割って入る。衣の袖口に商会の紋が縫い込んである。「既に我々が手配済みです」男が言う。「港の相場は心配無用」針先で触られたみたいに、誓環がちくりと刺す。「……今」私が小さく息を吸う。「言葉より、列を動かす」レオンは群衆のほうへ目を走らせる。ニナが貼り紙を一枚抜き、角度を変える。「『倉庫—東二番→』」風聞計の札がかすかに動く。〈不安〉がわずかに下がり、〈好奇〉が上がる。噂税の箱で印が押され、針が一度だけ戻って、また揺れた。東二番の共同倉庫は、港風が当たる角にある。扉は二重錠。紐印に“連名封緘”の朱。レオンが鍵を半分だけ回して、手を止める。「一緒に」「うん」私は手首の力を整える。「……強くはしない」二人で同時に回す。鈍い音が一度、扉の芯を抜ける。紐印がほどけて落ちる。中は冷えて、粉と木の匂いが混じる。ニナが列の先頭へ声をかける。「先に子ども、次に夜勤明け」ニナは手を広げて、間隔を作る。「——怪我の人、手を挙げて」「言葉より、手が早い

  • 契約だけのはずが氷男爵の独占欲は嘘を赦さない   白百合の舞踏、噂の庭

    馬車が白い門をくぐると、宵の灯が水に伸びていた。石畳の手前で降りる。前庭には人が多い。風聞計の掲示が門柱に吊られ、札が少し揺れる。〈好奇〉が上に、〈嫉妬〉も高い。祝福は点かない。「人、多いね」「多いほど、楽だ」レオンが短く言う。「並べばいい」「見られる前提、だよ」ニナが小声でつけ足す。「見せる前提、にする」息を合わせるだけにして、前室へ向かった。廊下の壁に、噂税の注意札が貼られている。今夜は加算率が高いと書いてある。役人の腰の小箱に、小さな針が見えた。印を押すたび、針がほんの少し跳ねる。前室で白百合の公女と対面する。アウローラは清潔な笑みを作り、杯の脚を指先で持った。その指先だけ、ひと呼吸、硬い。視線はまっすぐ、でも奥で少しだけ揺れる。「お噂は届いております」白百合が微笑で言う。「形式にお強いとか」「形式は、守るためにある」レオンは視線を落とさずに答える。「守れたら、少し楽になるから」私も短く重ねる。瓦版記者が筆を止めて、また動かした。伯爵夫人たちがさざ波みたいに近づいては離れる。「契約婚だって」「氷の輪、見える?」空気のほうに声が浮いて、耳に直接は触れない。そのとき、ルカが肩を寄せる。「護衛は充分です」耳にかかるくらいの声。誓環が、針先でつつかれたみたいに微痛を寄こす。私とレオンの視線が同時に外周へ走る。入口、退避、柱の陰、楽師の脇。一周して、ルカへ戻る。「今、ちょっと」「充分ではない」レオンが短く切る。「入口、変える」ルカはうなずき、離れる。ニナが柱影の女中と目を合わせ、貼り紙の矢印を一枚だけ向き替えた。風聞計の札がわずかに動く。〈嫉妬〉がひとつ下がり、〈好奇〉が上がる。「歩き方が合ってる」「氷公、意外に…」ささやきの角度が変わる。扇の骨が一度、鳴って止まる。合図の鐘が遠くで鳴る。大広間の扉が開き、開幕の一曲が始まる。レオンが肘を差し出す。袖が、すこし触れた。受け取る私の指は深くは締めない。「右」「うん」二歩、揃う。腰骨が半拍だけずれ、すぐ戻る。呼吸をひとつ合わせて、視線を床へ落とし、客席へ流し、互いの喉元で止める。誓環の薄い光が床面で反射し、波みたいに横へ走る。足首のところを、すっと跨いで消えた。近い席の靴裏が、板をかすめる。「

  • 契約だけのはずが氷男爵の独占欲は嘘を赦さない   運河の灯、連名の歩幅

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  • 契約だけのはずが氷男爵の独占欲は嘘を赦さない   雪の記憶を抱く手

    夜の底がほどけかけて、窓の白が少しずつ息をする。灰薔薇の日録をひらくと、昨日の〈名前〉のあとに、ごく薄い滲みが残っていた。指で触れた瞬間、手首の誓環があたたかく跳ねる。映像はないのに、胸の内側に——誰かを腕に抱いた、やわらかい重さだけが、そっと置かれた。廊下の向こうで足音が止まり、扉板が木の匂いを立てる。「……呼んだ?」声が出た自分に少し驚く。扉の隙がひらいて、低い呼吸が混ざる。「呼ばれた気がした」彼はいつもの角度で立ち、部屋の空気を崩さない。わたしたちはことばの先を持たないまま、窓辺へ並ぶ。外は白く、音が遠い。「袖……」視線の端、彼の手首近く。布の裏に、指先ほどの朱。彼は目で否定も肯定もしない。「……痛いの?」「痛みを残すと、静かになる」「静かにするために、痛むの?」「昔、消そうとして……声を失った」沈黙が、部屋の四隅へ薄く広がる。誓環がそのあいだで、小さな灯りを立てた。「その声……誰の?」彼は窓の外を見たまま、喉をひとつ動かす。白い庭に、吐く息が映る。「妹の。名は、もう覚えていない」冬の匂いが、胸の真ん中まで下りてきて留まる。言葉を入れると崩れる空気があって、いまはそれだった。ただ、隣に立つ。「君の誓環が、さっき……共鳴したのは、その記憶かもしれない」「……呼ばれたのは、あなたの過去」「そして、君が受け取った」ふたつの輪が、同じ速さで明滅して、すぐ引っ込む。灰薔薇の日録が、机の上でひとりでに息をした。紙の縁が、夜の名残りを吸って柔らかくなる。「触れて、いい?」返事を待たず、指の腹でページの端に触れる。瞬間、空気の密度が変わった。静かな部屋が、遠くの雪原みたいに広がって、時間が薄い膜になって揺れる。——雪の匂い。——少年の、少し高い声。——小さな手を抱いた、かすかな重さ。——呼んでも、返らない呼吸。彼の肩が、わずかに固くなる。息を吸い損ねたみたいに、胸の前で止まる。「……いま、誰を見てるの」声は小さく、輪に触れない。彼は答えないで、指の骨が白くなるほど手のひらを握った。「君じゃない。……でも、君の声で、呼ばれた」「じゃあ、戻ってきて。——もう一度」彼の手の上に、自分の手を置く。手袋ごしでもわかる温度。誓環が、合図みたいにふっと光った。しばらく、何も言わない。空気の波だけが

  • 契約だけのはずが氷男爵の独占欲は嘘を赦さない   硝子越しの声、雪の向こうの名

    雪は降らない朝だった。白は残っているのに、庭の輪郭が少しだけ近い。灰薔薇の日録をひらくと、紙の上にひと文字だけ浮かぶ。〈沈黙〉指先で角をなぞって、閉じる。誓環はおとなしい。温度だけ、かすかに。扉の外で、弾む足音。ためらい一拍、ノック。「入るよ、お嬢」「どうしたの」「王都から……人。えっと、えらい感じの」ニナの声に、誓環がうすく灯る。拒むみたいに。深呼吸をひとつ。立ち上がる。*応接の空気は冷たく整っていて、硝子に薄い光が走っていた。若い男が立っている。灰の外套、真新しい手袋、腰の印章。「王都直属、調査の任にございます」言葉は丁寧。目だけ、探る音をしていた。レオンは椅子の背へ指先をかけ、座る気配を作る。私はその斜め隣。「先日の件、負傷者の傷に刻まれていた印を拝見したく」「記録は渡す。だが現物は消えた」「消える性質は、禁じられた術式に似ております」「似ている、ではなく同じだろう」短く切られて、男のまつ毛が一度揺れた。「その判断は、我々の権限で」「“痛み”を、見たんです」自分でも驚いた。言葉が先に出た。男の視線がこちらへ滑る。「痛み……と仰るのは」「印から、声がしました。あの朝」沈黙。レオンが、ゆっくり私を見る。誓環が指一本ぶん、明るくなる。「声、とは——」「彼女の言葉を、軽く聞くな」「いえ、ただ……記述のために」男のペン先が、空気を掴み損ねたみたいに小さく震えた。誓環の光が、テーブルの木目にひと拍強く落ちる。「……干渉反応、ですか。この光は」「質問の権利を失ったな」レオンの声は低く平らで、刃の背の温度。場が、すこし凍る。私は窓の硝子に目をやる。遠い白の上、赤い影が一瞬だけ浮かんで、消えた。残滓。誰かの呼気みたいな、薄い記憶。使者は紙をまとめ、礼を置いて下がる。扉が閉まる音が静かすぎて、心臓の音が少し大きくなる。*廊下に出ると、誰もいない朝の匂い。硝子越しに日が動く。「……怒った?」隣を歩く背に、問いだけ置く。返るまでの間が、長すぎず、短すぎず。「怒ってはいない」「でも、声が少し……冷たく」「冷やさないと、崩れる」「崩れても、いいのに」足音がそろって、ずれて、またそろう。誓環が一度、ふたりの間で明滅。「……君は、そうやって平気な顔をする」「平気じゃないよ。

  • 契約だけのはずが氷男爵の独占欲は嘘を赦さない   氷に咲く、ひとひらの血

    世界は息をひそめて、窓の白だけがゆっくり動いていた。灰薔薇の日録には、今朝は何も浮かばない。ページは冷たく、手首の誓環はおとなしい。静けさは楽なのに、少しだけ、こわい。扉の向こうで、慌ただしい歩幅。ためらいが一拍、それからノック。「入るよ、お嬢」ニナの頬は風色で、目元だけ濡れていた。盆の上の湯気がゆらいで、言葉が落ちる。「門の外で……血が」体のどこかが、先に縮む。誓環が、遅れて、うすく灯った。*雪はひかりを細かく砕いて、庭じゅうに撒いていた。白い真ん中に、ひとつだけ赤。倒れた兵の肩口が染まっていて、手袋が濡れる前に、誓環が先に脈を打つ。「……知らない人なのに、どうして」自分に向けた声が外へこぼれる。足元の雪が、きゅ、と鳴る。「契約の範囲が広がっている」背後でレオンの息が白くほどける。膝をついた彼の指が、傷の縁に触れずに周りだけを見る。血の下に、黒い印。細い針で縫ったみたいな線が、肌のうえでほどけずに絡んでいる。「封じてある。……だれかの手が、近い」彼の声は低いのに、刃の背みたいに平ら。怒っている、というより、怒りを冷やして鞘に戻した温度。兵はうめいて、眉をよせる。誓環がさらに熱を足す。私の痛みじゃないのに、胸の内側が小さく引かれる。ニナが布を押さえ、兵の呼吸が浅く整っていく。雪の上に、赤い花がひとひら。冷たさに縁取られて、きれいで、いやだ。*夜が深くなる前、部屋の灯は低く、言葉は控えめになっていく。窓をかすめる風の音。机に置いた手の下で、誓環がまだ、薄く。「王都へ知らせる。印の出処がわかれば——」レオンが上着を取る。背中の布が鳴って、立ち上がる気配。「待って」袖口を指でつまむ。布越しの体温が、少しだけ高い。言い切る前に、言葉の色だけを渡す。「……まだ、だめ。あの印、あなたのと同じ匂いがした」「俺の?」ゆるく、視線が落ちてくる。「冷たいのに、焼ける。……そういう匂い」沈黙。誓環が、ほそく震えた。「俺が見てくる」「一人で行かないで」袖口の布が、指の間で少ししわになる。言った瞬間、誓環が柔らかく灯る。承諾の光。彼は短く息を吐き、上着を片手で直した。「夜明け前に出る」「ええ」言葉を置きすぎないように、うなずきだけで。*空があおくなる少し前、街道は音を吸っていた。雪はやみ、硬くなった地

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