「やっと目覚めたのね」
目を開けるとふかふかのベッドに寝かされているのがわかった。
そして目の前にいる艶やかな黒髪に琥珀色の瞳をした女性の笑顔が女神のように見える。
彼女は純白の騎士服のようなものを着ていて、一目でわかる品性に溢れた高貴な方だ。 指先まで計算し尽くされているような洗練な仕草に、澄んだ包み込むような声。 透き通るような白い肌が眩しくて、女の私でも惚れてしまいそうになった。「あの、あなたは⋯⋯」
「私はレベッカ・アイリー。一応、オリタリア帝国の公爵令嬢よ」 おどけたように肩をすくませているレベッカ様から、私に気を遣わせないようにしている優しさを感じた。 オリタリア帝国といえばスペンサー王国から距離がある。 「どうして私はここにいるのですか? ここは、オリタリア帝国なのですか?」 「そうよ。ここはオリタリア帝国のアイリー公爵邸」洗練された調度品からもこの邸宅に住む人間の品位を感じた。
裏切られ子を奪われても、何もできない無力な私には不相応な場所だ。夢を見ているのではないのだとしたら、私は1ヶ月以上は意識がない状態だった。
馬車を全力で走らせても、スペンサー王国からオリタリア帝国は最低でも1ヶ月は掛かる。 その間、目の前にいるレベッカ様が然るべき処置をしてくれたのだろう。 何の面識もない私に対して慈悲深い女神様のようなお方だ。アイリー公爵家といえば、私でも知っているオリタリア帝国の序列一位の歴史ある名門公爵家だ。
「気を失っているあなたを見つけて連れてきたの。その⋯⋯血だらけだったしね。自分の名前は言える?」
「⋯⋯セーラです。色々とご迷惑掛けたようで申し訳ございません」 咄嗟に私は嘘をついた。 私は命を狙われている身だ。朧げだが隠し通路の出口まで辿り着いた記憶がある。どこまでも続く広い草原のような景色が広がっていた。
涙で滲んで視界不良だったのか、霧がかかってたのか分からない。 この世の場所ではないような風景を見て、次に何をすれば良いのかも分からない自分に呆然とした。遠くから聞いたことのない獣の鳴き声がして恐怖を感じた瞬間、意識を失った。
悪露というのだろうか⋯⋯止めどなく流れ出る血で私は貧血状態に陥り倒れたのだろう。
扉をノックする音と共に、黒髪に琥珀色の瞳をした若い男性が入ってきた。
おそらく、10代後半⋯⋯私と同じ年くらいの方だろう。 少し幼なさを感じる可愛らしいルックスとは反する秘めた怒りを彼から感じた。「アルベルト・アイリーだ。顔色が悪いが、体を起こしても大丈夫なのか? 無理をする必要は全くないのだぞ」
優しく落ち着いた包み込むような声。 今、私は絶望の淵にいるのに、今まで生きてきた中で1番人に心配され思いやられている。「アルベルト、気持ちはわかるけれどセーラの事を気にし過ぎよ」
「セーラという名なのか。セーラ、君はおそらく子を産んだのだ。その事は覚えているか? 命掛けだったのだろう? なぜ、あのような場所で⋯⋯」私の手を取り、まっすぐに見つめてくる彼は心底私を心配している。
とても情が深い方なのだろう、揺れる瞳や小刻みに震える手から彼の私を思ってくれている気持ちが痛い程に伝わってきた。 彼の琥珀色の瞳に映る私は明らかに動揺していた。「子供⋯⋯」
「僕の母上は僕を出産した事が原因で亡くなったのだ。出産時に感染症に罹ってな⋯⋯」 私は置いてきた性別も分からない子を想った。 頬を熱いものが伝う。「ちょっと! アルベルトは私情を挟み過ぎよ。セーラは今目覚めたばかりなのに」
「すまなかった。セーラ⋯⋯ゆっくり休んでくれ」 偽名を使った私を心から心配してくれている2人に申し訳なくて居た堪れない気持ちになる。アルベルト様が部屋を出ていくのとほぼ入れ違いに、神経質そうな男性が入ってきた。
彼は威厳があって、私を無表情で見つめて来るのが怖くて体が震えた。「お兄様! 黙ってないで、レディーの部屋に入ってきたなら自己紹介して」
「ランスロット・アイリー、この邸宅の主人だ。困ったことがあったら、何でも言うと良い」 「⋯⋯セーラです。このように良くして頂きありがとうございます。お陰様で体も回復しました」 私がベッドから立ちあがろうとすると、足がぐらついた。 地面が近くに見えて恐怖に襲われた瞬間、温かさと透明感、気品のある鈴蘭のような香りに包まれた。 ランスロット様が私の腰をを支えてくれて、転倒が防げたようだ。「1ヶ月も目が覚めなかったのに、急に起き上がるとは⋯⋯」
頭の上からランスロット様の冷ややかで呆れたような声がする。 「も、申し訳ございません⋯⋯」 「もっと、ゆっくり寛いで欲しいし、そのような体で無理をしたら心配だって言いたいのよ。全く、公爵になったっていうのに相変わらず言葉選びが最低ね⋯⋯」 レベッカ様が私の手を取り、ベッドに座らせてくれた。 「公爵様、私に仕事を頂けますか? ここに置いて頂いている間だけでも働かせて欲しいのです」 「そのようなフラフラな体でできる仕事はない。休んでいろ⋯⋯」 ランスロット様はそっけなく言うと部屋を出て行った。「ふふっ! 本当にお兄様って困った方でしょ。キツイ物言いかもしれないけれど一応セーラを思い遣っているのよ」
「伝わっております⋯⋯」 ランスロット様の威圧感に気圧されてしまったが、彼が私を気遣ってくれているのは感じ取れた。 「お兄様は見た目はカッコ良いけど、あんな感じだから全くモテないのよ。婚約者も泣いて逃げ出してたわ⋯⋯モテモテのアルベルトとは真逆ね」 「分かる気がします」 「ふふっ! そこは、そのようなことありません、公爵様も素敵です! でしょ。遠慮がちかと思えば、遠慮がないくらい正直すぎだわ。セーラって面白いのね」 私の緊張を解きほぐそうとしてくれるレベッカ様に心が癒されていくのを感じる。 これ程、人に気を遣われた事がなくて、ここが天国かと錯覚しそうになる。風通しをよくしようとしてくれたのか、レベッカ様が窓を開けた。
少し生暖かい風が入ってきて、気持ち良い。 レベッカ様の瞳がふいに切なそうな色を浮かべる。 「レベッカ様?」 「私ね⋯⋯来月には結婚するの。ヘンゼル・オリタリア皇太子殿下。穏やかで素敵な方よ」 「結婚⋯⋯したくないのですか?」 彼女の憂鬱そうな表情を見て思わず発してしまった言葉を後悔した。 明らかにレベッカ様を困らせている。 「あ、あの、申し訳⋯⋯」 「謝らないで⋯⋯セーラの言う通りだから⋯⋯帝国の皇太子妃になれるのにね。私の好きな人はあそこにいる庭師なの。年齢も離れているし、身分も違う。結婚前に彼の故郷の高山植物が見たくて、スペンサー王国に行ったのよ」レベッカ様は口元を手で抑えて泣くのを我慢しているように見えた。
地位も名誉も美しさも兼ね備え、約束された未来を持っている彼女の心の葛藤が伝わってきた。「どうして、セーラが泣くの?」
レベッカ様が吹き出している。 「あの⋯⋯庭師の方の魅力が分からなくて⋯⋯」 レベッカ様の視線の先にいる彼女の想い人。 窓の外を覗き見るように乗り出してみるが、特段目を引く方ではなかった。深い藍色の髪に焦茶色の瞳、30代前半くらいのイカつい褐色の男性が一心不乱に花を愛でている。何だか、不思議な光景だ。
「ちょっと、失礼過ぎない? 確かにケントは花の話しかしないし、気も遣えなくてモテないけれど⋯⋯」 レベッカ様が必死に笑いを堪えている。 「申し訳ございません。ただ、レベッカ様に想われている庭師のケント様を羨ましく思った次第です」 このような女の私でも憧れる女性が想い続ける人⋯⋯実は凄い方なのかもしれない。 私は食い入るように窓の外のケント様を見つめた。「セーラ、そのように必死にみてもケントの魅力は私にしか分からないのよ。あなたは仕事が欲しいの? 働き者なのね。来月、私が結婚したら私の侍女として一緒に皇宮に行かない?」
レベッカ様の申し出は非常にありがたい事だった。
子供を見捨てるように逃げてきたのに、私は生きたいと思っている。(私の子⋯⋯無事でいてくれてる? 大切にされてる?)
子を産んだ時の痛みが蘇ったように、身体中に激痛が走る。 もっと痛みが欲しいと思った。愚かで浅はかな私を罰して欲しい。
それが子を見捨てた贖罪にはならないけれど、このように人に優しくされる資格など私にはない。「じ、侍女として働きたいです⋯⋯」
エミリアーナ様の侍女として働いた記憶が蘇る。 彼女も気さくで優しい方だった。「セーラ、あなたって本当に泣き虫ね。オリタリア帝国の貴族は人前で泣いてはいけないの。皇宮に行ったら泣くのは私の前だけにしないとね⋯⋯」
レベッカ様は私の隣に寄り添い、肩を優しく撫で続けてくれた。湖畔に佇むガラス張りの皇宮のチャペル。 湖に太陽の光が反射してバージンロードの先にいるランスロット様を照らしていた。あまりの美しい光景にここが天国なのではないかと錯覚しそうになる。 レベッカ様がバージンロードを私と腕を組んで一緒に歩いてくれる。 パイプオルガンの重厚な音と共に一歩一歩ランスロット様に近づいて行く。大好きな人と愛する人の元へたどり着いた瞬間を私は一生忘れないだろう。 神官の低い落ち着いた声がしても、私は心臓の鼓動が早くなるのを抑えられなかった。「ランスロット、アイリー。そなたは、カリナ・ブロワを妻とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、妻を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」 「はい、誓います」 ランスロット様が穏やかな声で、偽りでも私との永遠の愛を誓ってくれる。 私を見つめる琥珀色の瞳が優しい光を放っている。「カリナ・ブロワ、そなたは、ランスロット・アイリーを夫とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、夫を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」「はい、誓います」 幸せな気持ちで胸がいっぱいになりながら、私は嘘偽りのない彼に捧げる永遠の愛を誓った。 彼の迷惑になるこの気持ちを消せる自信がない。 私を守ってくれる優しい人。私と一緒にいてくれるのは彼のノブレス・オブリージュだろう。 少し寂しい気持ちを覚えながらも、私は幸せを噛み締めていた。 淡いターコイズブルーのベルベットにキラリと光る結婚指輪が2つのせられていた。グローブを外し彼が私の左手の薬指に指輪を嵌めてくれる。私は緊張しながら、彼の左手の薬指に指輪を嵌めた。 彼と夫婦になれた喜びで涙が溢れそうになるのを必死に堪える。 結婚の誓約書に震える手でサインをした。愛する彼の名前に自分の名前が並んでいる。 自分に好きな人ができて、その人
カリナは再び夢の中に居た。 結婚式を終え夜を迎える。 緊張しながら寝室で待つカリナの前に、ガウンを着たランスロットが現れた。 カリナは深呼吸をして、自分の思いの丈を伝えることにした。 彼を愛する気持ちは秘めると誓ったが、今宵だけでも彼の本当の妻になりたかった。『ランスロット様⋯⋯初夜なので、私に触れては頂けませんでしょうか? 私はあなた様のことを⋯⋯』 彼女は彼が自分に触れないように気をつけている事に気がついていた。 腫れ物のように扱われるのは、彼女にとって悲しい事だった。 確かにロバート国王に傷つけられはしたが、その傷はランスロットに守られる事により少しずつだが癒えて来ていた。『了解した。君の要望により、夫の役目を果たそう。夜着を脱いで、ベッドに横たわるが良い』 淡々と義務的なランスロットを見てカリナは酷く虚しい気持ちになった。『手を繋いで眠るだけで良いのです。ランスロット様のお手は煩わせません。ただ、私に触れて欲しいだけなのです』 涙で視界が滲んだところで、目が覚めた。 夢は辛い日常を送っていた彼女にとって、心の回復の場だった。 それなのに、今、見た夢は彼女にとって悲しい夢だった。 カリナは目が覚めるなり、自分が涙を流している事に気がついた。 今日は彼女がランスロットと結婚する日で、結婚式が皇宮のチャペルで行われる。 その為、前日から皇宮に寝泊まりしていた。 ♢♢♢ 「今のは予知夢?」 私は涙を拭きサイドテーブルにある呼び鈴を鳴らす。 メイドが洗面の為のぬるま湯が入った桶を持ってきた。「ありがとう。下がって良いわ」 いつも洗面桶を持ってくる側だったので慣れないが、世話をされる側になれないとならない。 控え室に行き、純白のウェディングドレスを着せて貰う。 自分には縁がないような美しく繊細なドレスに見惚れた。 ドレスの胸の辺りには私の瞳の色に合わせたアメシストがあしらってある。「
カリナはガーデンパーティーに参加するにあたり、肖像画と照らし合わせて参加者の名前を全て覚え話題に事欠かないよう綿密に下調べをした。 宝石の名前を言う度に、彼女はエミリアーナと過ごした時を思い出した。 その記憶は辛いものではなく、幸せなものばかりだった。 色を表現する度に、彼女はランスロットとの会話を思い出していた。 彼を思い出す時は決まって彼女は切ない感情に襲われた。 彼女は自分を助けてくれたランスロットをはじめとするアイリー公爵家の人間に恥をかかせないよう必死だった。 これを機に彼女に恥をかかせようとする者もいたが、人の悪意に鈍感な彼女の性格が功を奏した。 彼女は気分が悪そうで顔が真っ青だったレベッカをヘンゼル皇太子が連れ出してくれて安心していた。 そして、2人の間に結婚前にはなかった甘い空気があったのを感じていた。 ♢♢♢ 金木犀の優雅な香りを感じて振り返ると、プラチナプランドにルビー色の瞳をした背の高い美女が立っていた。「初めまして、メアリー嬢」 メアリー・アーデン侯爵令嬢、ランスロット様と5年婚約していた女性だ。2人は恐らく多くの時間を共有したのだろう。 私は味わった事のない、心臓を柔らかく握られるような淡い痛みを胸に感じていた。 「初めまして、カリナ嬢。時に、カリナ嬢は開かない扉を叩きた続けた事はありますか?」 急な質問に動揺してしまう。 脳裏に浮かんだのは、監禁されていた王妃の部屋での時間。私は1度も内側から扉を叩かなかった。叩いた所で意味がないと本当は知っていた。 切なそうな目で私に語りかけるメアリー嬢は、自分とランスロット様の過去の関係性を思い出しているのだろう。(『私も愛を求めて来る女性は苦手だ』) ランスロット様の言葉を思い出し、彼の心の扉を悲壮な表情で叩き続けたメアリー嬢の姿が浮かんだ。「そのような顔をさせるつもりは、ありませんでした。ヴァイオレット・ダイヤモンド⋯⋯素敵な婚約指輪ですね。私はそろそろ失礼しますわ」 長いまつ毛を伏せなが
クリスティーナ王妃はカリナを蔑むと同時にエミリアーナ王女の血筋も貶している。 (側室の子だから? なんて嫌味ったらしいの!) 私はカリナを騙したエミリアーナ王女を憎んでいるが、少し同情した。 私が口を開こくより先に、カリナは天使のような微笑みを浮かべながら口を開いた。「私は亡くなった母譲りのこの髪色を気に入ってます。エミリアーナ様は私よりも光沢のあるパールグレーの髪色で、私はいつも月の女神様の髪を梳かしている気持ちでした」 カリナは自分を騙した悪女を女神と言ったのだろうか。 クリスティーナ王妃はカリナの事情を知っていそうだ。 明らかに彼女の返しに驚き過ぎて絶句している。 確かに自分を陥れた相手を嬉しそうに褒めちぎっている彼女の感覚は私も理解できない。 「クリスティーナ王妃殿下のライラック色の髪は艶やかで美しいですね。春の女神様のようです。そのピンクルビーの髪飾りも素敵ですわ」 カリナは優しく微笑みながら彼女を褒めた。(あの髪飾りについている石はピンクサファイアじゃないの?) サマルディー王国にはサファイア鉱山が沢山あり、有名なサファイア産出国だ。「ふっ、この髪飾りは夫からのプレゼントなの」「クリスティーナ王妃殿下の誕生石ですものね。素敵な夫婦関係ですね」 どうやら、本当にピンクルビーだったらしい。 私は傷ついた天使のようなカリナを守らなければならないか弱い存在だと決めつけていた。実際の彼女はとても強い子だったみたいだ。(カリナ⋯⋯宝石鑑定士の過去もあるのかしら⋯⋯) 私はクリスティーナ王妃が離れたのを見計らってから、カリナに話し掛けた。「カリナ、私は何の女神かしら」「レベッカ様は私を救ってくれた太陽の女神様です。改めてご結婚おめでとうございます」 真っ直ぐに私を見つめる澄んだ彼女の瞳を見ていると心が洗われるようだった。 貴族同士の足の引っ張り合いが嫌いで、距離を置いて人と付き合ってきたがカリナには私の近くにいて欲しい。 主催者の私
ヘンゼル・オリタリアと私レベッカ・アイリーは10年も婚約をしていた。 そして、今日私たちは結ばれる。 オリタリア帝国中が沸き立っていた。 国婚は国を挙げたお祭りだ。 花嫁の控え室にヘンゼルが入って来る。皆が気を遣って私たちを2人きりしようと部屋を出て行った。「レベッカ、女神のように綺麗だ」「ありがとうございます。殿下」 鏡を見て自分が全く幸せそうな顔をしていないのに気がついた。 慌てて口角をあげ花嫁の顔を作る。 扉をノックする音がして振り向くと、意外な来客が立っていた。 私が殺してやりたい相手、ロバート・スペンサーだ。冷や汗を掻き動揺を隠しきれない顔をしている。「このようなプライベートな場所に、不躾に入り申し訳ございません。国に急ぎ戻らなければならなくなりました。せめて、ヘンゼル皇太子殿下にご結婚のお祝いをと思いお探ししておりました」「事情は分かっています。国の有事ですから当然の判断です。慌てずお気をつけてお帰りください」 ヘンゼルが無表情で淡々と対応する。 軽くお辞儀をして、ロバート国王は足早に去って行った。「スペンサー王国で何があったのですか?」「クーデターが起きた事になってるが、実際は何もない。でも、留守を預けられる信用できる臣下がいないのだろう」 ヘンゼルが楽しそうに笑いながら説明してくれた。「もしかして、お兄様が?」 私の質問にヘンゼルは深く頷いた。彼は皇太子だからカリナの事情も当然知ってるのだろう。恐らく多くの協力者を使って兄はフェイクニュースを流した。「公爵にも愛する人ができたのだな」 ヘンゼルが微笑ましそうに呟いた。「えっ? お兄様はカリナを愛しているのですか?」「かなりのリスクを負って結婚までするのだぞ。当たり前じゃないか」 私は兄ランスロットが女性に恋をしたり、愛を語るのが全く想像できなかった。 ♢♢♢ 長い1日はまだ続き、夜には夫となったヘンゼルを寝室で待つ。 私は赤ワインを浴びるように
皇宮に到着して会談の議場に向かう途中の廊下で、カリナに迫るロバート国王を発見した。人の執念とは恐ろしいもののようだ。(もう、見つけられた!?)「ヘンゼル皇太子の結婚式が終わったら、共にスペンサー王国に帰ろう。そなたの部屋も用意してある」 当たり前のようにカリナを自分の所有物のように語るロバート国王に吐き気がした。 カリナはただ真っ青になり小刻みに震えている。 彼女に起こった悲劇を考えれば当然だ。 私は国際会談でカリナとの結婚式を挙げることを発表した。 皇宮の執務室にいる私をレベッカが尋ねてきた。 カリナは彼女に自分の正体を明かしたのだろう。「お兄様! カリナがロバート・スペンサーに部屋で襲われかけていたのですよ。しかも、悪びれもせずに去っていきました。あの男は何なのですか?」「襲われかけていた?」 部屋の場所がバレていたとしたら、私がつけられていたという事だ。慌てていたとはいえ、迂闊だった。 倒れたばかりのカリナを1人にしてしまったのは私の致命的ミスだ。 それにしても、そこまでロバート国王がなりふり構っていないのなら、こちらも強行手段に出たほうが良いだろう。(もう、彼には国にお帰り頂くか⋯⋯)「それに、どうしてアルベルトにカリナの護衛をさせるのですか? お兄様はアルベルトの気持ちをご存知ですよね」「私はアルベルトを信用している」 アルベルトは人の気持ちの分かる人間だ。 だからこそ、彼は周囲に優しくできて人に好かれる。 今、初めての恋で自分を見失っている部分もあるが、愛する人を傷つけたりはしない。「はぁ⋯⋯確かにロバート・スペンサーのようにカリナを無理に自分のものにしようとはしないと思います。お兄様もアルベルトのようにカリナを愛しているのですか?」「そう見えるか?」 カリナを自分がどう思っているかは、あまり考えた事がなかった。 彼女はレベッカが守って欲しいとお願いしてきた子で、アルベルトが大切にしている子だ。 当然、