「ただ、名門アイリー公爵家ともなると、結婚相手の選定は難しくなるはずだと余計なお節介を口にしてしまいました」
私は初めて人間らしく狼狽えるロバートを見た。
彼はいつも何を考えているか分からなくて私を不安にさせた。 そのせいで私は彼を逆らえない巨大な存在のように感じていた。 (自分の失言に狼狽える、普通の男だわ⋯⋯)「選定? 家の為の結婚をしなければならないと考えた事はありません。アイリー公爵家と縁を持ちたい家門は多いですが、こちらは必要としてませんので。将来的に我が妹がオリタリア帝国の皇后になりますが、ロバート国王は我が家門の心配を? それともオリタリア帝国の行く末を心配なさってるのでしょうか」
淡々と語るランスロット様の言葉の通りだ。
アイリー公爵家はオリタリア帝国の皇家より歴史が深い伝統のある名家だ。 その上、レベッカ様は次期皇太子妃に内定している。カイゼル・オリタリア皇帝陛下は近々譲位する事を考えているともっぱらの噂だから、レベッカ様が帝国の女性最高地位である皇后に即位する日も近い。
富と権力を持ち平和と安寧を築いているオリタリア帝国のアイリー公爵家に対して、ロバートの物言いは的外れで失礼だ。
「し、支度金を用意できないのではないかと心配しているのです。カリナの両親は亡くなっていて、預けられた親戚の叔母の家は貧しく借金まみれです。カリナも王宮での給与は全て借金返済に回してました」
私は自分のプライベートな事情をロバートに知られていることに驚いた。
「支度金? お金の話をするのは下品だというのが父上からの教えなのです。オリタリア帝国とスペンサー王国では常識が違うのでしょうか?」
ランスロット様がほくそ笑む。 威圧感、飄々とした態度。 彼を前にするとロバートが私を自由にできる国王ではなく、どこにでもいる男に見える。「いえ⋯⋯ただ、カリナはその⋯⋯僕と⋯⋯」
「いい加減、私の妻になる女性を恋人のように呼ぶのはやめて頂けませんでしょうか。辛抱強いと自負しておりましたが、流石に我慢の限界かもしれません」 瞬間、ランスロット様の琥珀色の瞳に強い殺気のようなものを感じた。 「失礼しました。カリナ嬢の育ちについて調査が不十分なのではないかと、余計な心配をしてしまった次第です」 ロバートは先程私に口説くように迫った時とは異なり、全く私と目を合わせようとしなかった。 私の産まれたブロワ領地は貧民街が占める割合が多く貧しかった。 十分な医療設備もなく、戦火の中で感染症が流行るとあっという間に広がり多くの人が亡くなった。それは私の両親も例外ではなかった。スペンサー王家に助力を頼んでも無視されたと聞いた。
きっと、スペンサー王家にとっては足手纏いの取るに足らない領地。 ロバートにとっての私と同じだ。「ふっ、私は自分の見たもの聞いたものを1番に信じます。カリナは真っ直ぐに美しく育ってくれました。彼女の両親は神かもしれませんね」
不意に私を抱き寄せた時に香った気品のあるランスロット様の香りに身を委ねたくなった。私の両親を褒めてくれた人などいない。私自身も幼い時に亡くした両親の記憶がほとんどない。しかし、領民からも不甲斐ない領主だったと責められ蔑まれていた。ランスロット様の言葉がリップサービスだとは分かっていても嬉しかった。
後ろから足早に彼の補佐官が近づいて来る。
「アイリー公爵殿下、そろそろお時間です」
「分かった、今行く。ロバート国王陛下も参りましょう」 見上げたランスロット様の表情はいつものように無表情で何を考えているのか分からない。私は気がつけば、ランスロット様の赤い礼服の裾を握っていた。
「どうしたのだ?」 どうしたも何も尋ねたいことは沢山あった。 (いつから私の正体を知っていたのか、本当に私なんかと婚約するつもりなのか⋯⋯)「レベッカ様と中庭で待ち合わせているのですが、どこに行けば良いのか分からなくて⋯⋯」
「それはレベッカ自身も分かっていないと思うぞ。咄嗟の言動だろう。相変わらずだな⋯⋯」 ランスロット様が少し笑った気がした。 私は彼が笑うのを見るのが初めてで食い入るように見てしまった。 彼がそっと手を挙げると近くにいた赤い髪をしたメイドが近づいていくる。 「カリナを彼女の部屋に案内してくれ。カリナ⋯⋯レベッカも後で部屋に向かわせるようにするから少し休むと良い。顔が真っ青だ⋯⋯」「カリナ様、こちらです」
私は赤髪のメイドに案内されるがままについて行こうとした。 チラリと見るとロバートは明らかに動揺した顔をしている。「カリナ嬢! 後程、最近のスペンサー王国の事についてでも雑談の時間でも持ちませんか?」
急に私に敬語を使い始めるロバートは私の知っている彼とは別人に見えた。「その時は私も同席させて頂きます。さあ、ロバート・スペンサー国王陛下こちらに」
冷ややかにも聞こえるランスロット様の声に促されるように、ロバートは彼についていった。 (会談があるって言ってたっけ⋯⋯)オリタリア帝国の皇位継承権1位のヘンゼル皇太子の結婚。
当然、招待されているのは諸外国のトップに立つ人間だ。 各国から国賓が集まる機会は稀だから、同時に国交の機会が設けられているのだろう。メイドに案内されるまま部屋に辿り着く。
「こちらです。カリナ様、どうぞゆっくりお休みください」 扉が開かれ案内された部屋に息を呑んだ。 スペンサー王国で私が監禁されていた王妃の部屋と同等とも言える広い部屋。 天蓋付きのベッドに高価な調度品。 急に海の底に落とされたように息ができなくなった。 監禁されていた時の自分の愚かさがフラッシュバックする。 不自然な状況に疑問を抱きながらも耳を塞ぎ、ただロバートの愛を求め続けた日々。 1日中お腹を撫でながら、重い扉が開くのを待っていた時間。(気持ち悪い⋯⋯過去の自分がどうしようもなく気持ち悪い⋯⋯)
「はぁ、はぁ⋯⋯」
「カリナ様、大丈夫ですか? お気を確かに! カリナ様⋯⋯」 気が遠くなっていって、私はそのまま意識を失ったようだ。湖畔に佇むガラス張りの皇宮のチャペル。 湖に太陽の光が反射してバージンロードの先にいるランスロット様を照らしていた。あまりの美しい光景にここが天国なのではないかと錯覚しそうになる。 レベッカ様がバージンロードを私と腕を組んで一緒に歩いてくれる。 パイプオルガンの重厚な音と共に一歩一歩ランスロット様に近づいて行く。大好きな人と愛する人の元へたどり着いた瞬間を私は一生忘れないだろう。 神官の低い落ち着いた声がしても、私は心臓の鼓動が早くなるのを抑えられなかった。「ランスロット、アイリー。そなたは、カリナ・ブロワを妻とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、妻を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」 「はい、誓います」 ランスロット様が穏やかな声で、偽りでも私との永遠の愛を誓ってくれる。 私を見つめる琥珀色の瞳が優しい光を放っている。「カリナ・ブロワ、そなたは、ランスロット・アイリーを夫とし、病める時も、健やかな時も、貧しい時も、豊かな時も、喜びあっても、悲しみあっても、死が2人を分つまで愛を誓い、夫を想い添うことを、神聖なる婚姻の契約の元に、誓いますか?」「はい、誓います」 幸せな気持ちで胸がいっぱいになりながら、私は嘘偽りのない彼に捧げる永遠の愛を誓った。 彼の迷惑になるこの気持ちを消せる自信がない。 私を守ってくれる優しい人。私と一緒にいてくれるのは彼のノブレス・オブリージュだろう。 少し寂しい気持ちを覚えながらも、私は幸せを噛み締めていた。 淡いターコイズブルーのベルベットにキラリと光る結婚指輪が2つのせられていた。グローブを外し彼が私の左手の薬指に指輪を嵌めてくれる。私は緊張しながら、彼の左手の薬指に指輪を嵌めた。 彼と夫婦になれた喜びで涙が溢れそうになるのを必死に堪える。 結婚の誓約書に震える手でサインをした。愛する彼の名前に自分の名前が並んでいる。 自分に好きな人ができて、その人
カリナは再び夢の中に居た。 結婚式を終え夜を迎える。 緊張しながら寝室で待つカリナの前に、ガウンを着たランスロットが現れた。 カリナは深呼吸をして、自分の思いの丈を伝えることにした。 彼を愛する気持ちは秘めると誓ったが、今宵だけでも彼の本当の妻になりたかった。『ランスロット様⋯⋯初夜なので、私に触れては頂けませんでしょうか? 私はあなた様のことを⋯⋯』 彼女は彼が自分に触れないように気をつけている事に気がついていた。 腫れ物のように扱われるのは、彼女にとって悲しい事だった。 確かにロバート国王に傷つけられはしたが、その傷はランスロットに守られる事により少しずつだが癒えて来ていた。『了解した。君の要望により、夫の役目を果たそう。夜着を脱いで、ベッドに横たわるが良い』 淡々と義務的なランスロットを見てカリナは酷く虚しい気持ちになった。『手を繋いで眠るだけで良いのです。ランスロット様のお手は煩わせません。ただ、私に触れて欲しいだけなのです』 涙で視界が滲んだところで、目が覚めた。 夢は辛い日常を送っていた彼女にとって、心の回復の場だった。 それなのに、今、見た夢は彼女にとって悲しい夢だった。 カリナは目が覚めるなり、自分が涙を流している事に気がついた。 今日は彼女がランスロットと結婚する日で、結婚式が皇宮のチャペルで行われる。 その為、前日から皇宮に寝泊まりしていた。 ♢♢♢ 「今のは予知夢?」 私は涙を拭きサイドテーブルにある呼び鈴を鳴らす。 メイドが洗面の為のぬるま湯が入った桶を持ってきた。「ありがとう。下がって良いわ」 いつも洗面桶を持ってくる側だったので慣れないが、世話をされる側になれないとならない。 控え室に行き、純白のウェディングドレスを着せて貰う。 自分には縁がないような美しく繊細なドレスに見惚れた。 ドレスの胸の辺りには私の瞳の色に合わせたアメシストがあしらってある。「
カリナはガーデンパーティーに参加するにあたり、肖像画と照らし合わせて参加者の名前を全て覚え話題に事欠かないよう綿密に下調べをした。 宝石の名前を言う度に、彼女はエミリアーナと過ごした時を思い出した。 その記憶は辛いものではなく、幸せなものばかりだった。 色を表現する度に、彼女はランスロットとの会話を思い出していた。 彼を思い出す時は決まって彼女は切ない感情に襲われた。 彼女は自分を助けてくれたランスロットをはじめとするアイリー公爵家の人間に恥をかかせないよう必死だった。 これを機に彼女に恥をかかせようとする者もいたが、人の悪意に鈍感な彼女の性格が功を奏した。 彼女は気分が悪そうで顔が真っ青だったレベッカをヘンゼル皇太子が連れ出してくれて安心していた。 そして、2人の間に結婚前にはなかった甘い空気があったのを感じていた。 ♢♢♢ 金木犀の優雅な香りを感じて振り返ると、プラチナプランドにルビー色の瞳をした背の高い美女が立っていた。「初めまして、メアリー嬢」 メアリー・アーデン侯爵令嬢、ランスロット様と5年婚約していた女性だ。2人は恐らく多くの時間を共有したのだろう。 私は味わった事のない、心臓を柔らかく握られるような淡い痛みを胸に感じていた。 「初めまして、カリナ嬢。時に、カリナ嬢は開かない扉を叩きた続けた事はありますか?」 急な質問に動揺してしまう。 脳裏に浮かんだのは、監禁されていた王妃の部屋での時間。私は1度も内側から扉を叩かなかった。叩いた所で意味がないと本当は知っていた。 切なそうな目で私に語りかけるメアリー嬢は、自分とランスロット様の過去の関係性を思い出しているのだろう。(『私も愛を求めて来る女性は苦手だ』) ランスロット様の言葉を思い出し、彼の心の扉を悲壮な表情で叩き続けたメアリー嬢の姿が浮かんだ。「そのような顔をさせるつもりは、ありませんでした。ヴァイオレット・ダイヤモンド⋯⋯素敵な婚約指輪ですね。私はそろそろ失礼しますわ」 長いまつ毛を伏せなが
クリスティーナ王妃はカリナを蔑むと同時にエミリアーナ王女の血筋も貶している。 (側室の子だから? なんて嫌味ったらしいの!) 私はカリナを騙したエミリアーナ王女を憎んでいるが、少し同情した。 私が口を開こくより先に、カリナは天使のような微笑みを浮かべながら口を開いた。「私は亡くなった母譲りのこの髪色を気に入ってます。エミリアーナ様は私よりも光沢のあるパールグレーの髪色で、私はいつも月の女神様の髪を梳かしている気持ちでした」 カリナは自分を騙した悪女を女神と言ったのだろうか。 クリスティーナ王妃はカリナの事情を知っていそうだ。 明らかに彼女の返しに驚き過ぎて絶句している。 確かに自分を陥れた相手を嬉しそうに褒めちぎっている彼女の感覚は私も理解できない。 「クリスティーナ王妃殿下のライラック色の髪は艶やかで美しいですね。春の女神様のようです。そのピンクルビーの髪飾りも素敵ですわ」 カリナは優しく微笑みながら彼女を褒めた。(あの髪飾りについている石はピンクサファイアじゃないの?) サマルディー王国にはサファイア鉱山が沢山あり、有名なサファイア産出国だ。「ふっ、この髪飾りは夫からのプレゼントなの」「クリスティーナ王妃殿下の誕生石ですものね。素敵な夫婦関係ですね」 どうやら、本当にピンクルビーだったらしい。 私は傷ついた天使のようなカリナを守らなければならないか弱い存在だと決めつけていた。実際の彼女はとても強い子だったみたいだ。(カリナ⋯⋯宝石鑑定士の過去もあるのかしら⋯⋯) 私はクリスティーナ王妃が離れたのを見計らってから、カリナに話し掛けた。「カリナ、私は何の女神かしら」「レベッカ様は私を救ってくれた太陽の女神様です。改めてご結婚おめでとうございます」 真っ直ぐに私を見つめる澄んだ彼女の瞳を見ていると心が洗われるようだった。 貴族同士の足の引っ張り合いが嫌いで、距離を置いて人と付き合ってきたがカリナには私の近くにいて欲しい。 主催者の私
ヘンゼル・オリタリアと私レベッカ・アイリーは10年も婚約をしていた。 そして、今日私たちは結ばれる。 オリタリア帝国中が沸き立っていた。 国婚は国を挙げたお祭りだ。 花嫁の控え室にヘンゼルが入って来る。皆が気を遣って私たちを2人きりしようと部屋を出て行った。「レベッカ、女神のように綺麗だ」「ありがとうございます。殿下」 鏡を見て自分が全く幸せそうな顔をしていないのに気がついた。 慌てて口角をあげ花嫁の顔を作る。 扉をノックする音がして振り向くと、意外な来客が立っていた。 私が殺してやりたい相手、ロバート・スペンサーだ。冷や汗を掻き動揺を隠しきれない顔をしている。「このようなプライベートな場所に、不躾に入り申し訳ございません。国に急ぎ戻らなければならなくなりました。せめて、ヘンゼル皇太子殿下にご結婚のお祝いをと思いお探ししておりました」「事情は分かっています。国の有事ですから当然の判断です。慌てずお気をつけてお帰りください」 ヘンゼルが無表情で淡々と対応する。 軽くお辞儀をして、ロバート国王は足早に去って行った。「スペンサー王国で何があったのですか?」「クーデターが起きた事になってるが、実際は何もない。でも、留守を預けられる信用できる臣下がいないのだろう」 ヘンゼルが楽しそうに笑いながら説明してくれた。「もしかして、お兄様が?」 私の質問にヘンゼルは深く頷いた。彼は皇太子だからカリナの事情も当然知ってるのだろう。恐らく多くの協力者を使って兄はフェイクニュースを流した。「公爵にも愛する人ができたのだな」 ヘンゼルが微笑ましそうに呟いた。「えっ? お兄様はカリナを愛しているのですか?」「かなりのリスクを負って結婚までするのだぞ。当たり前じゃないか」 私は兄ランスロットが女性に恋をしたり、愛を語るのが全く想像できなかった。 ♢♢♢ 長い1日はまだ続き、夜には夫となったヘンゼルを寝室で待つ。 私は赤ワインを浴びるように
皇宮に到着して会談の議場に向かう途中の廊下で、カリナに迫るロバート国王を発見した。人の執念とは恐ろしいもののようだ。(もう、見つけられた!?)「ヘンゼル皇太子の結婚式が終わったら、共にスペンサー王国に帰ろう。そなたの部屋も用意してある」 当たり前のようにカリナを自分の所有物のように語るロバート国王に吐き気がした。 カリナはただ真っ青になり小刻みに震えている。 彼女に起こった悲劇を考えれば当然だ。 私は国際会談でカリナとの結婚式を挙げることを発表した。 皇宮の執務室にいる私をレベッカが尋ねてきた。 カリナは彼女に自分の正体を明かしたのだろう。「お兄様! カリナがロバート・スペンサーに部屋で襲われかけていたのですよ。しかも、悪びれもせずに去っていきました。あの男は何なのですか?」「襲われかけていた?」 部屋の場所がバレていたとしたら、私がつけられていたという事だ。慌てていたとはいえ、迂闊だった。 倒れたばかりのカリナを1人にしてしまったのは私の致命的ミスだ。 それにしても、そこまでロバート国王がなりふり構っていないのなら、こちらも強行手段に出たほうが良いだろう。(もう、彼には国にお帰り頂くか⋯⋯)「それに、どうしてアルベルトにカリナの護衛をさせるのですか? お兄様はアルベルトの気持ちをご存知ですよね」「私はアルベルトを信用している」 アルベルトは人の気持ちの分かる人間だ。 だからこそ、彼は周囲に優しくできて人に好かれる。 今、初めての恋で自分を見失っている部分もあるが、愛する人を傷つけたりはしない。「はぁ⋯⋯確かにロバート・スペンサーのようにカリナを無理に自分のものにしようとはしないと思います。お兄様もアルベルトのようにカリナを愛しているのですか?」「そう見えるか?」 カリナを自分がどう思っているかは、あまり考えた事がなかった。 彼女はレベッカが守って欲しいとお願いしてきた子で、アルベルトが大切にしている子だ。 当然、