「俺たちは子どもを産む道具じゃないんだよ?」
啓介の言葉が私の心を深くえぐった。私が、いつ啓介を道具のように扱ったと言うのか。私は、啓介のことを誰よりも真剣に考えているというのに。
私の目に映る啓介は、佳奈にすっかり心を奪われ別の人間になってしまったかのようだった。
(この子までこんなことを言うようになるなんて…一体、この女が何を吹き込んだのよ!)
私は佳奈への憎しみが募るのを感じた。
一人でも味方が欲しいと藁にもすがる思いで最後の砦に矛先を向けた。
(この子の親を引き合いに出せば少しは考え直すかもしれない。自分の親が悲しむと考えたら、さすがに無責任なことは言えないだろう。)
「子どもを作らないなんて、あなたのご両親も悲しむんじゃないかしら。」
私の言葉に、佳奈は驚いたように答えた。
「いえ、両親は何も言わないと思います。私は妹と二人姉妹で跡継ぎは気にしていないようです。結婚もしてもしなくてもどちらでもいい。自分の好きなように生きればいいと常日頃から言われていますので。」
その言葉は私の価値観を真っ向から否定するようだった。私には、子どもの意思を尊重すると言いながら結婚や子育てについて何一つ口出
こんな張り詰めた状況でも二人で視線を送り微笑みあうなんて到底理解できない。啓介の目には、彼女を守るという深い愛情と強い決意が宿っていた。二人の間に流れる空気は、私には決して立ち入ることの出来ない強固な信頼と絆に満ちている。彼らの絆の深さを見せつけられたようで私の心はさらに深く沈んだ。息子のことを褒められて、本来ならば私も素直に喜ぶべき場面だったのだろう。だが、喜びなど微塵もなかった。佳奈のために私に歯向かう息子が憎たらしかった。佳奈はさらに続けた。「私の両親は、子どもが大好きで子だくさんの家庭に憧れていました。しかし、なかなか出来ず、私は妹の2人姉妹です。待望の子だからこそ本人の意思を尊重したいと言って、いつも背中を押してくれます。私はそんな両親にとても感謝しています。しかし今、両親と同じくらいの熱量で子どもが欲しいと思えていません。子どもが出来ることを心から願い、愛したいと思った時に考えたいと思っています。」佳奈の言葉に私は押し黙った。彼女の生い立ちを聞き、両親の気持ちを慮る姿勢に少しは共感できる部分もあった。待望の子供だったからこそ、本人の意思を尊重するという親の気持ちは理屈では理解できる。しかし感情的には到底受け入れがたい。(欲しいと思ったら考えるものなのだろうか?)私の頭の中には疑問符が渦巻いた。結婚したら、いつ授かっても大丈夫なように準備しておくものだ。それが、女性としての、妻としての務めではないのか。そんな思いが私の心から拭えない。実際に私
「俺たちは子どもを産む道具じゃないんだよ?」啓介の言葉が私の心を深くえぐった。私が、いつ啓介を道具のように扱ったと言うのか。私は、啓介のことを誰よりも真剣に考えているというのに。私の目に映る啓介は、佳奈にすっかり心を奪われ別の人間になってしまったかのようだった。(この子までこんなことを言うようになるなんて…一体、この女が何を吹き込んだのよ!)私は佳奈への憎しみが募るのを感じた。一人でも味方が欲しいと藁にもすがる思いで最後の砦に矛先を向けた。(この子の親を引き合いに出せば少しは考え直すかもしれない。自分の親が悲しむと考えたら、さすがに無責任なことは言えないだろう。)「子どもを作らないなんて、あなたのご両親も悲しむんじゃないかしら。」私の言葉に、佳奈は驚いたように答えた。「いえ、両親は何も言わないと思います。私は妹と二人姉妹で跡継ぎは気にしていないようです。結婚もしてもしなくてもどちらでもいい。自分の好きなように生きればいいと常日頃から言われていますので。」その言葉は私の価値観を真っ向から否定するようだった。私には、子どもの意思を尊重すると言いながら結婚や子育てについて何一つ口出
「何もあなたが産むわけじゃないんだからサポートすればいいの。育てるのは母親なんだから!!」私は完全に感情的になって声を荒げて狂っていた。妻とは夫を支え家庭を守るものだと信じてきた。私がそうしてきたように、啓介が安心して仕事に打ち込めるように、妻になる女が尽くすべきなのだ。「そんなの佳奈の負担が大きすぎる。佳奈だって働いているんだし一人じゃ無理だ」啓介が佳奈を庇うように反論してくる。啓介が佳奈の肩を持つことに胸を締め付けられるような痛みを感じた。息子はこの女に甘すぎる。「だから今のままでは難しいし、急に抜けてもいいようにって忠告したんじゃない!!!」私だって彼女のキャリアを全く考えていないわけではない。だから仕事をセーブすることも一時的に休むことも視野に入れて考えてほしいと言ったのだ。私の感情はもはや頂点に達していた。私の怒り狂った声がリビングに響き渡る。啓介は、私の激しい言葉に静かにしかし明確な怒りを込めて反論した。
不妊治療をしてまで子どもを作る気がないと言った啓介に対し、佳奈に同意を求めたが『啓介さんと同じ考えなので問題ありません』と特に気にした様子もなく返してきたのだった。「で、でも、それで子どもが出来なくて後悔しても遅いのよ?」ようやく絞り出した声は震えていた。親として息子夫婦の未来を案じる気持ちが私には痛いほどあった。しかし、啓介は私の問いに全く動じなかった。「それでもいいと思っているよ。子どもが出来たら責任もって育てるし、出来なければ夫婦で支え合いながら暮らすつもり」佳奈の目を見て微笑みながら言う息子に、私は目を見開いた。私には啓介の言葉がただの無責任な言い訳にしか聞こえなかった。啓介が高柳家の家系をこんなにも軽んじていることに深い悲しみと怒りを感じた。「何言っているの! あなたは高柳家の長男よ! お金なら援助するわ、いくらでも協力する」私の声はもはや抑えきれない怒りに満ちていた。高柳家の血筋を絶やすなどあってはならないことだ。子どもが出来なければ医学の力を借りてでも授かるために専念して欲しかった。啓介は私の剣幕に押し黙った。息子も私と同じように高柳家の長男としての責任を感じているはずだ。それなのになぜこんなにも無責任なことを言うのか。
(子どもは授かりものですからって?私たちが跡継ぎ、孫の誕生を楽しみにしているのが分からないのか。なんて無責任なの…!)私は怒りでわずかに声が震え始めていた。子どもが産める時期や自然に妊娠しなかった場合のことも考えて不妊治療も考慮するように諭した時だった。隣に座っていた啓介が静かに口を開いた。彼の声は穏やかだったが目つきはひどく鋭かった。「母さん、今はお互い仕事が好きで大切なんだ。子どもが欲しいと思ったら、その時に俺と佳奈で考えていくよ。」(何を言っているの、啓介! あなたは高柳家の長男なのよ! 私がどれだけ孫を望んでいるかを知っているはずだわ!)私の心臓が激しく波打った。息子までこの女に感化されてしまったのか。啓介までが高柳家の未来を軽く見ているというのか。私は、睨みつけるように今度は佳奈に問いかけた。啓介がどうであれ、女性であれば結婚して子どもが欲しいと思うのは当然のことだろうと信じていたからだ。佳奈が私に同調し啓介を説得してくれることを期待していた。「でも佳奈さんはそれでいいの?出産や子育てのことを考えるのであれば年齢的に早い方がいいんじゃないかしら?」しかし、私の期待は残酷なまでに打ち砕かれた。「ありがとうございます。でも、私も啓介さんと同じ考えなので問題ありま
リビングに漂う香ばしい紅茶の匂いと、時折響くカップとソーサーの触れる音だけが高柳家の静寂を破っていた。啓介と佳奈、そして啓介の母親の三人の間に流れる空気は、さっきまでよりも一層重く冷ややかになっている。私の胸の奥には、熱く煮えたぎるような感情が渦巻いていた。(私は夫を支え家庭を守ることに人生を捧げてきた。それが、妻としての当然の務めであり、家族の幸福を築く礎だと信じて疑わなかった。家庭を守ってきたからこそ、夫も安心して仕事に邁進できたはず。だから、息子の妻にも同じように啓介を心から支えたいと願う女性であって欲しいと思っていたのに……。)先ほどの佳奈の「結婚後も働き続けたい、上を目指したい」という言葉が私の心に深く引っかかっていた。私が描く「理想の息子の嫁」の姿とはあまりにもかけ離れていたからだ。私は、この女性が本当に啓介の妻としてふさわしいのか試すような気持ちで、穏やかな口調を装いながら佳奈に尋ねた。「でも、子どもが産まれたらお仕事だって今のままというわけにはいかないでしょ?」妻として、そして母としての佳奈の覚悟を問うための私なりの最終確認のつもりだった。結婚したら、子どもを産み育てるのは女性にとって当然のことだろう。そして、それを前提にキャリアを考えるべきだというのが私の揺るぎない信念だった。しかし、佳奈は私の期待を裏切った。彼女は一瞬考えた後に朗らかな笑顔で迷いなく答えたのだ。