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8.ブレイクの噂

Auteur: サイ
last update Date de publication: 2026-08-20 19:00:13

 アディノスが部屋に来た3日後、パウラが新しいドレスを持ってきた。

「なに? それ」

「王子殿下から、今日はこちらをお召しになるようにと指示があったらしいです」

「安定の突然」

 今まで着た中では最も豪華なドレスだった。白くて細かいレースまで施されている。

 汚れが目立ちそうだ。

 雑巾がけは日課になったけど、これで掃除はできないな。

 一体どうして……。

「あ、もしかして今日行くのかな、摂政殿下の所に」

「さあ、私は何も聞いてませんので」

 そうね。突然来て突然連れて行かれそうね。

 あの虫も突然だったけど恐怖体験すぎて、あれからしばらくノックが怖くなったくらいだ。

 ちなみに、黒いバッタさんは、ちゃんと庭の片隅に埋めて供養しておいた。宗教は違うかもしれないけど、許してほしい。

 今日はもう日課の床磨きも終わったし、することもない。

 着替えてないとまた嫌がらせをされたら怖いので、パウラに手伝ってもらって着替えて身支度を整えた。

 ドレスはちょっとぶかぶか。

「サイズが合ってないわね」

「王子殿下は、ナノリア様のサイズをご存じないんでしょうか」

 知らないだろうな。知ってても気持ち悪いけど。

「採寸したこともないしね」

 今のドレスも、洗濯して縮んだからちょうど良くなったんだ。

 ここの洗濯メイドは洗濯が下手なのか、ナノリアへの扱いのせいなのかわからないけど、出した洗濯物が縮んで帰ってくる。

 洗濯したらいい感じに縮むかもしれないが、今から洗濯に出すわけにもいかないし。

 肩口や腰回りはぶかぶかだけど、まあ切れなくはない。

 それより背中がきつかった。羽を出す穴がない。

「あぁ、これ……羽が出ないわ」

「中に入れておけばよろしいのでは」

「だから、それは窮屈なんだって。ねえ、ちょっと切ってくれない?」

「ええっ!」

 パウラは大袈裟に半歩後ずさった。

「私がですか!」

「うん。慣れてるでしょ? 洋服にはさみを入れたりしないの?」

 一般的に庶民は洋服を自分たちでリメイクして着ている。メイドの仕事に繕い物もあるし、得意だと思ったんだけど。

「しますけど……そんな高価なドレスはとても」

 パウラはぶんぶんと首を振った。

「あの摂政殿下に会うのに、私が手を入れたドレスだなんて。咎められたらどうするんですか。私なんかの首、すぐに飛ばされますよ」

「そんな大げさな」

 10年前の記憶だからおぼろげだけど、あの琥珀色の優しい瞳はナノリアの記憶に刻まれている。

「ブレイク様はお優しい方ではないの?」

 パウラが変な顔をした。

「知らないんですか? 摂政殿下といえば厳しくて有名じゃないですか。前国王が崩御なさってから、長雨の不作、竜巻、川の氾濫、地震。この10年、我が国は災害続きで。それを治めてきた方ですから」

「すごい人じゃない」

「怠慢、不正を一切許さない厳格さで、冷徹な摂政殿下って有名でしょう。たくさんの人が処理されたって……あの非情さは、人間じゃないとか言われて。殿下の前では生きた心地がしないって色んな人が話してるの聞きましたよ。名前を聞くだけで皆凍り付いて黙るって」

 パウラが言うと迫力がある。

 夏の怪談話みたいに言って来る。脅そうとしてるのかな。

 確かに、10年あれば人は変わる。すごく恐い人だったらどうしよう。

 でも、とにかく羽はこのままだと苦しい。私はパウラに背中を向けた。

「大丈夫、切り口なんて見えないわよ。適当でいいから」

「適当だなんて! すごく敏感なんでしょう? 刃先が羽に当たってしまったらどうするんですか!」

 それくらいは我慢しようと思っていたのに。

 パウラがそんなことを言うとは思わなくて少し驚いた。

 私の体も気にしてくれてたんだ。

 この体に入って数日しか経っていないけど、最近気づいた。

 実はパウラは結構、親切だ。そっけない態度は相変わらずだけど、気遣いは感じる。

 雑巾がけが私の趣味と理解したようで、新しいバケツと雑巾を何枚も用意して部屋に置いてくれたり。食事もバランスよく食べなきゃだめですよ、って小言みたいなことも言ってくれる。

「大丈夫だから、お願い」

 嫌がっていたけれど結局、渋々ではあるが上手に背中の布を切り取ってくれた。

 そうして支度を終えた頃に、アディノスがやって来た。

「——貧相だな」

 私のドレス姿を一瞥して、アディノスはそんな感想だけを呟く。

 失礼だな。痩せ細っているのは誰のせいだと思っているんだ。

 私に肉を出すなって厨房に指示してるの知ってるんだから。

 やることがせこいのよ。

「いいか、余計なことは言うなよ」

 付いてこい、と言って、廊下を先に歩きながら振り返りもせず、そう言われた。

「余計な……?」

「口を閉じてろ。お前も摂政の話を聞いたことくらいあるだろ」

 いや、さっきパウラに聞いたのが初めてだけど。

 なにしろナノリアは、あんた以外関心がなかったからね。

「まあ、どうせあの威圧感の前じゃろくに喋れないだろう。少しでも規律を乱せば容赦はないぞ。嘘も一瞬で見抜くから、喋らないのが一番だ」

 それはあんたでしょう。私が嘘をつく必要性ないから。

「あの冷徹で非情な男がお前を消すのなんて一瞬だからな。死にたくなければ、余計なことは言うな」

 とにかく脅してくる。

 どうやらアディノスはブレイクがあまり好きではないらしい。自分に代わって国政をしてもらっているのに、ひどい言い草だ。

 まるで自分はまともみたいな言い草だな。

 それでもこうやって私の口を閉じて置けというって事は……アディノスも頭が上がらない相手なのかな。10年前も言い負かされてたし。

 それはそうと、すたすたと先を歩いて行くから、こっちは追いかけるのに必死だ。

 やっぱり相変わらず、この男を見ると条件反射でちょっと体は強張る。

 負けるもんか。

 私はぐっと唇を噛んで、速足で追いかけた。

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