Se connecterアディノスが部屋に来た3日後、パウラが新しいドレスを持ってきた。
「なに? それ」 「王子殿下から、今日はこちらをお召しになるようにと指示があったらしいです」 「安定の突然」 今まで着た中では最も豪華なドレスだった。白くて細かいレースまで施されている。 汚れが目立ちそうだ。 雑巾がけは日課になったけど、これで掃除はできないな。 一体どうして……。 「あ、もしかして今日行くのかな、摂政殿下の所に」 「さあ、私は何も聞いてませんので」 そうね。突然来て突然連れて行かれそうね。 あの虫も突然だったけど恐怖体験すぎて、あれからしばらくノックが怖くなったくらいだ。 ちなみに、黒いバッタさんは、ちゃんと庭の片隅に埋めて供養しておいた。宗教は違うかもしれないけど、許してほしい。 今日はもう日課の床磨きも終わったし、することもない。 着替えてないとまた嫌がらせをされたら怖いので、パウラに手伝ってもらって着替えて身支度を整えた。 ドレスはちょっとぶかぶか。 「サイズが合ってないわね」 「王子殿下は、ナノリア様のサイズをご存じないんでしょうか」 知らないだろうな。知ってても気持ち悪いけど。 「採寸したこともないしね」 今のドレスも、洗濯して縮んだからちょうど良くなったんだ。 ここの洗濯メイドは洗濯が下手なのか、ナノリアへの扱いのせいなのかわからないけど、出した洗濯物が縮んで帰ってくる。 洗濯したらいい感じに縮むかもしれないが、今から洗濯に出すわけにもいかないし。 肩口や腰回りはぶかぶかだけど、まあ切れなくはない。 それより背中がきつかった。羽を出す穴がない。 「あぁ、これ……羽が出ないわ」 「中に入れておけばよろしいのでは」 「だから、それは窮屈なんだって。ねえ、ちょっと切ってくれない?」 「ええっ!」 パウラは大袈裟に半歩後ずさった。 「私がですか!」 「うん。慣れてるでしょ? 洋服にはさみを入れたりしないの?」 一般的に庶民は洋服を自分たちでリメイクして着ている。メイドの仕事に繕い物もあるし、得意だと思ったんだけど。 「しますけど……そんな高価なドレスはとても」 パウラはぶんぶんと首を振った。 「あの摂政殿下に会うのに、私が手を入れたドレスだなんて。咎められたらどうするんですか。私なんかの首、すぐに飛ばされますよ」 「そんな大げさな」 10年前の記憶だからおぼろげだけど、あの琥珀色の優しい瞳はナノリアの記憶に刻まれている。 「ブレイク様はお優しい方ではないの?」 パウラが変な顔をした。 「知らないんですか? 摂政殿下といえば厳しくて有名じゃないですか。前国王が崩御なさってから、長雨の不作、竜巻、川の氾濫、地震。この10年、我が国は災害続きで。それを治めてきた方ですから」 「すごい人じゃない」 「怠慢、不正を一切許さない厳格さで、冷徹な摂政殿下って有名でしょう。たくさんの人が処理されたって……あの非情さは、人間じゃないとか言われて。殿下の前では生きた心地がしないって色んな人が話してるの聞きましたよ。名前を聞くだけで皆凍り付いて黙るって」 パウラが言うと迫力がある。 夏の怪談話みたいに言って来る。脅そうとしてるのかな。 確かに、10年あれば人は変わる。すごく恐い人だったらどうしよう。 でも、とにかく羽はこのままだと苦しい。私はパウラに背中を向けた。 「大丈夫、切り口なんて見えないわよ。適当でいいから」 「適当だなんて! すごく敏感なんでしょう? 刃先が羽に当たってしまったらどうするんですか!」 それくらいは我慢しようと思っていたのに。 パウラがそんなことを言うとは思わなくて少し驚いた。 私の体も気にしてくれてたんだ。 この体に入って数日しか経っていないけど、最近気づいた。 実はパウラは結構、親切だ。そっけない態度は相変わらずだけど、気遣いは感じる。 雑巾がけが私の趣味と理解したようで、新しいバケツと雑巾を何枚も用意して部屋に置いてくれたり。食事もバランスよく食べなきゃだめですよ、って小言みたいなことも言ってくれる。 「大丈夫だから、お願い」 嫌がっていたけれど結局、渋々ではあるが上手に背中の布を切り取ってくれた。 そうして支度を終えた頃に、アディノスがやって来た。「——貧相だな」
私のドレス姿を一瞥して、アディノスはそんな感想だけを呟く。 失礼だな。痩せ細っているのは誰のせいだと思っているんだ。 私に肉を出すなって厨房に指示してるの知ってるんだから。 やることがせこいのよ。 「いいか、余計なことは言うなよ」 付いてこい、と言って、廊下を先に歩きながら振り返りもせず、そう言われた。 「余計な……?」 「口を閉じてろ。お前も摂政の話を聞いたことくらいあるだろ」 いや、さっきパウラに聞いたのが初めてだけど。 なにしろナノリアは、あんた以外関心がなかったからね。 「まあ、どうせあの威圧感の前じゃろくに喋れないだろう。少しでも規律を乱せば容赦はないぞ。嘘も一瞬で見抜くから、喋らないのが一番だ」 それはあんたでしょう。私が嘘をつく必要性ないから。 「あの冷徹で非情な男がお前を消すのなんて一瞬だからな。死にたくなければ、余計なことは言うな」 とにかく脅してくる。 どうやらアディノスはブレイクがあまり好きではないらしい。自分に代わって国政をしてもらっているのに、ひどい言い草だ。 まるで自分はまともみたいな言い草だな。 それでもこうやって私の口を閉じて置けというって事は……アディノスも頭が上がらない相手なのかな。10年前も言い負かされてたし。 それはそうと、すたすたと先を歩いて行くから、こっちは追いかけるのに必死だ。 やっぱり相変わらず、この男を見ると条件反射でちょっと体は強張る。 負けるもんか。 私はぐっと唇を噛んで、速足で追いかけた。歩き方、姿勢、礼儀作法、言葉遣い。 淑女としての知識にはそのほかにも一般的な勉強は、前世の知識を以てしても慣れない事の連続で。 ブレイクの隣に立つのにふさわしい女性になりたい、その一心でひたすら勉強に打ち込んだ。 ずっと燃える気持ちで——燃えすぎたのかもしれない。 ほんの少しだけ、熱をだしてしまった。「今日は休んでください」 そうセレナに珍しく強めに言われて、私はベッドに横になった。 少し頭が重いけれど、寝込むほどではないのに。 ただ、体がぽうっと熱い。「熱が出たと聞いた」 ブレイクがいつもの朝の時間にやってきた。「少しだけです。そんなに心配しなくても……」「心配するに決まっているだろう」 ブレイク様は椅子を引き寄せ、私のそばに座った。 座るんだ。——そう思ったら、そのままごそごそと色々と取り出して……。 水とか、果物とか、本とか。「ブレイク様が看病してくれるんですか」「もちろんだ」 忙しいはずなのに。 でも、久しぶりに一緒にいれると思うとちょっと嬉しい。 とはいえ……そこまで重症じゃないから、暇だ。 ブレイクはいつも話をしてくれるのに、今日は看病だからなのか、私に寝るように言って横で本を読んでる。 じゃあ私も——そう思って昨日読みかけていた本に手を伸ばす。その手をそっと遮られた。「どうした? 何が欲しいんだ」「あ、ちょっと。暇なので、本でも読もうかと」「病人なのに?」 ブレイクが眉を寄せた。 私って大病を患ってたんだっけ——と思うような反応だ。 本当に問題ない程度なのに。「そんながっかりした顔をするんじゃないよ。私が読んであげよう」「え、ブレイク様が」「ああ。だからほら、目をつぶっていなさい」 ブレ
最近、ブレイクの様子が少し変だ。 変というか……なんというか……距離が遠いような。 優しいのに、どこかぎこちない。 邪険にされているわけでも、避けられているわけでもない。「うーん……」 聞くほどの変化でもないし、言葉にできない程度なんだけど。いつもより1センチ遠い、程度の。 私は意を決して、ブレイクの執務室に向かった。 さっき執事さんから手紙を預かったから、そのお届けだ。 扉をノックすると低い声が返ってくる。「入っていい」 よそ行きの、仕事用の声だ。 ちょっとドキドキしながら扉を開けると、ブレイクは机に向かっていた。 いつものように背筋が伸びていて、姿勢が綺麗で、ずっと見て居たくなる。「——どうし……ナノリア?」 黙っていたから不思議に思って顔を上げて、ようやく私だと分かったらしい。おかしくなって笑ってしまう。 公爵として忙しくしているのは知っているけど、仕事モードの姿はあまり見ることが無いから貴重だ。 取り繕おうとしているのが分かってしまう。「はい。お手紙のおとどけです」 気づかないふりで近づくと、ブレイクが立ち上がって受け取ってくれた。「わざわざ、ありがとう。執事は——」「ブレイク様の顔が見たくて、預かって来たんです」「そ、そう、か」 不意打ちに弱かったのか、きょとんとして固まってしまった。 私は首を傾げた。「もしかして、結構疲れてますか?」「いや……ちょっと集中しすぎていて、びっくりしただけだ」 確かに、シャツの袖が少しインクで汚れている。髪も掻き上げたのか少し乱れていた。 ブレイクが眼鏡を外してふう、と息を吐いた。「すみません、お邪魔して」 そう言って帰ろうとして、ふと気づく。「ブレイク様、襟が…&
——ナノリアが変わった。 それは、ある日突然ではなく、少しずつの変化だった。いや、きっかけで言えば王城で王妃やアディノス殿下と決別をしたからかもしれない。 コーンワルドに帰ってきてやっとゆっくりしてもらえると思っていたら、ナノリアは急に忙しく勉強を始めたのだった。 そんなに頑張らなくても、ナノリアは素のままでも十分―—その先がうまく言えないままに、母に一睨みで黙らされた。 まあ、ナノリアが淑女教育を楽しんでいるうちは、それも彼女にとってはいい事なのかもしれない。 世界が広がるのは、何よりも良い事だろう。 そう思い見守ろうと思っていたら——気づけば、彼女は以前とは違う輝きを纏っていた。 朝、廊下で偶然すれ違った時。 ナノリアは淡い桃色のドレスを着ていた。 いつもより髪が丁寧に整えられていて、 歩き方もどこか淑女らしい。「おはようございます、ブレイク様」 そう言ってふわりと微笑み、完璧なお辞儀をされる。 文句のつけようのない所作、流れるような美しい動き。その声は以前より少しだけ緊張しているように聞こえた。「……おはよう、ナノリア」 言いながら、私は一瞬だけ言葉を失った。 彼女がこんなふうに変わるとは思っていなかったからだ。 日に日に美しくなっている。今にも折れそうだった体が健康的になって、活発に動く。萎れていた羽もピンと伸びて輝き、ふわふわと揺れるのから目を離せなくなる。 だが同時に——チリ、と胸の奥が痛んだ。 ナノリアは成長している。 自分の足で歩けるようになっている。 もう少しで、自分の庇護など全く必要としなくなるような気がした。*** ある日の夕方。 リーフェルの花を摘んで戻ると、庭園でナノリアがやってきた。姿を見つけると小走りで駆け寄ってきてくれる。少し息の上がったところが可愛らしく思う。「ブレイク様、その花…&
ブレイクが意識してしまうと言ってくれた日から、私は少しだけ勇気を持てるようになった。 だって——ブレイクが、私を女性として見てくれている。 意識するって、そういう意味よね。そう思う事にした。 ブレイクの言葉で一喜一憂してしんどいくらいだけど。私はその一言で、突き進むと決めた。 そうすると毎日が少しだけ明るくなった。 ——よし。 焦っても仕方ない。私は何も知らない、世間知らずな何でもないただの妖精らしき生き物で。このままで何もできていないのに、守ってもらってばかりだとか、子ども扱いだとか。それは当然だったと思うから。 だから——まずはしっかりと、自分を磨くことからしようって、決めた。 以来、私は適当にしていた身だしなみをちゃんとすることにした。 いや、決して小汚くしていたわけではないんだけど。 今まではドレスなんて何でもいいと言っていたし、髪もセレナが整えてくれるままにしていた。 でも、ブレイクが「意識してしまう」と言ってくれたから……。 私は自分の見た目を少しだけ気にするようになった。 セレナは最初こそ驚いていたけれど、すぐに嬉しそうに手伝ってくれた。「ナノリア様、今日はこの色がよく似合いますよ」「え、そうかな……?」「はい。お肌が明るく見えます」 同じ赤色にも色々とあるとか、知らなかった。「ナノリア様にはこういう明るい色も良くお似合いになりますね」 そんなふうに言われると、胸がくすぐったくなる。 見かけだけじゃ意味がないから、勉強も始めた。 所作については、教師をつけてもらった。歩き方も、姿勢も、気をつけるようになった。 特にルイーナが手伝ってくれて、淑女教育の基本的な教養には何がいるかを教えてくれた。 覚えないといけないことが山ほどあって目が回るけど、勉強を始めると言うのは思っていた以上に楽しい。「任せなさい」 ルイーナは満面の笑
——やっぱり、流石にブレイクは経験豊富な大人の男性だなと思う。 朝食はぎこちなく感じたのに、次にあった時からは見事にいつも通り。 まあね、分かってた。 恋愛対象外だもん。 いつも包み込むような温かい態度で接してくれる。怒ることもなくて、私に何かを望むことも……。「——ナノリア様?」 声を掛けられてはっと気づく。「窓をすり減らしたいんですか」 パウラがそう言うのも無理はない。多分、30分くらい窓を磨き続けていた。「——そろそろやめようかな」 今日はちっとも集中できない。いつもなら、掃除をすれば少し気が晴れるのに。「はいはい。回収しますね」 パウラがそう言って私の手から雑巾を受け取った。「一体どうしたんですか。体調——は、良さそうですけど」「うん……」 思い切って、聞いてみようかな。パウラは唯一コーンワルドの人じゃないから、相談するなら彼女しかいない。「あのさ。ブレイク様は、私の事、その……なんて思ってると思う?」 パウラは目を瞬かせて、それから珍しく視線を泳がせた。「そうよね。そういう風には、見てないよね……」「いや、その……私の事をどんな風に思ってるか知りませんけど、私も男と付き合ったことないので」「えっ」「なんですか、えって。そんな暇ないですよ」「あ、それはごめん」 そうか、私のせいで王城では仲間もいなかったし、毎日王城に通ってたら忙しかったのか。 そうでなくても、そのさばさばした性格は、相手を選びそうだけど……余計なお世話だな。「公爵様がどう思ってようが、関係ありますか?」 大ありだと思う。 その発言の意味が分からなくてびっくりする私に、パウラはいつものように親指を立てた。
コーンワルド公爵領に戻って数日が経った。 屋敷のどこからも森の匂いがする。リーフェルの花の香りも。 風が柔らかいし、土の色も、空の青さも、王都とはまるで違う。 やっぱり、この素朴な香りが一番落ち着く。 私は目が覚めるとまず窓を開けて、この自然の香りを部屋に取り込むのが日課になっていた。 そうするといつもノックの音がする。「はあい」「おはようございます」 コーンワルドの侍女のセレナ達だ。私が帰還すると本当に喜んでくれた。 そして、その後ろから入って来た——パウラ。 コーンワルドに帰って来る時、パウラには王都に残るかどうかを、一度改まって聞いてみた。彼女の故郷は王都だし、結婚適齢期でもあるし。 するとパウラはあっさり、コーンワルドについて来てくれると言った。 仲良くはなったかなと思っていたけど、王都の家を引き払ってまでついて来てくれるとは思わなかったから、実はかなり嬉しかった。「本当にいいの? 次はいつ王都に帰るかわからないよ」「大丈夫です。嫌になったら帰るので」 パウラはさらりといつもの無表情でそう言った。 思わず笑ってしまった。「——じゃあ、私はパウラに嫌われないように気を付けないとね」 そんな会話をしていた。「朝のお支度をいたしますね」 セレナがそう言って、手際よくいつもの朝の支度をしてくれる。 一通り終わる頃に、もうすぐブレイクが迎えにきてくれるだろう。そんな日常——。「パウラ」 私は意を決して、パウラを呼んだ。 セレナらはもう去って、今は部屋に二人きり。パウラは今から掃除をしようとしている。「はい?」「私ね、そろそろ再開しようと思うの」「何をですか」 パウラは作業をしながら聞いて来た。 こういうところは相変わらずだ。「掃除」「え」 パウラが手を止めて私を見る。「だから、持ってきてくれる? 雑巾







