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第 10 話

last update publish date: 2026-08-09 11:21:07
「現状は」

「本日の朝会は、議題調整が不十分なため、決裁に進める状態ではございません。慈善事業寄付金、北方街道補修費、軍部冬季備蓄費が衝突しております。また、ノルヴァルト公国への返礼品確認も未処理です」

「返礼品?」

国王の眉がわずかに動く。

「はい。昨夜、白薔薇の件は辛うじて避けられましたが、本日中に大使夫人への正式な贈答品を確定する必要がございます」

マルタが補足する。

「昨夜は、クラリス様が最後に修正して残された挨拶文のおかげで、大きな失態には至りませんでした」

その一言で、ジュリアスがわずかに顔を背けた。

自分の挨拶が成功した理由を、今知ったのだ。

国王は、深く息を吐いた。

「本日の決裁は午後へ回す。各局は、議題整理案を提出せよ。王妃執務院は、クラリス嬢が残していた資料を確認しろ」

オスカーは頭を下げた。

「陛下。クラリス様が残された正式資料は確認済みです」

「補足資料は」

「ございません」

国王の目が細くなる。

「ない?」

「クラリス様が私的に作成、管理されていたものですので、王宮には残っておりません」

それは当然だった。

当然だが、王宮にとっては致命的だった。

国王は、王太子を見た。

「ジュリアス。お前は、何を手放したのか分かっているのか」

ジュリアスは答えなかった。

答えられなかった。

その時、朝会の間の入口に侍従が現れた。

青ざめた顔で膝をつく。

「陛下。失礼いたします」

「何事だ」

「ノルヴァルト公国セルゲイ大使より、午後の茶会について確認が入っております」

国王の顔がわずかに曇る。

「確認?」

「はい。昨夜の返礼挨拶は大変丁寧であったが、本日の席次と菓子について、例年どおりクラリス様に確認済みか、と」

朝会の間が静まり返った。

例年どおり。

クラリス様に。

確認済みか。

オスカーは、思わず目を閉じた。

違う。

昨夜が終わりではない。

今日も、明日も、王宮は続く。

そして、王宮が続く限り、クラリスが見えないところで担っていたものは次々と姿を現す。

国王は短く命じた。

「茶会の担当は」

マルタが答える。

「ミレーヌ様が担当される予定でございます」

視線が一斉にミレーヌへ集まった。

彼女は、青い瞳を揺らした。

「わ、私……」

昨日なら、ここで笑えた。

きっとできますわ、と言えた。

だが今は違う。

朝会の間で、財務卿と軍務局長と神殿代理の視線を受け、国王の前で涙を止められた後では、同じ言葉を軽く言うことができなかった。

それでも、ジュリアスが彼女を見る。

期待している。

自分が選んだ明るい未来を、まだ信じたい顔で。

ミレーヌは唇を震わせ、それから小さく頷いた。

「……はい。私が、いたします」

マルタ女官長の目が、静かに伏せられた。

オスカーは、その表情を見て悟った。

次に止まるのは、朝会ではない。

茶会だ。

そして茶会は、朝会より華やかで、朝会より残酷だ。

朝会の失敗は王宮内で済む。

茶会の失敗は、社交界へ広がる。

貴族夫人たちは、文官よりも早く噂を運ぶ。

隣国大使は、笑顔のまま抗議文を書く。

オスカーは筆を握り直した。

今日の記録は長くなる。

それだけは、間違いなかった。

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