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第 9 話

last update publish date: 2026-08-09 11:21:07
神殿の言葉は軽くない。

しかも、慈善事業の寄付金が議題になっている場で、王家が一人の令嬢へ無償奉仕を命じると取られれば、外聞が悪すぎる。

バルツァー財務卿が咳払いした。

「ともかく、本日の議題をどう進めるかですな」

軍務局長が低く笑った。

「上から順番に話せばいいのではなかったか」

ミレーヌの肩が跳ねた。

悪意のある言い方だった。

彼女にも分かったのだろう。

だが、言い返せない。

自分が言った言葉だからだ。

ジュリアスは強引に話を戻した。

「よい。慈善事業については後日再協議とする。次だ」

オスカーは候補表を見る。

次。

北方街道補修費。

財務卿と軍務局長が、同時にこちらを見た。

オスカーは、ほんの少し遠くを見た。

窓の外では、朝の光が庭園に降りている。

クラリス様。

あなたは、毎朝これを一人で防いでおられたのですか。

声には出さなかった。

出したら、仕事にならない。

「第二議題。北方街道補修費について」

言った瞬間、財務卿が資料を広げた。

「まず申し上げますが、要求額は過大です」

軍務局長が即座に返した。

「まず申し上げるが、雪崩で橋が落ちてからでは遅い」

また始まった。

朝会は、始まっている。

だが、進んではいない。

発言はある。

反論もある。

書記官は筆を動かしている。

王太子は席にいる。

けれど、何も決まらない。

それは、止まっているのと同じだった。

半刻後。

国王アレクシスが朝会の間へ入る前に、すでに場は疲弊していた。

議題は一つも決まっていない。

神殿は不満を抱え、軍部は苛立ち、財務卿は責任を避け、王妃執務院は沈黙し、王太子は不機嫌になり、ミレーヌは笑顔を失っていた。

国王が着座する。

「始めよ」

その言葉に、オスカーは筆を止めた。

始めよ。

王の命が下った。

だが、朝会はもう半刻前から始まっていた。

そして、まだ始まっていなかった。

オスカーは立ち上がり、深く頭を下げる。

「陛下。恐れながら、本日の議題順につきまして、再調整が必要でございます」

アレクシス王は、眉を動かした。

「再調整?」

「はい」

「誰が組んだ」

その場に、沈黙が落ちる。

誰も答えられない。

組んだ者がいないからだ。

国王は、その沈黙だけで半分を察した。

「クラリス嬢はどうした」

ジュリアスの表情が硬くなる。

ミレーヌは俯く。

マルタは静かに目を伏せる。

オスカーは、王の前で嘘をつかなかった。

「昨夜、王宮を辞されました」

国王は、すぐには声を出さなかった。

やがて、ゆっくりと王太子を見る。

「ジュリアス」

「父上」

「説明せよ」

ジュリアスは、少しだけ顎を上げた。

「クラリスとの婚約を白紙に戻しました。私には、ミレーヌのほうが王太子妃にふさわしいと判断したためです」

朝会の間に、音にならない波が立った。

国王の顔から、表情が消える。

「その判断を、なぜ昨日の夜会前にした」

「それは……」

「なぜ、王妃執務院にも政務院にも事前に知らせていない」

「私の婚約の問題です」

「王太子の婚約は、個人の恋ではない」

声は荒くない。

だから余計に重かった。

ジュリアスは唇を噛む。

ミレーヌが泣きそうな顔で一歩前へ出た。

「陛下、私が至らないせいで……」

「ミレーヌ嬢」

国王は彼女を見た。

目は冷たくなかった。

だが、甘くもなかった。

「今は泣く場ではない」

ミレーヌの足が止まった。

泣けば誰かが助けてくれる。

その人生で初めて、涙を止められた顔だった。

国王はオスカーに向き直る。

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