LOGIN彼が「待つ」と言ったのは、本当だった。
ライオネル王はそれからも私に会いに来た。贈り物も続いた。しかし、決して急かすことはなかった。私の心が動くのを、辛抱強く待っている。
でも。
彼の金色の瞳を見るたびに、その奥に潛む熱を感じるたびに、私の中の何かが揺れる。それが何なのか、最初はわからなかった。
わかったのは、ある夜のことだった。
その日は王宮で小さな宴が開かれ、私は初めて彼の公の姿を目にした。臣下たちに囲まれ、王としての顔を持つ彼は私が知っている庭園での穏やかな姿とはまるで別人だった。鋭い眼光、低く響く声わずかな身じろぎにも周囲が緊張する。その威厳に満ちた姿を見た瞬間、私の心臓は音を立てて跳ねた。
「お嬢様、顔が赤いですよ」
マリアに指摘され私は慌ててワインを煽った。自分でも
彼が「待つ」と言ったのは、本当だった。 ライオネル王はそれからも私に会いに来た。贈り物も続いた。しかし、決して急かすことはなかった。私の心が動くのを、辛抱強く待っている。 でも。 彼の金色の瞳を見るたびに、その奥に潛む熱を感じるたびに、私の中の何かが揺れる。それが何なのか、最初はわからなかった。 わかったのは、ある夜のことだった。 その日は王宮で小さな宴が開かれ、私は初めて彼の公の姿を目にした。臣下たちに囲まれ、王としての顔を持つ彼は私が知っている庭園での穏やかな姿とはまるで別人だった。鋭い眼光、低く響く声わずかな身じろぎにも周囲が緊張する。その威厳に満ちた姿を見た瞬間、私の心臓は音を立てて跳ねた。「お嬢様、顔が赤いですよ」 マリアに指摘され私は慌ててワインを煽った。自分でもわかるほど、頬が熱い。何を考えているの私。あの人は王様で、私はただの客人。そう自分に言い聞かせるのに、視線は勝手に彼を追いかける。彼が臣下の言葉に頷くたび、長い指が杯を傾けるたび黒い耳がわずかに動くたび、胸の奥がきゅうっと締め付けられた。 その夜、宴が終わった後私は眠れずにいた。寝台に横になっても、目を閉じるたびに浮かぶのは彼の姿ばかり。あの金色の瞳。あの低い声。あの大きな手。体が、熱い。ううん心が熱い。これは何の感情だろう。「……もう、やめよう」 私は寝台から起き上がり窓辺に歩いた。月が綺麗だった。月光が王宮の庭を銀色に染め上げている。その幻想的な光景に見とれていると、不意に部屋の扉がノックされた。「こんな時間に誰……?」 まさかマリアだろうか。いや彼女は先ほど休むと言っていた。私は寝間着の上から羽織るものを掴み
翌日から、ライオネル王からの贈り物が毎日のように私の部屋に届くようになった。 最初に届いたのは見たこともないほど美しい花束だった。月光を受けると淡く光る花、甘い香りを放つ花宝石のように透き通った花びらを持つ花。どれも、この国でしか咲かない希少な花ばかりだと、マリアが調べて教えてくれた。 次に届いたのは絹のような手触りの布。深い緑色で、光の加減で色が変わる。これも最高級品らしい。 その次は、銀細工の髪飾り。精巧な細工で、狼を象った意匠が施されている。「お嬢様、これ、どうしましょう」 マリアが困惑したように言う。私も同じ気持ちだった。贈り物を突き返すわけにもいかない。でも、受け取るということは彼の好意を受け入れるということになる。「……とりあえず、お礼の手紙を書きましょう」 そう言って、私は机に向かった。何度も書き損じて、結局、形だけのお礼状を仕上げるのに半日もかかってしまった。 それから数日後、本当に王から呼び出しがかかった。 場所は、王宮の中庭。昼下がりの光が降り注ぐ、美しい庭園だった。噴水のそばに立つライオネル王は、この前と同じく黒を基調とした衣装を身につけている。私の姿を見つけると、金色の瞳がわずかに和らいだ。「来たか」「お招きありがとうございます。あの、先日は贈り物をいただいてしまって、ありがとうございました」「気に入ったか」「ええ、とても。ただあのように高価なものを毎日いただくのは、さすがに恐縮してしまいます」「遠慮はいらない。番に贈り物をするのは、当然のことだ」 彼はさらり
王宮での生活は、意外なほど快適だった。 フィオナ様は忙しい人だったが、時間があるときは私を王宮のあちこちに連れて行ってくれた。大広間、図書室庭園、調理場。どこもかしこも、人間の国とは勝手が違う。特に図書室は素晴らしかった。何百年もかけて集められたという蔵書は、私の知らない知識の宝庫だった。 私は毎日、午前中は図書室で過ごし午後は王宮の文官たちに人間の礼儀作法や言語を教えるという日々を送っていた。教えると言っても、基本的なことばかり。でも彼らは熱心に学んでくれた。「セレスティーヌ様、この言い回しはどういう意味でしょうか?」「ああ、それはですね……」 そんな穏やかな日々が、十日ほど続いたある日のこと。 フィオナ様が、神妙な面持ちで私の部屋を訪ねてきた。「セレスティーヌ、明日、王様があなたにお会いになりたいそうよ」「王様、ですか?」「ええ。人間の国から客人が来ていると聞いて、興味を持たれたの。堅苦しい謁見ではなく、非公式な面会だからそんなに緊張しなくて大丈夫よ」 そう言われても緊張するものは緊張する。この国の王は、獣人たちの頂点に立つ存在。強靭な力と、長い歴史を持つ王家の血筋。人間の国王に会うのとは、わけが違う。「何か、注意することはありますか?」「そうね……王様の前では、あまり大きな声を出さないことかしら。獣人は聴覚が敏感だから。あとは、目を逸らさないこと。獣人にとって、視線を合わせないのは敵意の表れなの」「目を、逸らさない……」「人間の文化では、身分の高い人の目をじっと見るのは失礼なんでしょう? でも、こちらでは逆なの。王様の目を、まっすぐ見なさい。あなたに敵意がないことを示すために」 私は頷いた。大丈夫、できる。そう自分に言い聞かせる。 でも、このときの私はまだ知らなかったのだ。その面会が、私の運命を根本から変えてしまうことになるなんて。 翌日、私は用意された衣装に身を包み、王宮の奥へと向かった。 この日のために、フィオナ様が仕立ててくれたドレスは、人間の国では見ないような鮮やかな深緑色だった。獣人王国では、森の色が最高級とされるらしい。肩と背中が開いた大胆なデザインで、肌がいつもより多く露出している。少し恥ずかしいが、これがこちらの正式な装いらしい。 王の私室は、王宮の最上階にあった。巨大な樹木の幹をくり抜いて作られた廊下
エンペリアへの旅は思っていたよりも長く、そして快適だった。 馬車に揺られること十日。ルーメリア王国の東端にある国境の街を越え、獣人の国へと足を踏み入れた瞬間、私は息を呑んだ。 そこに広がっていたのは、鬱蒼と茂る深い森だった。木々は天を突くように高く、葉の間から差し込む陽光が路面に複雑な模様を描いている。空気が違う。澄んでいて、濃い。草と土と花の香りが混ざり合った、原始的な匂い。人間の国では感じたことのない、生命力に溢れた土地だった。「すごい……」 思わず声が漏れる。馬車の窓から身を乗り出すようにして、私は外の景色に見入っていた。同行している侍女のマリアが、呆れたように言う。「お嬢様、お行儀が」「だって、こんな景色、初めてなのよ。あれなに? あの木、光ってない?」「光苔ですよ。この国では、夜になるとあちこちで光るんです。まるで星が降りてきたみたいに綺麗なんですって」 マリアはこの旅のために、獣人王国のことを色々と調べてくれたらしい。頼りになる侍女だ。彼女は私より五つ年上で、物心ついた頃からずっと側にいてくれた。婚約破棄のときも、何も言わずに側にいてくれた。私にとっては、姉のような存在だ。「夜になったら、見られるかしら」「ええ、きっと。宿に着くまでに暗くなったら、見えるかもしれませんね」 私は胸を弾ませながら、窓の外に視線を戻した。こんなに心が浮き立つのは、久しぶりだった。 エンペリアの王都、ヴァルガリアに着いたのはその日の夕方だった。 獣人の王都は人間の王都とはまったく異なる姿をしていた。白い石造りの建物が整然と並ぶルーメリアの王都に対し、ヴァ
目を覚ましたとき、私は前世の記憶を持っていた。 いや、正確に言えば五歳の誕生日を迎えた朝、突然に「思い出した」のだ。自分が一度、別の世界で生きたことを。現代日本という国で、どこにでもいる会社員として働き、疲れ果てて帰宅した夜気がついたらこの世界の貴族令嬢として産声を上げていた。 だからといって何か特別な力が目覚めたわけでも、世界を変える知識があったわけでもない。ただ、幼い体に大人の意識が宿ったそれだけのこと。むしろ面倒だった。貴族社会のしきたりも、令嬢教育もすべてが窮屈で仕方なかった。 私が転生したのはこの大陸の西側に位置する人間の王国、ルーメリア王国。由緒ある伯爵家の長女、セレスティーヌ・アルヴェールとして生を受けた。 幸いだったのは家族が善良だったことだ。父も母も、弟も、温かい人たちだった。だから私は、この世界で平穏に生きていこうと決めた。特別なことは望まない。派手な社交界デビューも、権力闘争も英雄譚も、私には必要ない。ただ静かに穏やかに、日々を積み重ねていければそれでいい。 そう思っていたのに。 十八歳の春、私の平穏は音を立てて崩れ去った。 王都の社交界で、私には婚約者がいた。相手は侯爵家の嫡男、アレクシス・フォン・ラングハイム。金の髪に青い瞳、貴族の鑑のような優雅な物腰。何度か顔を合わせ、互いの家の都合で結ばれた縁だったが、私は彼を嫌いではなかった。 彼は私に、いつも優しかった。婚約者としての義務を、きちんと果たしてくれる人。それ以上を求める気持ちは、お互いにない。そういう関係だった。 だから、あの日のことは今でも鮮明に覚えている。 王宮の夜会。シャンデリアの灯りが煌めく大広間で、私は一人、壁際に立っていた。アレクシスは友人たちと談笑していて、私は手持ち無沙汰にワイングラスを傾けていた。ドレスの裾が重く、コルセットが息







