FAZER LOGIN屋敷へ戻っても、綾香は理央の言葉が頭から離れなかった。『長谷川さんにも会った?』 偶然、名前を出しただけ。 そう考えることもできる。 けれど、あまりにもタイミングがよすぎる。(長谷川さんが話してないなら、どこから知ったの?) まず考えたのは父だった。 綾香は以前、父に長谷川について尋ねている。 その話を父が理央にした可能性はある。 しかし父は今、北海道にいる。 わざわざ理央へ電話して、娘が長谷川について尋ねてきたなどと話すだろうか。(ないとは言い切れないけど……) 綾香はスマートフォンを手に取った。 父へ確認することも考えたが、やめる。 これ以上、父に不審がられるような質問を重ねたくない。 それより気になるのは、理央の態度だった。 綾香が昔のことを調べていると知っても、驚かなかった。 むしろ。 どこまで調べているのか確かめているように見えた。「……気をつけないと」 今まで以上に。 こちらが知っていることを、理央に悟られてはいけない。 特に久世のことは。 綾香は保存した久世の写真を見つめた。 理央が久世と接触していた可能性が高い。 しかも四年前から繋がっていたかもしれない。 今も関係が続いているなら――。 久世を調べていることまで知られるのは危険だ。 その時。 廊下から足音が聞こえた。 綾香は反射的にスマートフォンの画面を消した。 ノックのあと、橘の声がする。「お嬢様、よろしいでしょうか」「どうぞ」 橘が部屋へ入ってくる。「旦那様からお電話がございました」「お父様から?」「はい。こちらで必要な書類があるとのことで、明日の午前中に会社の方が取りにいらっしゃいます」「そうなのね」 父は北海道にいても仕事を完全には手放せていないらしい。「お父様、仕事しすぎてない?」「私からも申し上げましたが、少し確認するだけだからと」「もう」 綾香はため息をつく。 それから、何でもないように尋ねた。「橘」「はい」「最近、理央と何か話した?」 橘が少し意外そうな顔をした。「理央と、でございますか?」「ええ」「昨日、電話がございましたが」 綾香の胸がざわつく。「何の話?」「旦那様のご様子を尋ねられました」「それだけ?」「それから、お嬢様のことも」「私?」「最近お忙しそうだが、
夕方。 理央が指定したのは、御影家から車で十五分ほどの場所にあるレストランだった。「綾香」 店へ入ると、先に来ていた理央が穏やかに笑った。「急に誘ってごめんね」「いいのよ」 綾香は向かいの席に座る。「それで、どうしたの?」「大した用じゃないよ。最近、あまり二人で話してなかったから」 理央はいつもと変わらない。 穏やかで。 優しげで。 前世の自分が信じ切っていた顔。「お父さんが北海道に行ってから、忙しい?」「それほどでもないわ」「ホテル、気に入ってるみたい?」「ええ。毎日温泉に入ってるみたい」「それならよかった」 理央が微笑む。「北海道って温泉も多いよね。どの辺りにしたの?」 まただ。 綾香は表情を変えなかった。「温泉のあるところよ」「そうなんだ」「ええ」「場所は聞いてる?」「もちろん知ってるわよ」「よかったら教えてくれない?」「どうしてそんなに知りたいの?」 理央の笑顔が、ほんの少し止まった。「心配なだけだよ。少し前に倒れたばかりでしょう?」「お父様なら元気よ。毎日電話してるもの」「そっか。それなら安心だね」 理央はそれ以上聞かなかった。 けれど、綾香は忘れない。 父のホテルを知りたがっている。 それも何度も。 料理が運ばれてくる。 しばらくは他愛のない話をした。 綾香は頃合いを見て口を開く。「そういえば、昔の写真を見てたの」「写真?」「お母様のものとか、昔の家のものとか」「懐かしいね」「理央も昔からよくうちに来てたでしょう?」「そうだね」
翌日。 綾香は久世雅彦について、三年前の情報を中心に調べ始めた。 現在の肩書より知りたいのは、母が亡くなった頃に何をしていたのかだ。 古い記事や企業情報を遡っていく。 久世は長年、投資や企業買収に関わる仕事をしていた。 複数の会社を渡り歩き、役員や顧問を務めている。「ずっと同じ会社にいた人じゃないのね」 これでは父が昔の勤務先を覚えていなかったのも不思議ではない。 三年前。 その時期まで絞り込む。 すると、久世は当時、ある投資会社の取締役を務めていたことが分かった。 綾香は会社名を検索する。 すでに久世は退任している。 会社自体は今も存在していた。 企業への出資や事業再生、買収支援などを行っている。(御影の会社とは……) 社名を並べて検索する。 古い記事がいくつか出てきた。 けれど、直接の取引を示すものは見つからない。「表に出てないだけかもしれないけど……」 それ以上は分からなかった。 次に、久世が現在どうしているのかを調べる。 最近の記事は少ない。 数年前に取締役を退任したあと、いくつかの企業で顧問を務めているらしい。 顔写真も古いものばかり。 表立って活動する立場からは退いているようだった。(本人に会えないかな) 長谷川には直接連絡できた。 なら、久世にも。 そう考えたものの、個人の連絡先など当然見つからない。 現在顧問を務めているという会社の一つに電話することも考えた。 しかし。「何て言えばいいのよ……」 父の名前を出せば、取り次いでもらえる可能性はある。 けれど父に無断で「御影の娘」として接触するのは危険だった。 久世が今も理央と繋がっているなら、自分が調べていることが理央へ伝わるかもしれない。 長谷川の時とは違う。 久世は、理央と一緒に御影家の情報を集めていた可能性がある人物だ。(先に、もう少し調べた方がいい) 綾香は検索画面へ戻った。 三年前。 久世。 投資会社。 御影。 いくつもの言葉を組み合わせていく。 すると、一つの古い記事が目に留まった。「これ……」 三年前より、さらに一年前。 久世が出席していた経済団体の交流会の記事だった。 企業経営者や金融関係者が集まった会らしい。 記事には会場の写真も掲載されている。 綾香は何気なく写真を拡大した。
屋敷へ戻ってからも、綾香は「久世」という名前を調べ続けていた。 けれど、名字だけではあまりにも情報が少ない。 御影の会社と組み合わせても。 東亜アセットと組み合わせても。 理央の名前を加えても。 それらしい人物には辿り着けなかった。「久世……」 綾香は長谷川から聞いた話を思い返す。 三年前で五十代ほど。 いつもスーツ姿で、理央が敬語を使っていた男。 長谷川へ金を渡し、御影家の内部情報を求めていた。 そして――。『御影を手に入れるなら、急ぐ必要はない』 久世が本当にあの男なのか。 そもそも、あの時に理央が口にした「久世さん」が同一人物なのか。 まだ何一つ確定していない。「……これだけじゃ無理ね」 綾香は一度、スマートフォンを置いた。 その時だった。 着信音が鳴る。 父からだった。「もしもし?」『綾香』「お父様? どうしたの?」『どうしたって、電話しただけだよ』「体調は?」『悪くない』「薬は飲んだ?」『飲んだ』「ご飯は?」『食べたよ』 父が呆れたように笑う。『お前は毎回それだな』「大事でしょう?」『はいはい』 声は元気そうだ。 綾香は少しだけ肩の力を抜いた。『こっちは涼しくていいぞ。温泉もあるしな』「気に入った?」『ああ。しばらく帰らなくてもいいくらいだ』「それなら、ゆっくりしてきて」『会社があるから、そういうわけにもいかないけどな』 せっかく離したのだから、できるだけ長くいてほしい。 そう思った時。 綾香はふと尋ねた。「ねえ、お父様」『何だ?』「久世って人、知ってる?」『久世?』「名字しか分からないんだけど」『それだけじゃなあ……』「昔、お父様の会社と関係があった人でいない?」 父がしばらく考え込む。『久世……』 やがて。『ああ、一人いたな』 綾香は身体を起こした。「本当?」『昔の取引先に久世という人がいた』「どんな人?」『どんなと言われても、もうずいぶん前だからな』「名前は?」『確か……久世雅彦だったと思う』「久世雅彦」 綾香はすぐにメモした。「何の仕事をしてた人?」『投資関係だったはずだ』「お父様とは?」『何度か仕事で会った程度だよ。特別親しかったわけじゃない』「今も付き合いはある?」『いや。もう何年も会ってないな』 条
「この男はまだ、何かを隠している」 そう確信した綾香は、長谷川から目を逸らさなかった。「長谷川さん」「……何ですか」「さっき、理央が何をしたのか突き止めるって言った時、顔色が変わりましたよね」「そんなことは」「変わったわ」 長谷川は黙った。「まだ何か知ってるんでしょう?」「知りません」「本当に?」「ええ」「じゃあ、どうしてそんなに怖がってるの?」 長谷川の視線が泳ぐ。 綾香は待った。 ここで急かしてはいけない。 やがて、長谷川が小さく息を吐いた。「……奥様が亡くなったあとです」「お母様が?」「葬儀が終わって、しばらくした頃でした」 長谷川はテーブルの上で手を組んだ。「理央君から連絡がありました」「何て?」「東都ホテルに来るように、と」「会ったの?」「ええ」「そこで何があったんですか?」「いつもの席に理央君と、例の男がいました」 綾香の身体に緊張が走る。「二人で?」「はい」「何を話したの?」「仕事の話です。今後も情報を渡してほしいと」「お母様が亡くなった直後なのに?」「だから私は断りました」 長谷川が顔を歪める。「奥様が亡くなったことが気になっていた。偶然だと思いたかったが……もう関わりたくないと伝えました」「それで?」「男は何も言いませんでした」「理央は?」 長谷川の喉が動いた。「笑ったんです」 綾香は黙って続きを待つ。「私が、奥様のこともあるから怖いと言ったら」「…&he
「……二週間もなかったと思います」 綾香は何も言えなかった。 母は理央を疑った。 長谷川と理央の関係を調べ、長谷川本人に警告した。 そして長谷川は、それを理央に話した。 その二週間も経たないうちに、母は亡くなった。「どうして……」 ようやく声が出た。「どうして理央に話したんですか?」「まさか、あんなことになるとは思わなかった」「そんなこと聞いてない」 綾香は長谷川を睨んだ。「お母様が理央を警戒してるって分かってたんでしょう?」「ええ」「それなのに、どうして本人に教えたの?」 長谷川が黙り込む。「お金をもらってたから?」「……それもあります」「それも?」「怖かったんですよ」 綾香は眉を寄せる。「理央が?」「理央君というより、あの男が」「さっき言ってた、もう一人の?」「ええ」 長谷川が声を落とした。「奥様から忠告を受けた時、私もやめようと思いました。御影の情報を渡すのも、理央君と会うのも」「だったら、やめればよかったでしょう」「そう簡単ではなかった」「どうして?」「もう十分な金を受け取っていました。それに、社外へ出してはいけない情報も渡していた」 途中で抜けようとすれば、自分のしたことを会社へ知らされる。 そういうことだろう。「脅されたの?」「はっきりとは言われていません。ただ、分かるでしょう」「分からないわよ」 綾香は冷たく言った。「お母様は、それでもやめろって言ったんでしょう?」「……ええ」「なのに、あなたは理央に話した」







