LOGIN『会社の人間かもしれない』
綾香は、その一文を何度も読み返した。
会社。
母がそう考えた根拠までは書かれていない。
けれど、理央が御影家の仕事や資産について知りたがっていた時期と重なっている。
(お父様の会社の人と会ってた?)
もしそうなら、話は変わってくる。
理央一人で御影家について調べていたわけではない。
内部から情報を得ていた可能性がある。
前世で御影家が追い詰められていった時のことを思い出す。
理央が裏で動いていたことは分かっている。
けれど、すべてを一人でやったとは限らない。
むしろ――。
(協力してた人がいた方が自然だわ)
綾香は立ち上がった。
「ありがとうございました」
「お役に立てたのでしたら」
男性スタッフへ礼を言い、ホテルを出る。
次に調べるべきことは決まった。
三年前
綾香は長谷川隆一について調べ始めた。 三年前まで御影の取締役。 経営企画を担当し、父の近くで仕事をしていた人物。 退任後はしばらく表立った経歴が途切れている。 そして現在は――。「東亜アセット……」 画面に表示された会社名を呟く。 前世で何度も目にした名前だった。 御影家が追い詰められていた頃、理央が頻繁に出入りしていた会社。 あの頃の綾香は、理央が仕事で付き合いのある会社なのだろうと思っていた。 疑いもしなかった。(でも、三年前から繋がってたとしたら?) 母が亡くなる前から。 理央と長谷川が会っていたのだとしたら。 そして母がそれに気づいたのだとしたら――。「確かめたい」 けれど、どうすればいい。 東都ホテルの従業員に長谷川の写真を見せれば、何か思い出すかもしれない。 だが、先ほど話を聞いたばかりだ。 今度は別人の写真を持って戻れば、さすがに不審に思われるだろう。(それに、三年前だもの) 顔を見せたところで確実な証言になるとは思えない。 もっと別の方法が必要だった。◇◆◇ その夜。 綾香は北海道にいる父へ電話をかけた。『どうした?』「体調どう?」『朝も聞いただろう』「今は?」『元気だよ』「ご飯は?」『食べた』「薬は?」『飲んだ』「本当に?」『写真でも送ろうか?』「そこまではいいわよ」 父が電話の向こうで笑う。『お前、私がいない方が心配性になるんだな』「だって見えないんだもの」『ちゃんと休んでるよ。今日は温泉にも入った』「長湯してない?」『してない』
『会社の人間かもしれない』 綾香は、その一文を何度も読み返した。 会社。 母がそう考えた根拠までは書かれていない。 けれど、理央が御影家の仕事や資産について知りたがっていた時期と重なっている。(お父様の会社の人と会ってた?) もしそうなら、話は変わってくる。 理央一人で御影家について調べていたわけではない。 内部から情報を得ていた可能性がある。 前世で御影家が追い詰められていった時のことを思い出す。 理央が裏で動いていたことは分かっている。 けれど、すべてを一人でやったとは限らない。 むしろ――。(協力してた人がいた方が自然だわ) 綾香は立ち上がった。「ありがとうございました」「お役に立てたのでしたら」 男性スタッフへ礼を言い、ホテルを出る。 次に調べるべきことは決まった。 三年前。 父の会社にいた人間。 その中から、理央と接点を持っていた人物を探す。◇◆◇ 屋敷へ戻ると、綾香は書斎へ向かった。 父はいない。 だからこそ、今なら落ち着いて調べられる。 ただし、会社の人事資料を勝手に見るわけにはいかない。(どうしよう……) 三年前に在籍していた年上の男性。 それだけでは範囲が広すぎる。 役員だけでも複数いる。 管理職まで広げれば、何人になるか分からない。 しかもホテルのスタッフの記憶が正しいとも限らない。「お嬢様?」 声に振り返る。 橘だった。「どうかなさいましたか?」「昔の会社案内って、どこかにない?」「会社案内ですか?」「うん。三年くらい前の」 橘が不思議そうな顔をする。
東都ホテルは、都心にある老舗ホテルだった。 母が亡くなる前から営業している。 綾香は公式サイトを眺めながら考えた。(三年前のことを聞いて、何か分かるかしら) 理央が宿泊していたとは限らない。 誰かと食事をしていただけかもしれない。 それどころか、ロビーで会っただけという可能性もある。 それでも、母は三度もホテルの名前を記録している。 最後には、『相手を確認する必要あり』 とまで残していた。 ただの友人だとは思っていなかったのだろう。 綾香はスマートフォンを手に取った。 ホテルに問い合わせても、理央がいつ誰と会っていたかなど教えてもらえるはずがない。 ならば――。「行ってみよう」◇◆◇ 午後。 東都ホテルへ到着した綾香は、ロビーを見渡した。 高い天井。 大きなシャンデリア。 奥にはラウンジがあり、その反対側にはレストランへ続く通路がある。(三年前と、どのくらい変わってるんだろう) 母がここまで来たのか。 それとも、誰かから理央がここにいたと聞いたのか。 記録だけでは分からない。 綾香はまずラウンジへ入った。 席に案内され、紅茶を注文する。 周囲を眺めていると、スーツ姿の客が多いことに気づいた。 仕事の打ち合わせらしい二人組。 書類を広げている客。 人目を避けるほどではないが、会社の外で話をするにはちょうどいい場所だ。(理央も、ここで誰かと会ってた?) 綾香は母の記録をもう一度確認した。 三回とも平日。 時間の記載があるものは夕方だった。「……仕事関係?」 理央が御影家の会社や資産について知りたがっていた。 そして、橘にも分からない相手と会っていた。 もし、その二つが繋がっているなら。 理央はあの頃から、御影家に何かを仕掛ける準備をしていたのかもしれない。 前世で起きたことを考えれば、十分にあり得る。 けれど、相手が分からない。「失礼いたします」 紅茶が運ばれてきた。 綾香は顔を上げる。「ありがとう」 カップを受け取りながら、ふと思った。 三年前にもここで働いていた人なら、何か覚えているだろうか。 もちろん、理央は有名人ではない。 三年前に数回来ただけの客を覚えている可能性など低い。 それでも何もしないよりはいい。「あの」「はい」「少し聞いてもいい?」「何で
「その話をしたのって、お母様が亡くなるどのくらい前?」 橘の顔から、わずかに表情が消えた。「……なぜです?」「気になっただけよ」「そうですか」「覚えてない?」「いいえ」 橘は静かに首を振った。「覚えています」 綾香は息を詰める。「奥様が亡くなられる、一か月ほど前だったかと」「一か月……」 母のメモに残された日付とは少し違う。 けれど、母と橘が理央について話したのは一度ではなかった。「それが最後?」「理央について話したのは、そうだったと思います」「その時、お母様は何か言ってなかった?」「先ほど申し上げた通りです。理央が誰と付き合っているのか知っているか、と」「それだけ?」「ええ」 橘はそこで言葉を切った。 けれど、何かを考えている。「……何?」「いえ」「何か思い出したんでしょう?」 綾香が尋ねると、橘はしばらく黙っていた。「奥様は、少し様子がおかしかったように思います」「どんなふうに?」「何かを警戒しているような……」 綾香の心臓が大きく鳴った。「誰を?」「それは分かりません」「理央じゃないの?」「お嬢様」 橘の声が少し低くなる。「なぜ、そう思われるのですか?」 しまった。 綾香はすぐに表情を戻した。「だって、理央のことを聞いたんでしょう?」「それはそうですが」「だったら、そう思うのは普通じゃない?」「……そうかもしれません」 橘は納得したようだった。
父が北海道へ発ってから二日。 ホテルに到着したという連絡もあった。 翌朝には温泉へ入ったというメッセージまで届いた。 ひとまず、父は大丈夫そうだ。 だから今のうちに、綾香は確かめなければならない。「橘」 午後、綾香は廊下で橘を呼び止めた。「はい。何でしょうか」「少し聞きたいことがあるの」「私にですか?」「お母様のこと」 橘の表情が、ほんの少し変わった。「奥様の?」「うん。昔のことを思い出してたら、いろいろ気になって」「何でしょう」「お母様って、理央のことをどう思ってた?」 橘が目を瞬く。「理央ですか」「小さい頃から、この家によく来てたでしょう?」「ええ」「お母様も可愛がってたよね」「そうですね。奥様はあの子にもよくしてくださいました」 やはりそうだ。 綾香の記憶とも一致している。「何か揉めたことはなかった?」「揉めた?」「お母様と理央」 橘が考える。「私の知る限り、大きなものはありません」「小さなものなら?」「お嬢様」 橘が少し困ったように笑った。「親子でも喧嘩をするのですから、長い付き合いなら多少の行き違いくらいはございます」「どんな?」「そこまで昔のことを細かく覚えてはおりません」「そう……」 綾香はそれ以上追及せず、少し間を置いた。「じゃあ、お母様から理央のことで相談されたことはある?」 今度は。 橘の返事が、すぐには返ってこなかった。「……どうして、そのようなことを?」 綾香の胸がざわつく。 知らないなら、知らないと答えればいい。
父を見送ったあと、綾香はまっすぐ病院へ向かった。 遥臣に預けている、母の資料。 もう一度、最初から見直したかった。「来たか」 診察の合間に顔を出した遥臣は、綾香を見るなりそう言った。「お父様、北海道へ行ったわ」「そうか」「さっき飛行機に乗ったところ」「なら少しは安心できるな」「……うん」 少なくとも体を休めるという意味では、その通りだ。「それで、また見せてほしいの」「何を」「お母様の記録」 遥臣はそれ以上聞かず、預かっていた封筒を持ってきた。「ここで見るか?」「うん」 綾香はテーブルを借り、資料を広げる。 母が残した記録。 食事。 薬。 体調。 病院での検査結果。 そして、その日に起きたこと。 一枚ずつ読み直していく。(前は薬のことばかり見てた) 何を飲んだ日なのか。 いつ体調が悪くなったのか。 そこばかり気にしていた。 けれど今度は違う。 母の周囲に誰がいたのか。 何があったのか。 そこを見る。『理央が来る。夕食』『橘、理央と話』『午後、理央』 理央の名前がある。 もちろん、それだけで何かをした証拠にはならない。 当時の理央は御影家へ頻繁に出入りしていた。 名前が何度も出てきても、それ自体はおかしくない。 けれど――。「……これ」 綾香の指が止まった。 体調を崩した日の記録。 その前日にも理央の名前がある。 別の日も。 さらにページをめくる。(何か共通点があるはず